2017年01月12日 20時04分

ミャンマー鉄道旅(14)地元の人に交じり休憩。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_55

ヤンゴンの南側でアンダマン海にそそぐヤンゴン川にはあまり橋がかかっていません。(航空写真で確認)

そのためか船も重要な交通機関となっています。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_62

この小さな船は恐らく対岸の街との足。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_64

そんな港町の一角にある食堂(と言う表現がピッタリなお店)で休憩。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_67

昼から生ビール。(しかも2杯!)

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_68

昼ご飯は隣の人が美味しそうに食べていた焼きそば(?)を店員さんに指さしで注文し、食す。

美味。時間に追われない何だか優雅なひと時。

予定がビッシリだとこうは行きませんが、今日だけは特別。

2017年01月11日 20時02分

ミャンマー鉄道旅(13)架線柱は植物に覆われている。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_44

TCE.3002/3000形3005編成。結局この編成は動くことがなかったようです。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_48

かろうじて姿を見せているものの、ここまでシートが被せられていると、これが元広島電鉄の電車だと知っている私たちのような者でなければ何がなにやらさっぱり分からないでしょう。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_49

終点の架線柱は既に発見当時のアンコールワットの如く植物に覆われ始めています。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_54

元広島電鉄の車両が置かれている場所の少し先にある「Keighley Street Goods Office(Burma Railways)」。イギリスが建設したビルマ鉄道の駅舎で、ヤンゴン市内の英語の観光ガイドの冊子には歴史的建造物としての記載がありました。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_53

1880年代に作られたとのことでイギリス植民地時代の歴史を今に伝えています。広島電鉄の車両の見学ついでに歴史散歩。

2017年01月10日 20時15分

ミャンマー鉄道旅(12)大阪市電と西鉄福岡市内電車。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_17

線路は走らなくとも今もその姿を留める元大阪市電。TCE.701の番号が付けられています。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_20

昭和25年製の750形772号。昭和43年(1968年)に広島に来たことがこの銘板から読み取れます。1950年製ですので古豪中の古豪。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_21

横から改めて見てみれば、その塗色はなかなか似合っていると思いました。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_22

一方こちらは元西日本鉄道福岡市内線電車のTCE.3001/3000形3006編成。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_34

昭和51年に広島電鉄へ移籍。それにしてもこのような移籍時期を記した銘板があったとはお恥ずかしい話ですがミャンマー/ヤンゴンで初めて知りました。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_36

広島電鉄時代には宮島線直通でも使われていたので、ひょっとしたら乗っているかも知れません。

2017年01月09日 20時08分

ミャンマー鉄道旅(11)広島電鉄の路面電車が走った街。

11月25日(金)の鉄旅。2つ目の目的地。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_73

今年の1月からヤンゴン市内で路面電車が走り始めました。もっともその電車は7月には運休し、その後復活はなりませんでした。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_75

ヤンゴン市街地のヤンゴン川に沿って走るストランド通り。その広い道路の右端に線路が見え、電停もそのままです。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_8

架線も架線柱もしっかり残っています。今となっては廃線跡巡りですが、真新しいだけに却って悲しさが深まります。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_6

「電車線第一号柱」。ヤンゴン市の“新しい”公共交通の輝かしい第一歩になったはずが、何だか霞んで見えるのは私だけでしょうか?

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_11

ストランド通りとワーダン通りが交差する場所の近くにある貨物駅。

2016_11_25 ヤンゴン 広島市電_12

その一角に路面電車の車庫があり、今も広島電鉄から移籍した電車が残されています。

2017年01月08日 18時54分

ミャンマー鉄道旅(10)JR東日本とJR東海が交錯する!

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_135

9:09.JR東日本キハ38形4連、久留里線色登場。車両のサイドはラッピングされていますが、正面はかつてのまま。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_137

おっ!JR東日本とJR東海の気動車が交錯するのは世界でもここだけ。ですね。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_139

扉からぶら下がる人たち。アジアらしい風景。

よもやあと一歩でこれを自分が経験しそうになるとはこの時は知らなかった…。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_184

9:24JR東海キハ11 104/RBE.30.37。5連の列車の行き先は松阪~鳥羽。

これでJR東海からミャンマーに渡った全形式と出会えました。で、これで一応ここでの撮影終了。次の目的地に向かいます。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_211

その移動途中。線路の傍らに合った甕(かめ)。コップがあったので作業の方たちが飲む水入れかな?

