2011年11月02日 18時36分

10月8日の大井川鐵道(7)SL重連列車快走。

新金谷の駅を9:57に出発したSL重連列車「かわね路11号」は、
大井川に沿って快走です。
昭和53年に私が最初に乗車したときの記憶が全く無く、
こうして風景を見ていて、「大井川はこんなにも川幅が広かったのか」と
驚かされると共に、自分の思い込みである「渓谷沿いをひた走る大井川鐵道」
のイメージが覆されていきました。

客車は先頭が7号車で私たちの車両は前から5両目の3号車。
発車して暫くすると右側写真のように、今回、私たちが参加した
『金谷茶を飲みながらSL重連列車に乗ろう!』の車内イベントがスタート。
“茶娘”の方たちが一人一人の乗客に自慢の『金谷茶』を振舞い、
旅気分を盛り上げてくれました。
急須で入れ、陶器の湯呑み茶碗で飲む淹れたてのお茶(品評会で受賞した
2部門のお茶)は味も香りも最高で、非「鉄」の同行者は「旅気分は上々」と
言いつつ何杯も御代りをされ、正直、ここまで連れ出して大丈夫だったかな?
と心配していたのでホッとしました。

なお3号車のイベント参加者の殆どの方は非「鉄」で、
皆さん『SLとお茶』の旅を楽しまれていました。勿論、
「鉄」の方達もおられましたが、やはり「お茶」を楽しまれていました。

2011年11月01日 17時34分

10月8日の大井川鐵道(6)新設転車台で記念写真。

いつもですと『「鉄道浸り旅』は『一人旅』なので、上段写真のような
記念写真は滅多に手元に残りません。今回は同行者のおかげでこうして
撮影することが出来ました。

ところで私は、取材(仕事)を含めても「鉄系」の大掛かりな記念イベントに
立ち会ったことが殆ど無く、特にここ20年ほどは記憶にありません。

まあそんなに大層な話しではないですし、タイミングさえ合えば、
イベント時でなくともこの様な写真はいつでも撮影できるわけです。
とはいうものの、「金谷駅」の混雑に恐れをなし電車ではなく
金谷駅~新金谷駅間をタクシーで移動したが故の1枚であり、
大井川鐵道にとって記念すべきというか歴史に残る日に立ち会えたのは、
物は考えようで“ラッキー”だったような気もしていますし、
良い思い出にもなりました。

さて午前9:45になり、改札が始まり列車に乗り込みました。
で、乗る前に下段写真を撮影したのですが、この写真を撮影した位置が
ギリギリ蒸気機関車を2両とも写しこませる場所で、
なおかつこの日は客車だけで7両あり、しかもほぼ満席と聞いており、
人の流れを見つつ、ただ1編成の列車を撮りたかっただけにも関わらず、
思いのほか撮影に苦労しました。

それでもこうして人が多く集まると言うことは「地域の足」を守る術としては
有難い訳で、なかなか世の中に『適当』ということは無いものだと
実感しました。
何はともあれ凄い人出でした。

2011年10月31日 18時28分

10月8日の大井川鐵道(5)焚き付け用?

今年の8月2日、「三笠のSL機関士体験」の際に、
燃料の石炭の焚き付け用に『薪』を使う話しを書きましたが、
ここ大井川鐵道でもそれらしき物を見つけました。

それがこの写真で、上段写真の石炭置き場の奥に、何故か唐突に存在する
屋根の不自然さに目が行き、その下に木っ端の山を見つけました。
“三笠”で話しを聞いていた私は、「きっとこれは“焚き付け”に使うもので
あろう」と思ったのですが、確認する術がなく、それでも私の推理は
間違いはないだろうと思っています。

昭和51年に大井川鐵道で現在の形でのSLが走り始めてから既に35年が
経っていますが、こうした『木っ端のある風景』は恐らくその当時から
変わっていないのでしょう。
とはいうもののこの『屋根』がその当時からあるとは思えません。
SL運転当初の状況は私にはわかりませんが、後にこの屋根が作られ、
そこに“焚き付け”用を置いたとしたら、その『屋根』があると言うこと自体、
その下にあるものの重要性の証であることは間違い無さそうです。

