2012年08月16日 20時53分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(1)。

大井川鐵道「生ビール列車」に乗車した7月28日(土)、JR東海/東海道本線「金谷」駅に夕方集合とあって、それまでさてどうしたものだと思案しつつ、「天竜浜名湖鉄道」天浜線にある国登録有形文化財を巡ることにしました。

そんなこともあってまずは「天竜浜名湖鉄道」天浜線の分岐するJR東海/東海道本線「新所原」の駅を目指し、名鉄「桜」駅発9:38の「東岡崎」行きに乗車。名鉄の普通は本当によく優等列車に抜かれており、写真の「前後」駅でも9:57に到着して10分間の停車です。もっともこのまま普通に乗り続けるわけではなく、10:06発の急行に乗り換えです。

「鳩のフン」の被害にあうこともなく無事、急行に乗車。

3500系の車内は座席がほぼ埋まる程度の乗車率で、それでも知立を過ぎるとやや空席が目立つようになり、ました。それにしても「豊橋」まで急行で乗り続けたことなど私のこれまでの記憶にありません。いやっ、きっと乗っているのでしょうが、私が記録していないだけかもしれません。

名古屋市内の名鉄本線の駅で、「呼続」「桜」の2駅から「豊橋」に向かう場合、私が調べた限りですが、「名古屋」まで北上して新幹線に乗るか、それとも「神宮前」まで行って折り返し乗車する方が時間的には早いことが多いはずです。(「神宮前」は普通と特急の接続具合による)

私が大学生の頃でまだ「桜」駅が有人駅だった頃、「桜」~「神宮前」~「豊橋」という、折り返しパターンの乗車券があったはずで、購入した記憶があるような…。当時も今も、普通列車で東に向かうのはハードルが高かったようです・・・。

2012年08月08日 21時09分

大井川鐵道「生ビール列車」(10)。

「新金谷」駅に21:09到着。ガランとしたホームに旅愁が漂っています。とはいうものの、「新金谷」から「金谷」への連絡列車(「新金谷」発21:28、「金谷」着21:32)が出る前でしたので、実は奥の方のお座敷車・展望車周辺には人がいます。もっとも酔客が騒いでいる感は無く、しっとりと旅の余韻を楽しんでいる風でした。

そのホームを抜けて駅外からオハフ33を狙ってみました。私の記憶にある昭和40年代、最終列車が終着駅に着き、数えるほどしか乗っていなかった乗客も三々五々に散っていき、取り残された客車の電灯も落とされ、そしてホームの明かりが消される直前、今日一日の喧騒の余韻にしばし浸っているといったところでしょうか。

それは私自身のこの日の心象風景だったのかもしれません。

それにしても、誘ってもらわなければここにやってくることは無かったでしょうし、それが無ければ、ご一緒させて頂いた方達との新たな出会いも無かったでしょう。また「大井川」の川風に吹かれて『生ビール』を飲みたいと思ったのはきっと私だけでは無かったと思っています。

 

2012年08月07日 21時01分

大井川鐵道「生ビール列車」(9)。

列車が動き始めて直ぐにお座敷車から旧型客車の「オハフ33215」に移動。お座敷車と展望車にトイレがないため、この車が連結されている本来の目的は「トイレ」用だそうですが、旧型客車の夜行列車の雰囲気が楽しめるということで往路は「お座敷車」、帰路は「オハフ33」というお客さんが結構いるそうです。

白熱灯の淡い光が本当に旅情を感じさせてくれます。平成から昭和へのタイムスリップ感ありです。

などと落ち着いた時間がゆったりと過ぎていくはずは・・・、そりゃ、ないですよね。この列車は「生ビール列車」です。旧型客車の椅子で「生ビール」が飲める何て、全国でもここでしか経験(これは自信があります)できません。旧型客車が全盛の時代でも、流石に貸切ではない列車内でこうした“宴会”気分は望むべくもありませんでした。というより“禁じ手”です。

因みに飲みかけのビールを置く場所は、ちゃんとあります。窓下というか、椅子の足元にある「暖房用蒸気」の配管のカバーです。冬ならば「生ビール」がホットビールになってしまいますが、夏はそういうことはありません。

 

それはともかく、三等車「オハフ33」の車内で“生”ビールを飲む時代がやってくるとは思いませんでした。そもそもこの車両の全盛時代、車内で飲むアルコールはビールではなく『日本酒』であったり、『ウィスキー』の小瓶だったような覚えがありますが如何でしょう?