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_212

こちらはミャンマー国鉄で使うであろう何か。

日本語で「8月5日出荷」の貼り紙あり。何に使うのかな?

ところで各車両の番号ですが、ネットでUPされているものを参考にしています。ミャンマーに輸出された車両の詳細な情報がそこにあり、それだけミャンマーに前のめりの方がいらっしゃる証です。1週間いて、そして帰ってきて思うのは、そうした“ミャンマーに前のめり”になる方がいることに「なるほど納得」している自分がいることです。

ただ車両の配置だけでなく、驚くべきことに路線そのものの存在が日々刻々を変わるのがミャンマー。それが楽しいと言う人もいますが、狙いの車両があり場合に、それを追いかけることが至難の業であることも分かりました。といいうつまたきっと行くことになる…、私。

2017年01月07日 18時19分

ミャンマー鉄道旅(9)JR東日本の快速列車。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_110

8:51。JR東日本のキハ40系では一番馴染みのある塗色とも言えるキハ40548/RBE.5109以下の5連登場。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_111

快速表示。でもヤンゴンでは各駅停車です。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_119

8:56.ヤンゴンへ向かうDDが牽く客車列車。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_124

ヤンゴンを出発した客車列車。雰囲気としては中・長距離を走る雰囲気かな?とか思いつつ、列車の時刻表をチェックしていないので何とも言えない。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_133

と、9:08.JR東海キハ48 6803/RBE.3032の登場。方向幕に貼ってあるのは恐らく交通安全のお守りのような存在だと思うのですが、その下にある行き先は位置がずれていてよく分からないものの、判読するに恐らく『鵜沼』だと思います。JR東海だね。

2017年01月06日 18時17分

ミャンマー鉄道旅(8)キハ47 5001/RBE.3022。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_87

最後尾はキハ47 5001/RBE.3022。行き先は鵜沼です。

その列車が信号で停止したと思ったら…。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_91

RBE.30.40/JR東海キハ40 3005の旧国鉄色のツートンカラーのお出まし。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_95

車体が一部、改造はされているもののやはりこの色は良い!!!と思う。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_99

撮り鉄で出かけたことは無かったものの、岡山までキハ47の「ノスタルジー」にわざわざ乗りに言ったほどこの形式は好きです。所謂40系の登場時、その中でも47形がダントツでカッコいいと私は思っていたほど。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_104

ミャンマーに到着して2日目の朝にして「もう日本に帰れる!」と思ったほどシャッターを押していました。(これは本当です。話しは盛っていません。)

さて最後尾はキハ40 6309/RBE.3044。それにしてもツートンをそのまま残し、他の車両がラッピングされているのはある意味驚き。

さてここまででも私をミャンマーに惚れさせるには十分だね。と言いつつ、この時はまだまだミャンマーの“奥深さ”があまり分かっていませんでした。

2017年01月05日 18時13分

ミャンマー鉄道旅(7)キハ48 6808/RBE.3055からスタート。

11月25日(金)。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_48

ヤンゴン中央駅から東へ少し行った場所。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_57

取り敢えずミャンマーの鉄道の分かり易い現状からお伝えします。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_58

線路の繋ぎ目は車輪が通る度に上下します。勿論日本の鉄道でも列車が通れば線路は上下しますが、繋ぎ目がここまでずれることは無いはず。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_75

8:47。我らが元JR東海40系がやってきました。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_76

キハ40系の5連は全盛期でも滅多に無かったという記憶。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_78多治見行き

しかも多治見行き。太多線で5連って、あったっけ?

