2011年12月03日 18時11分

リニモ車両基地見学会(7)見学会を終えて。

写真は2005年の3月18日に撮影したリニモです。
(万博の開催年だけは平成の年号より2005年の方が私には馴染んでいます)
この写真のようなリニモとゴンドラの組み合わせを撮影された方も多いと
思われますが、これは万博開催前に業務打ち合わせで会場に向かった際、
開業直後のリニモに乗り、万博塗装の第9編成を(偶然)撮影したものです。
(ところでこの編成、ここを去った今、どうなっているのでしょう?)

このリニモ。その先端的な技術はともあれ、愛知万博終了後は
「折角作っても・・・」と、その存在意義が問われ続けています。
もっとも作る前から『需要予測』についての疑義があったのも事実です。

今回、久しぶりに乗車し、確かに藤が丘駅の乗り換えは不便ですが、
乗り心地も良いですし、10分間隔の利便性も都市交通としては及第点です。
ただ如何せん、足として使う必要のある人が少ないのが現状でしょう。
その分析はネットで検索すればいくらでも出てくるでしょうから私が
ここで触れるまでも無いほどその前途は明るくありません。
その他にも細かいことですが、全線が地下か高架であり、駅の入り口に
辿り着いてもそこからホームまでの導線が長く、またエスカレーターの
設置準備はされていても、その部分にはまだ何もない駅もあります。
(エレベーターは設置されています)
一方「浮上式鉄道」ということで一般的な電車よりも電気代などの
ランニングコストもかかるような気もします。
またマナカが使えないのも残念です。

それでも今回『車両基地見学会』に参加し、少しでも多くの方にリニモを
知ってもらい、もっと多くの方に利用して欲しいという想いが、説明を
して下さった方たちの丁寧な対応ぶりから伺えました。
『走るパビリオン』と言われ注目を浴びた「リニモ」を“パビリオン”で
終わらせない方策は無いものでしょうか?難しい課題ですね。

2011年12月02日 18時09分

リニモ車両基地見学会(6)リニモ浮上!

見ようと思っても普通では絶対に見られない『8ミリの世界』がこの2枚の
写真です。

右側が“浮上”状態で、左側が“着地”状態です。
赤い矢印の上の部分に注目!何となくでもよいのですが、この違いに
お気付きいただけましたでしょうか?
リニモが浮いたその瞬間、参加者が一斉にどよめきました。

今回、リニモの“8ミリの浮上” は先に書いたとおり「愛・地球博記念公園」駅に停車中に乗車した状態でまず体感しているのですが、
参加者の歓声は、この目の前で実際に浮上し、着地した時の方が
大きかった印象です。

リニモの“浮上”“着地”は、余程集中していないと気付き難いと
私は思っており、今回も往路の「藤が丘」での“浮上”、
「愛・地球博記念公園」での“着地”は『これだな???』という
「気のせいでは無かろう」というレベルだと感じており、『体験時』には
乗務員さんの「アナウンス」があったので実感できたと思いました。

それが実際に目の前で軌道から車体が浮き上がり、そして着地する模様を
見ていると流石に「オーッ」と思ってしまい、それは全参加者にとって
共通の出来事だったようです。

やはり車両基地見学会は得難い体験の連続となりました。

2011年12月01日 18時08分

リニモ車両基地見学会(5)パンタグラフ(?)を発見。

一般の営業運転時に、リニモで一番まじまじと見る事が難しいのは
きっと車両に電気を供給する電車線と車両側での集電装置及び走行台車の部分でしょう。

走行台車はモジュールと呼ぶそうですが、1両あたり5組(左右で1組、
計10台)ついており、それを間近に見ることができました。(上段写真)
また写真では分かりにくいかも知れませんが、コンクリート部分の手前に
碍子の上にある『電車線』(この用語の使い方はリニモの資料によっています。所謂 “架線”にあたります。)が見えます。
そしてモジュールの一番左の部分から下に“足”の様に伸びているのが
集電装置で、それを斜めからUPにしたのが下段写真です。

下段写真では『電車線』が無いので、集電装置の構造がより分かり易いかと
思いますが、“普通”と言うと御幣があるかも知れませんが、
電車のパンタグラフより、どちらかと言えば第三軌条の集電靴
(コレクターシュー)の方がイメージに近そうです。

JR東海の超伝導リニアでは非接触型の集電ですが、同じ磁気浮上式
(浮上の仕組みは異なりますが…)でもこちらは最高時速100キロと
言うことで接触型となっていると思われます。

