2011年01月10日 9時00分

ZIGZAG RAILWAY(4)機関庫の見学。

「ジグザグレイルウェイ」では、機関庫の中の見学ができます。

説明は『ボランティアスタッフ』が丁寧にしてくれますが
英語のため、私には“理解不能”でした。
因みに写っている方たちが「鉄」とは限りません。
というか、見た限り「鉄」は少数派と見受けられました。
なお、「説明」の時間は決まっており、
クラレンスからの列車がボトムポインツに到着し、
折り返してボトムポインツを出発するまでの間で、
9月17日(金)の場合ですと、
クラレンス発11:00、13:00、15:00
ボトムポインツ着11:45、13:45、15:45
ボトムポインツ発12:15、14:15、16:15
クラレンス着12:35、14:35、16:35
となっており、ボトムポインツ駅と機関庫は目と鼻の先なので
ほぼ20分位が見学時間に充てられているようでした。

因みに私は、11:03にジグザグ駅に到着しており
説明が始まる30分以上前から機関庫をうろついていました。
勿論、「ジグザグレイルウェイ」の方の許可を得て入り、
写真を撮影していました。(撮影の許可も得ました)

昨日の夕方の写真は気動車で、オーストラリアでは
「Diesel Rail Motor」というようですが
実は所有する車両は蒸気機関車の方が多いようです。
●公式HPのデータによればSL=8両、気動車=6両

2011年01月09日 18時00分

ZIGZAG RAILWAY(3)Bottom Points駅。

「ジグザグレイルウェイ」の
「Bottom Points(ボトム・ポインツ)」駅です。
停車中の気動車は前が「2006」、後ろは「2051」。
「2006」は約50年前の昭和35年頃の製造で
日本の特急用で言えばキハ80系と同世代であり、
一般型であればキハ10系ほど古くはなく、
キハ20系と同時期の製造です。
急行用ならキハ55系の全盛期と言えば分かりやすいかな?
ただここまでスタイリッシュなステンレス車体は
日本ではお目にかかることもなく、そのデザインは
ロカビリーが流行った1950年代のアメリカ
(「’50」=フィフティーズと言われている)を
象徴する“流線形”の流れを感じ、
それがよりオールドタイマーの雰囲気を醸し出し、
『乗る』楽しみを私に期待させてくれました。

さて、保存鉄道「ジグザグレイルウェイ」は、
ここ「ボトムポインツ駅」と「Clarence(クラレンス)駅」を
結んでいます。
私のように“鉄道”で訪れると「ボトムポインツ」が
出発点となりますが、
大多数の“車”で訪れる方には「クラレンス」が
出発点となります。
まあ、どちらを出発点にしても『楽しむ』内容に
大きな差はありません。

この鉄道は、1860年代(明治維新の頃)に作られ、
1910年(明治43年)まで使用された路線を
保存しているものです。
「ジグザグ」の名前の通り、スイッチバックがあったため
やはり交通のネックとなるのは致し方なく、
今から100年も前に、早々とトンネルで一気に通り抜ける
新線に付け替えられ、そのまま廃線となったのですが
1975年(昭和50年)に再び列車が走り始めました。
※今朝書いた「10のトンネル」が“100年前の新線”。

ところでこの駅、「ボトムポインツ」の名前ですが
列車に乗ると「ボトム」というのは確かに「ボトム」だと
納得することになります。
この写真を撮影している段階ではまだ分かっていませんが…。

