2010年12月02日 8時42分

シドニー路面電車博物館(11)操車塔

11月13日(土)に、函館市電の「操車塔」の話しを
書いていたので、この博物館の「操車塔」の話しを。

実のところ、この「操車塔」の存在に、
入館時は気付いていませんでした。

ほぼ博物館内を見終えた頃、
木造の独立した建物に“人がいる”みたいだけど
「何をしているのだろう」と見てみたら
レバーらしきものが見えたので「操車塔」だと
確信した次第です。
※『人』は多分、人形です。動いていませんでした。

「シドニー路面電車博物館」の公式HPで確認したところ
この『tramway signal box』についての記述がありました。
●「操車塔」は日本の言い方で、オーストラリア(海外)では
 『tramway signal box』=『信号所』と言うみたいです。

HPの文章を引用するとこの「操車塔」は、
『…which stood at the corner of Elizabeth and Liverpool Streets in Sydney』と書いてありましたから、
シドニーの「エリザベス通」と「リバプール通」との交差点に
あったようです。
そしてその「操車塔」をこの博物館に移築・復元したそうです。

「操車塔」を発見して喜ぶ自分を顧みるにつけ、
『路面電車』というか『鉄道』を趣味に持つ人は
「世界共通」の“価値観”で結ばれているといったら
誇大表現というか言い過ぎでしょうか?

2010年12月01日 17時39分

シドニー路面電車博物館(10)顔出し看板

平成22年9月15日(水)14:20、
恥ずかしながら、普段はどんなことがあっても
絶対にチャンレジしない「顔出し看板」でパチリ。
※こういう造形物を私は「顔出し看板」と言っています。
 多分、意味は伝わるとは思いますが
 正式には何て言うのでしょう?
 『Wikipedia』で調べても出てきませんでした。
※また、これは「顔出し看板」にしては
 顔以外が“出過ぎ”などとの突っ込みもご容赦下さい。
 私は許される範囲と思っています。悪しからず。

小さな子供たちの見学も多いとは聞いていましたが
こういうものがあるとは驚き。
この博物館にいつからあるのかは分かりませんが
顔出し看板はきっと人気者なのでしょう。
日本の“文化”かと思っていましたが
そう言えば以前、タイかどこかでも見かけたことがあります。
「顔出し看板」が日本発の“文化”だったら楽しいですね。

そんな事はともかく、写真で私の左手が握っているマスコンが
確認できますでしょうか?
更に言うと、右手はブレーキレバーを握っています。

結構本式なんですね。
皆さんも「シドニー路面電車」博物館に行かれたら
是非、“恥ずかしさ”をモノともせず挑戦してください。
※8月26日にUPした「豊橋鉄道」の車庫で撮影した
 写真に、看板がくっついた感じですね。
 豊橋鉄道でもこんな「顔出し看板」があったら
 “楽しかろう”にと思わず思ってしまいました。

2010年12月01日 8時29分

シドニー路面電車博物館(9)長崎電軌の車両発見

この博物館に“いる”とは聞いていましたが、
旧・長崎電気軌道「1054号」です。

この電車のあらましですが、昭和27年製で
元々は仙台市電「モハ121号」としてデビューし、
その後、昭和51年に仙台市電が廃止されると
台車を履き替え(1067ミリ⇒1435ミリ)て
長崎までやってきました。

その後、平成2年に廃車になり、
平成4年にここシドニーの地に安住の地を見つけました。
なお、お輿入れの際、この博物館の規格に合わせ
ポール集電に改修されています。
とはいうものの、元々はポール集電だったので
元に戻ったということでしょうか?

私は仙台市電の現役時代には間に合っていませんが
長崎電軌は、昭和54年5月24日に全線を乗っています。
ひょっとして“1050形”(万が一にも1054号)の
「現役時代」の写真があるのではと思ったものの
残念ながらの結果でした。
というよりもそもそも長崎電軌の写真が
殆ど発掘できませんでした。

ということで、長崎でひょっとしたら出会っていたかもしれない
「1054号」に別れを告げ、この展示館を後にしました。

2010年11月30日 9時07分

シドニー路面電車博物館(8)屋内展示

こちらは「宝の山」、屋内展示です。

真ん中に鎮座しているのは
シドニー市電の最初の“電車”「Cクラス」で
1896年から1926年まで使用されたとのこと。
この「249号」は、その初年度の正に1896年製で
それにしても『1926年』には運用が終わった電車に
こうして博物館でお目にかかれるのは“奇跡”に近いですね。

『1926年』と言えば、大正15年と言うか昭和元年ですよ。
これを“奇跡”と呼ばずして何と呼びましょう。
芸術としての絵画や彫刻、はたまた歴史遺産としての建造物等
当時すでに「保存」が認識されていたものならともかく、
鉄道車両で、そんなことが声高に語られていたとは
とても思えない時代です。