(最上段の写真について)

私がコンデジで写真を撮っていることは何度か書いていますが、フルオートでの撮影では白熱灯のやや黄色みがかった雰囲気は上手く撮影できませんでした。マニュアルにすればもう少し本来の色に近づいたはずです…。一眼レフ組がいい味の写真を撮っている横で私は早々に諦めました。久しぶりにデジイチに心が・・・。

2012年08月06日 21時16分

大井川鐵道「生ビール列車」(8)。

平成24年7月28日(土)19:25。『大井川納涼 恒例!!生ビール列車』は「千頭」駅に到着。よもやこの時間に「千頭」駅に降り立つ日がこようとは思いもよりませんでした。

旧西武鉄道のE31形の3両がひっそりと私たちをお出迎え。この電気機関車たちもここに来てもう2年が経つんですね。早いものです。

 

すっかり夜のとばりが下りた「千頭」駅。井川線の最終もすでに出発した後で、本線の到着が残り4本、出発が1本を残すのみの時間です。かって「大井川鐵道」が「大井川鉄道」だった時代に、取材の下見で来た際、ここ「千頭」駅に近い旅館に宿泊したことがありますが、それでも降り立った時間はこれほど遅くはありませんでした。

そんなことを考えつつ、駅前を暫く散策し、33分の休憩時間は終了。19:58の出発を前に19:50頃、列車に戻りました。そして最後尾についた「オハフ33215」をパチリ!残念ながらブレブレでしたが、まあそれをご愛嬌と言うことで…。

私にとっては「ファンタスティック!」の一言で、その昔、山際の小さな乗換駅で夜行列車を待ち、やっと到着した列車に乗り込んだ時の心境でした。

2012年08月05日 18時26分

大井川鐵道「生ビール列車」(7)。

「生ビール列車」の車内に写真が戻りましたので、再び『乾杯!!』です。(隣は、参加者の1/20である私の「鉄」友です)

車内には冷房が無く、その代わり窓は全開です。冷房が無いということも、考えてみれば私が会社に入った35年前の昭和52年(1977年)には優等列車(この言い方も最近聞かないですね)を除けば、決して例外的な存在ではありませんでした。当時、(夏の時期に)雨が降ると窓を開けるに開けられず、蒸し蒸しの車内でじっと耐えるしかなかったことが今は思い出です。

 

ところで窓が開いているということはどういうことかと言えば、一つ顕著な特徴に、会話の声が必然的に大きくなるということ。というより大声で話しをしないと直ぐ隣の人にもなかなか通じません。でもこの大声に意外な効果が!

ビールをガンガン(と言っても、この後、名古屋まで戻ることを考え、一定の節度はありましたが…)いっても、酔いを適度に発散してくれるのです。気分はカラオケで熱唱と言ったところでしょうか?

(個人差があるかもしれません。私個人の感想です)

 

さて、冷房のない車内でも思ったほど蒸し暑さは感じませんでした。

大井川沿いに上っていく道中は、気持ちの良い川風が車内に入ってきて、思いのほか爽やかでした。ところでこの写真は私ではなく、お座敷車で私の向かい側に座っていたこの日が初対面の方の撮影していただきました。厚かましいとは思ったものの、大井川の「生ビール列車」が私の“遠慮”を取り払ってくれ、その方も気楽にOKしてくれたのかもしれません。

私の乗車した7月28日頃は、「新金谷」を出る18:12頃はまだ薄暮で、それから徐々に日が暮れてゆき、19:00頃でも写真の明るさが残っていました。

 

