2010年11月29日 8時53分

シドニー路面電車博物館(7)動態保存

博物館を出発して約4分、
距離にして0.75キロを走り抜け、
2路線合わせて3.25キロを“完乗”しました。

どうですか?この写真。
トラムの手前の線路が土に埋もれており
如何にも「この先は無いぞ」という感じが
私は気に入りました。
まあ、線路端のギリギリに車両を止める事は
日本でもよくあることなので驚くことではありませんが
流石に「土に埋もれている」線路は???
●この場所は「SUTHERLAND TRAM TERMINUS」と言います。
※路線距離は先の「249号」の路線を含め
 このトラムの車掌さんに聞きました。
 (紙に書いてもらいました)

ところでトラムの運転区間の距離の話しですが
この博物館のパンフレットには、
こちらの路線の距離は書いてないのですが
先の路線の距離は「2キロ」と書いてありました。
因みに『シドニー路面電車博物館(2)』で書いたように
この写真のトラムの車掌さんから聞いた距離は「2.5キロ」。
まあ、これ位は誤差の範囲というより
そもそも多少の違いは問題にならないという
お国柄なのでしょう。
オージー(オーストラリア人)の大らかさは
この段階では好ましく感じますが、
今回のこの博物館への訪問が“取材(仕事)”となれば別!
まず間違いなく路線延長は情報として放送するでしょうから
とても『好ましい』などと余裕をかましては
いられなかったことと思います。

ところで、どっちが正しいのでしょう?

2010年11月28日 18時00分

シドニー路面電車博物館(6)動態保存

「249号」の続いては「1497号」です。

「249号」を乗り終え、屋外での展示というか
屋外に出ていたトラムの写真を撮影し、
屋内展示の車両を見に行こうと歩いていたら
この博物館の入り口に近いところに停車していたトラムの
車掌さんから声をかけられました。
どうやら今からこの電車を動かすから「乗っていけ」と
言っているのではと思い、まずは写真を1枚撮影。

この「1497号」は、地元シドニー市電のP形で
1922年(=大正11年と書くと時代を感じます)製。
●ここまで書いて、函館市電「箱館ハイカラ號」の
 1910年(明治43年)製が如何に凄いかを改めて実感。

座席定員は80名で、車内中央に通路の無いタイプとはいえ
トラム1両でこんなに座れる車両があったとは驚きです。
全長は13.85メートルですので、
日本との比較では、やはり大型の部類ですが
このサイズがオーストラリアのスタンダードなのでしょう。

さてさてそうこうしているうちにトラムは出発。
森の中の小道に沿ってこちらは実に優雅に走りました。

2010年11月28日 8時39分

シドニー路面電車博物館(5)記念写真

「249号」を乗り終え、運転士さんと車掌さんにも
入ってもらい記念写真をパチリ。

博物館の方は写され慣れているみたいで、
わざわざトロリーポールの紐を少し下ろして
雰囲気を出してくれました。

この博物館で入館者への対応をしている方は
全てボランティアとのことで
9月15日・16日に書いたイギリスの
「クライチ路面電車博物館」でも触れましたが
欧米の“文化遺産”に対する考え方には敬服します。

私も定年があと数年後に迫っており、
「この方たちのような老後を過ごせたら最高だよな」等と
思いつつ、かといって同好の士を集め、
『路面電車博物館』設立を妄想したとしても、
開館に必要な土地やらお金やらの問題も大きいですが、
日本ではそれ以上に、
維持・継続させることが殆ど不可能であろうと
現段階では思ってしまいます。

で、私の英語力では「公式ガイド」を理解しきれていませんが
多少の「不確かさ」を敢えて承知の上でその一部を引用します。
●この博物館の萌芽は1950(昭和25)年。
●1961(昭和36)年にシドニー市電が全廃され、
 その4年後の1965(昭和40)年には
 『シドニー路面電車博物館』が本格開館。
●1988(昭和63)年に今の「ロフタス」駅直近の
 現在地に移転し、現在に至る。