(参考)

ミャンマーの入国にはVISAが必要です。かつては大使館等に行かなければ取れませんでしたが、今はe-Visaと言ってネットで申請し、メールで発行を受けることが出来ます。

手続き的には「?」と思わないでもないところもありますが、それほどの英語力の必要性もなく、何と申請の翌日に発行という素早さです。地方在住者にとっては有り難いシステムです。

2017年01月04日 20時23分

ミャンマー鉄道旅(6)ヤンゴン中央駅にて元真岡鐵道モオカ63形気動車。

ミャンマー鉄道旅と言いながらなかなか鉄道が出てこない。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_5

ということで、11月25日朝8時頃のヤンゴン中央駅からいよいよ『鉄道旅』の本番です。まずは保存されている蒸気機関車のお出迎え。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_13

駅の出札窓口の所にあった多分運賃表。

ミャンマー語なのでさっぱり分からない。数字もミャンマー語の表示なので、アラビア数字との翻訳をした表を手にして解読が必要。「うつして翻訳」がミャンマー語に対応するようになったら…とか思っても今は何ともならない。

もしも日本の時刻表が漢数字で表示されていたら、多くの外国人の方には分からないのと同じかな?

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_15

やっと“数字”で表記された時刻表を発見。但し例外中の例外で、本当に長距離列車のみでしかもヤンゴン中央駅の様な大都市の中央駅のみの存在と見受けました。因みに左側がヤンゴンから南東に向かう路線、右側はヤンゴンから北方にある仏教遺跡で知られるバガン地方に向かう列車の時刻表。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_20

駅の片隅には貨物の積み込み用の引き込み線。

2016_11_25 ヤンゴン駅東部_26

RBE.2535=元真岡鐵道モオカ63形気動車。この車両の現役時代に真岡鐡道には乗っていません。この状態ですので廃車体かな。

(ミャンマー国内での鉄道施設での撮影について)

海外では鉄道の撮影そのものが禁止されていたり、駅構内のみ撮影禁止、橋等の撮影禁止とか鉄道の撮影は必ずしも自由ではありません。

場所がどこであれ、もしも駅員さんを始めとした鉄道関係者や警察官から撮影を止められたら私は速やかにそれに従うことにしています。そうした注意を払う事で幸いにもこれまでフィルムを抜かれたり、メディアのデータ消去と言ったトラブルに巻き込まれたことはありません。

今回のミャンマーでは、特に撮影の規制がかかった場所はありませんでしたが、1年前は一部撮影の規制があったと聞いています。もっとも今回はOKでも次回がOKとは限りません。

なお車庫・工場内での撮影は、以前はその車庫・工場の方に声を掛ければ、場合によってはOKだったようですが、今はミャンマー国鉄に正式ルートで事前申請の上、許可を得なければ入場&撮影できないとのこと。

また明日以降、鉄道用地内でなおかつ線路上で撮影した写真が出てきますが、そもそも地元の人が線路内に立ち入っているかを目視し、一応それを基準に立ち入りの可・不可を自主的に判断しています。また私(達)の存在を認識している鉄道関係者から注意喚起をされないということも判断の拠り所です。

参考までにミャンマーでは軍及び警察関係施設,港湾や橋梁等は原則として写真撮影禁止です。

私はあくまでもただの鉄ちゃんですから、まあ「君子危うきに近寄らず」精神でいつもやっています。そうしていればどんな国でも楽しく過ごせるのは共通です。

あとの注意点と言えば、例えば叢(くさむら)をかき分けることもしません。毒蛇等の思わぬ地雷を踏まないためです。

2017年01月03日 20時31分

ミャンマー鉄道旅(5)朝食。

2016_11_25 ヤンゴン・朝食_1

ヤンゴンのホテル。ミャンマー国鉄ヤンゴン中央駅から歩いて10分ほどの場所。

2016_11_25 ヤンゴン・朝食_6

朝食は付けていなかったので、朝から開いている町の食堂で食事。お客さんが引きも切らない人気店。

2016_11_25 ヤンゴン・朝食_4

ヤンゴン3回目の白川さんお勧めのお店。

2016_11_25 ヤンゴン・朝食_2

テーブルに色々な食べ物があらかじめ用意されており、それを食べた分だけ支払うシステム。

2016_11_25 ヤンゴン・朝食_7

メインの麺は別で注文。朝からこんなに食べて良いのだろうか?とにかく美味しいことは罪作り。帰る頃にどんな体形になるのだろうかといきなり心配の種発生!嬉しい悲鳴。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2021年2月
« 7月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!