凱旋中華に到着。ところがお客が降りない!どうやらお試し期間中につき特別ルール?
一番後ろに移動し、今来た道を撮影。ところでこの電車の運転士は交代していません。前と後ろにそれぞれ運転士が乗務しており、運転装置の前後の切り替えを行っただけでそのまま運転開始。運転士さんの習熟のためのようですが、私にとって日本でこうした経験はありません。
そのまま渡り線を通過。普段なら絶対に出来ない経験ですね、きっと。と思いつつ平成20年(2008年)8月26日に乗った同じ台湾の林口線(今は廃止)を思い出しました。
※このブログでは2012年12月29日~30日にUPしています。参考までにご覧下さい。
その時も列車に乗ったまま終点のホームから離れ、待避場所でまったりしていました。
とか考えているうちに籬仔內方面に向かうホームに入線。
意外と待っているお客がいる。
主要な交差点には係員がいて、慣れないドライバーに向けて注意喚起を行っています。道路上を走る電車の存在そのものに不慣れな訳ですから安全面での配慮は万全です。
前鎮之星発17:06の凱旋中華行きで乗り鉄開始。乗車料金はお試し期間のため無料!もう一度言います。無料です。
以前、この電車に乗るには高雄市のICカードが必要だったと聞いていましたが今は要らないようです。ただICカードを持っている人は車内のタッチパネルへのタッチが義務付けられているようで、そのことは乗降用ドアの萌え系のキャラが教えてくれました。それはともかく台湾の鉄道と“萌え”は愛称が良いのでしょうか?なお車内では担当者の方がカウンター片手に乗車客の数をチェックしています。
吊り革がカーブして設置されています。細かい事ですがこういうアイデアはどこから来ているのでしょう?日本でもこれは採用しても良いというのが私の感想。
運転室は金魚鉢。とまでは行きませんが先頭はお立ち台気分。かぶりつきは何歳になってもお約束の行動です。
実にシンプルな路線図。前鎮之星を中心に、籬仔內・凱旋中華とも歩いて行ける距離です。実際、私も前鎮之星⇒凱旋中華⇒籬仔內と全線を乗車しましたが、籬仔內から前鎮之星の戻りは撮影しながら歩きました。
高雄ライトレールは広々とした道路の中央を走っています。その線路の横には車の入らない道も整備されており、そこではこんな感じで自転車も走っていました。
さて電車ですから、どこかで電気を車体に充電しなければなりません。前鎮之星の電停の屋根部分にその設備があります。
これが架線。
そこから電車のパンタグラフ経由で充電します。地平からは電車のパンタグラフが見えないので違和感は特にありませんが、電車の走行中はパンタを畳んでいるわけで、歩道橋から電車を見下ろしてその姿を見ると少々違和感はあります。もっともその内に馴染んでしまうのでしょう。
それにしても架線と架線柱が無いと街の景観まで随分スッキリとした気分です。
今回の旅で使った時刻表。
まず新幹線と在来線が一冊になった時刻表はそれぞれの鉄道の経営が異なるため台湾では存在しません。
そのため新幹線では左上の新幹線だけの時刻表を使い、在来線は右側の日本の時刻表形式のものを使いました。従来日本式の時刻表(普通停車から特急までの全列車がそれぞれのページに記載されるタイプ)は台湾ではなく、そのため台湾を旅する人のために日本で出版された日本式の台湾の鉄道時刻表があったのですが、それが台湾の人にも好評ということで、つい最近“日式時刻表”が発売されました。参考までに下の時刻表は駅で配布されている従来のもので、座席指定列車とそれ以外の列車が分かれて載っており、それぞれの列車を乗り継いで旅をするにははっきり言って不向きです。それ以前に文字が小さすぎて老眼鏡をかけても見ることが困難です。
高鐵台中駅で乗り換え。こだまタイプを見送ります。
で、高鐵左営から高雄の地下鉄(MRT)紅線(レッドライン)に脇目も振らず、写真も撮らずに乗り換え、高雄輕軌(高雄ライトレール)との乗換駅/凱旋を目指し、高雄輕軌/前鎮之星で一枚撮影。これで一息。
まだ3区間4停留所のみの暫定開業。3月20日時点では車庫のある籬仔內発9:00~18:30の間の30分間隔で、実用的な交通機関となるには至っていません。それでも日本から私を含め多くの鉄道ファンがここ高雄ライトレールを目指して旅に出ており、その理由は最新式の架線の無い路面電車ということにあります。線路だけのトラムの姿は実に新鮮であり、かつこれからこのスタイルが世界の都市交通の方向性を示していると思われます。
平成28年(2016年)3月20日から24日まで台湾に出掛けていました。主な目的は、
1)高雄で開業した架線レストラム(LRT)の乗車
2)南廻線太麻里での旧型客車列車の撮影
3)阿里山森林鉄道のシェイ式蒸気機関車の撮影
今回の台湾行きでは中華航空151便に搭乗。今はLCCもあるのですが、往路・復路の時間帯と自分の体力・荷物の量を考えると今のところこれが最良の選択肢といったところでしょう。