日本と比較する方が愚かしいと言わざるをえないほど
歴史の重みとそれを支え続けてきたボランティアスタッフの
“層の厚さ”にはもう感服するしかありません。

2010年11月27日 18時00分

シドニー路面電車博物館(4)動態保存

今回は敢えて英語で「SYDNEY TRAMWAY MUSEUM」名物と
書かせていただきますが、車を待たせての『道路の横断』です。

東京都電を始め、専用軌道を走る路面電車が道路を横切る際に
踏切で車を止めるのは当たり前のことですが、
如何せんこの路線は『博物館』の“保存”トラムが走る区間。

日本の法制度がどうなっていてオーストラリアの法制度と
どう違うかが分かっていないので、確たる話しは書けませんが
私は日本でこういう風景を見たことがありません。

確かに、「OO鉄道」でなくとも、
工場等の専用線が公道を横切っている例はありますが
(今も現存するかまでは調べていませんが…)
所謂『博物館』等の非営利鉄道が公道を横切るという存在を
私は知りません。
例えていうなら「梅小路蒸気機関車館」の動態保存SLが
(一般鉄道の営業路線ではない)路線を延長して
公道を横切って走るようなものです。
※大井川鐵道の保存SLが本線を走るのとは全く異なります。

この道路、片側2車線という結構な幹線道路で
通行量はご覧の通り。
はっきり言って“大名行列”の気分で
“気持ち良かった”の一言に尽きます。
日本でも保存鉄道の路線に踏切設置が認められ
その可能性が広がっていく日が来ることを切望します。
●ここまで書いて思いついたのですが
 既に廃線となった名鉄揖斐線の「黒野駅」が
 路面電車博物館となり、駅近くの2~3キロの区間で
 保存車両を走らせていたならと考えるとワクワクしませんか?
●ただ、公道を横切るとなると日本ではどんな許認可制度に
 縛られるのでしょう…。

2010年11月27日 9時07分

シドニー路面電車博物館(3)動態保存

私が取り急ぎ乗車した「249号」の車内です。
木製椅子が時代を感じさせる一方で、
このトラムの現役時代にタイムスリップしたような
感さえありました。

この「249号」は、博物館公式ガイドによれば
元はオーストラリア・メルボルン市電W2形で、1924年製。
全長14.63メートルですので、名古屋市営地下鉄の
東山線、名城・名港線車両より少し短い程度。
路面電車としては、日本では考えられない大型車ですね。
●とはいうものの『名古屋市電1300形』は14メートルを
 ちょい越えており、改めて1300形の大きさに感嘆符!

まあ外形写真がないところでする話しではありませんが
『名古屋市電1300形』は1929年製であり
私見で恐縮ですが『249号』とは同世代の電車だけに
何となく全体の雰囲気が似ているなあと勝手に思っていました。
※外形であれば名古屋市電1200形(1927年製)とも
 言えますが…。

話しを戻して、流石にクロスシートだけあって座席定員は
52名と多い印象です。
座り心地は、当然「良い」とは言えませんが
昭和の初期ならこれがスタンダードだったでしょうし、
そもそもクッションのない列車に乗るという経験をすることは
極めてレアなので、それだけでもこの博物館に来た甲斐が
あったというものです。

なお車掌さんは、発車したらご覧の通り
入館者(?)の方と和やかに雑談でした。

2010年11月26日 8時09分

シドニー路面電車博物館(2)動態保存

博物館に入ったところで、即、博物館の方に手招きされ
何も写真を撮る間もなくこの電車に乗せられました。

乗って直ぐに電車は出発。
折り返し地点には7分ほどで到着し、
ここでやっと写真を撮影しました。
到着すると直ぐに車掌さんが手前のトロリーポールを下ろし
反対側のトロリーポールを上げて出発の準備です。

さて落ち着いたところでやっと観察。

このトラムとは不釣合いなホームがありますが
この線はかっての鉄道線を使っているとのことで
ホームはその時代の名残だそうです。
このポイントの正式名は
「ROYAL NATIONAL PARK TRAM TERMINUS」と
この博物館の公式ガイドには書いてありました。

