2011年02月06日 9時03分

豊橋鉄道の「なのはな号」。

昨日(2月5日)、豊橋市へ行ってきました。
※「理由は追ってUPします」と勿体をつけても
この時期、豊橋に夕方行くということはもうバレバレですね。

それはさておき、集合時間が16:00だったので、
その前に、豊橋鉄道渥美線『新豊橋駅』発15:45の
元東京急行電鉄の7200系、ここ豊橋では1800系の
「なのはな号」を撮影!

実は、『新豊橋駅』を出て直ぐの所に写真の様な
ちょっとした“菜の花”畑が作られており、
ここでの“菜の花”と「なのはな号」の2ショットは、
地元では手近な撮影地として知られているそうです。
私も「豊橋」が詳しい方に聞いて行きました。

(撮影地詳細情報)
『新豊橋駅』から歩いて数分『柳生橋駅』方面に向かうと
右手に跨線橋があり、その階段を少し上った踊り場から撮影。
難点は、電車と花畑のスペースが少し広いため
「雰囲気」のある写真には纏まり辛いこと。
それでも私以外に1人の方が撮影されていました。

私としては電車の黄色と菜の花の色合いが相まって、
なかなか良い感じだったと思っており
時間のない方、手っ取り早く「なのはな号」を撮影したい方には
お勧めです。

勿論、更に先へ進めはもっと良い写真が撮影できるスポットはあります。

2010年10月28日 8時58分

リニモの“浮上”は実感できたか?

リニモの良さは、写真を見ていただいた通り、
パノラミックに広がる前方視界ですね。
●平成17年3月18日撮影。流石にまだ空いていた。

この時、乗車した藤が丘駅で、
日本初の浮上式鉄道を実感しようと敢えて深々と席に座り、
車体のどんな動きも逃すまいと全神経を集中させていました。

ここからは私の感想であり、本当の音や動きと
異なる場合もあります。ご容赦下さい。

1)浮かんだその瞬間は「ゴトっ」とした感触がありましたが
空中浮揚の揺らぎの様なものは感じませんでした。
2)走行中は、高規格軌道のロングレール以上に
静かで何の動揺もありませんでした。
3)停車時、路面に着地する訳ですが、思いの他、
しなやかにたおやかに「スッ」と定位置に下り
それでも少しだけ微妙な動揺を感じました。

他の乗客の方が、私の顔というかその一部始終を見ていたら
きっと恐ろしく緊張感ある表情をしていただろうと
推察されます。
まるで生まれて初めて飛行機に乗ったときの様だったのでは
ないでしょうか?

万博が始まり、大混雑のリニモに乗っていた時は
このような感触を楽しむような状況にはなく
一つ一つの動きが、リニモが発しているのか
大勢のお客さんが発しているのかは分かりませんでした。

ところでこの浮上式鉄道、
私はJR東海の超伝導リニア(実験線)には
抽選に外れまくったので乗ったことは無いのですが
実はイギリスで乗った経験があります。(続く)

2010年10月27日 18時27分

愛知万博で一番好きだったリニモの風景。

愛知万博に通っていた頃、
リニモのある風景で一番好きだったのが
モリゾー・ゴンドラをリニモがアンダークロスする
ところでした。
実のところ、カメラを持って愛知万博に行ったことは
殆どなく、それでもこの風景は記憶だけではなく
記録として残しておきたいと思い、敢えて挑戦した1枚です。
多分、沢山の方がこの風景をカメラに納めておられることと
思います。

しかもそのリニモは、“万博”の特別塗装車に限ります。
30分粘って来なかったら諦めようと心に決めていましたが
意外にも直ぐに来てくれてまずは一安心でした。

このリニモ100形、
2006年にはローレル賞を受賞したり、
その前年、2005年のグッドデザイン賞を受賞したりで
経歴は華やかでしたが、いつの間にかこの万博塗装車だけは
消えていきました。
そういう意味でも私にとって貴重な1枚になっています。

経営的に苦境に立つリニモですが、
今や殆ど乗る機会はありません。
私が愛知万博終了後にリニモに乗ったのはやはり仕事がらみ。
万博会場跡地に整備された
『愛・地球博記念公園(モリコロパーク)』で
中京テレビ主催のイベントが開催された時です。

