2018年11月08日 14時50分

国立鉄道博物館(11)0系新幹線。

どこかで見たような電車がいる。

0系新幹線、22-141。2001年(平成13年)からここにいます。

この展示で一つだけ残念なのは、号車番号が「4」だという事。「1」だったら良かったと思うのですが…。JR西日本で4両編成の先頭で使われていたのがその理由です。でもこの0系の価値がそれで落ちることはありません。世界で高速列車の時代を作った歴史的な車両です。

ところで車内に乗って気付いたこと。それは窓越しの外の景色が今の新幹線と違う事。今と違い、窓が大窓だったのを思い出しました。他の新幹線と比べトンネル区間の短い東海道新幹線をもう一度この『大窓』に戻して欲しい。と、切に思いました。

有楽町界隈の写真もあっていい感じの展示。

それにしても鉄道発祥の国だけあり、この0系の展示に違和感、例えば何故日本の電車を展示するのかと言う理由の必要性を全く感じません。堂々たる博物館(NRM, National Railway Museum)です。

2018年11月07日 20時20分

国立鉄道博物館(10)転車台が回る。

世界史の授業で、産業革命の項で習ったロケット号(Rocket)。

ここで展示されているロケット号はもともと1829年に作られたもののレプリカ。

でもそのレプリカが作られたのが1934年と案内板に書いてあるから一体何年前の話よ。となる。

参考までに明治維新は1868年。1829年は文政12年で、1934年は昭和9年。もの凄い歴史を感じざるを得ない。

そうこうしているうちに、転車台を使ってのショータイムの時間。今日の踊り子はGreat Northern Railway (GNR) 4-2-2 Stirling No. 1。1870年製だから148年前の機関車。それにしてもこの博物館にいると時代の感覚がずれる。

日本でも、そしてイギリスでも転車台が動くシーンは大人気。この時間だけは館内にいた半分以上の人が集合していたと思う。

2018年11月06日 20時16分

国立鉄道博物館(9)イギリス最後の蒸気機関車。

英国鉄道 クラス9F 92220 イブニングスター(British Railways Class 9F No.92220 Evening Star)。

1960年製の英国鉄道最後の蒸気機関車で、主に重貨物を牽いたとの事。見た感じは日本で言えばD52形にE10形の足回りを付けた機関車と言ったところですが、標準軌だけあり、動輪はでかいです。ただ活躍したのは僅か5年でした。

5つの動輪が並ぶのは壮観です。

第3動輪にはフランジがないのですが、E10の場合は確か第3、第4動輪がフランジレスだったので、そのあたりはカーブ半径の違いでしょうか?

私は以前、このブログでナローの蒸気機関車が好きだと書いていますが、こうやって見ていると本質的には大型蒸気機関車が好きで、ナローも好きということではなかろうか?と思い始めています。だれにでも変節する時はあります。。

SR ‘Ellerman Lines’ 4-6-2 Merchant Navy Class sectioned steam locomotive, No 35029。どう訳せば良いか分からないので博物館の展示紹介をコピペ。

高速列車専用機のようで、C59形、C62形の様な存在だったのでしょうか?

この機関車は、ナンバープレートの下のアトランティックコーストエクスプレス(Atlantic Coast Express)の銘板に目がいきますがこれは列車名と推察しました。

大きさにも目がいきますが、目玉はその内部構造が見えること。

 

配管に色が塗られていますが、さすがにこれは展示用だと思いますがさて…。

2018年10月26日 15時04分

国立鉄道博物館(8)私が海外鉄を始めた理由。

マラード号タイムを終え一息。

ここで私が海外に鉄道を求めて旅をするようになった理由を一つ。

元々子供の頃から鉄道は好きだったのですが、それよりも色々なところに旅に出掛けるのが好きでした。大学生の頃は鉄道が目的というより、全国の観光地と呼ばれるところを回っていました。ですから例えば春休みに沖縄に一か月滞在という旅もしています。

その内に当時の国鉄の乗った路線・区間を時刻表の地図でなぞったところ結構乗っていることに気付き、それでまず国鉄を全部乗ろうと思いました。大学4年生の1月で昭和52年(1977年)の事でした。宮脇俊三さんの「時刻表2万キロ」の刊行や国鉄の「いい旅チャレンジ20,000km」キャンペーンの前のことです。その後国私鉄を完乗し、次の目標として平成12年(2000年)5月に台湾を目指しました。目的は台湾の鉄道を完乗すること。台湾なら全線完乗も出来そうだと思ったのがその理由。当然1回では乗り切れていないのですが、それまで仕事やプライベートで海外に行くことはあっても鉄道を求めての旅はしておらず、時間と金銭的な余裕が生まれたら国内だけではなく海外にも鉄道を求めて旅をしようと思ったきっかけなりました。

