2011年11月22日 18時27分

10月8日の大井川鐵道(27)昭和53年の井川線。

昭和53年11月25日、私は「大井川鉄道」を完乗しました。
上段写真はその時の井川線井川駅で、下段写真は井川線の列車の前で
撮影した記念写真です。

この日の足取りは、
1)熱田8:27~浜松10:14
2)浜松10:17~金谷10:59
3)金谷11:34~千頭12:53
 ●大井川鉄道大井川本線SL急行
4)千頭14:05~井川15:41
 ●大井川鉄道井川線
5)井川15:48~静岡18:20
 ●大井川鉄道バス(時刻は私のメモ)
◆その後新幹線に乗り継ぎ。

この行程を見ていて気付いたのは、SL急行の所要時間はあまり差が
無いのですが、井川線はアプト区間が出来、機関車の付け替えが
発生したこともあり、当時は現在よりも10分ほど短い時間で全線を
走っています。

また、井川駅前から静岡駅前へ行く定期バスが当時はありました。
今も「畑薙第一ダム」~(井川駅)~「静岡駅間前」間に
『しずてつジャストライン』のバスが夏季に季節運行されているようですが、
この時期は運行されていないので、「井川」まで行った場合、
又来た道を帰るしか選択の余地がありません。
※「井川」は当時も今も静岡市内です。こんなと言ったら失礼ですが、
あまりにも山中で驚いたことを覚えています。

ところでここに写っている機関車はDB1形であることは間違い
ありませんが、現在、井川線で使用されているDD20形とのギャップの
大きさに唖然とさせられます。
如何にも『KATO』(加藤製作所製.模型メーカーではありません)と
書きたくなるそのフォルムには堪らない魅力がありますし、
現役時代を知っていることは幸せなのかもしれませんが、
線路の幅の違いはともあれ、客車も含めナローの森林鉄道との
あまりの差の無さには懐かしさよりも思わず笑みがこぼれてしまいました。

(大井川鐵道 完)

追伸:無料乗車体験『金谷茶を飲みながらSL重連列車に乗ろう!』では、
地元特産の「C11227」と記された志戸呂焼きの箸置がお土産に
付いていました。
そのお土産には地元の小学生の“手書き”のメッセージも同封されており、
その内容は金谷の街、そしてSLへの愛情が詰まっており、
心温まるものがありました。
今回のSLの旅で私は、新しい転車台の登場を含め。島田市が
大井川鐵道を観光の中軸として捉え、かつそれが全島田市民に
認知されていると感じました。出来そうで出来ないことですね。

2011年11月21日 18時23分

10月8日の大井川鐵道(26)オハの車内は風情あり。

帰りの「かわね路2号」は機関車の次位、1号車でした。
(下段写真参照)
1号車のオハ35-435の車内は、上段写真で見てとれるように
昭和の香りを漂わせており、何となく乗客の皆さんも昭和に
タイムスリップしたみたいです。
また、前方の貫通扉の窓越しに見る「C10 8」のヘッドライトが、
より「昭和」を深く味合わせてくれていました。

中段写真の灰皿も、そう言えばこんなスタイルのもあったと
席に着いてから思い出し、思わず一枚撮影してしまいました。
灰皿に蓋が付いていないタイプのものを見たのは一体、何年ぶりなのか
全く記憶がありません。

ところで、他の乗客の方の行動を見ていて「成程」と思った事が一つ。
それは、マスク持参の方がいたことです。
当然、トンネル対策なのですが秀逸なアイデアと思いました。
何故なら『トンネルに入る時は窓を閉める』という昭和の常識が
やはり一般的には通じておらず、というよりトンネルの中の「煙」を
楽しまれる方もおられるので、なかなか賢い対応策です。
(写真を撮影するのは憚られましたので証拠写真はありません)

その方たちは、60~70歳位のグループで、マスクをしてトンネル内の
煤煙を楽しまれているような気がしないでも無かったです。
但し、そのグループの方の名誉のために付け加えますと、
自分たちの席横の窓は閉められていました。

