2012年09月17日 19時30分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(21)。

「機関車扇形車庫」の隣に『鉄道歴史館』があります。ここは「転車台・鉄道歴史館 見学ツアー」に参加すれば見学できます。

中には国鉄二俣線時代に実際に使われた様々な“道具”類が展示されています。

ここを訪れたのが7月28日ですから既に1か月以上と言うか間もなく2か月が経とうとしていますが、まだ十分記憶の中にあり、それだけインパクトがあったと言えます。腕木式信号機やタブレットもさることながら「新所原」駅の駅名標や「遠江森」駅の運賃表もありました。この運賃表は実際に見ていただきたいので写真はUPしないという不親切さはお許しいただきたいのですが、その面白さは「豊橋」駅から名鉄名古屋本線の運賃も掲示されており、そこには当然と言えば当然なのですが、「新名古屋」「新岐阜」の駅名もあり、国鉄「名古屋」「岐阜」と並んでいるのが何か不思議な感じでした。これもやはり時代なのでしょう。

その他にも一般的な興味はさておくのでしょうが文部科学大臣名による「登録有形文化財登録証」もあり、“成程”と思いました。見学にそれほど時間がかかる施設ではありませんが、『大人』の“鉄”にとって飽きることはありませんでした。

2012年09月16日 23時08分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(20)。

登録有形文化財「機関車扇形車庫」です。

※全景は今シリーズ(17)をご参照ください。

パッと目につくのが木製の観音開きの扉で、何とも『昭和』です。遠目ではさほどでもなかったのですが、近づけば近づくほど…、等と書くほど私は「扇形庫」を知っているわけではなく、真面に見たのは北海道小樽市にある『小樽市総合博物館』の扇形庫(国の重要文化財「旧手宮鉄道施設 機関車庫一号、三号」)位です。

他の扇形庫も行ったことはあるのですが、そもそもこのブログを始めるまではあまり観察することはありませんでした。またこの写真のように車庫の中を覗くことはあっても写真を撮影することはあまりありませんでした。もっともブログだけが理由ではなく、もう一つNPO法人「名古屋レール・アーカイブス」の会員になったこともあります。アーカイブとしての映像を数多く見るようになり、「撮り鉄」写真だけではなく日常の光景というか何気ない風景もあって始めてアーカイブという気がしています。これはテレビのアーカイブも同じです。

2012年09月13日 20時16分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(19)。

ふと見上げれば夏の空に、腕木式信号機が…。

この信号機は転車台に寄り添うように展示されており、“実用”品ではないものの結構気になる存在です。展示されている場所も良いですね。

腕木式信号機に並んで、『C58 200』のナンバープレート付きの煙室扉と動輪が展示されています。煙室扉は間違いなく『200』ですが、動輪が『200』かどうかは刻印を見つけられず、パッと見では私には分かりませんでしたが、まあこの組み合わせで展示されていれば『200』なのでしょう…と素直に受け止めています。

見学ツアーの所要時間は1回45分ですので、ここであまり時間を取ることは出来ませんが、それでもこの写真を撮影するくらいの余裕はありました。

 

(お詫び)

9月8日にUPした「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(14)の中で、見学ツアーの開催日が「毎週金・土・日・月曜日+祝日」で開催時間は10:50~、13:50~と書きましたが、「天竜浜名湖鉄道」のHPで確認したところ、今は毎日開催で、火・水・木は13:50~の1回開催です。見学ツアー情報は、私が随分前にHPをプリントアウトしており、それをすっかり今もそうだと思い込んでおり、新しい情報を確認していませんでした。申し訳ありませんでした。

2012年09月12日 20時38分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(18)。

さて今回は私の「転車台萌え」のパーツを紹介しましょう。等と勿体をつけるほどの事ではないのですが、2つの線路が1つになり、車両が行き来できるようになる部分です。(リベットも結構GOODですが…)

線路が回転方向にずれが起きないように“本線”と青色の短いブロックの間の「かすがい」のような存在が、地味ながら「私がいなければ転車台は役に立たない」と主張しているようで結構好きです。最初、形状的には「楔(くさび)」のイメージもあったのですが、形よりは役割を考え、「かすがい」と表現してみました。

次に転車台を支え、スムースに回転されるレールと車輪の部分です。踏面が平らな車輪は、まるでケーブルカーの対の一方のようですが、それはそれとしてこれだけで「鉄」心を擽(くすぐ)ります。

 