この「集電装置を確認したかった」というのも私が今回のイベントに
応募した理由(2)となるのですが、やはり普段見られない(見にくい)ものが見られるのは楽しいですね。

※走行台車の詳しい解説は「リニモ」のHPに詳しく出ていますので
そちらをご参照ください。

2011年11月30日 18時00分

リニモ車両基地見学会(4)分岐器は本体ごと移動。

今回の「車両基地見学」では、私の入っていたA班はまず「リニモ」の
概略を知るビデオを鑑賞し、その後、「運転司令室」見学をし、
続いて屋外での「リニモ」の『浮上・着地』を間近で見、
更にご覧の「ポイント」の切り替えを見学しました。

リニモのポイント切り替えをまじまじと見たことは今回が初めてで、
実は、今回の見学会で「愛・地球博記念公園」で、ポイントの切り替え
(というより“移動”の方が相応しいですね)を乗務員さんの解説付きで
見てはいたのですが、ここ車両基地内ではより近くでそれを実感したことに
なります。

東京モノレールなどで“構造物本体”が動く大掛かりなポイント
切り替え(移動)は何度も見ているのですが、ここまでの至近距離で、
しかも側面から見るのは感動もので、金網越しではあるものの、
参加者の皆さんは盛んにカメラのシャッターを押していました。
勿論、私もその一人でした。

私は“普通”の線路でも、ポイントが切り変わる様を見るのは
『好き』な方だと思いますし、7月の北海道では2箇所でポイントを動かして
一人悦に入っていました。この「ポイント切り替え」という行為は
大袈裟に言えば「人生のターニングポイント」の選択をしているような気分で、
一度切り替わればそのレールの上を走るしかないことになります。

その選択に間違いがあれば鉄道では大事故ですし、個人の人生でも
大きな分かれ目です。もっともそんな大それたことを『ポイント切り替え』を
見る度に考えていることはなく、まずは珍しいものを見た気分でした。

2011年11月29日 17時58分

リニモ車両基地見学会(3)リニモの居場所は一目瞭然。

「運転司令室」のリニモ運行状況のモニター画面のUPです。

上段写真は「藤が丘」駅と「はなみずき通」駅の区間の表示ですが、
“赤い”線の部分が今、正にリニモがいる場所です。つまり、画面中央の
クロスしている場所が「藤が丘」の渡り線部分で、写真でそこが
“赤い”ということは「八草」発「藤が丘」行きの編成が本線から
ポイントを渡り、「藤が丘」に入線しようとしていると言うことになります。

なお時間経過で話しをすると、渡り線の色はもともと「はなみずき」から
「藤が丘」構内(上の番線)に向かって白く表示されており、
その内「藤が丘」行きが「はなみずき通」を出発すると共に徐々に
“赤い”線が「藤が丘」に近づき、最終的にご覧の通り渡り線を通過し、
この後、「藤が丘」のホームの上側の線が「白」から「赤」に変わりました。
この間、「藤が丘」の画面下側の線とそこから「はなみずき通」へ
向かう渡り線には『色』は表示されず“黒抜き”のままでした。(当然です。そうでなければシステムトラブルでしょう)
参考までに「藤が丘」と「はなみずき通」の間にも1本の“赤い”線が
ありますが、「八草」行きがここを走っている証明となります。

一方下段写真は車両基地内の表示ですが、一番上から2番目の線が
「赤く」なっており、かつ一番下の線も「赤い」のはそこにもリニモがいると
いうことで、解説すると上の3線は留置線であり、下の2線は工場内と
なっており、何れにしろ基地内までシステムで監視されているのは
少々驚きでした。

2011年11月28日 18時10分

リニモ車両基地見学会(2)車両基地を覗いてみれば。

上段写真は、実は帰りのリニモの車内から撮影した車両基地で、
今回、往路の乗務員さんの説明で気付いたと言うのも何ですが、
リニモには防音壁が無いため非常に見通しがよく、こうした写真を
撮影できました。
で、この日、私は1時間ほどこの「車両基地」の中にいました。

ところでリニモに防音壁が無い理由ですが、浮上して走行するので、
レールとの接触がなく、そのため騒音が少なく、結果、一部を除き
その路線の殆どが高架であるにも関わらず防音壁は無くても
大丈夫なのだそうです。成程ね!

