2011年10月08日 19時04分

近鉄特急券の楽しみ(1)4列車乗り継ぎ!

同好のHさんは、近鉄の特急電車の乗り継ぎを時折楽しまれており、
その時の特急券を手元に残されています。

今回その特急券をお借りし、「近鉄特急券」の楽しみについて
教えていただいた事+私の感想を書くことにしました。
私自身はまだ実践していませんが、以前から近鉄の4特急列車を乗り継いで
名古屋から大阪(もしくは吉野)に行く“挑戦”を考えており、今回は
その想いもお伝えできればと思います。
※私の調べた限りですが、4列車の号車番号・指定席番号が1枚で
発行される特急券は日本で唯一でしょうし、ここからは憶測ですが
世界でも近鉄だけなのでは?

またこうした楽しみはHさんに限らず、やはり同好のFさんもされており、
その方からお預かりしている特急券は近いうちにUPします。
(Hさん、Fさんに限らずこうした楽しみ方をされている方は多いようですね)

さて今回の特急券は一目瞭然ですね。
『06-07-30』の発効日ですから今から5年前のもので、
近鉄名古屋~伊勢中川~大和八木~橿原神宮前~大阪阿部野橋と4列車に
跨るものですが、号車と席番が全て『4号車』『7番』で統一されています。

こうした同一号車・同一席番は、「駅の改札でお願いして揃えて貰った」
という話しを聞いたことがありますが、Hさんによればこの時は
そうした“お願い”はしておらず、『偶然の産物』なのか
『駅員さんの配慮』なのかは分からないとのことでしたが、
駅員さんがわざわざそうした入力をするとは思えないので、
やはり『偶然の産物』なのでしょう。因みにHさんにとっては
この同一号車・同一席番は最初で最後なのでそうです。

(こんなことにも気付きました)
今回、この特急券の話しを書いていて、「橿原神宮前」駅の名前は、
特急券では「橿原神宮」と省略されているのを発見しました。
“のりかえ”の欄の文字数が多分『4文字』が限界ゆえの措置であり、
別にそれで誤乗が発生することは無いのでしょう。

2011年10月06日 18時45分

三岐鉄道三岐線の一部区間不通(2)。

この写真は「梅戸井」から少し「近鉄富田」よりの本線上とのことで、
「梅戸井」から「西藤原」方面に折り返す電車は、一旦「梅戸井」から
「近鉄富田」に向かう本線に進入し、そこから下り線に入り直しているように
見受けられたそうです。(限られた時間の中での目視ですので、
実際の運用との相違点があればお知らせください)

レール上の車止めが何とも悲しい象徴ですし、既に錆び付いたレールは、一日も早く銀色を取り戻したいと訴えているようでした。

何れにしろ、それぞれの区間を走らせる電車の本数(車庫の無い
「梅戸井」~「西藤原」間も含め)は足りているようですが、
ただ、「梅戸井」から先の区間にいる電車は検査が出来ないため、
最悪の場合、その区間もバス代行という可能性がゼロではなさそうな気も
しています。
その影響かどうか、この10月3日からのダイヤでは、「東藤原」折り返しの
電車も設定されており、三岐鉄道ではギリギリの運行を模索していることが
見て取れます。

これに関連し、「丹生川」駅に隣接する『貨物鉄道博物館』では
9月の公開日(9月4日)は台風の影響による臨時休館をしましたが、
この10月2日の公開日の来館者数はどうだったでしょう?
また次回の11月6日の段階でも三岐線が復旧しているとは
思えないことから、その影響も心配です。

この項、本来なら自分の目で確かめて書くところですが、
今回はご容赦ください。
最後に、「I」さんありがとうございました。

2011年10月05日 18時44分

三岐鉄道三岐線の一部区間不通(1)。

日本に大災害をもたらした台風12号ですが、
9月4日から三岐鉄道三岐線では、一部区間で今も不通のままとなっています。
※「保々」~「梅戸井」間が不通のためバス代行。
それ以外の「近鉄富田」~「保々」間及び「梅戸井」~「西藤原」間は
電車を運行中。

その原因が、「保々」~「北勢中央公園口」間にある『朝明川橋梁』の
損傷です。(写真参照)
こんなに名古屋から近い場所でもなかなか情報が入らないのですが、
私の知人Iさんが9月30日(金)に現地に出向き撮影した写真を送って
くれましたので、UPすることにしました。