博物館からここまでは2.5キロ。
年代モノのトラムですので、考えようによっては
結構頑張ったスピードで走っており
その揺れと振動は、私にとっては堪らないもの。
●のっけから私のアドレナリンは全開。
 今風に言えば『ヤバイよ!ヤバイよ!』。

ところでこのトラムですが、
水曜日だったからいうことではなくどうやら不定期運行の様で、
入館者に応じて適宜走らせているみたいでした。

何せ私の英語力は、家族から
「どうして海外一人“鉄”が出来るのか理解不能」と
疑問符が付けられているほどで、
よって、これ以上の情報GETには限界があることを
ご容赦下さい。

2010年11月25日 18時08分

シドニー路面電車博物館(1)

シドニーで最初に向かったのは「シドニー路面電車博物館」です。
(「SYDNEY TRAMWAY MUSEUM」を上記の様に訳しています)

平成22年9月15日(水)、
シドニー・セントラル駅(以後「セントラル」駅と書きます)発
12:02の『Eastern Suburbs&Illawarra』線
「Waterfall」行きに乗り、「Loftus」駅に12:43着。
●「Loftus」は車内アナウンスでは“ロフタス”と
 聞こえました。
●「ロフタス」を通る列車は、昼間30分間隔です。
●この電車の運賃は往復でA$(オーストラリアドル)6。

この駅で下車すると進行方向左側、目の前に
この博物館がありますが、入り口は駅前ではなく
5分弱歩きました。

今回の写真は、博物館の全景っぽいものですが
何となくの“雰囲気”ということでご勘弁を。

入場料は大人1名A$15でしたので、
A$1=80円で計算して1200円ほどでした。
※トラム乗り放題付き。(←案内文の直訳です)

ところで何故この日に行ったかというと
この博物館の開館日が、日曜日と祝祭日及び水曜日となっており
私の日程ではこの日しか行くチャンスが無かったからです。
但し、水曜日の閉館時間が15:00と
日祝祭日に比べ2時間短いので、見きれるかが心配でしたが
ゆっくり堪能しても見学時間は2時間で大丈夫でした。
●土曜日にオープンしないというのは珍しい存在(?)。

2010年09月17日 18時00分

「マトロック」駅での大事件

写真は「マトロック」駅と言いたい所ですが
真ん中から左側は、昔の駅舎を利用した(と、聞きました)
「PEAK RAIL」の案内所兼お土産屋さんです。

そんな話しはどうでも良くて
駅に着いて電車の運行情報の「電光掲示板」を見たら
“キャンセル”の文字が!
「えっ、あんなに確認したのに!」
「今日は動くと言っていたのに」
と言っても通用しないのが日曜日のイギリス。
暫くすると、キャンセルを知らない数十人のお客が
集まって来てちょっとした騒ぎに。
(日本人の私だけではなかった…)
出発予定時刻の17:41頃、鉄道会社の制服を着た人が
駅のホームに現れ
「ダービーまで代行バスを運転します」と説明を始めました。
「代行バスって何?それに乗ってロンドンまで戻れるの?」と
聞いても流石イギリスだけあって答えてくれません。
「旅(トラベル)はトラブル」とはいうものの
今日はありすぎだし…。

とその時、救世主出現!
いきなりイギリス人の親子3人連れのお父さんに
「日本人か?」と聞かれました。
「そうです」と答えたら、何とお母さんが
ロンドンに戻るお父さんと男の子を駅まで
車で送ってきたものの、列車が運休なので
2人を途中の「ダービー」駅まで送るとのこと。
一緒に乗らないかというお誘いでした。
「神様、仏様、マクドナルド様」でした。
マクドナルドさんは電気関係の技術者で
勤務先の会社が日本のメーカーと取引があり、
これまでに2回、日本に出張。
その時親切にされたので今回は『そのお返し』と
言って頂きました。
また、この場にいなかったお子さんは
日本の「アニメ」の勉強をしているので
「日本は大好きだ」とも仰っていました。