2012年08月04日 22時19分

大井川鐵道「生ビール列車」(6)。

この列車は「大鉄アドバンス 大鉄観光サービス」が旅行企画・実施を行うツアーで、大井川鐵道のHPでは“特選ツアー”のところに掲載されています。

そのツアーの参加者の多くは「金谷」駅発17:32で「新金谷」着17:36。「新金谷」からいよいよ客車に乗り込み、出発は18:12で「千頭」着が19:25となっています。で、我々の乗り込む列車は「新金谷」のホームに17:40頃入線してきました。そして早速ヘッドマークが取り付けられ、準備万端整い乗客を受け入れたのは18:00頃でした。と、さらっと書きましたが、ヘッドマークを付けての入線ではなく、ホームで付けていたのが意外でしたが、「かわね路号」がどうだったかが思い出せません。

このE10形電気機関車(この日の牽引機はE102)が大井川鉄道で走る姿は、さほど不思議には思わないのですが、よくよく考えてみれば昭和24年(1949年)製であり動き始めて半世紀を優に超えるオールドタイマーです。(定年まで2年を切っている私の年齢を軽く上回っています)

そして「生ビール列車」の名物が『展望車』。ヘッドマーク(エンドマーク?)は「かわね路号」でした。この展望車の車両形式・車両番号は「スイテ821」。自重は大井川鐵道HPによれば29.7トン。この重さは『お座敷車の「ナロ801」「ナロ802」と同じですので、車両形式の「スイテ」の“ス”は、きっと車両の重量ではなく、戦前の超特急「燕」の“展望車”の形式をもじっていると思われ、そんなところを見るだけで、結構楽しめる大井川鐵道です。

 

2012年08月03日 22時18分

大井川鐵道「生ビール列車」(5)。

「軌陸両用式作業車」とか「軌陸兼用車」と呼ばれる車両をこれほど間近に見たのはあまりありません。

要するに、軌道と道路の両方走れる車となのですがこの「軌陸車が好き」と言う人は決して少なくないはずです。と、書いておいて何なのですが、私にとっては普段は気にならないものの、見かけると妙に興奮する類(たぐい)のものです。

 

次は是非、線路上で活躍しているところを見てみたい(別に大井川鐵道でなくとも…)とは思うものの、ドクターイエローと同じくらいか、ネットで稼働情報を見かけない分(私の捜し方が悪い?)、希少性があるかもしれません。

この写真は車体の真ん中にある『ターンテーブル』(という名称で良いですよね?)と、軌道用の車輪です。何とも言い難い雰囲気が私に迫ってきます。

ところでこの大井川鐵道の「軌陸車」ですが、その荷台の後ろの方に、青色の塗装で消されてはいましたが、何となく『MEITETSU』の文字が読み取れます。車両区の駐車場に、廃車となったと思しき軌陸車があったので、その置換用にここにやってきたものと思われます。ただ私には名鉄の軌陸車の知識が全くないため、その出自が名鉄かどうかについてこれ以上、書くことが出来ません。

 

そう言えば北海道の釧網本線で乗車した「DMV」は、考えるまでもなく「軌陸車」であり、私は、軌道用の鉄輪と道路用のタイヤの切り替えを車両に乗って体験していることを思い出しました。だから何なのだと言われればそれまでですが…。

2012年08月02日 22時15分

大井川鐵道「生ビール列車」(4)。

昨日、報告しませんでしたが、「(名古屋)市営交通90周年記念一日乗車券」(第一弾の市電)は、無事ゲットしています。

さて一日置いて、「生ビール列車」の続編です。

大井川鐵道のキャラクターである「SLくん」が本物のSLになったのは知ってはいたものの、それを目の当たりにしてみれば、「悪くない!」「子供だけではなく大人にも受けそう!」「何より本当に青く塗ってしまった大井川鐵道の勇気が凄い!」などなどが率直な感想です。