下段写真は普段は絶対に見られない「運転司令室」です。
これは私が今回のイベントに応募した理由(1)となるわけですが、
通常、3人の方がこの中で運転状況の『監視』をしているそうで、
正面のモニターには、今、どこをリニモが走っているか?
ポイントはどの番線に繋がっているか?
が、本線のみならず車両基地内も含め一目で分かると共に、
各駅の監視モニターの映像が常時確認できるようになっていました。
まあ、当たり前と言えば当たり前の話しで恐縮ですが、やはりこうして
目の当たりにすると少々興奮してしまいました。

また、「運転司令室」の右側にはパソコンと電話の受話器が並んでおり、
駅や車内の乗客の方からの連絡はそこで対応するようになっています。

たまたまですが、丁度私たちの見学中にどこかの駅からと思われましたが
『問い合わせ』の連絡があり、係りの方が正面のモニター前を離れ、
右側のデスクで対応されていました。ガラス越しのため中の音は外に
漏れていないので詳細な状況は分かりませんでしたが、緊急事態で
ないことだけは担当者の方の表情から読み取れました。

2011年11月27日 15時54分

リニモ車両基地見学会(1)10月29日、回送列車(?)に乗車。

10月29日(土)、抽選に当たったのでリニモの車両基地見学会に
出かけました。
●イベント名…「貸切リニモで行く!リニモ車両基地見学会」

朝9:30、集合場所の藤が丘駅には小さな子供連れを中心に大勢の方が
おられ、私のような『鉄の一人』は殆ど見かけませんでした。
参加者はリニモ1編成の『座席定員』104名で、「藤が丘」10:01、
案内表示では「回送」の列車(上段写真)に乗り込み、
途中「愛・地球博記念公園」では中線に入り、そこで『磁気浮上式』の
“浮上体感”実験をしつつリニモ車両基地の最寄り駅「陶磁資料館南」には
10:25過ぎに到着しました。
(下段写真は私たちを下ろしたあと、「八草」方面に向かう『回送』列車)

因みに私たちが乗車した“スジ”ですが、『愛知高速交通』が行っている
「わくわく貸切Linimo」という貸切体験列車のもので、
パンフレットによれば毎時01、31出発で本来なら「愛・地球博記念公園」
もしくは「八草」まで乗車となっています。
(11:01~16:31発の間で運行可能とのこと)

今回の『車両基地見学会』も基本的にはそれと同様の内容で、
「貸切リニモ」の特典である
1)普段は無人運転のリニモに乗務員が添乗し、リニモの魅力や秘密を解説。
2)「急加速」のデモンストレーション。
3)「着地・浮上」のデモンストレーション。
4)特製パンフレットの配布。
以上は全て私たちも楽しみました。

それにしても家族連れの中での一人は結構さみしいものがありました…。
子供が小さければきっと無理やりにでも連れてきたのでしょう・・・。

2011年11月23日 15時40分

桜通線可動式ホーム柵、異聞。

桜通線の可動式ホーム柵は、今年の7月23日に全駅で使用開始されました。
それで・・・。

『6207』の車体番号の下に、何かシールを剥がした痕跡があるのを
見て取れますでしょうか?
もともとここには広告があったはずですが、その位置ではその広告の一番下の
部分が、ホーム柵で隠れて見えにくくなりそうなのはご理解いただけるのでは
ないかと思います。

そこで名古屋市交通局では、一旦ここにあった広告を外し、
広告が隠れない場所に移動させたのがこの『痕跡』の存在する理由と
思われます。
これは車体番号下の広告だけが一部隠れたために移動させたわけではなく、
その編成の全ての広告が同じ高さの場所にあったことから、
隠れない位置への移動が行われた模様です。
ただ車体番号の所にあった広告は移動させるスペースが無いため、
今は写真のように何もない状態となっています。

もっとも私が毎日、通勤時に桜通線の車両を見ている限り、
『6000形』全編成の全ての広告が移動されているわけではなく、
どれ位の枚数が残っているかは不明ですが、編成によっては
まだまだこの写真の『痕跡』の場所に広告がある場合も見受けられます。
恐らく、順番に作業をされているのでしょう。

それでは「徳重」延長用に導入した『6050形』はどうなのでしょうか?
こちらは、車両導入の大前提に“可動式ホーム柵”があったためでしょうが、
当初から『全てが見える』広告となっています。

