中京テレビ

2011年06月19日 21時21分

270形異聞。「ラインデリア」は登録商標。

今回の写真は、17日(金)の写真をご参照ください。

私のブログでの「登録商標」された“商品名”の扱いについて、
一度説明せねばと思いつつ、今日まで過ぎていました。

ご存知の方も多いと思いますが、「ラインデリア」は“商品の名称”で、
三菱電機株式会社による『登録商標』です。

例えば“宅急便”という言葉は、運送会社の別によらず、
一般的に使われているとは思っていますが、実は、
「クロネコヤマトの“宅急便”」のCMに見るように、
ヤマトホールディングスの『登録商標』で、テレビのニュース・番組等で、
「クロネコヤマト」以外の会社も含め同様業態について一般名詞
(普通名詞)として使う場合は、“宅配便”という言い方をしています。
裏返すと、“宅急便”と言えるのは「クロネコヤマト」に限られるわけです。

また、「セロテープ」がニチバン株式会社の登録商標で、
一般名詞としては「セロハンテープ」ですし、一方、
一般名詞が思いつかない登録商標に名古屋名物「ひつまぶし」があります。
(名古屋市熱田区の有名店「蓬莱軒」がその権利者です)

さて、お題に戻りますが、「ラインデリア」は昭和57年6月29日に
登録された商標です。(登録番号…1519419号)

本来なら当ブログで、車両一般の話しとして「ラインデリア」について
書くのなら、扇風機の対比として単に「送風機」とするところなのですが、
今回、私は近鉄電車に限ったことであり、昔の思い出繋がりと
いうこともあり「ラインデリア」と敢えて使いました。
これは、近鉄電車が三菱電機製の「ラインデリア」を搭載しており、
270形も同様で、かつ近鉄の公式HPの『鉄路の名優』の中でも
その紹介文に「ラインデリア」という名称を使っていることにもよります。
ただ、今回は一般的な話しなのか、特定の「近鉄電車」に搭載された送風機
「ラインデリア」の話しなのかが判別しずらかったですね。

一応の自分なりのルールとしては、
1)「商標登録」された商品の名称は原則、使わない。
2)商品の名称を使う場合は、正にその商品についての話題であり、
また、一般的にそれが通用する(分かりやすい)場合とする。

勿論、例外があったり、私の調査不足や勘違いがあることも
十分にありますので、その時は“コメント”を頂ければ幸いです。

ところで、何故唐突にこの話し?という理由ですが、
『一般的な話しなら「ラインデリア」は用語としてふさわしくないのでは』
という指摘があり、読み返してみて「なるほど」と思ったわけで、
文章を短くするために端折ってよいことと悪いことがあり、
特に知識が無い方には、「ラインデリア」を一般的な名称と誤解させる
原因ともなりかねないと考えたからです。

なお、少々長めの文章となったことも併せてお詫び申し上げます。

2011年03月02日 9時00分

三岐鉄道三岐線のこと(9)「富田駅」があった頃。

写真は、昭和53年12月1日、私が「西藤原」から乗ってきた電車です。
(撮影は、「近鉄富田駅」)

ところで今、交通公社の時刻表「昭和53年10月号」を
見ながら書いています。
私が「富田」~「大矢知」間を乗った昭和53年12月頃、
その区間を走る電車は、「富田」発が2本で、
「富田」着は僅かというのも憚られるたった1本。
「富田」発は6:00、14:40。
「西藤原」発は17:30。

驚いたのは、正式駅名は間違いなく「富田」だったにも関わらず、
時刻表の駅名表記は何と「国鉄富田」。
「近鉄富田」との差別化と言うか、
利用者の利便を考えればその考え方はあながち間違いとは言えず、
“サービス”の観点からすれば当然の事なのでしょうが、
今一つ、釈然としません。

車内乗車券の「国鉄富田」は、先に書いた通り、
許される範囲と思うのですが、時刻表が正式名称を使用しないのは
やはり、引っかかるものがあります。
ところが“本当”に驚くのはまだまだこれからでした。