車両区の裏側に回って撮影した写真は、まあ何とかどんな風になっているかが分かる程度でしたが、それでも表側よりはかなり好条件でした。もっとも夕方の5時前などという時間ではなく、ちゃんと本線上を走っているところを狙うのが本筋でしょう…。

それにしても青く塗られた蒸気機関車が日本に登場するとは思っても見ませんでした。「きかんしゃトーマス」でもなくイギリス・ヨークの国立鉄道博物館にいる世界最速の蒸気機関車「マラード号」でもなく、ここは間違いなく日本の島田市です。

その青色はなかなか感動ものです。ところで、本来の走行時にはナンバープレートの辺りに特徴のある目玉(その下には蝶ネクタイ)がついているのですが、車両区で眠る時は外されているようでした。

2012年07月31日 21時12分

大井川鐵道「生ビール列車」(3)。

「新金谷」に到着して直ぐに車両区に向かったのですが、蒸気機関車群は転車台にいたC12164号機を除き石炭置場等の陰になりよく見えません。特に「青いきかんしゃSLくん」C11227号機は少し見えるだけ何ともならず、「新金谷駅舎」とは反対側にある公園なら何とかなるかもしれないと思い、近くにいた大井川鐵道の方に道を尋ねて向かうことにしました。

方角的に言えば、「新金谷」駅から車両区伝いに南東に向かい、そこから陸橋で「金谷」方面への線路を越え、下り切ったところから今度は線路伝いに北西に向かうと、そこに公園があります。

この写真は陸橋から車両区の全景を俯瞰したものですが、旧京阪車のモハ3008+クハ3507の2両編成と旧南海の21001が1両、側線に留置されていました。何となく“終焉”の雰囲気が漂っていたのですが、気のせいでしょうか?

特に京阪の3000系は本家本元の京阪電車(今では8000系と名乗っていますが…)でもついに来春の営業運転終了が発表されており、これで遂に残るは富山地方鉄道だけになるのでしょうか?

※平成24年5月1日、南富山駅にて撮影。

写真を大井川鐵道に戻します。車両区から怪しげな線路が続いているのは知る人ぞ知る存在だそうです。私は知らなかったのですが、その先に何があるのか、探検したい気持ちになりました。

2012年07月30日 21時03分

大井川鐵道「生ビール列車」(2)。

今回、私たちの「金谷」駅集合時間は、連絡列車の「金谷」駅出発時間の17:32(因みに定期列車です)に合わせ、17:20。私もその頃に着くつもりだったのですが、1時間以上前の16:08にJR「金谷」駅に着いてしまいました。(その事情はまた追って…)

そこでそのまま「ボーっ」とするのも良いかと思っていたところ、たまたま私にとっては“リアル”鉄友の方とばったり出会い、時間もあるので「新金谷」へ行きましょうか?と話しがまとまり、かつ「生ビール列車」は「新金谷」からの乗車でもOKだということを確認し、取りあえず「新金谷」駅に向かうことにしました。

で、乗車したのが16:26発の「千頭」行き。

元近鉄南大阪線・吉野線の16000形は、その近鉄時代は私にとって無縁の存在でしたが、それが巡り巡ってこうして乗車する時代が来るとは思いもよりませんでした。実は…、今回が私のこの形式の初乗車でした。近鉄時代には乗っていません。これだけは私の思い違いはありません。自信があります。(皆様にとってはあまり意味はないでしょうが…)そんなことを思いつつ、折り戸式のドアから一歩乗り込んで足元を見てビックリ!

土曜日の夕方近くとあって、新聞(夕刊)が積み込まれていました。大井川鐵道で新聞輸送があるとは全く知りませんでしたので、少々驚いた一方で、「珍しいものを見せてもらった」感があり、得した気分でした。

近鉄で有料・座席指定の特急電車だった時代に、このように「新聞」を運ぶことは絶対に考えられなかったでしょうから、その組み合わせのアンバランスさも面白い一コマでした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!