2019年01月28日 17時02分

マンチェスター・メトロリンク。

マンチェスターについてまずの作業は、予約していた駅前のホテルに荷物を預けて身軽になること。トランクを抱えて撮影を続けるのはなかなか至難の業。

マンチェスター・ピカデリー駅からホテルへの行きがけの駄賃。駅前でマンチェスター市内を縦横に走るマンチェスター・メトロリンクManchester Metrolinkのお手軽記録写真撮影。まずは高架式の鉄道駅の一階にあるメトロリンクの駅を覗いてみる。雰囲気は地下鉄の駅をトンネル内で撮影している感じ。

あっ!メトロと言っても地下鉄ではなく、実際にはLRT/ライトレールトランジット(軽量軌道交通)です。

駅から顔を出した電車。よく見ると路面交通のLRTでも高床式で、東京の都電と同じスタイル。

低床式でないということは「背が高い」ということ。道路面で近くに寄れば圧迫感を感じます。

駅周辺はさすがに景色の広がりがなく、この写真で一旦撮影終了。何せ駅から100mも歩かない中での撮影という超絶ものぐさでは、これがマンチャスターの街並みの代表する風景です!と言い切れるはずもなく、それでも撮らずにはいられない私の性格です。

2019年01月27日 14時11分

マンチェスターを目指す(3)定時で到着。

ストーク・オン・トレントStoke-on-Trent駅。列車が停車した時、目の前に大きな手が現れた。

「ハンドパワー 来てます 来てます」といった言葉が流行したことを何故か大した脈絡もなく思い出すアラカン世代。

もっともこれを横にすれば、さながら私はお釈迦様の手の中の孫悟空。

マンチェスター・ピカデリー駅に定時到着。

列車のドア。日本で特急列車の出入り口にステップがある光景はすっかり見なくなりましたがイギリスでは建材です。しかもドアを開けるボタンが付いている。所変われば品変わるですが、こうした違いに気付くのも旅の楽しさだと思っています。

そのドアの横にあるのがこの行先表示。

行先と途中の停車駅の表示もあり、考えようによっては親切だと思います。

2019年01月26日 14時09分

マンチェスターを目指す(2)土曜日の朝食。

『we will remember them 1914 1918』と書かれたペンドリーノの先頭車。ポピーの花もあしらわれていますがこれがどんな意味を持っているかは帰国後に調べました。

『Manchester Piccadilly’s First World War Memorial』。1914年から1918年までの間に第一次世界大戦で命を落とした87人の鉄道員への祈りを込めた像がマンチェスター・ピカデリー駅構内にあるそうで、その建立時にこの鉄道を運営しているヴァージントレインズVirgin Trainsも関わっているそうです。ただそれを知るのが遅すぎて、肝心の駅のモニュメントを撮影していません。

一等車の車内。土曜日なので乗客がいない!

窓と椅子の配置の関係で、乗客が車窓を楽しむという考慮がされていないのヨーロッパの伝統。

朝食のバナナ。

朝食のマフィンとコーヒー。平日ならばフル・ブレックファーストのはずですが、土・日はこんな感じ。温かいコーヒーを含め、あれば良し!

2019年01月25日 13時32分

マンチェスターを目指す(1)ユーストン駅。

9月15日。何と朝到着したばかりのロンドン・ユーストン駅からもと来た道を戻ります。

早朝から動く必要が無くなったのと、結果としてこの日行く予定の場所(博物館)が、そもそも午後しか開かないので、ロンドンまで本当にゆっくり寝に来た次第。

ユーストン駅前にあるロバート・スチーブンソンRobert Stephensonの像。蒸気機関車を使った公共鉄道の実用化に成功し鉄道の父と称されるジョージ・スチーブンソンGeorge Stephensonの一人息子で、2人の共同作業で鉄道の普及が進んだそうです。

