2011年10月31日 18時28分

10月8日の大井川鐵道(5)焚き付け用?

今年の8月2日、「三笠のSL機関士体験」の際に、
燃料の石炭の焚き付け用に『薪』を使う話しを書きましたが、
ここ大井川鐵道でもそれらしき物を見つけました。

それがこの写真で、上段写真の石炭置き場の奥に、何故か唐突に存在する
屋根の不自然さに目が行き、その下に木っ端の山を見つけました。
“三笠”で話しを聞いていた私は、「きっとこれは“焚き付け”に使うもので
あろう」と思ったのですが、確認する術がなく、それでも私の推理は
間違いはないだろうと思っています。

昭和51年に大井川鐵道で現在の形でのSLが走り始めてから既に35年が
経っていますが、こうした『木っ端のある風景』は恐らくその当時から
変わっていないのでしょう。
とはいうもののこの『屋根』がその当時からあるとは思えません。
SL運転当初の状況は私にはわかりませんが、後にこの屋根が作られ、
そこに“焚き付け”用を置いたとしたら、その『屋根』があると言うこと自体、
その下にあるものの重要性の証であることは間違い無さそうです。

縁の下の力持ち的な存在と言うより、これが無くてはSL運転が
成り立たないと言っても過言ではない存在に思わず目を向けてしまいました。

2011年10月30日 17時52分

10月8日の大井川鐵道(4)転車台&SLサミット。

私たちが「新金谷」駅に到着した時、丁度新しい転車台の
オープニングセレモニーが行われていました。
と言っても、正式なセレモニーは、前日の7日(金)に行われており、
この日は「SLサミット」参加者によるお披露目セレモニーのようでした。

「SLサミット」は全国のSL運転線区の自治体及び鉄道事業者等の
関係者が一同に会し、SL列車の魅力を全国に発信しようというもので、
この転車台を手回ししている方たちは、「真岡市」「秩父市」「津和野町」
「人吉市」そして大井川鐵道沿線自治体の首長の方達(そういうアナウンスが
会場でありました)で、重いSLを手で一周させ、その後でこの場で
公式記念写真に納まっていました。放送局・新聞社等の取材も入っており、
その横で私も並んで撮影していました。もっとも一般公開の場でしたので、
「鉄」の方達も大勢おられ、私はそこに紛れていた次第です。

この転車台は、静岡県島田市役所が『観光の目玉』として
約9000万円かけて作ったそうで、これで観光客に“不評”だった
大井川鐵道のSLバック運転が解消されることになったのですが、
その一方で無くなってしまってみれば私・個人的には少々残念な想いも
あります。

それはC10、C11のみならずC56といったここにいる蒸気機関車達は
バック運転も想定して製造されており、バック運転時の姿も結構
様になっていたのではないかと思っていたからです。
ただこの転車台の新設は、機関車の向きの選択肢を増やすことにはなるので、
その内にSLバック運転を“売り”にした列車が登場するかもしれませんね。
もっとも「金谷駅」に入線しない方が寂しいという声もありますが…。

2011年10月29日 18時50分

10月8日の大井川鐵道(3)金谷への道。

掛川駅で在来線に乗換。掛川発8:36の428M(浜松発熱海行き)で
金谷着8:50。
※上段写真は428M「掛川駅」到着。
※下段写真は大井川鐵道「金谷駅」。

大井川鐵道は「金谷」発9:14の「千頭」行きに乗る予定だったのですが、
駅前まで人の列が既に出来ており、結局、今回の「無料乗車体験
『金谷茶を飲みながらSL重連列車に乗ろう!』」の集合場所が
「新金谷駅」で、集合時間が9:30だったこともあり、
「新金谷」で少しゆっくりしようとタクシーで向かうことにしました。
(タクシーは750円.電車だと1人150円×2=300円)

この写真の大井川鐵道「金谷駅」はひっそりとしていますが、
これは帰りに撮影(帰りもタクシー利用)したもので、行きの時間に
撮影した写真は、あまりにも人が沢山おり、しかも乗客の方達の
『顔の判別できる』写真しか撮れず、ここで使うのを諦めたという経緯が
あります。

流石に3連休というか、それとも「SL重連人気」もしくは
「新金谷」&「千頭」で開催される『SLフェスタ2011』に向かう
人並みか?と思う一方、「のんびりとSLの旅」が「喧騒のSLの旅」になり
風情を楽しむことが出来なくなるのではないかと不安に駆られる出だしでした。