ネットで検索すれば、線路の被災状況の分かり易い写真も出てきそうですが、
この日は復旧工事の関係で、これ以上近づくことは邪魔に
なってはいけないので遠慮したそうです。

まずじっくり見れば分かるのが、真ん中に見える橋脚が奥の方に
傾いていること。そしてその橋脚部分で橋桁が凹み、端桁そのものが
少しVの字に見えると思います。

実際には、線路がこの部分で大きく蛇行しているそうで、
その復旧には素人目にも相当な時間が掛かりそうだったそうです。
参考までに三岐鉄道のHPでは、「11月中には列車運行を
再開する見通し」と出ていますが、一日も早い復旧を望むばかりです。
因みに貨物輸送もストップしているため、三重県四日市市にある
国の重要文化財「末広橋梁」を渡る列車も今はないようです。

2011年10月04日 18時59分

撮れそうで撮れない写真。

とある駅を通過中の名古屋市営地下鉄6050形の『回送』電車です。
でもその“とある駅”が鶴舞線の「いりなか駅」ならこの写真に価値が
生まれるのではないでしょうか?
写真の左端に駅名が写っていますが、確かに「いりなか」と読めます。

この写真は、私の会社の「鉄」の一人であるMさんが撮影し、
私に送ってきてくれたもので、撮影したのは10月3日(月)の
21時22分52秒(カメラのデータによる)。「いりなか駅」の
伏見方面ホームとのことでしたので、日進工場から桜通線への戻りと
思われます。

彼曰く、「いりなか駅」で電車を待っていたら、6050形が
入線してきたのであわてて携帯電話のカメラを起動し、
「いりなか駅」の駅名標を入れ込んで撮影したそうです。
(駅名標を入れ込んだのは芸が細かいというか「鉄」っぽいですね)

ある種、日常の光景だとは思うものの、撮ろうと思ってもなかなか
遭遇することはありません。
因みに私は桜通線の車両を鶴舞線で一度も見たことがありません。

Mさんの運の良さに敬意を表して、この話題をUPしました。
ひょっとしたら、日進工場から桜通線への車両の送り込みは
『このスジ』と決まっているのかも知れませんね。

2011年10月03日 8時00分

名鉄の記念乗車券&入場券

10月1日(土)、名古屋鉄道で2つの記念乗車券&入場券(?)が
発売されました。

一つは画面左側の「引退10周年 北アルプス号思い出乗車券」で、
もう一つは画面右側の「思い出のせとでん~“お堀電車”
生誕100年特別台紙~(栄町駅の硬券入場券を購入するとプレゼント
される)」です。

10月1日(土)、「名古屋レール・アーカイブス」の
『第4回所蔵資料展』の反省会を前にまずは「せとでん・・・」を
手に入れるべく瀬戸線栄町駅に向かいました。
時間は朝9時頃で、限定1000枚とはいえ、多分残っているだろうと
目星をつけていましたが、やはりありました。
私が購入した段階で多分、まだ200枚程度は残っている感じでしたが、
私を含め、その時間の購入者は並びこそはしていませんでしたが、
途切れることは無く昼ごろには無くなったのではないでしょうか?
それにしても“お堀”から電車が無くなったのが昭和51年ですから
もはや知っている方が圧倒的に少数派でしょう。

一方「北アルプス号・・・」の方は、栄町駅での発売もあったのですが
多分、「せとでん・・・」とセットで買う人が多かったと思われ、
午前9時には無くなっていました。
そのため名鉄名古屋駅に移動し、限定3000セットの内の3枚を
手に入れました。
これはまあ想定通りでしたが…。

「北アルプス号」は、高山出張の際に多分、1~2度は乗っていますが、
実はある種、身近すぎて写真を撮っていません。
ところでこの写真では写っていませんがこの乗車券は540円です。
どうしてこの運賃なのでしょう?私には謎です。

●この2つの記念乗車券&入場券ですが、どちらも単に“記念”と
いうより、解説も良くできており、資料性もあると思っています。

2011年09月23日 8時07分

名鉄名古屋駅「新聞輸送」のある風景。

名古屋鉄道「名鉄名古屋」駅のとある土曜日の昼下がり
(午後1時半過ぎ)です。

ホームに「新聞(夕刊)」が積まれた台車が1台、取り残されたように
止まっていました。
私は電車待ちだった為、その後の作業を見ることなく
その場を去ってしまったのですが、また日を改めてちゃんとこの“風景”を
見届けたいを思いました。