機内食。中華航空で台湾に行く時は、台北/桃園空港に正午過ぎ到着なので敢えて食しないという選択肢もあります。しかし今回は桃園空港に着いてから、その日の内に高雄のLRTの乗車を済ませると後々のスケジュールが楽になるということもあり、街に出てからゆっくり食事をする時間など無く、ということから機内でゆったり昼ご飯と相成りました。
桃園空港から最寄りの「高鐵桃園駅」(台湾新幹線の駅)までシャトルバス(30元)に乗り、写真の高鐵桃園駅には午後1時過ぎに到着。その先の行程もあって駅舎写真はこれ1枚撮影がやっとこさ。
今回使用した台湾新幹線(臺灣高速鐵路/以下「高鐵」と表記)と在来線(臺灣鐵路管理局/以下「台鉄」と表記)の乗車券のほぼ全て。
機内預けの荷物が順調に出ていたら高鐵桃園発13:00の高鐵左営(高雄市内の新幹線の終点)行きに乗りたかったのですが流石にそれは無理。ということで、高鐵桃園発13:21の高鐵左営行き843レ(各駅に停車するこだまタイプ))に乗車し、高鐵台中で後続の145レ(主要駅停車のひかりタイプ)に乗り換えることにしました。これで高鐵左営には15:00着で、843レにそのまま乗り通すより18分早くなります。
この切符を買おうとして分かったのですが、台湾の新幹線では通しの乗車券でそれぞれの列車の特急券/指定席券が発券されることは無いそうで、一方、自由席での乗車なら列車が変わっても通しの切符で乗車できると言うこと。因みに在来線では、、、という話しはまた日を改めてします。
所変われば品変わる。
※このブログでの台湾の地名表記は台湾で使用されている繁体字ではなく、日本で使われている漢字を使用します。
2015年9月8日、日本に戻ってきました。
稚内のスタンプはレアでしょうね。
JR稚内駅前のラーメン屋で塩ラーメン。べたですね。午後3時半にして、サハリンからの船で見かけた人たちで満席。
稚内空港では利尻富士が我々を見送り。空港からこんな風景が見られるとは知りませんでした。
稚内発17:35、NH4844便の乗客の方が教えてくれた奇跡のようなショット。飛行機が大きすぎるのが残念。でも良い思いで。
18:10頃、新千歳空港への着陸寸前、窓側に座っていた人たちがざわついている。燃えるような夕焼け。
通路側に座っていた私は、飛行機から降りて直ぐに撮影。タイミング的には少し遅かったものの、まずは目に焼き付けることが出来ただけでも気分上々。
新千歳空港からは19:45発のJAL3118便で一路名古屋へ。21:45には中部国際空港のターンテーブルで荷物の到着待ち。毎度の事ながら招き猫を見るとそれだけで家に戻ってきた気分になります。
大変長い期間、このサハリン(樺太)鉄道旅にお付き合い頂きありがとうございました。
(完)
定刻より少し早く9:50過ぎに出航。ダイヤ通りなら稚内港にはサハリン時間の15:30、日本時間の14:30の到着です。
大泊港駅があった桟橋が遠ざかっていきます。4艘の船の停泊している場所のどこが亞庭丸・宗谷丸の停泊場所だったのでしょう?最後の最後まで浪漫が広がります。
この日の宗谷海峡も極めて穏やか。
13時過ぎ、日本の宗谷岬が見え始めました。携帯電話も日本の電波が届くようになります。
ここからは期待を込めて書きますが、来年以降も“稚泊航路”が続くなら、飛行機ではなく「船で行くサハリン鉄道旅」を多くの方に勧めたいと思います。ただインフラが十分ではない面もあるので、完全な個人旅行よりもツアー利用か現地旅行社での手配(一部を含む)の方が良いかもしれません。
今回の私達の旅は、サハリン2回目という白川さんと、現地で勢力的に情報収集できるお二人との4人旅だったことがナイスな結果に繋がったと思っています。今回の私達のルートをトレースしようとしても個人手配では限界があると思われ、ユジノサハリンスクには日本語の通じる旅行社もあるので、そういうところを通すのも手でしょう。それと私の個人的な感想ではありますが、もしももう一度サハリンに来るチャンスがあったとして、その時も1人旅ではなく2~4人旅をすると思います。時間に余裕がたっぷりあるので話し相手が欲しくなるのと簡単に言えば荷物番がいた方が楽です。
私達の前にいたオートバイ軍団の乗り込み(積み込む?の関係で、バスの乗客は思わぬ手前で下車することになりました。
雰囲気的に直ぐに船に乗り込まなくても良さそうだったのでカメラを取り出してみました。ここからは予想に反してということになりますが、私達の様子を見ていた港湾係員、税関職員の方達の誰からも声をかけられず、ゆったりとかつての大泊港駅を撮影することになりました。もっともバスを降りた人が全員船に乗り込んだ後は、早く行動するように促されましたが…。
日本時代には無かったであろう大型クレーンの存在はとても大きなものがありますが、その足元を抜けていく線路は今も確かにあります。
今はよれよれなのですが、いつ頃までこの線路が現役だったのかがとても気になります。
サハリンの鉄道旅の最後の最後に「廃線跡巡り」という面白い締めくくりを迎えることになりました。
いよいよ8:45に乗船。
私たちを乗せてきてくれたバスもユーターンし、私達に続く乗船客を迎えに行きました。因みにこのバス、普段はコルサコフ市内を走る路線バスのようでした。