2011年01月09日 9時00分

ZIGZAG RAILWAY(2)「ジグザグ」駅到着。

シドニー・セントラル駅から2時間39分の11時03分、
『ジグザグレイルウェイ』のある『ジグザグ』駅に到着。
4両編成の電車から降りたのは私一人でした。

この駅の周囲に民家は見当たらず、
『ジグザグレイルウェイ』のためにある駅と言っても
過言ではない!というより“専用駅”そのものでした。

さて電車はダブルデッカーで、私は2階席に座り、
「ゆったりと短い鉄道の旅を楽しみました」と
乗車前は書くつもりだったのですが、
この線はこのブログで12月4日からUPした
世界遺産「ブルーマウンテンズ」への足でもあり
下車駅の「Katoomba(カトゥーンバ)」着10:19までは
立つ人はいなかったものの思いの他乗客は多く、
『ローカル」』線の旅とまではいきませんでした。
そうそう、“親切なオーストラリア人”というのは
本当にどこにでもいて、この車内でも一人旅の日本人の
中年オヤジが珍しいのか話しかけられ、
「ジグザグレイルウェイは面白い」と言いながら
「10のトンネルを通るとジグザグ」等と目的地の情報を
教えてもらった上に、周辺の地図を頂きました。(多謝)

この線、そう言えば書き忘れていましたが
「Blue Mountains Line(ブルーマウンテンズ線)」といい
例えるなら東京の近郊電車と言ったところでしょうか?
東京からの東海道線なら横浜までの「国電区間」
(古い表現をお許し下さい)は“快速”で突っ走り、
そこから先は折り返し列車のある駅を通り、
段々運転本数が減っていく・・・。
ブルーマウンテンズ線もそんな線で、
シドニーを出る時は15分~60分間隔ですが、
電車の終点である「リスゴー」まで直通するのは
日中ですと2時間に1本しかありませんでした。

2011年01月08日 22時56分

ZIGZAG RAILWAY(1)「ジグザグ」って日本語それとも?

平成22年9月17日(金)、
シドニー・セントラル駅発8:24の
「Lithgow(リスゴー)」行きです。
この日の目的地は「ZINGZAG RAILWAY」と言う名の保存鉄道。
(直訳すれば「ジグザグ鉄道」)

ところで話しは鉄道から全く離れますが
一体どれくらい前のヒット曲かは忘れましたが
「若い」という字が「苦しい」という字に似ているという歌を
アン・真理子さんが歌っていました。
※曲名が思い出せません。30年以上前だと思うのだが…。

話しを戻して「ZIGZAG」です。
『ジグザグ』が英語であるとは今回、この鉄道を訪ねようと
思い始めるまで全く知りませんでした。
考えてみれば「ジグザグ」という言葉を「じぐざぐ」と
平仮名で書かれているのを見たことが無い訳で、
よくよく考えれば日本語のはずがないんですね。

前述の「歌」がらみに戻りますが
『「Z」という字は「スイッチバックの線形」に似てるわ』
などと、50歳以上にしか分からない替え歌で本日は恐縮ですが
ここまで書いて、あまりに強引過ぎて“駄洒落”にもならず
自分嫌悪に陥ったところで明日に続く。

2010年12月03日 18時05分

シドニー路面電車博物館(13)博物館の心臓・工場

博物館の心臓部、整備工場を遠巻きに覗いて見ました。

左サイドの黄色と緑色のトラムは「1979号」。
●元シドニー市電の「R1」形、1936年製
右サイドの先頭にいる水色のトラムは「548号」です。
●元ブリスベン市電。
その他にも何両か入っていました。

整備工場はもう一棟あり、写真の整備工場で「動くトラム」の
整備を行い、もう一棟の方で「復元整備」を行っている
いるように見受けられました。

ただ私が行った日は、どちらも作業をしておらず
上記の役割分担の確認は出来ていません。

日本の地方にある中小私鉄の工場とほぼ同じと
思っていただければ間違いはないです。
それにしても大正~昭和のトラムが、短い区間とはいえ
今でも人を乗せて走らせているわけで
その保守点検整備のご苦労は尋常ではなかろうと察しています。

ただ現代の車両と比べれば、電子部品が無い分だけ
自前の復元を含む整備のみならず修理もやれるのでしょう。
日本(多分、海外でも同様?)では、
特に平成になってからの導入車両には電子部品が多用され
故障時に、その部品がブラックボックスとなっているがゆえに
自前での修理が叶わず、車両メーカーに修理を依頼する等
思わぬ手間が掛かっていることもあると聞いています。