転車台のこの“橋”の部分の銘板には旧字体の『鉄道省』の文字、『横河橋梁製作所』『昭和十二年』の文字が見えます。ただ資料にはこの転車台が建設されたのは昭和15年とありましたが、“橋”の部分が先に作られ、遅れて本体も含めて完成したということでしょうか?この辺りは推測です。ご容赦ください。

 

文化財としても登録名は「天竜浜名湖鉄道機関車転車台」ですが、今、機関車がこの場を通ることはありません。(…ですよね。)

2012年09月11日 20時43分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(17)。

『転車台・鉄道歴史館 見学ツアー』と銘うっているだけあり、登録有形文化財「転車台」の見学は参加する第一の動機!です。

ということで早速、我々ツアー参加者の到着を待って“回転ショー”が始まりました。“ショー”というのはいささか失礼な感が無いわけではありませんが、まあ皆様にご理解頂ける範囲と思っています。「転車台」が周回するのを何度か見ていますが、何度見ても心がウキウキします。楽しいです。それにしても北海道から九州まで、全国には意外なほど転車台がありますが、ツアーとはいえ、時間のロスなくその動くところを見られる場所はそれほど多くはありません。

まあ蒸気機関車の方が良いという声が聞こえてきそうですが、私は文化財である『転車台』に価値を感じています。

こうしてTH2108は扇形車庫の右側の線に入り、車体正面の部分が手作業で水洗いされていました

 

2012年09月10日 19時57分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(16)。

高架貯水槽を背景に、中通路の両側に木造の建物が並んでいます。映画のセットでもこれほど美しい情緒を醸し出すことは難しいでしょう。と書いていて気付きました。本物だから『美しさ』を感じているのですね。(産業遺産的な)登録有形文化財という先入観が、私自身ややもすると「情緒」とは離れた存在に思いがちです。でも、登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」ですから『心』に沁みて当たり前ですね。

運転区の浴場は内部が公開されています。今、現役ではないこともあってこうして見られるのですが、昭和15年頃の建設とのことですが、私が子供の頃、銭湯でこんな感じの浴槽&洗い場を見た記憶があります。

もっとも浴槽より展示されているヘッドマークの方につい目が行ってしまいます。「祝 開業」は、昭和62年(1987年)の時のものでしょう。それも含め恐らく20枚を超える枚数があると思われました。

2012年09月09日 23時20分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(15)。

「俺が乗り鉄だった頃、友達は撮り鉄だった。先輩は模型鉄で、後輩は収集鉄だった。わかるかな~ わかんねぇだろうなぁ~」。『松鶴家千とせ』さんのギャグをもじってみようと思いつつこの程度しか思いつきませんでした。

そもそも「わかるかな~ わかんねぇだろうなぁ~」で一世を風靡した漫談家のことを知っているのは一定の世代以上でしょう。私はそのシュールさが好きでした。(失礼な書き方をしましたが、『松鶴家千とせ』さんは現役で活躍されています)

何でこんなことを書いているかと言えば元はと言えば『天浜線が二俣線だったころ、天竜二俣は遠江二俣だった。運転区は機関区で、DCはSLだった』てな感じはどうかな?と思いつつ、ギャグになっていないということに当然のように帰結し、冒頭の部分を考ええみたのですが、結局恥の上塗りでした。

さてこの高架貯水槽も文化財です。ところで素朴な疑問です。天竜浜名湖鉄道では「高架貯水槽」として登録されていますが、同様のものが若桜鉄道の若桜駅では「給水塔」として登録されています。その違いは何?

ところでこの給水塔は、いやっ高架貯水槽は・・・、私には“給水塔”の方が馴染んでいるのですが、ここは正しく登録名で表記します。さてさてこうして下から見るとまるで巨大ロボットにも見え、このアングルで見上げてみたとき「本格科学冒険漫画20世紀少年」(作者;浦沢直樹)に出てくる正に東京を破壊しつくすあの“ロボット”を思い浮かべていました。ビッグコミックスピリッツか単行本を読まれた方、もしくは映画を見た方には「わかるかな~」(わかってもらえるかなぁ~)、読んでいても見ていても「わっかんねぇだろうなぁ~」(わかてもらえないだろうなぁ~)という落ちが先にあった今回の話しでした。すいません。何を書いているのか怪しくなってきました。