縁の下の力持ち的な存在と言うより、これが無くてはSL運転が
成り立たないと言っても過言ではない存在に思わず目を向けてしまいました。

2011年10月30日 17時52分

10月8日の大井川鐵道(4)転車台&SLサミット。

私たちが「新金谷」駅に到着した時、丁度新しい転車台の
オープニングセレモニーが行われていました。
と言っても、正式なセレモニーは、前日の7日(金)に行われており、
この日は「SLサミット」参加者によるお披露目セレモニーのようでした。

「SLサミット」は全国のSL運転線区の自治体及び鉄道事業者等の
関係者が一同に会し、SL列車の魅力を全国に発信しようというもので、
この転車台を手回ししている方たちは、「真岡市」「秩父市」「津和野町」
「人吉市」そして大井川鐵道沿線自治体の首長の方達(そういうアナウンスが
会場でありました)で、重いSLを手で一周させ、その後でこの場で
公式記念写真に納まっていました。放送局・新聞社等の取材も入っており、
その横で私も並んで撮影していました。もっとも一般公開の場でしたので、
「鉄」の方達も大勢おられ、私はそこに紛れていた次第です。

この転車台は、静岡県島田市役所が『観光の目玉』として
約9000万円かけて作ったそうで、これで観光客に“不評”だった
大井川鐵道のSLバック運転が解消されることになったのですが、
その一方で無くなってしまってみれば私・個人的には少々残念な想いも
あります。

それはC10、C11のみならずC56といったここにいる蒸気機関車達は
バック運転も想定して製造されており、バック運転時の姿も結構
様になっていたのではないかと思っていたからです。
ただこの転車台の新設は、機関車の向きの選択肢を増やすことにはなるので、
その内にSLバック運転を“売り”にした列車が登場するかもしれませんね。
もっとも「金谷駅」に入線しない方が寂しいという声もありますが…。

2011年10月29日 18時50分

10月8日の大井川鐵道(3)金谷への道。

掛川駅で在来線に乗換。掛川発8:36の428M(浜松発熱海行き)で
金谷着8:50。
※上段写真は428M「掛川駅」到着。
※下段写真は大井川鐵道「金谷駅」。

大井川鐵道は「金谷」発9:14の「千頭」行きに乗る予定だったのですが、
駅前まで人の列が既に出来ており、結局、今回の「無料乗車体験
『金谷茶を飲みながらSL重連列車に乗ろう!』」の集合場所が
「新金谷駅」で、集合時間が9:30だったこともあり、
「新金谷」で少しゆっくりしようとタクシーで向かうことにしました。
(タクシーは750円.電車だと1人150円×2=300円)

この写真の大井川鐵道「金谷駅」はひっそりとしていますが、
これは帰りに撮影(帰りもタクシー利用)したもので、行きの時間に
撮影した写真は、あまりにも人が沢山おり、しかも乗客の方達の
『顔の判別できる』写真しか撮れず、ここで使うのを諦めたという経緯が
あります。

流石に3連休というか、それとも「SL重連人気」もしくは
「新金谷」&「千頭」で開催される『SLフェスタ2011』に向かう
人並みか?と思う一方、「のんびりとSLの旅」が「喧騒のSLの旅」になり
風情を楽しむことが出来なくなるのではないかと不安に駆られる出だしでした。

まあそれはそれで、どんな状況になっても楽しもうとは思っていましたが…。
もっともそれは杞憂に終わりましたが…。

2011年10月28日 18時30分

10月8日の大井川鐵道(2)思わぬ貨物列車との出会い。

この日の往路は、名古屋~(新幹線)~掛川~(在来線)~金谷のルートで、
名古屋駅発7:28の「こだま632号」に乗車しました。
そして在来線への乗換駅・掛川駅到着(8:31)の直前、
上段写真の上りTOYOTA LONGPASS EXPRESS(トヨタ・ロングパス・
エクスプレス)を追い越しました。時間は8:30頃です。
(下段写真は下車直後の掛川駅新幹線ホーム)

