2011年02月25日 8時09分

キュランダ高原列車(7)原生林地帯を走る。

米粒位にしか見えませんが、
『熱帯雨林』のど真ん中から機関車が少しだけ顔を出しています。
残念ながらこのような写真は、ロープウェイの中から以外では
撮影できないと思われます。
ただ広い絵にするとご覧のように“ケーブル”が写ってしまうのが
少々難ありですが、これも雰囲気と言って良いでしょう。

そして、この緑の中に「キュランダ」の町があり、
自然探索を堪能できる施設が幾つかあるほか、
所謂観光地のお土産屋さんも多く、街歩きも本当に楽しいところでした。
※「鉄」だけで行くのは勿体無いです。

さて、この写真が本当に偶然の産物ということが
分かっていただけたかと思いますが、
ヘトヘトの体調で、自分の楽しみより家族に貢献することだけを考えて
行動していたケアンズです。
「これ位のご褒美があっても良かろう」と
家族に知られないように一人、ほくそ笑んでいました。

とその時、
家族から「列車が見えて、しかも撮影できて良かったね」の一言が…、
などあるはずもなく、
このビデオの音声(二人の子供の会話)は、
とても皆様にお聞かせするわけにはいかない内容で、
家族持ちの「鉄」の方ならこの話しは共感していただけると信じています。

オーストラリアの鉄道話しは今回で終了です。
次回は、メルボルンのトラムに乗ってみたい!

2011年02月24日 18時47分

キュランダ高原列車(6)キュランダ駅出発。

今日の写真は、「キュランダ駅」を出発直後の
「ケアンズ」に向かう『キュランダ高原列車』です。
「駅長!ちゃんと撮っているじゃないですか」というコメントは
当てはまりません。これもビデオからの抜きです。
雰囲気のある駅舎がここに写っていないのがとても残念ですが、
撮影ポイントの関係で致し方ありません。

現在、「ケアンズ」から「キュランダ」に向かう列車の出発時刻は
8:30と9:30の2本。
一方、「キュランダ」から「ケアンズ」へは、
14:00と15:30に出発です。
手元に残っている資料を見てみると、
平成14年当時も同じ時刻での運転で、
写っている列車は15:30発の列車です。

さて、この映像の種明かしですが、
「キュランダ駅」の直ぐ隣の場所から、
『熱帯雨林』の中を移動していく、
当時、世界最長と謂われた
ロープウェイ(「ゴンドラ」の方がイメージに近い)が出ており、
その中から撮影したものです。

「キュランダ観光」では、行きが列車、
帰りがロープウェイ(もしくは逆順)が一つのルートになっており、
ただロープウェイは大人気(列車以上に)のため予約制で、
たまたま『15:30乗車予定』を私たちが予約しており、
写真のような偶然が生まれました。
※列車の帰りの時刻は全く気にしていませんでした。
何故ならロープウェイから線路が見えるとは思っていなかったからです。
まして、観光列車のダイヤが正確とは思えませんし…。

2011年02月24日 8時04分

キュランダ高原列車(5)キュランダ駅入線。

ついこの2月、超大型台風がケアンズを襲い、
日本でも報道されていましたが、被害の状況はどうだったのでしょう?
ところでこの鉄道も内陸の鉱山が雨と洪水で孤立し、
飢餓で苦しめられたのがきっかけに建設が決まった経緯があります。

実際に乗ってみればわかるのですが、
“たった”というのは憚られますが、
33キロが10年がかりというのも納得できます。
そして1891年6月15日、
「ケアンズ」~「キュランダ」間の鉄道は開通し、
1915年に現在のこの列車の終点となる「キュランダ駅」も開業しました。

写真は「キュランダ駅」の腕木式信号機で、
今回、たまたまビデオに写っているのを発見し、UPしました。
ビデオを見る限り、他の信号施設は見当たらなかったので、
平成14年当時、この腕木式信号機が現役だったことは
ほぼ間違いないと思います。