開業時から、万博閉幕後の経営の困難さは取り沙汰されて
いましたが、何とか永らえてほしいと切に願っています。

2010年10月27日 9時00分

愛知万博の足はやっぱりリニモ。

平成17年(2005年)に開催された愛知万博。
名古屋で万博と言えばやっぱりこれですよね。
※もう5年も経ったことに思わぬ感慨あり。
総入場者数は約2200万人と、大阪や上海に比べるべくも
ありませんが、それでも相当に大きな数字です。

その入場者のうち、3割を超える人が
この愛知高速鉄道のリニモを利用したというデータがあり、
1編成の乗車定員244人という
鉄道としては小規模な輸送機関ではあったものの
相当頑張った結果を残しています。

このリニモに私が乗ったのは、万博が始まる少し前の
3月18日でした。
藤が丘発9:00
万博八草着9:17

私は愛知万博会場に仕事で何回か通っており、
この日も仕事で、打ち合わせの前に
「一乗り」した次第です。
万博開幕後も、ほぼ毎月、最低1回は出かけており
その往復の半分はリニモを使っていました。
※会社と万博会場を結ぶピストンバスもあり、
 残りはそれを利用。

当時、あまり知られていませんでしたが
この万博の様子は、毎日HPや携帯サイトで
動画配信されておりその関連業務を私はしていました。

実は、というのも変ですが、仕事で行っていた割には
パビリオンはあまり見ていません。
また、会場内の唯一の“鉄道”である『IMTS』も
結局乗らずじまいでした。

2010年07月23日 18時03分

鉄道の見える部屋Ⅳ アパホテル富山駅前

平成18年6月10日、
富山県富山市の『アパホテル富山駅前』の
部屋からの眺望です。

このブログで6月14日から掲載した
「関西電力黒部ルート見学会」の帰りに
平成18年4月29日に開業したばかりの
『富山ライトレール』に乗ろうとして宿泊しました。

このため、富山市の繁華街がありホテルも多い
富山駅の南側ではなく
富山ライトレールの起点である「富山駅北」のある、
富山駅北側にあるこのホテルを選びました。

で、泊まった部屋から『ポートラム』が見えたので
撮影したのがこの写真です。
※画面右下の米粒の様なものがポートラムです。
富山ライトレールに乗るために富山へ来た訳なので
ポートラムが見える部屋でラッキーでした。

2010年07月07日 18時53分

長良川鉄道に乗ろう!

長良川鉄道越美南線は、「北濃」駅が終点です。

本来なら福井県の越美北線と結ばれ
文字通り「越(越前)」と「美(美濃)」を
結ぶ「越美線」になるはずでした。

美濃白鳥と九頭竜湖を結んでいたバスも今はありません。

歴史に「もしも」はありませんが、
もしも繋がっていたら越美線は今、
どうなっていたのでしょうか?

福井県側はともかく、岐阜県側の「美濃太田」は
如何にも地の利が悪すぎる。
また、長大路線になっているがゆえに
小回りが利かなくなっているであろうから
その分、今以上に経営が厳しくなっていたのではと
思わざるを得ません。
(例えば広島~島根の三江線・木次線の現状と近い?)

とりあえず、郡上踊りは長良川鉄道に乗っていきましょう!
この北濃駅の風景がいつまでも見られますように。

2010年07月07日 8時26分

長良川鉄道 ふるさとの鉄道館

長良川鉄道の郡上八幡駅に「ふるさとの鉄道館」があります。

今回、長良川鉄道に乗車し、
郡上八幡駅で下車するまで
その存在を私は知りませんでした。

入場無料で、展示されているのは
旧国鉄の時代からこの越美南線で使われてきた
様々な機器や駅名看板、写真等です。
数百点はあると思われました。

車両の実機があるわけでもなく
小さな地味な展示館ですが
タブレット関係や発売する乗車券を入れていた箱など
昔懐かしいものが一杯でした。

入ってすぐ左側には台秤(だいばかり)があり、
国鉄時代に「チッキ」で荷物を送る時に
重さを量ってもらったのを懐かしく思い出しました。
※チッキ…乗車券を持っていれば、その区間内で
 手荷物の駅留めとして『荷物』を送ることができた。
 私の使い方は、今のように宅配便が出来る前、
 旅行中に使わなくなった荷物や、帰省時の荷物を
 送った。
 通常は、各地から東海道線の熱田駅留め。
 但し、駅までと駅からの荷物の運搬に難渋した。

