本命の撮影は終わりましたが、この後30形が新浜松から折り返してくる電車に乗り込み音を楽しむ予定だったため、その出発時間までもう少しこの場で粘ることにしました。
などと私が主語で書いていますが、本当のところは「撮り鉄初心者」で「乗り鉄」である私の為に、同行者が「乗り」も組み入れた完璧なスケジュールを立ててくれていたのです。
まずはさぎの宮発11:02の西鹿島行き。
後追いで一枚。青空が気持ち良いですね。
横位置。さぎの宮11:06発の新浜松行き。
この場所での〆はさぎの宮11:18発の新浜松行き。たまにはこんなのもありかな?という1枚。
吊り掛け電車の30形はさぎの宮発11:26。
モーターのある30形(25)ではなく、モーターのない30形(85)に乗車。何でかと言えば、25が混んでいたから。85はそれに比べ空いており、ほんの少し遠いところで唸りを上げるモーター音を楽しみました。
西鹿島到着。同じホームの向こうに電車が止まっている終着駅の風景。
この日の最終的な目的は大井川鐡道のビール列車。ここ数年、毎年呑み(乗りではありません)に出掛けているのですが、ただそれだけでは勿体ないので、浜松工場の「新幹線なるほど発見デー」とスケジュールがあった年はそこに出掛けてからであったり、そうでない年は天竜浜名湖鉄道の「転車台・鉄道歴史館見学ツアー」に参加したりした後、集合場所の新金谷に向かっていました、
で、今年は同じく参加する鉄友さんに「前半戦はどうします?」と『同行したい』という下心ありありで聞いたら、「遠州鉄道で30形を撮って、大井川でジェームス・川根路を撮影の予定です。ご一緒しませんか?」とのありがたいお言葉。二つ返事でありがたく連れて行ってもらえることになりました。
ということで10:38に「さぎの宮駅」で下車。定番のお立ち台でまずはさぎの宮10:42発進浜松行きで肩慣らし。
続いて新浜松駅で見かけた30形を撮影。定期列車ではなく回送でしたが、単線で12分間隔なのに更にこんな電車が走れるなんてある意味、凄い。
さて先に「30形を撮影」と書きましたが、狙いの30形はこれではありません。
10:54過ぎ、新浜松に向かう本命の30形の編成/モハ25+クハ85が登場。この電車の運転は遠州鉄道の公式ウェブサイトでも鉄道ファン向けにわざわざ紹介されるほどで、この日の多くの鉄道ファンがこの地にやってきていました。
この電車は、モーターから車輪に動力を伝える方式が吊り掛け駆動という昭和の時代は当たり前に見られたものの、今は本当に数少なくなったタイプの電車で、外見よりは、車内に響くその豪快なモーター音が人気です。
浜松駅に10:07着。青春18きっぷではなく、マナカで乗ってきた残念な私。
313系R101編成とはここでお別れ。
遠州鉄道の新浜松駅は徒歩数分。この日は何かイベントはあるようで、その準備が行われている中を歩きます。
「あかでん1日フリーきっぷ」(1000円)を買って早速ホームへ。
おっ、30形(モハ51+九派1)が停車中。何と幸先の良いことよ。しかしその電車には乗らず2000形2001編成の新浜松10:24発西鹿島行きに乗車。
遠州鉄道は全線単線にも関わらず何と12分間隔。頻繁に対向列車と行き違います。八幡駅でも交換。
遠州鉄道は、昭和51(1976)年6月2日と昭和61(1986)年10月5日の2回乗っていますが、その違いは高架化前と後です。自動車学校前駅で高架を降り、私の知る風景が戻ってきました。
※昭和61年は曳馬までしか乗っていません。
それよりお恥ずかしい話しですが、助信駅~上島駅間が高架になったのを知りませんでした。鉄道誌をちゃんと読んでいないことが露呈しました。
12月17日(木)、豊川市の日本車輌製造で作られた台湾鉄路管理局プユマ号(普悠瑪列車)の甲種輸送列車が豊川~豊橋~笠寺~東港(名古屋臨海鉄道)~名電築港~東名古屋港(名古屋鉄道)といういつものルートで運転されました。いやっ、運転されるはずでした。
本当は東海道本線のどこかで1枚狙ってからここ東名古屋港辺りで狙いたかったのですが、時間の都合でそれは出来ず、少々お手軽ではあるものの最初からここで待つことにしました。