こうして私たちの大井川鐵道の旅は、新金谷16:10に到着して
終わりました。

最後に、この列車も“撮り鉄”さんのカメラの放列の中をひた走ったことを
報告します。皆さん、お疲れ様でした。

2011年11月20日 18時21分

10月8日の大井川鐵道(25)帰りの「川根路2号」は、電気機関車が後押し。

SL重連に無くてSL単機牽引にあるもの。それがELの補機。
7両のほぼ満席の客車を牽くにはさすがにSL単機というわけには
いかないようです。

大井川鐵道のHPによれば「いぶき501号」(ED501号)は
1956年製。大阪セメント伊吹工場で使用されていたとあり、
三岐鉄道西藤原駅に静態保存されている「いぶき502号」の姉妹機でも
あります。
片や現役、片や保存機ではありますが、「501号」の現役の姿を見るのは、
西武鉄道からE31形3両が入っているだけにもう暫くの時間しか
残されていないかも知れません。

そして先頭車の本務機は「C10 8」。
製造両数が少なかったこともあり、恐らく蒸気機関車の現役時代を知る私でも
その姿を見たのは今回が初めてだと思います。
釧網本線(SL冬の湿原号)・函館本線(SLニセコ号)で
見かけたC11より随分時代がかった感じで、リベットが良い味を
出していました。

ここからは本音ですが「C10 8」の牽引する列車に乗れたのは
『嬉しく』思えました。
もっともこの機関車の前で記念写真を撮影していた多くの観光客の方に
とってはあまり気にはなってなかった様子で、私のように「わあーッ、
C10だ!」等という人は一人もいませんでした。
でも大井川の蒸気機関車の列車に乗った事が
皆さんの記憶に残ればそれはそれで良いのでしょう。

2011年11月19日 18時17分

10月8日の大井川鐵道(24)トロッコ列車、千頭到着。

土本、沢間、川根両国と結構こまめに停車しつつ、千頭には14:32の定時に
到着しました。

上段写真は、その千頭駅への入線時に撮影したのですが、山間を走ってきた
列車がいきなり『平野』に出てきたギャップの面白さもありますが、
それよりも私の座っている場所の目線の低さからか、1067ミリの
ゲージがやたら広く見えた事が面白く思えたこともあります。

ところで私の乗車してきた「スロフ314」の写真は今回UPしていませんが、
その車両は『南アルプスあぷとライン 大井川鐵道両国車両区 平成11年』の
銘板があったにも関わらず、川根両国駅の側線に留置車両見当たらず
千頭の駅に全車が揃っている感じでした。

5両の客車の乗車率は見た限り50%前後と思われたのですが、
千頭駅に到着し下段写真を撮影していて、想像より多くのお客が
乗車していたことに驚きました。どうやら客車の小ささから来る先入観に
よるものと思われ、自分の不明を恥じていました。
また丁度この写真を撮影した場所の駅舎側で大井川鐵道井川線の
マスコットキャラクター「アルル」と「プルル」がこの列車の到着を
出迎えていてくれたのですが、子供たちを中心に記念写真の列が
途切れる事がなく、記録写真としては撮影しましたが、このブログでのUPを
諦めました。

●「あぷと」をアルファベットで綴ると「abt」です。英語読みなら
「アブト」になったかも知れませんが、ドイツ語読みなので「アプト」です。
勉強になります。

2011年11月18日 18時08分

10月8日の大井川鐵道(23)川根小山で交換。

川根小山は14:10の着発で、ここで井川行き最終列車
(接岨峡温泉と奥泉行きはまだ1本ずつありますが…)と交換です。

時刻表が手元にあったので事前にここ川根小山で交換することは
分かっていたのですが、やはりこの駅への入線時に対向列車が見え始めると
些か(いささか)興奮しました。

ところでこれまで交換可能駅でも交換することなく来たのですが、
いざ交換してみて分かったことはやはりこの井川線車両の可愛らしさです。
(写真でも、対向列車の姿は『かろうじて』写っている状態ですね)
勿論、アプト区間でEDと繋がった時に、EDとDL+客車の背の高さの
落差で十分それは承知していましたし、そもそもその小ささは乗らなくても
見れば十分認識できます。
でも交換の際に、反対側の線路で私たちの到着を待っていた客車を
見ていたら、「やっぱり井川線は小さい!」と感じました。
遊園地の“おとぎ列車”と言ったら大袈裟ですが、それも愛知県犬山市の
モンキーパークにあった“おとぎ列車”のイメージです。
勿論、車両の大きさや沿線風景などの比較であれば『黒部峡谷鉄道』を
引き合いに出すべきでしょうが、何故か私はそちらを思い浮かべず
モンキーパークを思い出しました。
●知っている人があまりにも限られる話しで恐縮です。