ただその頃は仕事もさることながら家族運用も多かった時なので、「いつかは」という憧れに留まっていました。その後子育てが一段落し、仕事にも時間的余裕(有給休暇が取れるようになった)が生まれ、特に60歳以降はある意味有給は取り放題。それがここ数年の海外鉄に繋がっています。その流れで今回、マラード号と再会できたのは自分自身の体調もさることながら、家族が健康であることも重要なポイントです。ありがたいは“有り難い”こと。その言葉を噛み締めつつ、広い館内を歩いていました。若い頃にはきっと考えもしなかったことです。

本当に幸せなひと時。時には進め!時には止まれ!社会人として都度都度いろいろな選択をしながら線路を走ってきました。

気分を変えます。展示されている車両で面白いと思ったのがこの病院車。

レッドクロスでこの車両がどんな使われ方をしたのは一目瞭然ですが、どんなところを走ったのでしょう?

ヨーロッパでも大陸なら、例えば第2次世界大戦で使われたのかな?という発想は湧きますが、ここはイギリスです。

中にはベッドもあります。

2018年10月25日 15時01分

国立鉄道博物館(7)マラード号。

海外で一度行った場所に2度訪れるということは殆ど無い私。もっとも除く台湾。近いし、時期を選べば国内旅行に出かけけるよりもリーズナブルで、食べ物は美味しいし…。

そんな私がここ国立鉄道博物館を再訪する気になったのがこの機関車A4形「マラード号」に会うため。四半世紀前は、この博物館が改修工事中でちゃんとした撮影(見ることも)ができず悔しい思いをしました。

で、記念写真を撮影されているのは、私とパートナーの関係と多分同じ方。好きな方には堪らない蒸気機関車なのです。もっとも私のパートナーがこういう場所に付き合ってくれるかは期待薄。

お二人にはちゃんとお話しして撮影し、ブログでの掲載の了解を得ています。

そしてお返しがこの写真の撮影。ご主人からは機関車を広く入れるかどうかを聞かれたりして、さすがにマニアのツボを心得ている。(笑)

さてこの機関車マラード号の勲章。1938年(昭和13年)7月3日、時速126マイル=約203キロという蒸気機関車の世界最高速度記録を出した機関車なので、その記録は今も破られていません。日本ではリニア・鉄道館に展示されているC6217号機が狭軌の蒸気機関車で世界最高速度記録を持っていることで知られていますが、やはり狭軌と標準軌では出せるスピードが違います。

そしてその機関車は当時のまま、美しい青色の衣装を纏い、まるで王様のようにここ国立鉄道博物館に君臨しているのです。

記念写真を撮影する方が引きも切らず、やっと全身を撮影。

この曲線のフォルムも堪らない。全てに感動する。

(余談)

さてこのA4形機関車には動態保存車があり、時折チャーター列車としてイギリス各地で運転されており、その走行を撮影しに日本からわざわざ出かける撮り鉄さんもいます。もしもこのマラード号が復活し、本線を走ることになったら…考えただけでワクワクします。

2018年10月24日 14時59分

国立鉄道博物館(6)ユーロスターとの出会い。

いよいよ本題の国立鉄道博物館(National Railway Museam)。今回はヨーク駅の跨線橋を通り、そのまま駅の西側に出る連絡通路を通ってきました。ただ以前来た時は駅と言うか街をぐるっと回ってここに来た記憶が…。

お土産を売るミュージアムショップ。中を見る前にも関わらず、早くもこちらが気になる。我慢我慢。

ロンドン~パリ・ブリュッセルを改定トンネルで結ぶユーロスター。その初期車がもう博物館入り。1994年(平成6年)の開業ですから既に24年が経っており、時の流れを感じずにはいられません。

私がそのユーロスターに乗ったのは2005年(平成17年)10月26日。当時のロンドン側の起点はウォータールー駅で、今のセント・パンクラス駅ではありません。

ところで日本の鉄道博物館との違いの一つがこれ。

展示車両の中にあるカフェ。残念ながらここでノンビリコーヒーを飲むと言う贅沢な時間の過ごし方は出来ませんでしたが、また何かの機会で訪れることがあればここに座ってみたい。

2017年04月22日 20時17分

高雄港から船に乗って夕食の旅。

台湾の鉄道夕景。工夫が凝らされています。必見です。

写真はありませんが、ここ哈瑪星台灣鐵道館では今年(2017年)6月末まで横浜市の原鉄道模型博物館の収蔵の模型を展示しています。模型を作った原信太郎氏はかつて何度も台湾を訪れており、1968年(昭和43年)の台湾を撮影した16ミリの映画はDVD化もされています。