準備万端整えた後、列車は15:20頃に現われるはずだったのですが…。15:00頃に同じ列車の撮影に来ていた方から「笠寺駅で名古屋臨海鉄道の機関車不調で抑止となっており、今日はここを通りませんよ」と教えられ愕然。
開業50周年のヘッドマークも輝かしいND5527を先頭にプユマ号は静かにそこにいました。
動かないならそれは致し方ないので、出来る範囲で撮影。
EF66 124との2ショット。
この定番での場所での撮影はここで打ち切り。東港駅から救援の機関車が来るということも無さそうで、いつ動くかもしれない列車を見守るのは諦め、ホームから少し撮影し、家路につくことにしました。
※プユマ号は確か2年前の製造・輸出で終わりと聞いていたのですが、大幅な円安もあって2編成の追加増備が決まり、14日の月曜日に1編成目の甲種輸送、そしてこの日が正真正銘の最後の最後の甲種輸送でした。14日は極めて順調にことが進んだと聞きました。
お酒を買うために持っていった大き目のデイパックに2本のお酒を詰め込み16:45発の恵那行きに乗車。
恵那発明智行き。
そして私たちが乗る恵那行きはここで交換です。
往路ではゆっくり見られなかった極楽駅の「幸せ地蔵」。何度か見ていますが、可愛くかつ穏やかな表情は名前の通り、見ているだけでも幸せな気分になれます。
明知鉄道名物「つり革広告」。単に広告だけではなくメッセージもOKです。料金は1年間で5000円。
女性タレントさんの「彼氏大募集中」のメッセージの宛先は事務所の住所が書かれており、テレビ番組の企画かな?とか思いつつ、でも親しみが湧きます。一応個人が特定されそうな所は似顔絵を含めマスキングをしておきました。(笑)
恵那駅17:13着。
明知鉄道30周年記念イベントに参加した人たちもこの電車でお帰りかな?
大正村で散歩していた方と合流し、岩村駅で下車。
古い城下町の街並みを通り抜け造り酒屋の岩村醸造へ。
店内では湧水が出迎えてくれます。
ところでこの岩村醸造のウェブサイトのアドレスは「http://www.torokko.co.jp/」。そうなのです“トロッコ”!
店内にはかつて米や酒などの運搬に使われたトロッコの線路が今も残されており、それを辿って行く酒蔵への見学ルートがあります。
お店の方に撮影とブログでの掲載の了解を得てパチリ。
何だか不思議探検隊気分。
ここが見学ルートの終点。線路はもう少し先まで続いているようでした。
※私が大変お世話になった方(故人)が、かつて岩村・恵那方面によく出かけており、その度に日本酒好きな私のためにここ岩村醸造の酒を買ってきてくれました。私には思い出の多い酒でもあります。
さて明智からの戻りです。
伊原組5名の内、一人は初大正村とのことで散歩にでかけ、4名は明智駅13:59発の列車で花白温泉に向かうことに。そして全員が再度、岩村で合流することにしました。
山岡駅には廃車となったアケチ1形がいます。
あれっ?前に見た時よりきれいになっている気がする。
14:14に花白温泉。
入浴前に14:27発の明智行きをパチリ。大量の薪は温泉の加温用とのこと。
駅の目の前には何故か大釜。誰か中に入れて撮影するのも面白そうですが、但し、私はお勧めしません。現地でこの釜を見ると納得していただけると思います。
花白温泉15:31発に乗車。
花白温泉は小規模な温泉で、温泉の湯船も一つ。私たちには一列車分の間隔である1時間ほどの滞在で丁度良い感じでした。
急行大正ロマン号+開業30周年+食堂車のプレート。
明知鉄道のゆるキャラ「てつじぃ」が良いアクセントになっています。
仕事を終えた車両たちが車庫に戻っていきました。明知鉄道の現有車両6両の内、何と4両を使った贅沢な旅が終わりです。
明知鉄道明智駅。仕事でも何度か来ているし、プライベートでもこれで4回目。もはや私のホームタウンです。
明知鉄道が作っている寒天飲料「クールスカイ」。紫蘇入りをチョイス。
余談ですが「クールスカイ」は清涼飲料,果実飲料,飲料用野菜ジュースの分類で商標登録されている本気の商品です。
ところで現在、明知鉄道では「明知鉄道かかし(案山子)コンテスト」を開催中。山岡駅近くの沿線にずらりと並んだかかしの中から、これはと言うものを選び審査用紙に記入して投票すると、抽選で記念品がもらえます。(乗客が審査員です)
そうそう、投票の多かった作品を作った方は勿論表彰されます。(私も投票してきました)