2018年09月29日 20時58分

長良川鉄道の夏(4)ナガラ200形(201)を観察。

9:33、定時で美濃市駅到着。

乗ってきたナガラ200形(201)を観察。こうしたラッピング車両は好みが分かれるところだったりしますが、この201に限って言えば長良川鉄道沿線の四季が描かれており、観光客にとって楽しい1両だと言えそうです。勿論、私もOKです。で、この写真のブロックは春から夏。

こちらは秋から冬。そして雪だるまを見て思い出したこと。

今から40年ほど前、まだ東海北陸道が開通する前の時代ですが、奥美濃エリアのスキー場は名古屋から日帰りで行けるスキー場として何度も通いました。

ところで前の写真にも写っていますが、描かれている音符は一体何の曲をイメージしているのでしょうか?些細なことが気になってしまう。もっともウキウキした気分の象徴なのでしょうね。きっと。

美濃市駅。

駅前には真っ赤な丸ポスト(丸形ポスト)。“正しい”在り方だとつい思ってしまう。

長良川鉄道美濃市駅本屋は国指定の登録有形文化財となっています。

文化庁のHPの解説文では「美濃市街地南東部に位置する鉄道駅舎。桁行二四メートル、切妻造平入の木造平屋建で、正面に車寄、背面に上屋付連絡通路を付ける。外壁は下見板張で、西寄りを待合室とし、東側に閉塞取扱所付の事務室や休憩所を配するなど、大正期の官鉄駅舎の姿を今に伝える。」とあり、1923年(大正12年)の越美南線開業時そのままの姿を垣間見ることが出来ます。と書きつつ「出来ます」というより、心情的には「出来るはずです」の方が相応しい気もします。

2018年09月27日 20時56分

長良川鉄道の夏(3)富加駅で交換。

2010年6月30日以来の長良川鉄道美濃太田駅。

長良川鉄道の観光列車「ながら」の待合コーナーが出来ていました。2016年に登場した「ながら」ですが、何せ8年ぶりの訪問なので当然の事ながらまだ乗っていません。いつかは乗ってみたいと思いつつこの日、8月26日を迎えました。ネットで予約状況を調べると相変わらずの人気ぶりが伺えます。

まず乗ったのは美濃太田駅発8:59の111レ美濃市駅行き。本命の観光列車「ゆら~り眺めて清流列車 1号」の1本前ですが、そうしたのは美濃市駅で下車し、名鉄美濃町線美濃駅に行くため。長良川に寄り添って走る前まではそういう選択もありでしょう。

のどかな風景に癒されます。

9:08、富加駅到着。

ここで上り列車と交換。この列車が美濃太田駅から折り返し9:56発北濃駅行き観光列車「ゆら~り眺めて清流列車 1号」となります。

実りの秋がもう間近に来ていることを感じさせてくれる風景。今はもう刈り取りも終わり、きっと景色は変わっているでしょう。

2018年09月26日 22時21分

長良川鉄道の夏(2)JR鵜沼駅前ロータリーのビオトープ池。

駅前に出たのは初めてではありませんが、この位置まで来たことはありませんでした。そのおかげでこんな自然豊かなビオトープ池を発見。

自然があるからハトがいるという事にはなりませんが、水で守られているのをまるで知っているが如く泰然としている。

花に疎いので名前が分かりません。ラベンダーに似ているとは思うものの何せ8月の終わり。

噴水ではなく、水が溢れ出るスタイル。静かに流れだす水を見ているだけでも心は涼しくなっていきます。

それが1つではなくもう一つ発見。とは言ってもやはり今年の夏は暑すぎる。「心は涼しく…」などと戯言を言いながら外にいれば、池の水ならぬペットボトルの水がみるみる減っていきます。暑いというより熱い。

鵜沼駅8時37分発の3705D美濃太田駅行きに乗車。11分の短い時間ながらキハ75形のクロスシートに身を預ける、ただそれだけでもう随分遠くまでやってきた気分です。

2018年09月25日 22時11分

長良川鉄道の夏(1)代用閉塞と「ゆら~り眺めて清流列車」。

8月26日(日)。岐阜県博物館のスロープカーではなく、名鉄美濃町線美濃駅でもなくそもそもこの日に出かけることにした最大の目的は別にありました。それは長良川鉄道。

平成30年7月豪雨(西日本豪雨)の影響で、信号設備が故障し、代用閉塞(へいそく)が一部区間で今も続いています。そしてそうしたことが長良川鉄道の乗客動向に何か影響を与えているのではないかと気になったことによります。