ところが…。この列車のコンテナには全て「TOYOTA」の文字が
あったので、私はてっきりこの列車を「トヨタ・ロングパス・エクスプレス」
と思っていたのですが、家に戻ってから貨物時刻表を調べたところ、
この時間、この区間を走る同列車は無いのです。
1)笠寺発12:34⇒盛岡貨物ターミナル着翌6:09
2)笠寺発23:40⇒盛岡貨物ターミナル着翌14;27

一体私の写真に写っているこの列車は何なのでしょう?
考えられるとしたら、金曜日深夜発の列車が何らかの理由で遅延???
もしくは臨時???位しか思いつきません。

実は掛川駅で下車するために席を立った際、同僚が「『TOYOTA』の
コンテナ列車が走っている」のを見つけ、その際、
私は「このコンテナ列車は…」等と得々と解説してしまった手前、
少々居心地の悪い状況です。

誰かこの謎を解ける方はいないでしょうか?

2011年10月27日 18時45分

10月8日の大井川鐵道(1)何ゆえ私は大井川に?

10月8日(土)、全国各地で鉄道イベントが開催される中、私はこの日、
大井川鐵道を目指しました。

目的は8日(土)~9日(日)の2日間運転されたSL重連走行の
列車に乗るためでした。しかも…、「新金谷」~「千頭」間は“招待”という
夢のような旅でした。
※上段写真は今回のテーマを際立たせるために使っています。
(C11-190+C56-44)

事の発端は、大井川鐵道のHPで「無料乗車体験『金谷茶を飲みながら
SL重連列車に乗ろう!』参加者募集」という記事を見つけたことです。
お茶(勿論日本茶)好きな私としては、「お茶」と「SL(しかも重連)」が
一度に楽しめるとあってその場で申し込みました。
●主催:島田市茶業振興協会金谷支部
待つこと暫し。
当初は島田市役所企画課さんから“残念ながら”というメールももらい
『ガッカリ』していたのですが、10月4日に電話があり、
「キャンセルが出たので参加しませんか?」との有難いお誘い。
早速、出かけることにしたのですが、当初同行予定だった方は他の
用事を既に入れておられ、結局気心の知れた会社の同僚
(「鉄」ではありません)と出かけることにしました。

下段写真がその『特別乗車券』で、片道1720円×往復=3440円と、
片道のSL急行料金560円の計4000円が今回の招待の
成果(?)でした。
なお『金谷茶…』については、追って報告します。

ところで、もし私がこの「大井川鐵道」に乗ったことが無かった場合、
この乗車は“乗ったこと”になるかどうか?です。私の基準では
“乗ったこと”にはなりません。やはり「乗り鉄」は自腹でなくっちゃ!等と
少々見栄を張ることにしました。きっと一度乗っているがゆえの余裕の
発言ですね。失礼。

などということはさておき、10月8日(土)名古屋駅に朝の7:15集合と
相成りました。

2011年10月06日 18時45分

三岐鉄道三岐線の一部区間不通(2)。

この写真は「梅戸井」から少し「近鉄富田」よりの本線上とのことで、
「梅戸井」から「西藤原」方面に折り返す電車は、一旦「梅戸井」から
「近鉄富田」に向かう本線に進入し、そこから下り線に入り直しているように
見受けられたそうです。(限られた時間の中での目視ですので、
実際の運用との相違点があればお知らせください)

