2015年9月8日(火)。いよいよ帰国です。
アインス宗谷はコルサコフ港10:00出発ですが、出国審査を早めにしたいという考えから、港に8:00到着を目指し朝7時過ぎにタクシーでホテルを出ました。
この日、ユジノサハリンスクの町は霧の中。
太陽が顔を見せ始めると何だか幻想的な風景に。ふわっとした不思議な感覚に包まれていました。
サハリン州の鉄道の「コルサコフ駅」。本シリーズ(55)で列車側から撮影した駅の道路側からの撮影です。ここで停まって欲しいとリクエストした時の運転手さんのちょっと驚いた顔は印象的でした。確かにそんな人は通常はいないですよね。
重厚な佇まいですが、旅客列車は無いに等しい現状で、そのため貨物輸送のための鉄道員がここで働いているのであろうと思っています。
コルサコフ港まで私たちを運んでくれたタクシー。9月3日にコルサコフ港からユジノサハリンスクのホテルまで走ってくれた運転手さんもそうなのですが、感じがとても良く、手元に残っていたほんの微々たる金額ではありますが小銭をチップとして受け取ってもらいました。
私の「サハリン(樺太)鉄道の旅」の写真日記の連載も残すところ1週間を切りました。まだ続くのかよと思わずまだまだお付き合い下さい。
そしていよいよこの旅の最後の晩餐です。ホテル内にロシア料理レストランがあるとガイドブックに書いてあったので外には出ず、そのレストランで祝杯を挙げることに最初からではなく、つい前日に決めました。
乾杯!本当に良い旅でした。
それにしても毎日少なくとも15000歩は歩いており、よく歩いた旅でもありました。そしてその分良く食べた旅でもありました。
1品目はボルシチ。
ペリメニ。(ロシア風水餃子)
マッシュポテト。
白身魚の…。忘れた。m(__)m
もうすっかり忘れている…。m(__)m
ブリヌイ。(クレープ)
美味しかった~。因みにボルシチ以外は4人でシェアしています。これが一人旅だとボルシチにマッシュポテトを食べてお終いと相成りそう。グループでの旅の楽しさを食事でも感じていました。
遥か彼方にユジノサハリンスクの町が見え始めました。
ユジノサハリンスク~ホルムスク間の道路はよく整備されており、バスは快調に飛ばしていきます。往路より小さな帰路のバスの方が何だかスピードが速い気がしました。
と思う間もなく18:35にユジノサハリンスク駅前に到着。往路より10分も早かった。
そのバスの降車場は駅前広場の一角。ここで降ろされるとは思っていなかった。
夕日がビルのガラスに反射し美しい夕景。
さてこちらが9月6日(日)、7日(月)と2泊したベルカホテル。ユジノサハリンスク駅から歩いて10分ほどの距離にある木造のログハウス風3ッ星ホテルでフロントは英語が通じます。
部屋もきれいで何より無料Wi-Fi。もっとも6日はパスワード無しでしたが、7日は満室だったのかお客が多いという事でパスワードあり。
フロントにあったいつの時代のモノですか?と言いたくなるブラウン管テレビのミニチュア。中にはクリスマスツリーが飾られて可愛いの一言。
来年11月に中京テレビは笹島に移転しますが、クリスマスも近いのでこんな置物を玄関ロビーの受付に置いたら人気を呼びそう。
ホルムスクからユジノサハリンスクへの戻りのバス。
バスの乗車券売り場ではこんな貼り紙があり、14席のバスって凄すぎると思っていたら…。
17:00発のユジノサハリンスク行きの都市間バスが正にこれ。小さい。この9月18日にこのブログでUPしたドイツの鉄道代行バスに匹敵する小ささ。
一瞬我が目を疑い、バスの系統(行き先)を確認してしまいました。いやーぁ、早めに予約しておいて良かった。チェーホフから戻ってきて乗車券を買っていたらどうなっていたことか?
一応、途中から乗る人のために立ち席の設定もあるようでしたが、この大きさのバスで、10人近い人が立つという信じられない状況でしたが、それも1時間ほどで全員着席となりヤレヤレ。
その立っていた人の中には(ロシア語を話す)日本人の女性もおり、因みにその方は事前購入の全席“指定”のバスであることをご存じなかったとのことで、驚きつつも諦め顔でした。
さようならホルムスク。
途中のバス停でお客さんが降りていきます。
何故か鳥居があるサハリンの不思議。神社ではなく、何かの施設のようでした。
途中駅で見かけた廃車体。
だと思っていたのですが、どうやら使われているようです。真ん中の茶色の木造車っぽい車両の扉が開いていて人がいました。
一方こちらの気動車の中間車には煙突らしきものがついています。まさか現役時代にこんな格好で走っていたとは思えないので今、一体何に使っているのかが気になりました。
駅員さんらしき人がいる多分、有人駅。旅客列車の本数は少なくとも貨物列車があるのでしょう。きっと。
数字の「駅」。『81ПК6』。一体どんな意味があるのでしょうか?日本の難読駅名ならぬ“難解駅名”。翻訳ソフトでは「ПК」は英語で「PC」と出てくるのですが、「PC」ならパーソナルコンピュータだし…とか、海外を旅するのは面白いですね。
一匹のヤギ。ロープで繋がれているので人が飼っているのは間違いありませんが、さて飼い主は何処に?
(余談)今回のサハリン旅では1362枚の写真を撮っています。こういう写真が結構あるのも枚数が増える一因ですね。
チェーホフの駅にいた時に、工事用車両の入れ替えを見かけました。
こんな車両を見たことがない!ということになりますが大迫力であったことは間違いありません。
駅構内にはこんなレールを敷いた枕木を段積みした車両もあり、これは間違いなく今、サハリンで進められている1067ミリ⇒1520ミリへの改軌に使うものでしょう。
今回、サハリン鉄道歴史博物館の館長さんから提供された写真の中に、その工事の様子が分かるものが入っていました。
改軌工事については話しには聞いていてはいたものの、まさか目の前でその一端を垣間見るとは思ってもいませんでした。
またサハリンの東海岸と西海岸を結ぶ北部横断線については、改軌工事と共に一部では大規模な路線変更も行われているようで、この写真には2本のレールしか見られないもののその新線区間ではないかと推察されます。
今現在、どの程度の区間でとりあえずの3線化が終わっているかについては分かりませんが、何年か後には1067ミリゲージがここサハリンから消えていくことになりそうです。
チェーホフ駅に14:50、予想通り定時着。
乗客たちは三々五々散っていきます。駅の中を通り抜けていくのはどうも普通のことのようです。
青色の駅舎。そう言えばホルムスク北駅の駅舎も同じ色です。
駅前では駅名の由来ともなっているチェーホフが迎えてくれます。ロシア国内で「サハリン」が知られるようになったのはチェーホフがこの島を旅して書いた「サハリン島」からということで、サハリンでのチェーホフの存在は別格と言っても過言ではありません。でも足を踏み入れていない地にその名が残ったのは何故でしょう?
昭和3年発行の「樺太の鉄道旅行案内」にあった野田の町。折り返しの列車が15:04発とそれほどの時間がなかったため、街中に出ていないので分かりませんが、日本家屋がロシア風に建て替わった姿を勝手にイメージして今にトレースしていました。
「旅行案内」の「主要旅館」によれば近くに温泉旅館も含め3軒の名前が出ていますので野田の地がそこそこの規模だったことが推察されます。それより野田駅の右隣にある登富津「荷客扱所」ってどんな存在だったのでしょう?こちらが気になります。