この像に出会わなければそうしたことは調べなかったでしょうね。

さて最初の目的地はイングランド北西部の町、マンチェスター。世界史で産業革命の歴史を勉強していると出てくる地名ですね。

目指すはマンチェスター・ピカデリー Manchester Piccadilly駅。

「8時丁度の~♪」の列車でも乗れたのですが、ちょっとパツンパツンで急がなければならなかったのでパス。

ゆっくり8:20発の列車にしました。8時発より停車駅が一駅多いので所要時間は4分長くなりますが、これは誤差の範囲。

そしてこの列車を撮影したところでカメラをバックにしまっています。駅員さんからホームでの撮影はNGとの注意があったからですが、ロンドン市内の駅でこうした経験をしたのは初めてで、テロに関連してもろもろの規制が入っているのかもしれません。余談ですが、テロ対策のため、ロンドン市内の駅にコインロッカーはありません。その変わり荷物預かりはあります。

2019年01月24日 11時36分

夜行列車のイギリス代表/カレドニアン・スリーパー(5)ロンドン着。

この列車の名前である「カレドニアン」=「カレドニア」はグレートブリテン島の北部を意味し、そのエリアはほぼスコットランドだそうです。

9月15日(土)、そんなカレドニアン・スリーパーがロンドン・ユーストン駅に遅れることなく到着。(定刻では7:49)

この写真は、この車両のドアの開け方の実演。手動ですが、走っているときはドアロックがかかり開かないようになっているようです。イギリスで初めてこのタイプのドアの車両に乗った時は…、実はガイドブックにちゃんと書いてあったので戸惑うことはありませんでした。今のガイドブックにも書いてあるのでしょうか?

お約束の駅名標撮影。長距離列車の車両が背景だと、より旅情が増します。

これが乗ってきたカレドニアン・スリーパー号。

そしてその隣にいるクラシカルな雰囲気の機関車が気になる。

Jim Martin号。1960年代に作られた私より少し若い機関車。チャータートレインを運行するウェストコーストラインの所属で、特別列車の運転があったのかも知れません。

話はガラッと変わりますが、そもそもこの日、ここロンドン・ユーストン駅までこの列車に乗る予定はありませんでした。本当は朝の5時半に、クルーCrewe駅で下車し、そこから列車を乗り継いで蒸気機関車の牽く特別列車を撮影する予定でした。それが数日前にキャンセルとなり、そのため早朝に起きる必要が無くなったのでこうしてゆったりとした夜行列車の旅を楽しむことにした次第。寝台の利用区間ももともとは下車予定のクルーまででしたが、列車乗車時に乗務員さんに確認したらそのまま乗っても追加料金も発生しないとのことで、ありがたく惰眠をむさぼりました。

2019年01月23日 11時34分

夜行列車のイギリス代表/カレドニアン・スリーパー(4)朝食。

朝はミルクティーでスタート。

ハイランド・ブレックファースト。フル・ブレックファスト(Full breakfast)のスコットランドでの呼び名。間違っても「イングリッシュ・ブレックファースト」などと言ってはいけません。その理由をここで書くまでもないことはご理解いただけると思います。

因みにこのハイランド・ブレックファーストですが、スコティッシュ・ブレックファストという呼び名の方が一般的なような気もします。

さてそのフル・ブレックファスト。私の少ないイギリス渡航経験の中で、20世紀の時代から美味しいと思っている料理の一つ。腹持ちの良いのも高評価。

太陽が顔を見せ始めました。

イギリスの夜明け。家にいるときに日の出を見ることはまずありませんが、旅に出ると結構な確率で出会います。

オヤジ2人の記念写真。

2019年01月22日 16時32分

夜行列車のイギリス代表/カレドニアン・スリーパー(3)夜明け。

6:17の車窓。知らぬ間に外は明るくなっていた、もっとも太陽はまだを見せてはいない。それにしてもイングランドはスコットランドと打って変わっての天気の良さ。

通路(廊下)のカーペットの模様。ひょっとして何がしかの意味があるのでは?と気になったけど、よく見ても分からず。

6:30にラウンジカーでの朝食をお願いしていたので、寝台車から移動。部屋での食事も出来るのですが、二人連れだったこともあってそうしました。

だんだん明るくなっていく様子を車窓で楽しむのは夜行列車ならではですね。

前夜、あれほど賑わっていたラウンジも、朝は静かです。

ここが私たちの席。まあフルコースを味わうわけではないので、このスペースで十分と言えばその通りですが、それでも少し狭く感じます。

カレドニアン・スリーパーはこの春に新車に置き換わると案内されていますが、ラウンジはどう変わるのでしょう?因みにファーストクラスの寝台車にはシャワールームが備わるそうです。

