2015年10月16日 20時19分

サハリン(樺太)鉄道旅(14)鉄道歴史博物館/除雪車。

雪国という場所柄でしょうか除雪車が多数展示されています。

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ロータリー式除雪車。完璧とも言える保存状況。これは日本の国鉄タイプで日本統治時代の生き残りでしょうか?

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一方、ジョルダン車(広幅除雪車)ですが、小樽鉄道博物館にいるジョルダン車より一回りほど大きく感じ、ロシアのブロードゲージ(1520ミリ)用の車両の台車を履き替えて使っていていたのではと思えるほどの迫力あり。(本当にそうかも知れませんが確かめていません)

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いい面構えをしています。

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一方、線路の上の部分はまるでササラ電車風。竹製ならぬ鉄製ブラシが力強い。

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ウイングのアームもまるでボディービルダーの筋肉ムキムキの腕の如し。

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クレーン車も一味違います。この他にも工事、保線用車両がいろいろいて日本の同様の博物館とは趣が異なります。しかも一両ごとに特色があり私は萌えまくり。

時間がいくらあっても足りない~などとこの時点で思っていましたが、まだまだこれは序の口でした。

2015年10月15日 20時17分

サハリン(樺太)鉄道旅(13)鉄道歴史博物館の館長さんとの奇跡の出会い。

ガイドブックにも載っているサハリン鉄道歴史博物館(Музей истории Сахалинской Железной Дороги)。

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午前11時半過ぎですが開いている気配がない。

しょうがないので外から中を撮影していました。

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そうこうしていた11時45分頃、そこに鍵を持った男性と団体の方達が到着。

鍵を開けた男性はロシア語で私達に呼びかけ、何はともあれ手招きされたので、一緒に中に入ることにしました。その男性はあとで分かったのですが実はこの博物館のチリーキン・アンドレイ・ニコライ館長。

ここで出会ったのも奇跡ですが、館長さんとは更なる思いもかけぬ展開が待っていましたがその話はまた後日。

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さて展示物の中から何点か私の気になった車両を紹介。

まずはキハ58495。

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昭和39年の新潟鉄工所の銘板とJR東日本の銘板が眩しい。

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1993年にサハリンに渡り2000年まで活躍したそうですが、電化路線の無いサハリンにあって「架線注意」も残っていて正に往時そのままの姿を残しています。

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矢印の上に『58495』の文字が残っており、この角度からの見た目が一番良く分かったかと思ったのですが、この写真ではパッとは分からないですね。

2015年10月14日 20時14分

サハリン(樺太)鉄道旅(12)駅前の静態保存機、D51-22。

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一夜が明けた駅とホテル。駅は大きくはありませんが、正面が総ガラス張りの洒落たデザインが素敵です。

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以前、ユーラシアホテルのレストランだった場所は24時間営業のハンバーガーショップとなっており、そこで朝食。お手軽なセットメニューで済ませました。

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おっ、駅の前をボンネットバスが駆けていく。懐かしい。とは言っても7月25に奈良交通のバスに乗ったばかりですが、そのバスよりも一回り小さく、乗ってみたい…と思っては見たものの、その後このタイプのバスが街中を走るのを見かけませんでした。

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ユジノサハリンスク駅からほんの数分歩いたところにD51-22が静態保存されています。 かつて日本で走ったD51の同型機で、戦前ではなく戦後、日本から輸出されたものです。

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D51-22の「D」はロシア語のキリル文字ではなくアルファベットなのですが、これがどんな理由で採用されているかは私には分かっていません。

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どこからどう見てもD51。サハリンで活躍した蒸気機関車がこうして綺麗に保存されているのは何よりで、市民の方達の愛情を感じました。

2015年06月02日 19時59分

ドイツでナローを乗り鉄/ヴァイセリッツタール鉄道(5)ドイツ鉄道との共演。

鉄道が趣味でない方であってもこの列車なら楽しんでもらえそうです。

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私はディポルディスヴァルト(Dippoldiswalde)での滞在時間僅か13分の10:40には折り返しの列車に乗りましたが、ただ乗っているだけでも風景に退屈することはありませんでした。

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トロッコに同乗だったどこからどう見ても同好の士(乗り鉄)と思えた方と互いのカメラでエールの交換。進行方向左側の遊歩道で多くの人がハイキングというか散歩を楽しんでいる姿が写っていますが、恐らくこのヴァイセリッツタール鉄道でここまで来ていると思います。(思いたい!かも?)

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起点のフライタール=ハインスベルク(Freital-Hainsberg)近くに戻るとドイツ鉄道との共演というか饗宴。

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こうして2時間ほどのプチ『時間』旅行は終わりました。最後は私の心象風景。

※この写真を撮っていたらドイツ人の親子連れが通りがかり、先に通ってもらおうと思ったら何と私の撮影を優先させてくれました。(多謝)

※ドイツ鉄道の駅は高架となっており、ヴァイセリッツタール鉄道に乗るにはこの通路を通って行きます。「さようなら」と心の中で小さく呟いてドレスデン中央駅に戻りました。

2015年06月01日 19時58分

ドイツでナローを乗り鉄/ヴァイセリッツタール鉄道(4)第3動輪はフランジレス。

1日開きました。再びナローの乗り鉄です。

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ディポルディスヴァルト(Dippoldiswalde)に到着すると早速機回し。