昭和53年当時の「富田」乗り入れ列車のあまりの本数の少なさに、
それではそれより以前はどれ位の本数があったのかを
調べることにしました。
すると、昭和49年7月号では「国鉄富田」と「近鉄富田」が
ちゃんと別駅として、それぞれの時刻が掲載されていたのですが、
何と、それ以前の時刻表の時刻は「富田」で一括り。
一体、「近鉄」「国鉄」のどっちに行って、どっちから出るのか
さっぱり分かりません。

それより、索引地図で「国鉄」と「近鉄」が分離されたのは
「近鉄連絡線」が開通してからどんだけ経ってるんだよ!と、
突っ込みたくなるほどの時期だったことが分かりました。

古い時刻表をお持ちの方、私の話しが本当とどうか
一度お確かめいただきたいと思っています。

2011年03月01日 17時57分

三岐鉄道三岐線のこと(8)「富田駅」があった頃の乗車券。

『三岐鉄道三岐線』の最後に、昭和53年当時の乗車券を…。
私の『三岐線』乗車録は、平成53年12月1日の
●「西藤原」発11:10⇒「近鉄富田」着11:56
●国鉄「富田」発14:40⇒「大谷知」着14:45
『近鉄連絡線』と『三岐線』の間の時間を利用して
「近鉄湯の山線」に乗っています。

左の車内乗車券で言えば、赤い矢印を入れておきましたが、
「国鉄富田」や「三岐朝明」が現役なのは特筆すべきことでしょうし、
それ以外にも、「大長」「大井田」は後に、
それぞれ「北勢中央公園口」「大安」に改称され、
一方、「宇賀渓口」のように「三里」に
駅名が戻っている場合もあります。
私が小学生の頃、夏休みに「宇賀渓」に遊びに行ったことがあり、
確かその時は「三里」から“バス”を使った記憶が残っています。

また、記憶が怪しいのですが、確か「三里」駅は住居兼用で、
ご主人が運転士さんで奥様が駅長をされており、
それで取材をさせて頂いたような覚えがあります。
※違っていたら御免なさい。

右側の乗車券ですが、改めて見て面白いと思った事が1つ。
赤い矢印の先ですが、『(関)富田』とあり、
これは「国鉄関西本線」の“関”であろうと察するのですが一方、
車内乗車券は『国鉄富田』です。
駅の正式名称は『富田』なので、
利用者に分かりやすくする工夫だったのかなぁと今は思っています。

2011年03月01日 9時04分

三岐鉄道三岐線のこと(7)富田駅。

写真は、JR「富田駅」で暫しの休憩をする
「伊勢治田駅」で交換した「ED453」と「ED454」です。

電車は、「近鉄富田」を発着していますが、
貨物列車は、当然の事ながら「近鉄富田駅」には向かわず、
貨物の連絡運輸のためJR「富田駅」に入ります。

昔(昭和45年)までは、「近鉄富田駅」への連絡線がなく、
三岐線の電車もこの国鉄「富田駅」を起点にしてことは
先に書いたとおりですが、今回、再訪して驚いたのは、
昭和60年にこの国鉄「富田駅」を発着していた電車が
無くなったにも係わらず、駅名標が残っていたことです。

機関車の左端にあるのがそれで、
そこには、次の停車駅として「大矢知」の名前があり、
つまり、このホームが紛れも無く『三岐鉄道』の駅であることを
証明しています。
また、JR「富田駅」の跨線橋からこのホームに下りる階段の入り口は
板が打ち付けられ閉鎖されていましたが、写真の右端にある、
ホームから繋がる階段の先に少し、水平の通路部分があるのですが、
そこには「宇賀渓・藤原岳へ 三岐鉄道」の文字が
今もはっきりと読み取れます。

何も知らない関西本線の列車の乗客がこのホームを見たら、
多分、今は貨物列車が止まっているけど
電車も走っているのだろうと思ってしまうでしょう。

この風景は正しく“昭和”を髣髴させました。

2011年02月28日 18時51分

三岐鉄道三岐線のこと(6)近鉄連絡線。

「三岐鉄道近鉄連絡線」(「三岐朝明信号所」~「近鉄富田」間
1.1キロ)を行く、三岐鉄道の電車です。

「連絡線」というだけあって、本来なら支線の扱いでしょうが、
旅客の電車ベースで考えれば「連絡線」を含めた「近鉄富田」~
「西藤原」が『本線(三岐線)』と思ってしまいそうですね。
で、正真正銘の『三岐線』は、「富田」~「西藤原」間26.5キロで、
写真の電車の右側にある、高架線から真ん中のJR関西本線に
寄り添うように下りてきている線路ですが、
今や「三岐朝明信号所」~「富田」間は貨物専用線となっています。
※昭和60年までは電車が走っていた・・・。