2019年01月21日 22時03分

夜行列車のイギリス代表/カレドニアン・スリーパー(2)夕食。

出発時間の20:45を前にして外で写真を撮影していたら、予定の乗客が揃ったからか、係員がドアを閉め始め、慌て車内に戻る。20:39。

1日の重みを脱ぎ、身軽になった。一人部屋だから出来るリラックス。

列車の出発前から満席だった食堂車は、21:20で何とか予約が取れ席に着く。

取り敢えずビール。どこの国に行ってもやっていることは変わらない。

夜の9:30過ぎ。この列車のラウンジカーでやっと晩御飯。食堂車というわけではなさそうなので凝った料理は出ませんが、こうした供食があったから最北の駅への旅をのんびり楽しむことが出来たと思います。

Sticky Chicken & Egg Fried Rice £10.50

何故かって言えば、ヨーロッパにおいて地方の小さな町での食料調達は決っして簡単ではありません。またインバネス駅ではサンドウィッチなどの軽食を売っている売店はあったものの、サーソーからの列車が遅れればOUTですし、そもそも夜の8時以降に空いているかどうかも怪しいし、在庫が必ずあるとも限りません。ですから極論すれば、この日の旅のルートから考えると、朝一番から晩御飯のことを考えて行動しかねないとも言えます。

一方でカレドニアン・スリーパー号にラウンジカーがあり、それが開店していることは予め確認していました

2019年01月20日 22時02分

夜行列車のイギリス代表/カレドニアン・スリーパー(1)旅立ち。

2018年9月14日(金)。ヨーロッパ(除くロシア)で夜行列車に乗るのはカレドニアン・スリーパー号が初めて。これからインバネスからロンドンを目指します。

この日、イギリス最北の駅、サーソーから20:22にインバネスに到着。コインロッカーに預けてあったトランクをピックアップし、カレドニアン・スリーパーが停まっているホームに向かう。20:27にこの写真を撮影。

イギリスの客車ならではの乗降用ドア。外開きと言うのは他の国では見られないタイプですね。(だと私は思っています)

そうしたドアがずらっと並ぶさまはある意味壮観。少しカーブしたホームが生み出した造形にも感謝。

一等寝台。洗面スペースのある一人部屋。日本でA寝台に乗ったことが無いので比較のしようがありませんが乗った感想は快適。

ベッドの上に、飛行機のビジネスクラス同様のアメニティーが用意されているのがファーストクラス(一等寝台)の象徴でしょうか?

前の写真で少し分かりにくいかと思ったので、屋根下の部分を見上げてみる。この棚ってどう使うのが正解なのかと考えた物の、答えが見つからなかった。

2019年01月19日 16時59分

イギリス最北端の駅サーソーへの旅(13)インバネスに戻りました。

スコットランドの風景。

私もそうですし、同行者はもっと驚いていた(※私の憶測)のがこの豊かな大自然。この路線の列車は、もっと殺伐、荒涼たる景色の中を走っていくのかと思いきや、まあまだ冬には遠いもの、「広がる緑の大地」「牧場を行き交う家畜たち」「海辺で羽を広げる鳥たち」などなど、ハイランドと呼ばれるスコットランド北部も短い夏だけなのかも知れませんが、イングランドとあまり変わらない風景であったことには少し残念な気分だったとここに記します。

空にはネス湖の恐竜。(心象)

途中、フォーサイナードForsinard駅を交換列車の遅れにより15分遅れの17:26に発車。そしてそのままの遅れでインバーゴードンInvergordon駅まで戻ってきました。

ディングウォールDingwall駅では12分遅れ。何故そんなに遅れを気にしているかと言えば、この後乗る列車にゆったりした気分で乗れるかどうかの瀬戸際だったから。もっともこの時点時での遅れなら問題はなく、もう心穏やかになっていました。

そして20:22(定刻なら20:10)にインバネス駅に到着。

この日は私にとって久しぶりの「乗る」ことだけをテーマに列車に乗った「乗り鉄」らしい1日。しかも200キロ超の1路線を往復と言うのはひょっとして生まれて初めてかもしれない。私が国内でせっせと乗り鉄をしていた当時は、それほど長大な枝線は日本にありませんでした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!