それにしても、駅への入線をビデオ撮影し、
なおかつパッと目に入った“腕木式信号機”に無意識に反応して
カメラを振り上げているところなぞ、
自分でいうのを何ですが『根っからの“鉄”』なんですね、私って。
(自画自賛をお許し下さい)

・・・写真が無いのにいろいろ書くのも何ですが、
「キュランダ駅」は、熱帯雨林の真っただ中にある
トロピカルな雰囲気の木造駅舎で、
日本なら「登録有形文化財(建造物)」となることは間違いなしでしょう。

2011年02月22日 8時09分

キュランダ高原列車(3)断崖絶壁を走る。

さて、ここからの掲載写真は所謂『写真』ではなく、
家庭用ビデオからの抜き(静止画)で、まずは山の絶壁を列車が走り、
橋を渡っていく素晴らしい風景です。

今回の旅は家族旅行で、しかもまだ子供たちが小さかった事もあり、
お父さん(私)はご多分に漏れず、ビデオを回しっぱなしで、
鉄道の写った写真は殆どありません。
でもビデオですとカメラをあちこち振っているので、
家族の写っていない瞬間もこうしてあるのです。
「ケアンズ駅」の写真が無いのも、
実は終点の「キュランダ駅」の写真が無いのも、全てそれが理由です。

そんな個人的なしょうもない話しはさておき、
「キュランダ高原列車」の車内では、平成14年当時でも、
乗客にこの「鉄道」の歴史を記したパンフレット(勿論、日本語です)が
配られていました。
今回、このブログもその冊子を参考資料として使用していますが、
そのタイトルが
「ケアンズ―クランダ鉄道 1882-1891 開拓工事の歴史」となっており、
“キュランダ”が“クランダ”なのはご愛嬌として、
わざわざその建設の歴史の冊子を配布するほどの工事であったことは
間違いないようです。

また、冊子のタイトル中に『1882-1891』とあるように、
33キロの建設に10年の歳月がかかっており、15のトンネル、
93のカーブ、そして(難工事であったことが容易に想像できる)
写真のような橋梁が多数あったと書いてありました。

2011年02月21日 18時37分

キュランダ高原列車(2)絶景ポイント。

列車は、「ケアンズ駅」から「キュランダ駅」までの約33キロを、
1時間45分で結んでいます。
最初の内は、オーストラリアの平原をゆったり走っていますが、
フレッシュウォーター駅を過ぎて暫くすると徐々に勾配が始まり、
海抜ゼロレベルから、標高328メートルまで上がって行く、
文字通り「高原列車の旅」がその“正体”を現します。
敢えて仰々しい物言いですが、坂をゆっくり上っていく時、
眼下に広がる風景(この写真です)は
はっきり言って絶景だと私は思っています。
肥薩線か篠ノ井線の峠越えの風景とちょっと似ていて、、
でもスケール感が大陸的でこちらの方が大きいというか
雄大な感じがします。
※「キュランダ行き」の列車では、進行方向右側に見えます。

でも一方で、「鉄」の方ならこの風景からこの線の工事が
如何ばかりだったかは察しが付くはず。
これだけの絶景を臨める路線が、1891年(明治24年)、
日本でいえば日本鉄道の上野~青森間が全通した年の開業で、
当然のことながら工事はなかなか進まず
苦労に苦労を重ねてやっとこさで開業に漕ぎ着けたとのこと。
美しい風景が楽しめる陰には、
先人たちの血と汗と涙があったことを知ったからこそ“正体”などと
言ってみたくなったのです。

2011年02月21日 9時01分

キュランダ高原列車(1)ケアンズ駅

オーストラリア編の最終章です。(今更ですがお許しを)
平成14年1月3日、オーストラリアの東北部ケアンズを起点とする
「キュランダ高原列車」(Kuranda Scenic Railway)に乗車しました。
(写真は、ケアンズ駅)

この写真、私が撮影したものではなく、
平成20年に放送した番組で撮影したVTRから起こしたものです。
そのため、写真右下に○に「c」が入った著作権表示を入れてあります。