最終的に乗るのは観光列車「ゆら~り眺めて清流列車」。

ということでまず目指すは長良川鉄道の起点駅である美濃太田駅。

行き方としてはJR岐阜駅で東海道本線~高山本線と乗り継ぐパターンと、名鉄犬山線新鵜沼駅~JR高山本線鵜沼駅乗替えで向かう2者択一。まあそこは私にとっては順当な選択である金山発7:47の快特新鵜沼駅に乗車。

その前にまずは金山駅で慣らし運転。急行佐屋駅行き。6500系。

2000系。

そして新鵜沼駅行きの到着。3100系が先頭に立っています。これから8時24分まで37分の旅の始まり。

2018年09月24日 20時48分

旧名鉄美濃町線美濃駅(5)土鈴のモ593号。

美濃駅舎には懐かしのグッズを販売しているお店があります。

※毎日開店しているわけではありません。

そこには美濃町線で使われていた行先標などが展示されていました。

行き先表示。左側の「新関」“593号専用”ってどういう事だったのでしょう?

一方、右側の「市ノ坪乗換え新岐阜」ですが、市ノ坪駅は名鉄岐阜工場に隣接し、車庫もあったので美濃・新関方面から新岐阜に向かう電車の内、一部の電車が市ノ坪駅で車両を乗り換える形態で運転していたと推察されます。

徹明町行きの方向幕。「岐阜ゆき接続」の文字があります。美濃町線の電車で美濃発徹明町行きの電車の内、途中の電停で新岐阜行きに接続する電車があったのでしょう。その頃の時刻表があればもっと詳しく書けるのですが…。ただ現役時代の美濃町線を知っていても知らなくても、一枚の報告幕からいろいろな事に思いを馳せるのは楽しいのではないでしょうか?私はその現役時代に2回しか乗っておらず、残念ながらあまり語ることは出来ません。

駅構内のお店で手に入れたモ593の土鈴。

カラン、コロンを良い音をしており、つい手を出してしまった。土鈴の鉄道グッズってあまり見たことがないですね。鉄道グッズを買ったというより、お土産を買った気分。たまには良いかな。

でもどうして土鈴なのだろう?郡上市白鳥町には土鈴を集めた展示館があるのでその関係かな?まあ深くは考えず、面白いものを買ったと満足。

2018年09月23日 20時46分

旧名鉄美濃町線美濃駅(4)モ601としあわせの黄色い鐘。

モ601。名鉄の美濃町線はモ512との並びを見ても分かるように面白い電車が走っていたと改めて思った次第。名鉄と言えばクロスシートと言う時代にあって、よくぞこの狭い電車にもそれを並べたものだと感心したことは今も覚えています。ただここの展示ではシートが撤去されており、それは少し残念。もっとも無人の場所での公開展示ですから、きっと管理面で難しいのでしょう。

電車に似合わないと言ったらそんなことはないといわれるかも知れませんが、仰々しい連結器。

ところで電車の前に何かあり。

「しあわせの黄色い鐘」。何々?

鐘の部分は踏切のモノ。鳴らす部分は吊り革。

書いてある通りに3回鳴らしました。「家内安全」「無病息災」「商売繫盛」…、良くあるお願いのパターンですが、商売繫盛はまあないとしてやはり「家内安全」「無病息災」はどこの神社仏閣でも私はお願いしている事です。もっともこれらは個人的な願いなので伊勢神宮の参拝の時にはしていませんし、そして今回はただ「幸せ」を願いました。

この「しあわせの黄色い鐘」は面白いアイデアだと思うし、実際に鳴らしている人は結構いました。決して私だけではありません。

2018年09月22日 20時44分

旧名鉄美濃町線美濃駅(3)モ512。

駅舎側でなく反対側からの一枚。地方私鉄の終点という“昭和の哀愁”が漂っていると書くと、どこからか怒られそうですが、この現役感溢れる佇まい(たたずまい)を見ながらこの駅でのんびり過ごすのは心の贅沢だと思っています。と、ここまで書いてやはりホームの高さがいわゆる電車用ではなく路面電車用であるということに気付く。でも前に書いた感想がそれで変わることはありません。

それにしてもずらりと形式の異なる電車が並んでいるのは壮観。ところで一番左の電車は元札幌市電のモ875(870形)。その形状は今の時代にあっても最先端のデザインと思うのは私だけ?きっとそんなことは無いですよね。ここでは前頭部だけがカットされてホームに置かれています。

さてモ512。(モ510形)

昭和50年前後だと思うのですが、名鉄新岐阜駅(現在の名鉄岐阜駅)で下車し、駅を出た目の前の道路上にこの電車を見た衝撃はなかなかでした。

1978年(昭和53年)に谷汲線谷汲駅まで乗り鉄した時、岐阜市内線新岐阜駅前電停からこのステップを使って電車に乗ったはずです。

電車の中は…、きれいではありますががらんどう。クロスシートはどこに行った?