レール上の車止めが何とも悲しい象徴ですし、既に錆び付いたレールは、一日も早く銀色を取り戻したいと訴えているようでした。

何れにしろ、それぞれの区間を走らせる電車の本数(車庫の無い
「梅戸井」~「西藤原」間も含め)は足りているようですが、
ただ、「梅戸井」から先の区間にいる電車は検査が出来ないため、
最悪の場合、その区間もバス代行という可能性がゼロではなさそうな気も
しています。
その影響かどうか、この10月3日からのダイヤでは、「東藤原」折り返しの
電車も設定されており、三岐鉄道ではギリギリの運行を模索していることが
見て取れます。

これに関連し、「丹生川」駅に隣接する『貨物鉄道博物館』では
9月の公開日(9月4日)は台風の影響による臨時休館をしましたが、
この10月2日の公開日の来館者数はどうだったでしょう?
また次回の11月6日の段階でも三岐線が復旧しているとは
思えないことから、その影響も心配です。

この項、本来なら自分の目で確かめて書くところですが、
今回はご容赦ください。
最後に、「I」さんありがとうございました。

2011年10月05日 18時44分

三岐鉄道三岐線の一部区間不通(1)。

日本に大災害をもたらした台風12号ですが、
9月4日から三岐鉄道三岐線では、一部区間で今も不通のままとなっています。
※「保々」~「梅戸井」間が不通のためバス代行。
それ以外の「近鉄富田」~「保々」間及び「梅戸井」~「西藤原」間は
電車を運行中。

その原因が、「保々」~「北勢中央公園口」間にある『朝明川橋梁』の
損傷です。(写真参照)
こんなに名古屋から近い場所でもなかなか情報が入らないのですが、
私の知人Iさんが9月30日(金)に現地に出向き撮影した写真を送って
くれましたので、UPすることにしました。

ネットで検索すれば、線路の被災状況の分かり易い写真も出てきそうですが、
この日は復旧工事の関係で、これ以上近づくことは邪魔に
なってはいけないので遠慮したそうです。

まずじっくり見れば分かるのが、真ん中に見える橋脚が奥の方に
傾いていること。そしてその橋脚部分で橋桁が凹み、端桁そのものが
少しVの字に見えると思います。

実際には、線路がこの部分で大きく蛇行しているそうで、
その復旧には素人目にも相当な時間が掛かりそうだったそうです。
参考までに三岐鉄道のHPでは、「11月中には列車運行を
再開する見通し」と出ていますが、一日も早い復旧を望むばかりです。
因みに貨物輸送もストップしているため、三重県四日市市にある
国の重要文化財「末広橋梁」を渡る列車も今はないようです。

2011年06月20日 18時05分

三岐鉄道の楽しみ方(8)三岐線「西藤原駅」の先は?

写真は三岐鉄道「西藤原駅」です。
「西藤原駅」のホームから北側へは、パッと見、
『昔はこの先も電車が走っていたけど廃線になりました』のような
線路がほんの短い区間ですが繋がっているかのようです。

さて、守山生涯学習センターの参加者の皆さんとの
『三岐鉄道乗りつぶし』ですが、
北勢線「阿下喜駅」(軽便鉄道博物館)から
三岐線「伊勢治田」までは王道の“「鉄」の抜け道”ルートを辿りました。

つまるところ『歩いた』わけです。
「阿下喜」を出たのは11時40分頃で、中高年というより60歳以上の
参加者が殆どだったにも関わらず、12時を少し回った頃には
全員無事「伊勢治田」に到着。
乗車を予定していた12時17分発の「西藤原」行きには余裕で
間に合いました。

ところで写真の話しに戻りますが、そもそも『三岐鉄道』という位で、
東海道線の「関ヶ原」まで結ぶ予定の壮大な社名と謂わざるを得ませんが、
それはともかくその“つもり”で駅の構内配線を整えた?と推理するのも
楽しい時間であることは間違いありませんでした。

また、元々非電化の路線であったため、機関車の機回しのためだったとか、
それとも、今は「東藤原」が貨物の起点となっているものの、
昭和6年の開業時には、ここ「西藤原」からも石灰石の大量輸送の予定が
あったため、その準備がなされていたとか、
『夢』が膨らむ「西藤原駅」でした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!