話しを戻して、平成14年当時、
私は「ズームイン!!SUPER」と「ズームイン!!サタデー」という
月~土で早朝番組を担当しており、
毎朝3時起きで、会社を出るのは毎日午後8時頃と言う、
コンビニの様な生活をしていました。
年末年始も“休止”は1月2日、3日のみで、
家族とどこかへ旅行しようにも難しい状況でした。
ところがこの年、珍しく日本テレビが
「年明けは楽(らく)してください」となり、
中京テレビの初中継日が1月7日(月)となったのです。

ということでオーストラリアはケアンズへ!
元旦「新春特番」の生放送を終え、家に帰ったのが午後2時過ぎ、
それから準備をして名古屋空港へ。
死に物狂いでやっと乗った夜行便の飛行機の席では爆睡。

でも、この「キュランダ高原列車」に乗ったのは、
私が「鉄」だからではなく、『ケアンズ観光』の目玉の一つだったから。
では私が撮影したケアンズ駅に停車中の列車の写真がないのは何故?
それはまた、回を改めて。

2011年01月17日 8時00分

「ZIGZAG(ジグザグ)」駅はワンダーランド(3)電車は止まるか?

雪が降り続いています。
名古屋は雪国と化しています。
今日は、『冬の釧路』対応防寒具で出社します。何だかなあ。

さて、画面の1/3を覆い隠しているのが
「フラッグストップ」用の緑色の円盤です。

この時、私は左手に円盤を持ち、必死になって振り続け、
右手でカメラを構え、チャンスを狙ってシャッターを押しました。
それも「ジグザグレイルウェイ」の機関庫を見学中の
観光客の皆さんから「頑張れ!」(だと思うのですが)という
熱い声援を受けながら…。
正直、この注目はチト恥ずかしかったです。

ところが先頭車は思いの他速いスピードで通り過ぎ、
一瞬、私の脳裏に最悪の事態がよぎりましたが杞憂に終わり、
無事、最後尾の後ろのドアが私の目の前に止まりました。
※写真でも確認できますが、ここはカーブで視認性に難あり。
電車に乗ってから外を見たら観光客の方で
最後まで見届けてくれた方が手を振ってくれていました。

かくして楽しい楽しい「ジグザグレイルウェイ」の旅は終了。
私にとっては、
1)「リクエストストップ」の体験
2)オールドタイマーの気動車への乗車
3)腕木式信号機の操作
4)絶景!満喫
5)フラッグストップ体験
と、何とも盛り沢山な一日でした。

ところで『「ジグザグレイルウェイ」で、
SLではなくディーゼルカーに乗ったのは何故ですか?』と
友人から聞かれました。
答えは「ヴィンテージ・ディーゼルカー」が十分魅力的に
思えたのと、「SL」運行日よりも「ディーゼル」運行日の方が
乗客も少ないだろうから、
ゆったりこの鉄道を楽しめるのではないかと思ったからです。

さて「乗り鉄」は基本『乗るだけ』というスタンスですが
普段出来ない体験へのチャレンジは別です。
“運転体験”ではない何がしかの“体験”付き『乗り鉄』先は
無いものかと今、真剣に思っております。(笑)

2011年01月16日 17時28分

「ZIGZAG(ジグザグ)駅」はワンダーランド(2)フラッグストップ。

今日は雪。午後3時頃一旦止む予報でしたが
結局降り続いています。
「撮り鉄」の方はさぞかし忙しい一日を過ごされたのでは
ないでしょうか。一方、私は冬眠です。

さてジグザグ駅のホームには
柄の付いた『緑色の円盤』が置かれています。
何のためにあるかと言えば、実は電車を止めるためのモノ。

鉄道の世界で「フラッグストップ」と言えば、
アメリカ等の国で、線路際に立って“旗”を振れば、
駅でなくても「列車が停車し乗車」出来ることで知られていますが
ここ「ジグザグ」は、駅であるにも係わらず、
駅に立っているだけでは電車は止まってくれません。
“旗”ならぬこの柄の付いた『緑色の円盤』を振り
電車の運転士がそれを確認できた時だけ、電車が止まります。