最新の高雄LRTも走っています。

地下にはMRTも走っており、芸が細かい。

さて夕食は合流した鉄友(挨拶が済めばその方は私にとって鉄友です)の提案で旗津島へ。

MRT西子灣駅から徒歩5分ほどでフェリー乗り場。

この可愛いフェリーに乗船。

船から見る街の夜景ってどうしてこうも胸を締め付けるのだろう。なんてね。乗船時間はたったの5分。この島には本土から橋もあるのですが、市街地が島の端っこにあるため、本土(?)と旗津島とはフェリーが交通機関の主役です。

2017年04月21日 20時15分

哈瑪星台灣鐵道館。

哈瑪星台灣鐵道館。哈瑪星=「はません」と読みそうです。高雄MRT西子灣駅が最寄り駅だったので、打狗鉄道故事館と一網打尽にしました。何せ夜の8時まで開館しており、メインの鉄活終了後、夕食前にもう一鉄活にはピッタリ!

高雄市立歴史博物館が運営する鉄道模型等を展示する博物館で昨年(2016年)の7月3日に開館しました。

博物館の前にはミニトレインも走り、気分を盛り上げてくれます。

この蒸気機関車の動輪は回ります!

ここの最大の目玉はアジア最大級と言われる「台湾の鉄道」を再現したHOゲージのジオラマ。

この地、高雄港を始め、地上駅時代の台北駅のみならず台湾の各地の駅も再現されており、恐らく4~50代以上の方には懐かしい風景が広がっているのではないでしょうか?勿論、今、現役の駅もあります。

台湾の鉄道の歴史を知らなくても、ただ列車の走る姿を見ているだけで時間が過ぎて行きます。

阿里山森林鉄道のスパイラル線もありました。模型とは言えここを走る車両には思わず「頑張れ!」と声をかけたくなりました。とは…少し、話を作ってしまいました。反省。

2017年04月08日 20時28分

台湾/新営糖廠の広大なヤード。

烏樹林糖廠から新営駅を通過し、数分走ったところにある新営糖廠。ここでも観光列車が走っていますが、平日は走りません。まあ様子見です。

※タクシーの烏樹林糖廠~新営駅間は定額制のようでした。私たちは途中で待ってもらったり、新営駅を通りすぎてここまで来ていただいたので+αを支払っています。

駅前にある蒸気機関車。

ここの特徴はやはり広い構内。

1067ミリと762ミリの3線区間のポイントは何度見ても面白い。

左側にあるのが製糖鉄道の駅。観光列車がここから出発します。

右を見たり左を見たりで忙しいですが、台湾の製糖産業の最盛期を髣髴(ほうふつ)させるには十分な光景です。

農作物であるサトウキビの刈り入れは冬場に限られ、それだけに2月だったらここをひっきりなしにナローの貨物が行き交っていたことは間違なく、そう思うだけでそれはもう夢の世界。

2017年04月07日 20時11分

台湾/烏樹林糖廠(3)コスモス畑。

烏樹林糖廠に戻ってきましたが、降車ホームは乗車ホームとは別の場所にあり、また構内はループ線になっており、終点で機関車のエンドが変わったこのままで乗車ホームにそのまま着きます。先回は蒸気機関車牽引だったことと臨時の貸し切り列車のため、乗車した場所に戻ってきましたので、この風景は初見です。

観光列車のスタート時にわざわざ配線を変えたとは思えないので、恐らくサトウキビを満載にした列車もこの道を歩んだことでしょう。

台湾鉄道/新営駅方面に戻るべくタクシーを手配してもらい、その到着を待っていたら何だか乗車ホームにけっこうな人数の観光客がいる。その様子から臨時列車が出そうだと察した私たちは、タクシーに乗って暫く走ってもらった場所で下車し、撮影をすることにしました。

先ほど、観光列車に乗っていた時にコスモスの花盛りを見ており、ここで撮影したら楽しいかもね、と話していた場所です。

先回来た時には無かった花畑。季節の違いで見られなかっただけかも知れませんが、それにしてもこうしたハプニングは大歓迎。2回目ともなるとあまり食指が動かなかったこの烏樹林糖廠でしたが、これだけで欣喜雀躍(きんきじゃくやく)。やはりどこにでも何度でもチャンスがあれば行ってみるものですね。

台湾の観光用製糖鉄道は、どこも景色の変化は乏しく、それだけにより楽しんでもらおうと作ったのかもしれません。ラッキー!の一言ではもったいない気分。ところでコスモスって、日本だと秋のイメージなのですが…。まああまり深くは考えないようにしましょう。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!