そして「ダービー」駅につくやいなやマクドナルドさん、
「私たちはいいから走ってホームに行き
 止まっている列車に乗れ!」と教えられました。
何かと思えば、通常運行予定の「ダービー」~
「ロンドン」間も間引き運転をしており
次の列車の保証は定かではないとのこと。
※多分、彼は「マトロック駅」にいた鉄道会社の人に
 時間を確かめていたと思われます。
おかげで私はその列車に乗れ、しかも座れましたが
正直、トイレに行くのも憚られるほど超満員で
地下鉄以外で混んだ列車にイギリスで遭遇したのは
これ1回限りです。
それにしても、マクドナルドさんたちがその列車に
乗ったかどうかを最後まで確認出来ずじまいでした。
多謝!

2010年09月17日 9時49分

マトロックのバスターミナルに戻りました。

平成17年10月23日、
「マトロック」発17:41の列車に乗るべく
このバスで「クライチ路面電車博物館」から
「マトロック」の町(バスターミナル)に戻ってきました。

「何だ、ただのバスの話しか!」などと言わないで下さい。
何故?

この日、博物館に行く前に「マトロック」の観光案内所に寄り
(博物館からの)戻りのバスの時間を聞いていたのですが
何とその時間は数日前に改正され、
私が定刻の5分以上前にバス停に着いたにも係わらず
バスは10分前に出た後でした。
(バス停の時刻表を見て唖然!)

このため、博物館に戻り、事情を話して「タクシー」を
呼んでもらうべく係員に話しをしたら
目の前に止まっていたこの写真のバスの運転手さんと
何やら話しを始め、何事かと思ったら
「このバスは、『マトロック』のバスセンターに行く」と
言われて乗せられました。
ところが…。

バスが走り始めたら突然、「ヘイッ!ジャパニーズ」と
運転手さんに呼ばれ
「この道をバスで走るのは初めてだ」と言われたのです。
何と、バスの営業運転が終わり車庫に戻る前に
交通手段を失った私をわざわざ送ってくれたのです。
(しかも定期バスの路線外なので無料)

ただ先日も書いたようにこのマトロック周辺は観光地で、
狭い道路は大渋滞。そこに大型バスで乗り入れているので
大変な時間がかかりました。
博物館の方、何よりも運転手さんありがとうございました。
こう言っては失礼かもしれませんが
「田舎の人は人情があって親切」だ!
でも話しはこれで終わらない。

2010年09月16日 18時08分

「クライチ路面電車博物館」のオープンカー

1927年製の「ブラックプール」市電で
使われていたオープンカーです。

1950年頃、イギリス中西部の町「ブラックプール」では
道路にイルミネーションが飾られていたそうです。
その装飾をイギリスのテレビ局BBCが撮影するために
当時使用されていた電車を改造したもので、
それをこの博物館が譲り受け、改修し、今の姿になっています。
※私の英語力では、絶対に正しいとは言い切れませんが
 博物館の英文の解説は、多分こんな内容と推察されました。

この日、私はこの電車に乗れませんでしたが
こうして撮影できただけでも幸せな時間でした。

この博物館では、日常的に修理も行っており、
確かに修理をしなければ走り続けることが
出来ないような年代モノばかりでした。

日本に本格的な動態保存の路面電車専門の博物館は
ありません。
博物館といえば、日本では国立か公立、
もしくは有力企業の運営によるものというイメージで
イギリスのようにボランティアの活動と市民からの寄付、
入場料収入・グッズ販売収入等で
運営することは難しいかも知れません。

それにしても、この日もロンドンの様な大都市からは
何時間もかけないと来られないにも係わらず
大勢の「鉄」ではない入場者がいました。
イギリスの懐の深さの一端を垣間見た気分でした。

それにしてもこの博物館は凄すぎる!!!



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2021年2月
« 7月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!