技術の進歩はそれはそれで時代の必然であり良いことなのですが
この博物館(というより保存鉄道全般)を見ている限り
前時代的なオールドタイマーたちが
手間隙かけて動態保存されている状況を見るにつけ
“アナログ”製品ゆえの良さも感じました。
ただ修理できる“技術”の伝承は、“職人技”の伝承でもあり
多分、その点もこの博物館のボランティアスタッフの間で
行われているのだろうと推察しています。
※余談ですが、放送機器も以前は自社の技術スタッフで
 モノによっては修理をしていましたが、
 最近はメーカーの技術者による出張修理が一般的です。

この博物館に再度訪れる日が来ることを祈りながら
今回は筆を置きます。

2010年12月02日 18時04分

シドニー路面電車博物館(12)転線

閉館間際になって、運転を終えたトラム「1497号」を
車庫に戻す作業をパチリ。

「1497号」はポイントを渡り、
さらに右方向に転線していきます。
※写真では確認しづらいですが
 トラム右前方の「TOYOTA」の車の手前に線路があり、
 そこを通って行きました。

なぜこの写真を撮影したか?
実のところ、最初は「ぼーっ」とただ眺めていました。
でも何か変。この光景に違和感があるのです。
「あれっ?電車は動いているのに、ポールが下りている。
そもそも向かっていく線路上に架線が無い!」

お気付きいただけましたでしょうか?
でも、この電車は自走しています。
※この先も、架線の無い線路を動いていきました。

「?????」という気分になりませんか?
私も一瞬、何が起こっているのか理解不能な状態に
陥りました。(もしやバッテリー走行?)

(種明かし)
1)この車両の向こう側に人がいます。
2)その人は、フックのような形をした金属部品が
  先端についた木製の「棒」を持っています。
3)フックには、車の「バッテリーケーブル」の様な
  長いケーブルが直結しています。
4)フック部分は架線に引っ掛けられており、
  フックに繋がったケーブルを辿るとトラムの車体下にある
  電気系統と思しき機器に繋げられています。

分かりやすくいえば、ポール集電ではなく、
フックをポール代わりに集電していたということです。

生まれて初めて見た光景であり、とてもこの「興奮」を
上手く表現しきれません。
日本でもポール集電の鉄道では、
ひょっとして見かけることのあった光景なのかもしれませんが、
それにしても今や昔のお話しでしょう。

2010年12月02日 8時42分

シドニー路面電車博物館(11)操車塔

11月13日(土)に、函館市電の「操車塔」の話しを
書いていたので、この博物館の「操車塔」の話しを。

実のところ、この「操車塔」の存在に、
入館時は気付いていませんでした。

ほぼ博物館内を見終えた頃、
木造の独立した建物に“人がいる”みたいだけど
「何をしているのだろう」と見てみたら
レバーらしきものが見えたので「操車塔」だと
確信した次第です。
※『人』は多分、人形です。動いていませんでした。

「シドニー路面電車博物館」の公式HPで確認したところ
この『tramway signal box』についての記述がありました。
●「操車塔」は日本の言い方で、オーストラリア(海外)では
 『tramway signal box』=『信号所』と言うみたいです。

HPの文章を引用するとこの「操車塔」は、
『…which stood at the corner of Elizabeth and Liverpool Streets in Sydney』と書いてありましたから、
シドニーの「エリザベス通」と「リバプール通」との交差点に
あったようです。
そしてその「操車塔」をこの博物館に移築・復元したそうです。

「操車塔」を発見して喜ぶ自分を顧みるにつけ、
『路面電車』というか『鉄道』を趣味に持つ人は
「世界共通」の“価値観”で結ばれているといったら
誇大表現というか言い過ぎでしょうか?