まあそれはそれで、どんな状況になっても楽しもうとは思っていましたが…。
もっともそれは杞憂に終わりましたが…。

2011年10月28日 18時30分

10月8日の大井川鐵道(2)思わぬ貨物列車との出会い。

この日の往路は、名古屋~(新幹線)~掛川~(在来線)~金谷のルートで、
名古屋駅発7:28の「こだま632号」に乗車しました。
そして在来線への乗換駅・掛川駅到着(8:31)の直前、
上段写真の上りTOYOTA LONGPASS EXPRESS(トヨタ・ロングパス・
エクスプレス)を追い越しました。時間は8:30頃です。
(下段写真は下車直後の掛川駅新幹線ホーム)

ところが…。この列車のコンテナには全て「TOYOTA」の文字が
あったので、私はてっきりこの列車を「トヨタ・ロングパス・エクスプレス」
と思っていたのですが、家に戻ってから貨物時刻表を調べたところ、
この時間、この区間を走る同列車は無いのです。
1)笠寺発12:34⇒盛岡貨物ターミナル着翌6:09
2)笠寺発23:40⇒盛岡貨物ターミナル着翌14;27

一体私の写真に写っているこの列車は何なのでしょう?
考えられるとしたら、金曜日深夜発の列車が何らかの理由で遅延???
もしくは臨時???位しか思いつきません。

実は掛川駅で下車するために席を立った際、同僚が「『TOYOTA』の
コンテナ列車が走っている」のを見つけ、その際、
私は「このコンテナ列車は…」等と得々と解説してしまった手前、
少々居心地の悪い状況です。

誰かこの謎を解ける方はいないでしょうか?

2011年10月27日 18時45分

10月8日の大井川鐵道(1)何ゆえ私は大井川に?

10月8日(土)、全国各地で鉄道イベントが開催される中、私はこの日、
大井川鐵道を目指しました。

目的は8日(土)~9日(日)の2日間運転されたSL重連走行の
列車に乗るためでした。しかも…、「新金谷」~「千頭」間は“招待”という
夢のような旅でした。
※上段写真は今回のテーマを際立たせるために使っています。
(C11-190+C56-44)

事の発端は、大井川鐵道のHPで「無料乗車体験『金谷茶を飲みながら
SL重連列車に乗ろう!』参加者募集」という記事を見つけたことです。
お茶(勿論日本茶)好きな私としては、「お茶」と「SL(しかも重連)」が
一度に楽しめるとあってその場で申し込みました。
●主催:島田市茶業振興協会金谷支部
待つこと暫し。
当初は島田市役所企画課さんから“残念ながら”というメールももらい
『ガッカリ』していたのですが、10月4日に電話があり、
「キャンセルが出たので参加しませんか?」との有難いお誘い。
早速、出かけることにしたのですが、当初同行予定だった方は他の
用事を既に入れておられ、結局気心の知れた会社の同僚
(「鉄」ではありません)と出かけることにしました。

下段写真がその『特別乗車券』で、片道1720円×往復=3440円と、
片道のSL急行料金560円の計4000円が今回の招待の
成果(?)でした。
なお『金谷茶…』については、追って報告します。

ところで、もし私がこの「大井川鐵道」に乗ったことが無かった場合、
この乗車は“乗ったこと”になるかどうか?です。私の基準では
“乗ったこと”にはなりません。やはり「乗り鉄」は自腹でなくっちゃ!等と
少々見栄を張ることにしました。きっと一度乗っているがゆえの余裕の
発言ですね。失礼。

などということはさておき、10月8日(土)名古屋駅に朝の7:15集合と
相成りました。

2011年10月13日 18時38分

N3000形の甲種輸送(2)大江駅。

先回の写真を撮影した後、所用があり一旦家に戻りました。
そして一仕事(と言っても私用ですが…)片付け、午後5時前に
「大江駅」に向かいました。
『いるだろう』とは思っていたもののやっぱりいて少しホッとしました。

ただその後も用事があったため、ここでの滞在時間は僅か10分。
取りあえずここにUPした写真を撮影した2箇所でタイムアップでした。
「木曽川」で結構“楽しく”なっていたので、この大江駅ではすっかり
『後ろ髪』を引かれる思いで立ち去りました。