さて「近鉄連絡線」は昭和45年の開業で、
それまで、「三岐線」から「近鉄」への乗り換えは
結構な大仕事でした。(もう、覚えている人が少数派?)
私の親戚が、今は「北勢中央公園口駅」と名前を変えた
「大長駅」の近くにあり、その開業までは、
何と「近鉄富田駅」から、『三岐線』に寄り添うように走る
「三岐鉄道」の路線バスがあり、それを利用していました。
「近鉄富田駅」開業後は、そのバスをあまり使わなくなりましたし、
そもそも自家用車で行き来するようになり
その路線バスの存在すら今日まで思い出すことはありませんでした。

高架線を颯爽と行く黄色い電車にも様々な歴史があるのです。
と、今日だけは言いたい!

2011年02月28日 9時08分

三岐鉄道三岐線のこと(5)太平洋セメント藤原工場。

三岐鉄道の屋台骨を支えているものといえば、旅客もさることながら、
太平洋セメント藤原工場からの貨物であると言っても過言ではありません。

その工場は、『三岐線』東藤原駅の左右に見えるのですが、
特に、「富田」方面から「東藤原」方面に向かう際に、
進行方向右側に見える(写真の)貨車への積み出しヤード(?)は
なかなか興味深いものがあります。

たまたま、「伊勢治田」から「西藤原」に向う時に、
写真中央の高架橋に貨車が並んでいて、
如何にも「貨物の積み出し作業中」といった光景が見受けられたので、
戻りの「西藤原」発の電車からその光景を狙ってみたのですが、
残念ながら貨車は見当たりませんでした。

もしもこの線に乗る機会がありましたら、一度狙ってみても良いでしょう。
但し、一瞬の出来事です。
(写真テーマ⇒「鉄道」と「貨物」)

2011年02月27日 18時44分

三岐鉄道三岐線のこと(4)西藤原駅の展示車両。

「西藤原駅」には3両の車両が保存されています。
上段の写真がそれです。

先頭から、蒸気機関車「102号」。
2両目はディーゼル機関車「DB25号」。
3両目が電気機関車「502号(いぶき号)」です。

それぞれに歴史があり、その詳細を記した説明板が
各車両ごとにありますので、
是非、「西藤原駅」まで“電車”で来て、内容をご確認下さい。
でも、それではあまりにつれないので、各車ワンポイントのみ。

●「102号」…元々、ここ「三岐線」で働いていたが、
 その後、他社で活躍した後、『三岐鉄道』の「開業70周年」
 (平成13年)を機会に里帰り。
●「DB25号」…『三岐鉄道』で働いたことは無かったが、
 関連会社の名古屋の『三岐通運』で働いていたのが縁で、ここに来た。
●「502号」…中部国際空港の埋立土砂輸送のために
 三岐鉄道にやってきた。「いぶき」の名前は前任地ゆかり?

さてさて、3両の保存車両とゆっくりと対面した後、
私は「西藤原駅」発14:13、
「近鉄富田駅」14:57の乗客になりました。

と、ここまで書いていて、そう言えば「三岐線」の
現役電車の写真ってまだ出していないことに気付いたので
今回は2段積みの写真に後から思いついてしたのですが、
下段の写真は、「西藤原駅」に到着直前の、
折り返しで私が乗った電車です。(101+102)

2011年02月27日 8時08分

三岐鉄道三岐線のこと(3)西藤原駅。

「三岐鉄道三岐線」の終点、「西藤原駅」です。

終点といっても大きな町があるわけでもなく、
また、貨物列車の終点は2つ手前の「東藤原駅」で、
この駅の立地等で取り立てて何かということはありません。

さて私は13:36分に到着した電車を降り、
そのまま折り返さずに、一本遅い電車に乗ることにして
駅を探検しました。(大袈裟ですね。反省!)