ようするに『足』の部分が面白いと言いたかったのです。参考までにこの貯水槽は“現役”だそうです。『車両洗車装置』にも水を送っているそうです。

2012年09月08日 21時32分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(14)。

天竜浜名湖鉄道「天竜二俣」駅では、毎週金・土・日・月曜日+祝日の10:50~、13:50~に『転車台・鉄道歴史館 見学ツアー』が開催されています。

予約不要ということで、この日の最大のイベントは、列車を下車して12分後にスタートしました。

入場料金は100円で、見学記念硬券が発行されます。

表紙もなかなかGOODですが、硬券もなかなか味があります。ただ唯一惜しかったのは“番号”が振られていないこと。まあっ、贅沢ですね、これは。

出札窓口で100円払い、「待合室」といっても出札窓口の目の前で集合し、早速「目指せ!転車台」です。

この写真は目的地への道すがら(やや大袈裟な表現ですね)撮影したもので、いよいよ“禁断”(普通では入れないという意味です)の場所に突入です。だんだん気持ちが盛り上がっていきます。

2012年09月07日 20時54分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(13)。

一週間ぶりの「天竜浜名湖鉄道」です。シリーズが断続的になることが多くて恐縮です。

いよいよこの日(平成24年7月28日)のハイライト、天竜浜名湖鉄道の中心駅「天竜二俣」駅に到着です。13:38の定時に到着。乗ってきたのは左側のTH2107号。右側のホームに停車中のTH2113号は、ここ「天竜二俣」始発の新所原行き(13:46発)です。「西気賀」で行き違ったTH3501の列車が遅れていましたが、取り敢えずこの時点での下り列車は定時のようでした。

その「天竜二俣」で私を出迎えてくれたのはこの恐ろしく錆びついた駅名標です。またこのほぼ正方形の形には違和感がありますが、決して横方向を短く変形させたものではなく、これが本来のものです。馴染みが無いモノを見ると人間は何がしか反応してしまうものですが、私はこの駅名標に思わず写真を撮るという行動に出てしまいました。私の知識力の無さの証左かもしれませんが、こんな形をした駅名標を少なくとも私は見たことがありません。

てな具合で改札を出て駅舎をパチリ。この「天竜二俣駅本屋」も登録有形文化財で、そして・・・という繋がりは日本語的にはあまりよろしくないですが、この駅舎内には「ホームラン軒」というラーメン屋さんがあり、この日の昼食は「西気賀」にするか「天竜二俣」にするかは、私にとって実は究極の選択だったりしました。

2012年09月01日 21時46分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(12)。

「西鹿島」多分着発13:33。ここは遠州鉄道とのジャンクションです。どのタイミングで「シャッターを押そう」等と考えるまでもなく、取り敢えず1枚。というか今回の遠州鉄道の写真はこれだけです。天浜線の「西鹿島」駅からは駅の構造上、『遠州鉄道』側の風景は見えませんでした。それ故かなり必死だった結果がこの写真です。

 

“国鉄”二俣線に最初に乗車したのは、昭和51年(1976年)6月27日で、区間は「西鹿島」~「新所原」間です。この日、東京から一時帰宅する途中で遠州鉄道全線「新浜松」~「西鹿島」間を乗っており、その終点「西鹿島」から二俣線に乗ったのです。そして二俣線の残りの区間「西鹿島」~「掛川」間は結局、昭和54年9月16日に乗りました。この時の遠州鉄道の乗車は相当に思いつきだったようで、実は短期間の帰省にはカメラを持っておらず、今現在、写真が見つかっていないという状況ではなく、そもそも写真を撮った覚えがありません。その代わり車内補充券を購入しています。

注目は「新浜松」の下にある「馬込」「遠鉄浜松」の駅名。遠州鉄道は昭和60年に浜松市の中心部の路線を高架化されており、その時に無くなった駅名です。私はその後、昭和61年(1986年)10月5日に「新浜松」~「曳馬」間を乗り直しています。私の「乗りつぶし」ルールでは、通常“線路の付け替え”による乗り直しはしないのですが、流石にこの区間は『新線扱い』で乗りに行きました。

因みにと言うほどでもないのですが、遠州鉄道に最初に乗った昭和51年当時は、“鉄道全線完乗”等と言う野望はまだ持っていませんでした。だからカメラを持ち歩いていなかったとも言えます。

(注)

「馬込」駅は、始発駅を出た次の駅がスイッチバックというのが珍しく、当時、毎度新幹線で「東京」~「名古屋」を往復する経済的な余裕が無かった私は、在来線の車窓からその風景をいつも興味深く見ていました。今思うと写真が無いのが残念です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!