今回、実際の広告位置のバリエーションを写真で紹介しようと
思ったのですが、何せ広告をそのままUPするわけにもいかず、
この『痕跡』の写真を使うことにしました。ご容赦ください。

2011年11月22日 18時27分

10月8日の大井川鐵道(27)昭和53年の井川線。

昭和53年11月25日、私は「大井川鉄道」を完乗しました。
上段写真はその時の井川線井川駅で、下段写真は井川線の列車の前で
撮影した記念写真です。

この日の足取りは、
1)熱田8:27~浜松10:14
2)浜松10:17~金谷10:59
3)金谷11:34~千頭12:53
 ●大井川鉄道大井川本線SL急行
4)千頭14:05~井川15:41
 ●大井川鉄道井川線
5)井川15:48~静岡18:20
 ●大井川鉄道バス(時刻は私のメモ)
◆その後新幹線に乗り継ぎ。

この行程を見ていて気付いたのは、SL急行の所要時間はあまり差が
無いのですが、井川線はアプト区間が出来、機関車の付け替えが
発生したこともあり、当時は現在よりも10分ほど短い時間で全線を
走っています。

また、井川駅前から静岡駅前へ行く定期バスが当時はありました。
今も「畑薙第一ダム」~(井川駅)~「静岡駅間前」間に
『しずてつジャストライン』のバスが夏季に季節運行されているようですが、
この時期は運行されていないので、「井川」まで行った場合、
又来た道を帰るしか選択の余地がありません。
※「井川」は当時も今も静岡市内です。こんなと言ったら失礼ですが、
あまりにも山中で驚いたことを覚えています。

ところでここに写っている機関車はDB1形であることは間違い
ありませんが、現在、井川線で使用されているDD20形とのギャップの
大きさに唖然とさせられます。
如何にも『KATO』(加藤製作所製.模型メーカーではありません)と
書きたくなるそのフォルムには堪らない魅力がありますし、
現役時代を知っていることは幸せなのかもしれませんが、
線路の幅の違いはともあれ、客車も含めナローの森林鉄道との
あまりの差の無さには懐かしさよりも思わず笑みがこぼれてしまいました。

(大井川鐵道 完)

追伸:無料乗車体験『金谷茶を飲みながらSL重連列車に乗ろう!』では、
地元特産の「C11227」と記された志戸呂焼きの箸置がお土産に
付いていました。
そのお土産には地元の小学生の“手書き”のメッセージも同封されており、
その内容は金谷の街、そしてSLへの愛情が詰まっており、
心温まるものがありました。
今回のSLの旅で私は、新しい転車台の登場を含め。島田市が
大井川鐵道を観光の中軸として捉え、かつそれが全島田市民に
認知されていると感じました。出来そうで出来ないことですね。

2011年11月21日 18時23分

10月8日の大井川鐵道(26)オハの車内は風情あり。

帰りの「かわね路2号」は機関車の次位、1号車でした。
(下段写真参照)
1号車のオハ35-435の車内は、上段写真で見てとれるように
昭和の香りを漂わせており、何となく乗客の皆さんも昭和に
タイムスリップしたみたいです。
また、前方の貫通扉の窓越しに見る「C10 8」のヘッドライトが、
より「昭和」を深く味合わせてくれていました。

中段写真の灰皿も、そう言えばこんなスタイルのもあったと
席に着いてから思い出し、思わず一枚撮影してしまいました。
灰皿に蓋が付いていないタイプのものを見たのは一体、何年ぶりなのか
全く記憶がありません。

ところで、他の乗客の方の行動を見ていて「成程」と思った事が一つ。
それは、マスク持参の方がいたことです。
当然、トンネル対策なのですが秀逸なアイデアと思いました。
何故なら『トンネルに入る時は窓を閉める』という昭和の常識が
やはり一般的には通じておらず、というよりトンネルの中の「煙」を
楽しまれる方もおられるので、なかなか賢い対応策です。
(写真を撮影するのは憚られましたので証拠写真はありません)

その方たちは、60~70歳位のグループで、マスクをしてトンネル内の
煤煙を楽しまれているような気がしないでも無かったです。
但し、そのグループの方の名誉のために付け加えますと、
自分たちの席横の窓は閉められていました。

こうして私たちの大井川鐵道の旅は、新金谷16:10に到着して
終わりました。

最後に、この列車も“撮り鉄”さんのカメラの放列の中をひた走ったことを
報告します。皆さん、お疲れ様でした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!