ではどうやって『円盤』を振るのかと言うと
駅に「STOPPNIG OF TRAINS」という看板があり、
そこに詳しく書かれていますが、要は、運転士に分かるように
一生懸命この“やけに重い”円盤を振れ!ということです。
※また、「夜」になれば「夜」の電車の止め方があります。

では、電車を降りる時は?ということですが
まず、シドニー・セントラル駅で「ジグザグ」までの
乗車券を購入した際、駅員さんから『一番後ろの車両に乗り
車掌さんに「ジグザグで下車」を伝えなさい』と言われ、
電車に乗車して直ぐに車掌さんに申し出ました。
すると車掌さんは「一番後ろのドア(だけ)を開けるので
そこから下車」と教えられました。

駅員さんの言葉は「リクエスト・ストップ」の注意点で
車掌さんの言葉は「短すぎるホーム」への注意でした。
ようするに、「ジグザグ駅」はまるで路線バスが如く
下車客がおらず、乗客がいなければ通り過ぎてしてしまう
「リクエスト(要望すれば)ストップ(止まる)」駅だったのです。
私が何もアクションを起こしていなければ…、
結果は「火を見るより明らか」ということです。

2011年01月15日 17時30分

「ZIGZAG(ジグザグ)駅」はワンダーランド(1)短すぎるホーム。

「ジグザグレイルウェイ」を乗り終え、帰途につくことに。
ということで「ジグザグ駅」まで戻ってきました。

写真の左側に写っている「倉庫」みたいな建物は
「ジグザグレイルウェイ」の機関庫で、
右側が…、「えっ!線路しかない?」ということは無く、
写真中央の線路の右側に「何かあるの?」位にしか見えない所が
「ジグザグ駅」です。
車両1両分どころか半分もない無人駅です。
※手前の線路が「リスゴー」方面で、
 向こう側が「シドニー」方面となっています。

1月9日にUPしたこの駅の写真ですが、
実はホームの端から撮影しており、
改めてご覧頂ければ「短いホーム」を実感できます。
※この写真にもその「リスゴー」方面行きのホームも
 写ってはいるのですが確認できないくらい存在感無し!

まるで昭和40年代、関西本線にSLを撮影に行った時に下車した
「中在家信号所」(加太~柘植間、駅では無い)みたいでした。

(参考)
この駅の標高は998メートルで、JR駅の標高ベスト10なら
多分、十分に射程圏内ではないでしょうか?
シドニーからここまでの間、電車は右へ左へカーブの連続で
長大編成を誇る「インディアン・パシフィック号」や
貨物列車を空から見れば、地を這っていく大蛇のように
見えること間違い無しです。

2011年01月14日 9時05分

ZIGZAG RAILWAY(11)保線用車両。

線路保守用車両は、トヨタのトラックの改造車でした。
(こういう車両は「軌陸車」という呼び方だったかな?)
車種はトヨタ・ダイナ。ヘッドライトが角型の4灯であることから
5代目ダイナで、1980年代の後半から90年代前半の
製造と思われます。(「Wikipedia」を参考にしています)

車としてのナンバープレートがついていることから、
軌道専用ではなく道路も走ることが出来ますが
実際に道路を走っているかどうかは不明です。

この車、私の乗車した「クラレンス」発の列車の
「ボトムポインツ」到着後、
乗客が機関庫の見学に向けて歩いていたら、
徐(おもむろ)に機関庫の側線から動き出し、
我々を少々驚かせました。
それにしても、どういう必然性があって出発したかまでは
分かりませんでした。
(この後も一往復半、列車は走るわけですし…)

こういう保線用車両が動いている姿は、日本の本線なら大抵は、
深夜であり、日中にお目にかかるのは「ドクターイエロー」位?
それにしても前輪がとても可愛いですね。

日本の同様の車両ってどんなだったっけ?とは思ったものの
殆ど記憶の蚊帳の外。
というか、このブログをやっていなければ興味の対象外で
あったでしょう。(写真は撮ったでしょうが…)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!