それにしてもたまたま今回は連休中だったからなのでしょうが、
思いのほか撮影する人が多く驚きでした。
木曽川駅だけではなく、やはり定番の「尾張一宮駅」ホームにも多くの方が
いたそうですし、私が「木曽川」から「笠寺」駅への移動で乗車した
電車でも、各駅から乗車した同じ『目的』の方を見かけました。

また笠寺駅周辺でも数十人の方を見かけましたし、大江駅では私の撮影した
場所だけではなく、駅のホームにも“人だかり”が出来ており、
『流石』と思わず唸ってしまいました。

デキ601+デキ603と、もう一両のデキ(番号不明)という
名鉄デキ大集合に挟まれた「N3000形」は日付が変わった
10日(月)に大江を出発し、深夜、日進工場に到着したものと
思われますが、こうやって撮影していると、「1日も早く乗ってみたい」と
思えてくるから不思議ですね。
等と“撮り”に行ったわりには「乗り鉄」的まとめで
恐縮ですが、今回は私の“初”甲種輸送『撮影』体験リポートでした。

2011年10月12日 18時26分

N3000形の甲種輸送(1)木曽川駅北方。

10月8日(土)~10日(月)の3連休に「鉄活動」に励んだ方は多いと
思いますが、私もおかげさまで8日・9日に2日間、出掛けてきました。
8日の「鉄活動」は後日、改めてUPしますが、取りあえず9日の事を。

写真でもう分かっていただけると思いますが、名古屋市交通局鶴舞線の
新車「N3000形」の甲種輸送です。
山口県下松市の日立製作所笠戸事業所で製造された車両は、
「鉄道ダイヤ情報」によれば、「下松」を8日(土)12:54に出発し、
愛知県に入ったところが上段の写真です。撮影した時間は、
カメラの時計で9日(日)11:38頃でした。

場所はJR東海道本線「木曽川駅」北方の、「撮り鉄」さん達にとっては
定番のスポットで、季節柄、黄金の波の向こう側をEF66113に牽かれた
「N3000形」6連が通り過ぎて行きました。
(私の予想では“順光”だったのですが、少々残念でした)

私はこの写真を撮影した後、「木曽川」駅から普通列車に乗り
「笠寺」に移動。下段の写真を撮影しました。
●「木曽川」発12:04~「笠寺」着12:45

定時運転ならN3000形のここ「笠寺」到着は12:38で、
しばしここにいるのかと思っていたのですが、あにはからんやこの写真を
撮影した12:51の直後、
「東名古屋港」に向けて出発して行きました。
よってこの写真が私にとっての精一杯でした。

ところで私は「撮り鉄」ではないこともあって、こうした甲種輸送を
撮影した事は一度もありません。
今回はたまたま名古屋市営地下鉄車両の甲種輸送を数多く撮影している方から
「所用で撮影できないので、どこかで1枚で良いので押さえて
もらえませんか?」と依頼され、そんなことでもなければ
『撮影に行くことは無かろう』と思い、勇躍出掛けることにしたのです。

その感想は異種格闘技というか異業種交流というか「結構面白かった」と
いうものです。
ただ「木曽川駅」北方では、居合わせた30~40人の殆どの方が
一眼レフ(デジタルだけではなくフィルムの方もいて驚き!)に三脚という
組み合わせで列車の到着を待つ中、私の様な手持ちコンデジはほんの数人で、
多分、そんなことは誰も気にしていなかったでしょうが、
私は少々カメラを構えるのに気恥かしい気分でした。

2011年10月11日 18時18分

近鉄特急券の楽しみ(4)何故か手書きの特急券???

最後に近鉄の“手書き”の『特別急行券』です。

これは同好のFさんから、「手書きは珍しいでしょう」と提供を
受けたもので、実は今回の「近鉄特急券」のシリーズを書くきっかけになった
1枚です。
先の3回分の特急券は以前、Hさんから見せてもらったことがあり
「いつか連続4乗車に『チャレンジ』したらどうですか?」と言われ、
自分自身の経験でここに書こうと思っていました。
今回、このシリーズを書くに当たり、実はHさんに改めて特急券を
見せて頂いたと言うのが真相です。