昭和世代にとっては懐かしい、
平成世代には珍しいものばかり。
「乗り鉄」も一度乗ったら“おしまい”に
しないほうが良さそうですね。新しい発見があります。

2010年07月06日 18時03分

長良川鉄道 車体に花が咲いています

長良川鉄道の車両には花が咲いています。

写真の「アジサイ」はナガラ303ですが
他の車両にも様々な花が咲いています。

「アジサイ」は美濃加茂市の花なので
多分、他の花も沿線の市町村(平成の大合併前)の
花と思われます。
(「Wikipedia」で各市町村の『花』を検索しました)

私は花について詳しくないので
迂闊なことは書けませんが、
例えば私が乗車したナガラ307の花は
「Wikipedia」に旧・白鳥町の花は
「エゾリンドウ」とあり、更にその花を検索したところ
ナガラ307の花は「エゾリンドウ」であることは
間違いなさそうでした。
多分、他の車両の花も同様と思われます。
※長良川鉄道に問い合わせれば済む話ではありますが…。

車体がえんじ色なので、本来なら合わないのかも知れませんが
意外とマッチしていました。
他の鉄道でこうした沿線市町村の「花」を描いた車両を
私は知りませんが、地元志向という意味で
素晴らしいアイデアと思いました。

2010年07月06日 9時03分

長良川鉄道 車体広告募集中

長良川鉄道では、車体広告を募集中です。

それは長良川鉄道のHPで知っていたのですが
その募集をラッピングした車両があったのには
少々驚きました。
ずばり「ラッピング広告募集中」の文字広告は
なんとも大胆な発想です。

現在、ラッピング車両は1両のみ(ナガラ306)で
地元の『八幡信用金庫』がスポンサーです。
但し、その広告の内容は
「私たちは長良川鉄道を応援します」で、
企業PRというよりは
『地元企業として長良川鉄道を支援』する側面の
意味合いが大きそうです。

但し、これに続くスポンサーは出ていないとのことで
ここにも沿線の商圏が小さく、大きな企業も少ない
長良川鉄道の苦境は見て取れます。

「ここまでやるか」と思うのか
「やれることは全てやっている」と思うのかは
それぞれの受け止め方ですが
私は素直に長良川鉄道を応援したいと思いました。

地元の普段使いが減っている状況の中で
観光客や私のような「鉄」が乗る程度で
経営が改善するとは殆ど考えられませんが
せめてローカル線収入の“足し”にはなりたいと思う
今日この頃です。

2010年07月05日 18時15分

長良川鉄道 タブレット

長良川鉄道の美濃白鳥~北濃間は
1列車しか進入しないスタフ閉塞式ですが
写真中央のタブレットをスタフとして
使用しているようでした。

美濃白鳥で駅員さんからタブレットを受け取った
運転士さんはこの位置にササっと置いたので
多分、定位置があるのだと思われます。

そして北濃から美濃白鳥に戻ると
今度は運転士さんが駅員さんにタブレットを渡しており、
その姿を見ていると、タブレット閉塞式全盛の時代を
思わず思いだし、目頭が熱くなるとまではいきませんでしたが
それでもちょっと…、胸がほんわかとしました。

とはいうもののそんな郷愁に浸っていることはできません。
何せ、北濃駅で下車したのも乗車したのも私一人!
そもそも延長予定があったとはいえ、
乗降客数は国鉄時代も似たり寄ったり。
(更に減っているかも)
驚いたのは、北濃駅の前に「岐阜バス」のバス停が
あったのですが、本数が減っている?
(気のせいではない…と思う)
高速道路が開通して、道路事情が改善されると
公共交通が衰退する悲しい現実。
日本という国はいつまでこれを繰り返しのでしょうか?



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!