黒部と犬山ではEL・DLの違いがあり、私のイメージはそのせいかも
知れませんが、それにしても話しがポンと飛びますが、この駅への入線時、
小さな客車のことを『マッチ箱』とは“言い得て妙”と改めて感じていました。

2011年11月17日 18時11分

10月8日の大井川鐵道(22)有人駅「奥泉」。

期間限定路線バスに乗車したからこそ撮影できた写真で、最後にUPするのが
上段のものです。

千頭駅前を11:50に出たバスの「奥泉駅前」発は12:00。
発車までの1分ほどの時間を利用し、運転手さんに断ってバスを下り、
駅の写真を撮影しました。
写真では階段を下ったところに線路がチラッと見えており、駅舎は
その左側に隠れています。

実はバス停の辺りは結構開けており、バス停もなだらかな斜面に
広くスペースが取られています。それが駅のある場所を覗き込んだら、
まるで谷底を這う様に線路があり、そのギャップを面白く感じました。

次に下段写真ですが、「奥泉」発14:03の列車の車内から見た
『駅の風景』です。
1日6往復の列車が着発する駅ですが、流石に始終着の列車もあるだけに
『有人駅』となっており(本当にそうなのかはあまり自信が無いですが…)、
駅員さんのキビキビした動きを見るのは楽しいものがありました。

またこの駅は「寸又峡温泉」への“一応”玄関口のはずなのですが、
「寸又峡温泉」に向かうバスは全て「千頭駅前」から出ており、
なおかつ「千頭」~「奥泉」間は列車の約30分に対し、
バスは前記の通り10分で、やはりこの駅が有人なのは不思議な存在です。
(そう思うのは私だけ?)
また普通に考えれば、千頭発の列車とバスが接続することは
あまり念頭に置く必要はないのでしょうが、井川線を利用する観光客を
考えれば、井川方面から千頭行きの列車と千頭発のバスがここで接続するのは
あっても良さそうですが、そんなことは無さそうです。

それはともかく、写真でお分かり頂けるかと思いますが「駅の雰囲気」は
とても良いです。
山間(やまあい)の小さな交換駅を絵に描くとこうなるという典型のような
気がしました。

2011年11月16日 18時09分

10月8日の大井川鐵道(21)「アプトいちしろ駅」到着。

「アプトいちしろ」駅には13:49着。今度は出発の13:54までの間に
電気機関車の解放です。

停車時間が短いだけに、とてもとても色々と撮影する時間はありません。
先ずはお約束の駅風景(上段写真)を撮影し、「This is アプト」
(中段写真)等を撮って制限時間一杯。
車掌さんの「間もなく発車します」の声に急かされるように客車に
戻りました。
もう5分あれば車庫のほうまで回り込んで、駐機車両が狙えたのですが・・・。
残念です。

と、言う間もなく列車は定刻で出発。人里離れた山の中でも、
日本の列車はダイヤ通り運転されます。
そして共に山を下ったED902とお別れ(下段写真)し、
列車は再びDL牽引となって「アプトいちしろ」を後にしました。

たった7分間とはいえ、日本でここだけのアプト体験。正確に言えば
日本の“営業路線”で唯一のラックレール式鉄道となるのですが、
やはり“唯一”を体験するのはとても楽しいことです。

ところで日本のラックレール式鉄道といえば、能勢電鉄で行く
能勢妙見山の遊覧鉄道「シグナス森林鉄道」にもアプト式ではない
方式のものがあります。その乗車体験は当ブログで今年の1月31日~で
掲載しましたが、何れにしてもラックレール式の鉄道は、一歩一歩
「山を上り下り」する気分で、その区間が終わると何故か達成感があると
いったら言い過ぎでしょうか?
(一応、「山好き」でもないのに仕事で標高3180メートルの
「槍ヶ岳」に登った経験があるので…。こちらは関係ない話しでした…。)

2011年11月15日 18時07分

10月8日の大井川鐵道(20)90パーミルの世界。

「鉄道日本一の急勾配区間90/1000」と大井川鐵道のHPに
ありましたが、それはどれ位の勾配なのでしょうか?