私が小学生~中学生頃でしたでしょうか、平日の午後2時前後に
『新名古屋駅』を利用すると、“降車”側ホームには
「新聞」を積んだ台車があふれ、電車が到着するたびに慌しい光景が
繰り広げられていました。
今も同様かどうか確認していません(だからもう一度見たい!)が、
名鉄「新名古屋駅」特有のホーム形態のため各電車の停車時間は短く、
そんなこともあってか当時、車掌さんが降車側ドアスイッチを
「閉」にした後も、荷扱い(新聞の積み込みに使う)ドアを駅員さんが
力技(手)で開けたままの状態にし、積み終わると同時にその手を離し、
勢いよくドアが閉まっていました。
その光景は子供心にもその当時、「凄い!」と思っていたことを
思い出しました。

昭和の時代は他の鉄道会社でも「新聞輸送」は行われていた記憶が
あるのですが、今では自動車輸送に押され、きっと数えられるほどの
鉄道でしか残っていないでしょう。
今回はたまたまのタイミングでホームに取り残されたような“台車”が
気になりUPしてみました。

2011年09月16日 8時00分

名鉄電車の不思議…座席の番号。

写真の座席番号をとくとご覧下さい。

小さな画面の方には、多分読み取れないと思われ申し訳ありませんが、
右の座席番号は「12A、12B」となっており、
左の座席番号は「13C、13D」です。

「あれっ?」と思いませんか???

この座席番号は、名鉄のパノラマスーパー1000系のもので『2号車』の山側(豊橋方面に向かって左側)の座席です。

つい先日、豊橋に行く用事があり、いつもならミューチケットを買って乗車することは無いのですが、何故か気が向いて特別車の乗客となりました。

私の席が12Dだったので、自席を捜し『13D』の次・・・???『12D』が並んでいないのです。
で、反対側を見たらありました!『12D』が。

こうして私はこのA・B・C・Dの“謎”にぶち当たったのです。
参考までに、『13』『14』の席は車椅子対応の3列シートとなっており
お察しの通り、『13C』『13D』が2人席。
通路を挟んで反対側(海側)が1人席で席番号は“A”がふられており、
“B”は欠番です。

どうしてこうなったのでしょう?
名鉄電車に詳しい方に聞いたところ、そもそも全車特別車の4連を
2両づつに分けて一般車の4連と合わせて、「一部特別車」の
6連としたことが発端なのだそうです。

その際、岐阜方の2連は方向転換を行っており、
そのため、1000系パノラマスーパーの3列シートの1人席は、
半分の編成が山側で、半分が海側にあるのだそうです。

更に座席指定の“A”が1人席、“C・D”が2人席となっているのは、ミューチケットの発券上の問題(特に一人席の特定)から変更するわけにはいかず、この席番となったのではないかとのことでした。

なお、この席番の車両に乗り合わせるのは「結構珍しい」と聞き、
なんだか一寸得した気分になりました。

ただ、この文章を書きながら「知っている人が多かったらどうしよう?」と
ドキドキしている自分がいます。

2011年09月02日 18時30分

名古屋駅でキヤ97系と遭遇。

昨日(9月1日)、東京出張のため名古屋駅発14:40の
「のぞみ232号」に乗るべく、名古屋駅新幹線ホームに上がりました。

その時、在来線ホーム(11番線のような気がしている…)に
見慣れない車両を発見!
直ぐにバッグからカメラ(いつもコンデジを持ち歩いています)を
取り出したものの、その車両は直ぐに動き出し、ギリギリ撮影できたのが
本日の写真です。(カメラの時計で14:32でした)

言うまでもなくこの車両は「キヤ97系」。
レールを積んでいたのを確認していますので間違いません。

皆さんの中で「キヤ97系」を見たことがあるかたは結構いらっしゃるのでは
ないかと思いますが、実は私は始めて!

通常、何時頃動いているかを私は知らないのですが、真昼間の時間での
遭遇であったことを考えると、ドクターイエローではないですがダイヤに
組み込まれていると私は思ったのですが如何でしょう?
であれば、運が良ければこの時間に遭遇できるということでしょうか?