実は平成15年10月19日にも私は車でこの駅に来ており、
ここ「西藤原駅」に展示してある車両群(と言っても3両ですが)や
「ウィステリア鉄道」が走る光景を楽しみ
(大人が一人で乗るのは憚られる・・・)、
その後、「三岐線」の「丹生川駅」に隣接する
『貨物鉄道博物館』に行っています。
ただ、その時は、何も考えずに写真を撮っており、
殆どの写真にUPで人が写っていたりでこのブログでは使えません。

この愛らしい駅舎もかって撮影した写真は使えず、
今回、資料用に撮影し直しました。
駅舎右側の緑色の蒸気機関車風建屋には「C11 1」、
左側のエンジ色というかオレンジ色の蒸気機関車風建屋には「WISTERIA EXPRESS」のヘッドマークが掛かっています。
どちらにも、本格的な前照灯と煙突がついており、
なかなかスタイリッシュな外観の駅だと思っています。

2011年02月26日 8時03分

三岐鉄道三岐線のこと(2)貨物列車が…。

「伊勢治田駅」に「ED453」と「ED454」の
重連が牽く貨物列車が入ってきました。
私がここ「伊勢治田駅」から「西藤原駅」に向かう
13:25発の列車と交換するためです。

この時、驚きの光景が眼前で繰り広げられました。
(単なる私の知識不足という説もありますが…)
「伊勢治田駅」は島式ホームで、ここで“電車同士”が行き違います。
“電車同士”と敢えて表現したのは、実は貨物列車は、
このホームの線路に入って来なかったのです。

その時、私は、しっかりとカメラ(コンデジですが…)を構え、
目の前にやって来るであろう貨物列車を待っていましたが、
その列車は目の前どころか遥か向こうの貨物線に入っていきました。
そして焦ってシャッターを押したのがこの一枚です。

「西藤原駅」から折り返して「近鉄富田」に戻る時に
この駅の線路の配置を確認したのですが、
どうやら旅客線の方が『従』で、貨物線が『主』のようでした。

私の常識では計り知れない「所変われば品変わる」の典型でした。

ところで、何故私は、この駅で貨物と交換することが分かったのでしょうか?
その答えは「踏切の警報音」。

先に「西藤原」方の踏切が鳴り出したのですが、
電車の時刻表では該当する電車が無いのは分かっていたので、
「これは貨物に違いない!」と思ったのです。
そこまでは良かったのですがねぇ・・・。

2011年02月25日 17時31分

三岐鉄道三岐線のこと(1)伊勢治田駅。

先週土曜日の三岐鉄道北勢線からの流れです。

「乗り鉄」で『「北勢線」を乗った後、
「三岐線」を乗るにはどうするのが合理的か?』と問われれば、
『阿下喜駅から三岐線伊勢治田駅まで“歩く”のが一番ですよ。』と
私を含め「乗り鉄」であれば10人中10人が答えるはず。
ということで「阿下喜駅」から徒歩20分で
写真の「伊勢治田(いせはった)駅」に到着です。

実はつい先日、「鉄」仲間の間で、
「北勢線」と「三岐線」の乗り継ぎの話しがでた事があり、
このルートを誰とも無く言い出し、
そこにいた全員が知っていたのはある種、驚きでした。

20年以上昔とは言え、取材で北勢町を隅々まで取材した私ならともかく、
「鉄」の方々の行動力には改めて『敬服』せざるを得ませんでした。
※「伊勢治田駅」のある場所は、員弁川を渡るのですが旧・北勢町にあります。

さてこの「伊勢治田駅」ですが、
「三岐鉄道三岐線」を乗った(撮影した)ことがない方には
少々説明が要るかもしれません。
この線は長い編成の貨物列車が往復しているだけあって、
交換可能駅の線路有効長は長く、また、「伊勢治田駅」の様に、
貨物の留置線を持つ駅もあったりで、
『私鉄』というよりは、一昔前の『国鉄』駅の雰囲気を
今も伝えていると思っていただいて、あながち間違いではないと思います。

●駅の真ん中の電気機関車は「デキ202・203」です。
●その後ろには「クハ1238・・・」が留置されていましたが、
「751系」の部品取り用でしょうか?



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!