ところでこの博物館の収蔵車両は、
地元シドニーに限られておらず
先に掲出の「249号」のようなメルボルン市電のほか
ブリスベンの市電もありますし、
中には国外のドイツ/ミュンヘンから来た車両もあります。

一方、珍しいのものでは刑務所の犯罪者護送用車両もあり、
“じっくり見始める”と時間がいくらあっても
足りることはありません。
※25日(木)に見学時間は2時間程度でも大丈夫と
 書きましたが、探究心を持って一両ごとに検証を
 始めたら時間は全く足りません。ご了承ください。
※車両以外にも、資料・写真の展示もあり。

2010年11月29日 8時53分

シドニー路面電車博物館(7)動態保存

博物館を出発して約4分、
距離にして0.75キロを走り抜け、
2路線合わせて3.25キロを“完乗”しました。

どうですか?この写真。
トラムの手前の線路が土に埋もれており
如何にも「この先は無いぞ」という感じが
私は気に入りました。
まあ、線路端のギリギリに車両を止める事は
日本でもよくあることなので驚くことではありませんが
流石に「土に埋もれている」線路は???
●この場所は「SUTHERLAND TRAM TERMINUS」と言います。
※路線距離は先の「249号」の路線を含め
 このトラムの車掌さんに聞きました。
 (紙に書いてもらいました)

ところでトラムの運転区間の距離の話しですが
この博物館のパンフレットには、
こちらの路線の距離は書いてないのですが
先の路線の距離は「2キロ」と書いてありました。
因みに『シドニー路面電車博物館(2)』で書いたように
この写真のトラムの車掌さんから聞いた距離は「2.5キロ」。
まあ、これ位は誤差の範囲というより
そもそも多少の違いは問題にならないという
お国柄なのでしょう。
オージー(オーストラリア人)の大らかさは
この段階では好ましく感じますが、
今回のこの博物館への訪問が“取材(仕事)”となれば別!
まず間違いなく路線延長は情報として放送するでしょうから
とても『好ましい』などと余裕をかましては
いられなかったことと思います。

ところで、どっちが正しいのでしょう?

2010年11月28日 18時00分

シドニー路面電車博物館(6)動態保存

「249号」の続いては「1497号」です。

「249号」を乗り終え、屋外での展示というか
屋外に出ていたトラムの写真を撮影し、
屋内展示の車両を見に行こうと歩いていたら
この博物館の入り口に近いところに停車していたトラムの
車掌さんから声をかけられました。
どうやら今からこの電車を動かすから「乗っていけ」と
言っているのではと思い、まずは写真を1枚撮影。

この「1497号」は、地元シドニー市電のP形で
1922年(=大正11年と書くと時代を感じます)製。
●ここまで書いて、函館市電「箱館ハイカラ號」の
 1910年(明治43年)製が如何に凄いかを改めて実感。

座席定員は80名で、車内中央に通路の無いタイプとはいえ
トラム1両でこんなに座れる車両があったとは驚きです。
全長は13.85メートルですので、
日本との比較では、やはり大型の部類ですが
このサイズがオーストラリアのスタンダードなのでしょう。

さてさてそうこうしているうちにトラムは出発。
森の中の小道に沿ってこちらは実に優雅に走りました。

2010年11月28日 8時39分

シドニー路面電車博物館(5)記念写真

「249号」を乗り終え、運転士さんと車掌さんにも
入ってもらい記念写真をパチリ。

博物館の方は写され慣れているみたいで、
わざわざトロリーポールの紐を少し下ろして
雰囲気を出してくれました。

この博物館で入館者への対応をしている方は
全てボランティアとのことで
9月15日・16日に書いたイギリスの
「クライチ路面電車博物館」でも触れましたが
欧米の“文化遺産”に対する考え方には敬服します。

私も定年があと数年後に迫っており、
「この方たちのような老後を過ごせたら最高だよな」等と
思いつつ、かといって同好の士を集め、
『路面電車博物館』設立を妄想したとしても、
開館に必要な土地やらお金やらの問題も大きいですが、
日本ではそれ以上に、
維持・継続させることが殆ど不可能であろうと
現段階では思ってしまいます。

で、私の英語力では「公式ガイド」を理解しきれていませんが
多少の「不確かさ」を敢えて承知の上でその一部を引用します。
●この博物館の萌芽は1950(昭和25)年。
●1961(昭和36)年にシドニー市電が全廃され、
 その4年後の1965(昭和40)年には
 『シドニー路面電車博物館』が本格開館。
●1988(昭和63)年に今の「ロフタス」駅直近の
 現在地に移転し、現在に至る。