上段・中段写真は、その90パーミル区間を、運転期間限定路線バスの中から
撮影したものです。
実は路線バスの運転手さんが「長島ダム」バス停の手前の90パーミル区間が
見通せる絶景ポイントでバスを停めてくれ、撮影の時間を
私たちに与えてくれたのです。
「撮影が終わったら声をかけて」の運転手さんの言葉に甘えさせてもらった故の
写真ですが、この風景が独り占めならぬ二人占めだったのは如何にも
勿体ないと感じました。
今後、この『運転期間限定路線バス』(千頭駅前~閑蔵駅前)が
運行される日があったら、片道はバスに乗車されることをお勧めします。
例え乗客が多くて今回の私たちの様に途中で停車しての撮影が
出来なかったとしても、車窓の風景を堪能するだけで十分価値があります。
何より、時間の節約にもなりますし…。

さて上段写真では、険しい渓谷を走っていく線路が見えますし、
中段写真ではその勾配が見て取れます。
下段写真は、丁度中段写真左に見える落石防止柵というか落石防止のための
半トンネルというか、ともあれその区間を走っているところです。

先回も少し触れましたが、「立っていると前につんのめりそうになる」とは
本当にその通りで、「座っていてもずり落ちそうになる」と言っても、
決して誇張ではありません。(やはり大袈裟か…)
未乗車の方は一度お試しあれ。
ところで今回、私は勾配を下る列車に乗ったからと言うわけだけでは
ないのですが、勾配を登る列車よりもその角度が実感できるような気が
しています。(こちらは気のせいかな?)

2011年11月14日 18時04分

10月8日の大井川鐵道(19)アプト区間に突入。

「長島ダム」駅には13:37頃到着。ここからいよいよ『アプト区間』です。
毎度の事ながら、機関車を連結するシーンには“興奮”します。
それは非「鉄」の方も同様のようで、何人かの方が列車から降り、
その様子をカメラに収めていました。

この駅の出発は13:42ですので、ある程度手際の良さが無ければ
列車の遅延に繋がりかねないわけですが、そんなことはあるはずもなく、
上段写真のように列車が到着するや否や待機していたED902が
擦り寄ってきて、あっという間に連結は終了しました。

連結作業は、DLの運転士さんと列車の車掌さんが行っており、
列車本数からすれば当たり前と言えば当たり前ですが、
やはり実際に自分の目で確かめることは重要ですね。

と言う間もなく、車掌さんから客車への戻りを促され、
そうこうしているうちに定刻の13:42となり、下段写真の如く
出発となりました。
さてここからがこの井川線のメインイベントであるアプト区間です。

左手に雄大な長島ダムを眺めつつ(写真には写っていません)列車が
動き始めると、「立っていると勾配が実感できます」という
車内アナウンスが入りました。
実際には「座っていても十分、勾配が実感できます」となるわけですが、
車内の乗客の皆さんの歓声が聞こえたので、このアプト区間は、
“観光の目玉”として成り立っているように見受けられました。

2011年11月13日 18時06分

10月8日の大井川鐵道(18)次は「ひらんだ」。

「奥大井湖上」駅を出てレインボーブリッジを渡り切り、振り向いたのが
上段写真です。
位置関係で言えば、先回の廃線跡の下段写真をオーバークロスして
暫く走った地点です。
ボックスシートの前向き、後ろ向きのどちらに座っていても“絶景”が
楽しめるのがこの井川線の素晴らしさという証(あかし)です。

そして到着したのが「ひらんだ」駅。駅名標が“ひらがな表記”というのは
決して珍しくは無いのですが、ここは「漢字表記」があるにも関わらず
読みにくいというか“読めない”という理由で正式駅名そのものが
『ひらがな』という珍しい駅です。
※但し、私の知識の範囲内での話しです。

漢字で書くと「平田」。確かに超弩級(ちょうどきゅう)の読み難さです。
何故「ひら」の次に「ん」が入り、「た」が「だ」と濁るのかの理由は
私には分かりかねますが、地名の由来と言うのは本当に奥深いものがあり、
研究者がいるのもうなずける話しです。

大井川鐵道の難読駅としては大井川本線の「五和(ごか)」駅と
「抜里(ぬくり)」駅が考えられますが、抜里はまあ少し考えれば
読めるとしても「ごか」から漢字をイメージすることも、
ひらがなから「五和」をイメージすることも困難を伴うでしょう。
ただ「五和」の場合は、開設されたのが古く、その当時は正式な『ひらがな』駅名を付ける事は考えられなかったでしょうから、
ここ「ひらんだ」が“ひながな駅名”となったのは、正に「時代」と
言えるかもしれませんね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!