それにしても積んでいたレールは、どの線に使われるのでしょうか?
気になるところです。

さて、「キヤ97系」のエンジン音は?
残念ながら新幹線ホームまでは届きませんでした。

そのその昔、でも無いかもしれませんが、機関車がレール運搬車を
牽引しているのを見たことがあるますが、「キヤ97系」は“今時”感が
あってなかなか良いですね。

ところで台風12号の進路や如何に?JR西日本では一部列車の運休等が
発表されていますが、大きな被害が出ないことを祈るばかりです。

2011年08月12日 18時28分

祝!!名鉄名古屋駅70周年!

昭和16年(1941年)8月12日、名古屋鉄道の新名古屋駅
(今の名鉄名古屋駅)が開業し、今年で70周年を迎えました。

これを記念して、名古屋鉄道では記念の硬券入場券を
今日(8月12日)から発売し、かつその購入者の先着1000名様限定で、
入場券用の記念台紙を配布しました。
※発売場所は名鉄名古屋駅中央改札出札窓口。

上段写真がその記念台紙で、裏面には“名鉄名古屋駅のあゆみ”と
開業を伝える昭和16年8月10日発行の「名古屋新聞」の記事が
印刷されています。
(裏面は文字が多く、かつこの画面では読めないと思い、UPを諦めました)

そして下段写真が肝心の入場券で、この写真では同じような大きさですが、
実際の大きさは、入場券の横幅と記念台紙の「70周年」の文字の横幅が
ほぼ同じです。

とまあこの写真があるということは、私は今朝買いに行ったということに
なるのですが、
決して朝一番で並んだわけではありません。
名鉄名古屋駅に着いたのは出勤途上の午前9時頃で、
「この時間なので売り切れ(記念台紙が無くなる)ていてもしょうがない」と
覚悟を決め、出札窓口に並んだ次第です。
そして1人あたりの最大購入可能枚数5枚を購入しました。

出札に並んでいたのはニュースカイの乗車券等を購入する方が主で、
入場券を買ったのは私の前に並んでいた4~5人の中にはいませんでした。

それにしてもすんなり買えたのは驚きで、周知広報が行き届いて
いなかったのか、それとも「鉄」の方の興味をあまり惹かなかったのかは
分かりかねますが、私の買って時点でも、記念台紙は少なくとも
100枚以上あるように見えました。

(追伸)
昭和世代の私としては、『名鉄名古屋駅」開業でも良いのですが
どこかに大きく『新名古屋駅』の文字を見たかった。
何せ、いまだに『新名古屋』という駅名が馴染んでいる方も
多いのではないかと思っているので…。これは私だけではないと…。

(プラス情報)
名鉄名古屋駅構内では、開業当時からの写真も展示されており、
70年の歴史も分かるようになっています。

2011年07月25日 19時16分

地下鉄桜通線の「可動式ホーム柵」全駅稼動。

遂に先週の土曜日(7月23日)、名古屋市営地下鉄桜通線の全駅で
「可動式ホーム柵」の設置が終了、現在稼動中です。
※写真は、一見どこの駅かが判別できませんが、間違いなく「野並駅」です!
 ホーム柵の『水色』のカラーリングでご判断ください。

思えば1月22日の「中村区役所駅」を皮切りに、「徳重」延長を挟み、
当初予定から1週間遅れて完成に漕ぎ着けました。

さて今回、これをUPするかどうかというか「まぁ、いいかな」という気が
しないでも無かったのですが、『ケジメ』ということで書くことにしました。

ところで「ホーム柵」と6000形の停車位置のずれから“柵が開かない”
事態がまれにあり、「停車位置」修正を行うことがあるということを
このブログでも書いていましたが、何と、私も経験する羽目になりました。

場所は「新瑞橋」駅で、電車が止まった時に『あっ!電車のドアが、
「ホーム柵」の開口部に届いていない!』と思ったら
案の定、運転士さんから『停車位置を修正します。しばらくお待ちください』
との案内放送が入りました。
※今回は、本来の停車位置から多分、50センチ程度手前に停車。
 ドア端は、「ホーム柵」開口部から10センチほど外れていました。
 上記、“センチ”の数字はあくまでも私の感覚であり、
 正確な数字とは言えません。お許し下さい。

それから車両無線の声(音?)が「乗務員室」から聞こえ(内容は不明)、
1分少々経ってから徐に、30センチほど前進し停車。
やっとドアは開きました。
結果、この電車は1分半ほど遅れての“到着”となり、乗換のお客さんは
ダッシュで名城線ホームに向かっていきました。

(感想)
停車位置の修正は、意外と時間がかかる・・・。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!