日本と比較する方が愚かしいと言わざるをえないほど
歴史の重みとそれを支え続けてきたボランティアスタッフの
“層の厚さ”にはもう感服するしかありません。

2010年11月27日 18時00分

シドニー路面電車博物館(4)動態保存

今回は敢えて英語で「SYDNEY TRAMWAY MUSEUM」名物と
書かせていただきますが、車を待たせての『道路の横断』です。

東京都電を始め、専用軌道を走る路面電車が道路を横切る際に
踏切で車を止めるのは当たり前のことですが、
如何せんこの路線は『博物館』の“保存”トラムが走る区間。

日本の法制度がどうなっていてオーストラリアの法制度と
どう違うかが分かっていないので、確たる話しは書けませんが
私は日本でこういう風景を見たことがありません。

確かに、「OO鉄道」でなくとも、
工場等の専用線が公道を横切っている例はありますが
(今も現存するかまでは調べていませんが…)
所謂『博物館』等の非営利鉄道が公道を横切るという存在を
私は知りません。
例えていうなら「梅小路蒸気機関車館」の動態保存SLが
(一般鉄道の営業路線ではない)路線を延長して
公道を横切って走るようなものです。
※大井川鐵道の保存SLが本線を走るのとは全く異なります。

この道路、片側2車線という結構な幹線道路で
通行量はご覧の通り。
はっきり言って“大名行列”の気分で
“気持ち良かった”の一言に尽きます。
日本でも保存鉄道の路線に踏切設置が認められ
その可能性が広がっていく日が来ることを切望します。
●ここまで書いて思いついたのですが
 既に廃線となった名鉄揖斐線の「黒野駅」が
 路面電車博物館となり、駅近くの2~3キロの区間で
 保存車両を走らせていたならと考えるとワクワクしませんか?
●ただ、公道を横切るとなると日本ではどんな許認可制度に
 縛られるのでしょう…。

2010年11月27日 9時07分

シドニー路面電車博物館(3)動態保存

私が取り急ぎ乗車した「249号」の車内です。
木製椅子が時代を感じさせる一方で、
このトラムの現役時代にタイムスリップしたような
感さえありました。

この「249号」は、博物館公式ガイドによれば
元はオーストラリア・メルボルン市電W2形で、1924年製。
全長14.63メートルですので、名古屋市営地下鉄の
東山線、名城・名港線車両より少し短い程度。
路面電車としては、日本では考えられない大型車ですね。
●とはいうものの『名古屋市電1300形』は14メートルを
 ちょい越えており、改めて1300形の大きさに感嘆符!

まあ外形写真がないところでする話しではありませんが
『名古屋市電1300形』は1929年製であり
私見で恐縮ですが『249号』とは同世代の電車だけに
何となく全体の雰囲気が似ているなあと勝手に思っていました。
※外形であれば名古屋市電1200形(1927年製)とも
 言えますが…。

話しを戻して、流石にクロスシートだけあって座席定員は
52名と多い印象です。
座り心地は、当然「良い」とは言えませんが
昭和の初期ならこれがスタンダードだったでしょうし、
そもそもクッションのない列車に乗るという経験をすることは
極めてレアなので、それだけでもこの博物館に来た甲斐が
あったというものです。

なお車掌さんは、発車したらご覧の通り
入館者(?)の方と和やかに雑談でした。

2010年11月26日 8時09分

シドニー路面電車博物館(2)動態保存

博物館に入ったところで、即、博物館の方に手招きされ
何も写真を撮る間もなくこの電車に乗せられました。

乗って直ぐに電車は出発。
折り返し地点には7分ほどで到着し、
ここでやっと写真を撮影しました。
到着すると直ぐに車掌さんが手前のトロリーポールを下ろし
反対側のトロリーポールを上げて出発の準備です。

さて落ち着いたところでやっと観察。

このトラムとは不釣合いなホームがありますが
この線はかっての鉄道線を使っているとのことで
ホームはその時代の名残だそうです。
このポイントの正式名は
「ROYAL NATIONAL PARK TRAM TERMINUS」と
この博物館の公式ガイドには書いてありました。

博物館からここまでは2.5キロ。
年代モノのトラムですので、考えようによっては
結構頑張ったスピードで走っており
その揺れと振動は、私にとっては堪らないもの。
●のっけから私のアドレナリンは全開。
 今風に言えば『ヤバイよ!ヤバイよ!』。

ところでこのトラムですが、
水曜日だったからいうことではなくどうやら不定期運行の様で、
入館者に応じて適宜走らせているみたいでした。

何せ私の英語力は、家族から
「どうして海外一人“鉄”が出来るのか理解不能」と
疑問符が付けられているほどで、
よって、これ以上の情報GETには限界があることを
ご容赦下さい。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!