そんな経緯はありますが、7月3日発行のこの特急券は、
1)阿部野橋発17:40(3号車10A番)
 ※さくらライナー
2)橿原神宮前発18:28(2号車51番)
3)大和八木発18:42(4号車7番)
4)伊勢中川発19:38(6号車10A番)
※伊勢志摩ライナー
以上であり、当然の事ながら手書きで無くても、1枚の特急券で発券で
きるはずのものです。
発売駅は「大阪難波」ですが、「大阪難波」でも発券できない訳が
ありません。

Fさんはこのことを、『さくらライナー』と『伊勢志摩ライナー』で
“DX”を指定したおり、“特別急行料金”と“特別車両料金”の混在状態での
機械発券が出来なかったのではと推理されていました。

近鉄の方に確かめたわけではないので定かではありませんが、
その推理は当たっているような気がしています。
また、Hさんの特急券ではなんやかんやで、結構号車・席番揃えが
あるのですが、DX混在のFさんのこの特急券の場合、結構バラバラですし、
また機械発券では4乗車対応なのが、手書きでは4乗車目が
『記事』の中に書いてあるのも面白いですね。

それにしても発券された駅員さんは、「橿原神宮前」のように書くのに
手間がかかる駅名もあり、ご苦労様と思った次第です。
それにしても流石に日本最大の私鉄だけあり、その特急券も奥が深い!

2011年10月10日 18時09分

近鉄特急券の楽しみ(3)ダイヤの変遷を感じます。

さて「吉野」~「近鉄名古屋」間の特急券の話しに移ります。
近鉄特急の、特に4連続乗車に焦点を当てるとなると「名古屋線」と
「橿原線」「南大阪線」「吉野線」が絡むのは必然ですね。

上段が2005年11月13日発行で、下段が2006年11月17日発行の
「吉野」~「近鉄名古屋」間の特急券です。
ほぼ1年違いの特急券ですが、何れも「吉野」発は17:35で同じ時間です。

近鉄でも当然ダイヤ改正は恒例行事なのですが、微調整もここまで来ると
「鉄」の興味を惹くというのが今回の特急券比較の醍醐味です。

まず上段も下段も「吉野」出発時間は17:35ですが、橿原神宮前の時間は、
上が18:24で下が18:25と1分違い。同じく大和八木も18:41と18:421分違い。その次の伊勢中川の発車は19:38で
同時間。
近鉄名古屋着は2005年ダイヤでは20:38で2006年ダイヤでは
20:37とまた1分違いです。

橿原神宮前・大和八木では1分遅かった2006年ダイヤが最後の最後で
1分巻き返すなどと言うのはなかなか面白いと思っています。
(少々大袈裟すぎますが・・・)

まあいずれにしてもここまで来れば私が近鉄4特急連続乗車に
チャレンジしたいという気持ちはご理解いただけると思います。
また、実際にそれを実践している方が多いということも
ご納得いただけるでしょう。

2011年10月09日 18時07分

近鉄特急券の楽しみ(2)同区間の乗換回数と所要時間。

近鉄名古屋から大阪阿部野橋に向かう場合、名古屋から伊勢特急に乗り、
伊勢中川で乗り換えて行く4列車パターンと、名阪乙特急で大和八木まで
直行して3列車パターンの2つがあります。

写真では、上段が4列車パターンで下段が3列車パターンです。

ここでの興味はその後のダイヤ改正もあるので、一概に比較は出来ませんが、
上段の3回乗換4列車使用と、下段の2回乗換3列車使用の所要時間の差です。

上段の2006年3月25日の特急券での所要時間は、
近鉄名古屋発10:10で、大阪阿部野橋着12:51で
『2時間41分』です。
一方、下段の2001年6月3日の方は、近鉄名古屋発9:30で
大阪阿部野橋着12:20ですから『2時間50分』となっています。
何かと言えば、多少の時代の差はあるものの乗換回数の少ないほうが
所要時間が短いとはならないということです。

ところで今はどうかといえば、例えば近鉄名古屋を10:30の
大阪難波行き特急に乗ったとして、大和八木・橿原神宮前乗換で
大阪阿部野橋に13:12に到着し、その所要時間は『2時間42分』です。
但し、橿原線と南大阪線は特急ではなく急行で、特急利用が必ずしも早いとは
限らない例となります。これは乗換駅での待ち時間の問題ですが、
近鉄ならではの面白さだと思います。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!