天井を見上げれば、ダブルルーフの様な形状。間違いなく数回はこの電車に乗っているのですが、その時は天井を見ていない。見ていればこの美しさを絶対に記憶しているはず。でも天井の色はピンクではなかったはず。現役時代にピンクだったらもっと印象に残っているはず。

運転台というより正面の形状に惚れ惚れ。

2018年09月21日 20時41分

旧名鉄美濃町線美濃駅(2)モ593。

出札口(切符売り場)、改札口あたりは大正というよりは私にとっては昭和のテイスト。

改札口から一歩足を踏み出す。

こちらも「旧名鉄美濃町線美濃駅プラットホーム及び線路」という名称の登録有形文化財。

文化庁の解説文:駅舎本屋の南面に高0.7m幅3.8mのプラットホーム2本がコ字形に取り付く。ホーム側壁は玉石張で,ホーム上屋はL形鋼で構築される。ホーム間には2線の軌道が残存し,駅舎本屋とともに近代軽便鉄道のターミナル駅の様相をよく留めていて貴重である。

保存されているモ593。「路面電車らしい電車」というのはちょっと変な表現ですが、This is 日本の路面電車はこんな形だと思っています。但し私限定の感想です。もっともおでこの方向幕の場所に「ワンマンカー」の文字があり、行き先表示が「板」というパターンは珍しいかも知れません。

車内は往時のまま。ところで名鉄美濃町線に乗った時の写真は何か残っているはずなのですが発掘できず。この(モ590形)電車に乗って美濃駅まで来たかどうかは不明。

運転台は今でも現役の雰囲気。

今日のおまけ。とさでん交通(土佐電鉄)で今も走る旧名鉄590形(591号)。今も同形式の電車が活躍しているのは地元の一人として嬉しい。

2018年09月20日 20時33分

旧名鉄美濃町線美濃駅(1)登録有形文化財、そして段ボール製のモ512。

2018年(平成30年)8月26日(日)。

岐阜県博物館に出かける前に名鉄美濃町線美濃駅を訪問。

1999年(平成11年)に新関~美濃間が廃止され、駅としての役割を終えて既に19年の歳月が流れています。しかし1923年(大正12年)に建てられた駅舎はその後も保存され、今は登録有形文化財「旧名鉄美濃町線美濃駅本屋」としてその姿をとどめているだけではなく中は公開されています。

参考までに文化庁のHPにある解説文には『美濃電気軌道株式会社新美濃町駅として建設。ターミナル型の駅本屋で,南面にプラットホームが取り付き,東妻面に待合室出入口を開ける。切妻造,下見板張で,正面の東妻は木骨を装飾的に表す。平成11年廃線となったが,今なお地域のランドマーク的存在。』とあります。

私にとっては1978年(昭和53年)11月12日以来の再訪で実に40年ぶり。

ところで駅舎の中に入って直ぐに目についたのは段ボール製のモ512。外に展示されている電車だけではなく駅構内にも“電車”がいるとは知りませんでした。

靴を脱げば車内に入ることが出来ます。

私の体では窮屈ですがそれはそれとしてやはり中を見てみたい!

なんちゃって運転台が微笑ましい。

車輪も段ボール製。もっともこの車輪で電車自体を支えているのではなさそうです。それにしても地元でいかにこの電車が愛されていたかが分かった次第。

因みに私がいた時間に、大人の来訪者は結構いましたが、中に入ったのは恐らく私だけ。(笑)

2018年09月17日 14時47分

祝!瀬戸線栄町乗り入れ40周年(9)栄町駅に戻る。

帰りは急ぐ旅ではないので、ノンビリと先頭車の一番前の席に陣取り…。尾張瀬戸駅ではその場所に先客がいたので大曽根駅で後続の電車に乗り換えてやっと確保。

まずは一枚。逆光ですが、まあこんな写真撮影できるということを確認した次第。

撮影したかったのは栄町駅構内。

車止めが見えると終着駅。

出掛ける時に撮影できなかった絵を撮影。本町駅だったのには意表を突かれました。

こうして台紙が全て埋まりました。達成感あり。家族には理解されない一日の顛末でした。

(おまけ)

駅で配布されている瀬戸線の時刻表はよもやの全列車が掲載されているパターン。知らなんだ。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!