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とにかく列車が到着するやいなや機関車は直ぐに切り離され、最後尾の客車に乗っていた私はその様子を見られずじまい。ということで帰路の先頭に立つべく側線を走ってきた機関車を撮影することにしました。

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動輪は5軸のEタイプ。

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ひょっとして?と思いつつ足回りを見たら、やはりありました。というかありませんでした。ありましたと言うのは「フランジレスの動輪」があったということで、ありませんでしたと言うのは「第3動輪にフランジがない」という意味です。

台湾の製糖鉄道でフランジレス動輪を見てからどうもそういったことが気になる今日この頃です。

2015年05月30日 20時56分

ドイツでナローを乗り鉄/ヴァイセリッツタール鉄道(3)森を行く。

フライタール=ハインスベルク(Freital-Hainsberg)を出発した列車は森の中を行きます。今日は沿線風景をお楽しみください。

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乗客の多くは沿線でハイキングを楽しむ方たちで、一駅一駅停まるごとに三々五々散って行きました。

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この川沿いでは列車を撮影する方もいます。自転車に乗る青い服の方の向こうに実は一人いらっしゃいます。

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ここに「撮る」目的で行った経験者から、「効率を考えるとドレスデン市内から路線バス利用という手もあるよ」と教えてもらいました。本数もそれなりにあるとのことで一瞬気持ちが揺らぎましたが、何せ風景を全く見ていないところで撮り鉄をする勇気の出なかった私は「乗り鉄」に徹することにしました。

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トロッコ(オープンカー)も連結され、皆さんは『煙の香り』を楽しまれているようでした。と言ってもこの日の気温は一桁で風を感じるために私もそうですが皆さんも厚着でした。

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客車の中はこんな感じ。

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列車は10:29に終点のディポルディスヴァルト(Dippoldiswalde)に到着。標高184メートルから348メートルまで上げるため、最初から最後まで良い煙が楽しめました。

2015年05月29日 20時55分

ドイツでナローを乗り鉄/ヴァイセリッツタール鉄道(2)いざ出発。

ドイツ「鉄」話に戻ります。

ヴァイセリッツタール鉄道はここフライタール=ハインスベルク(Freital-Hainsberg)とディポルディスヴァルト(Dippoldiswalde)間15キロを45分で結ぶ鉄道で1年間を通して運転されています。

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1日6往復(今回の訪問時時点)あり、今回はその2番列車に乗りそのまま往復しています。

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機回しはこんな距離感で撮影していてもOKで、というか私の周りには他にも数人の方が撮影しており、何とも言えないこの大らかさはドイツ的と言えそうです。

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9:36に客車に連結。出発までにはまだ5分ありました。

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客車は8両編成。小なりとは言え、単機の蒸気で牽くのは大変そうです。

2015年05月27日 20時53分

ドイツでナローを乗り鉄/ヴァイセリッツタール鉄道(1)出発準備中。

4月18日の『午前中』のメインイベントへと出発です。

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ドイツ・ドレスデン中央駅から南西の方向に向かう9:07発のツウィッカウ(Zwickau)行きに乗車。

フライタール=ハインスベルク(Freital-Hainsberg)には9:19の到着。

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目的はナロー(軌間750ミリ)の蒸気機関車が走るヴァイセリッツタール鉄道(Weißeritztalbahn)。

ドイツの地方都市とはいえ、人口50万人を越える日本風に言えば県庁所在地の町「ドレスデン」。その中央駅から10分強でこんな鉄道に出会えるとは恐るべしドイツ!

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「99 1746-9」が出庫準備中。

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石炭の積み込みもこれからの始まる旅への期待感を高めてくれます。と言ってもこの写真は9:31に撮影しており、一方ヴァイセリッツタール鉄道(Weißeritztalbahn)で私が乗る列車は9:41発。定時で出るのか少し心配になるほどでしたが、そんなことを考えるのは私が日本人だからなのでしょう。

2015年05月19日 19時54分

ナローの蒸気鉄道/ツィッタウ狭軌鉄道(3)ディーゼル機関車も登場。

そのまま客車を車庫に押し込み

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それから機関車だけ一旦側線に戻り

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16:52には奥の奥にある蒸気機関車の車庫(ここからは推測ですが…)に向かっていきました。

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ところでツィッタウ狭軌鉄道のもう一つの名物が、ドイツ鉄道ツィッタウ駅(写真左側の趣のある建物)の駅前広場ともいえる場所での入れ替え作業。

私には日本でこうした風景の記憶は無いですね。

この写真で一番奥にツィッタウ狭軌鉄道のツィッタウ駅があり、私の方向(写真右方向)に側線が伸び、更にその先に昨日UPした車庫があります。

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この列車はツィッタウ着17:58の列車です。実は蒸気機関車だけではなくディーゼル機関車の列車(dieselzug 199 018)もあり、蒸気ではないもののこれはこれで結構楽しめました。

2015年05月18日 19時48分

ナローの蒸気鉄道/ツィッタウ狭軌鉄道(2)入れ替え。

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客車を引っ張ってきた「99 787」はそのまま列車ごと車庫に向かうかと思いきや、予想に反して一旦客車から離れます。

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そしてホームの反対側の線を走り

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客車の最後尾に連結され、「えっ?どこかまで引っ張るの?」と思ったら、

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そのまま車庫に向かって押し始めました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!