2010年12月01日 17時39分

シドニー路面電車博物館(10)顔出し看板

平成22年9月15日(水)14:20、
恥ずかしながら、普段はどんなことがあっても
絶対にチャンレジしない「顔出し看板」でパチリ。
※こういう造形物を私は「顔出し看板」と言っています。
 多分、意味は伝わるとは思いますが
 正式には何て言うのでしょう?
 『Wikipedia』で調べても出てきませんでした。
※また、これは「顔出し看板」にしては
 顔以外が“出過ぎ”などとの突っ込みもご容赦下さい。
 私は許される範囲と思っています。悪しからず。

小さな子供たちの見学も多いとは聞いていましたが
こういうものがあるとは驚き。
この博物館にいつからあるのかは分かりませんが
顔出し看板はきっと人気者なのでしょう。
日本の“文化”かと思っていましたが
そう言えば以前、タイかどこかでも見かけたことがあります。
「顔出し看板」が日本発の“文化”だったら楽しいですね。

そんな事はともかく、写真で私の左手が握っているマスコンが
確認できますでしょうか?
更に言うと、右手はブレーキレバーを握っています。

結構本式なんですね。
皆さんも「シドニー路面電車」博物館に行かれたら
是非、“恥ずかしさ”をモノともせず挑戦してください。
※8月26日にUPした「豊橋鉄道」の車庫で撮影した
 写真に、看板がくっついた感じですね。
 豊橋鉄道でもこんな「顔出し看板」があったら
 “楽しかろう”にと思わず思ってしまいました。

2010年12月01日 8時29分

シドニー路面電車博物館(9)長崎電軌の車両発見

この博物館に“いる”とは聞いていましたが、
旧・長崎電気軌道「1054号」です。

この電車のあらましですが、昭和27年製で
元々は仙台市電「モハ121号」としてデビューし、
その後、昭和51年に仙台市電が廃止されると
台車を履き替え(1067ミリ⇒1435ミリ)て
長崎までやってきました。

その後、平成2年に廃車になり、
平成4年にここシドニーの地に安住の地を見つけました。
なお、お輿入れの際、この博物館の規格に合わせ
ポール集電に改修されています。
とはいうものの、元々はポール集電だったので
元に戻ったということでしょうか?

私は仙台市電の現役時代には間に合っていませんが
長崎電軌は、昭和54年5月24日に全線を乗っています。
ひょっとして“1050形”(万が一にも1054号)の
「現役時代」の写真があるのではと思ったものの
残念ながらの結果でした。
というよりもそもそも長崎電軌の写真が
殆ど発掘できませんでした。

ということで、長崎でひょっとしたら出会っていたかもしれない
「1054号」に別れを告げ、この展示館を後にしました。

2010年11月30日 9時07分

シドニー路面電車博物館(8)屋内展示

こちらは「宝の山」、屋内展示です。

真ん中に鎮座しているのは
シドニー市電の最初の“電車”「Cクラス」で
1896年から1926年まで使用されたとのこと。
この「249号」は、その初年度の正に1896年製で
それにしても『1926年』には運用が終わった電車に
こうして博物館でお目にかかれるのは“奇跡”に近いですね。

『1926年』と言えば、大正15年と言うか昭和元年ですよ。
これを“奇跡”と呼ばずして何と呼びましょう。
芸術としての絵画や彫刻、はたまた歴史遺産としての建造物等
当時すでに「保存」が認識されていたものならともかく、
鉄道車両で、そんなことが声高に語られていたとは
とても思えない時代です。

ところでこの博物館の収蔵車両は、
地元シドニーに限られておらず
先に掲出の「249号」のようなメルボルン市電のほか
ブリスベンの市電もありますし、
中には国外のドイツ/ミュンヘンから来た車両もあります。

一方、珍しいのものでは刑務所の犯罪者護送用車両もあり、
“じっくり見始める”と時間がいくらあっても
足りることはありません。
※25日(木)に見学時間は2時間程度でも大丈夫と
 書きましたが、探究心を持って一両ごとに検証を
 始めたら時間は全く足りません。ご了承ください。
※車両以外にも、資料・写真の展示もあり。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!