2015年11月24日 20時11分

サハリン(樺太)鉄道旅(44)今回の旅の最北端到達。

2015_09_02~08 サハリン紀行_675

鉄橋からノグリキの町を遠望。ロシア正教の教会が見えます。ノグリキからこの鉄道に乗った人はこの風景を見てこの町に別れを告げ、そしてオハからの乗客はノグリキに着いたことを実感したのでしょう。名古屋で言えば新幹線から見える名古屋城ならぬ清須城のような存在でしょうか?

と書きつつ、この鉄道ってどれ位の本数の列車が走り、貨物鉄道とは言っても客車もあったのですからそれって誰が乗っていたのでしょう?木曽森林鉄道の様に地元の方を乗せていたのでしょうか?

2015_09_02~08 サハリン紀行_676

トゥイミ川にかかるこの橋ですが、左側にこんな杭が放置されていました。さてここからは同行の白川さんの推理です。

『かつてはこの杭の場所にトゥイミ川橋梁があったのですが、それを老朽化等の理由から架け替えることとなり、その際に将来の改軌(恐らく1067ミリだと思われる)に備えた橋を新設。』

というもの。

2015_09_02~08 サハリン紀行_679

確かにこの橋はナローゲージサイズではなく、1067ミリゲージ用なら理解できますし、ひょっとしたらロシアのブロードゲージ(1520ミリ)の車両だって通れそうです。

ということで橋を渡りきり今回の旅の最北端に到達。

時間は15:33でした。

ノグリキ

その場で記念撮影。札幌から来た女性に撮って貰いました。それにしてもその方、廃線跡巡りなんてどうだろうかというこちらの心配はどこ吹く風。結構楽しまれていたようですがこんなに歩くとは思っていなかったのでは?

そもそもこの日がノグリキの祭の日でなかったら郷土博物館は開いていた訳で、そうしたらそこでの出会いはあったにしても一緒に廃線跡巡りはしなかったかも知れず、そういう展開になっていればこの記念写真は無かった訳です。この1枚は偶然の積み重ねが生んだ正に奇跡だと私は今も思っています。

2015年11月23日 13時09分

サハリン(樺太)鉄道旅(43)夢物語。

2015_09_02~08 サハリン紀行_657

築堤部分を歩いていくのが困難になり、一旦道路に戻るとどこからどう見ても「鉄道橋」にしか見えない橋がありました。そこを目指してひたすら歩きます。

2015_09_02~08 サハリン紀行_679

車の走る道路橋はこの橋の右側にあり、かつての鉄道橋は歩道橋になっていました。

2015_09_02~08 サハリン紀行_668

鉄骨が独特の造形美を生み出しています。

2015_09_02~08 サハリン紀行_669

改めて見てみればナローにしては立派過ぎて何だか不自然。

2015_09_02~08 サハリン紀行_673

橋の手前にはコンクリで出来た不思議な建物。しかしこれがあるからこの橋が鉄道橋だったことの証でもあります。かつてロシアにおいて鉄道は軍事施設であり、特に「橋」は防衛上意味のある構造物で、一定の長さ以上の橋は24時間体制で軍人が見張っていました。1991年当時、実際に橋を警備する軍人達を私は見ています。当然の事ながらその姿を私は写していません。そんなことをしたらフィルムは即没収でした。

Ноглики-узкокол_鉄道歴史博物館

2007年6月16日、鉄道歴史博物館の館長さんが撮影されたトゥイミ川橋梁。その頃はまだ線路があったんですね。この鉄路を乗ってみたかった!

時速40キロとして5時間以上も乗れるなんて考えただけでもワクワクします。台湾の旧台東線のようにナローの寝台車があったりしたら世界中から観光客が集まること間違いなし!という夢物語。

(追伸)このブログのUP回数が2700回を超えました。2010年2月26日のスタートですから足掛け5年半でここまで来ました。こうなったら3000回までは行きたいなあ。

今日のお題の「夢物語」で終わらせないようにしたいという本日の決意表明です。

2015年11月22日 13時06分

サハリン(樺太)鉄道旅(42)オハまで226キロ。

オハ(Оха)まで226キロ。

2015_09_02~08 サハリン紀行_627

そんな先まで750ミリゲージが繋がり列車が走っていたなんて信じがたいことですが、こうして道路標識を見るとかえってそれが本当だったと教えてくれているようでした。

2015_09_02~08 サハリン紀行_633

花嫁さんたちと14:17頃に別れその45分後の15:03。築堤らしきものを見つけ、そこに上がったらありました。「オハ-ノグリキ狭軌鉄道」の廃線跡。何と枕木も残っている。

2015_09_02~08 サハリン紀行_641

築堤の左側には池?湖がある。

2015_09_02~08 サハリン紀行_636

日本とは違う風景だな。と、感想を一言。

2015_09_02~08 サハリン紀行_655

そこを抜けると自然に返りつつある廃線の跡。

私は「乗り鉄」であって決して廃線跡巡りが趣味ではありません。でもそれは興味がないとうことではなく、最近は国鉄池北線(北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線)や小坂鉄道だったりチャンスがあればそれを楽しんだりしています。ましてここはサハリン。

貨物鉄道だったとのことですが、実際には客車もあったそうで、2000年頃は貸切列車とかも走ったりして日本からの観光客もここノグリキ近郊で体験乗車をしていたようです。

2015年11月21日 13時04分

サハリン(樺太)鉄道旅(41)ピクトグラムの楽しみ。

2015_09_02~08 サハリン紀行_610

ロシアの町にはロシア正教の教会があります。

町の中心に近い場所にあることが多く、正に町のシンボルと言っても過言ではありません。(この3行は前振りです。後日また触れます)

2015_09_02~08 サハリン紀行_616

ピクトグラム(交通標識)は分かり易さが勝負。この道路では遊んではいけない!ということが一目で分かります。

2015_09_02~08 サハリン紀行_617

一方こちらは団地の中に入った道路。道路で遊んでも良いのでしょう。その分、車を運転する方は要注意!となるのですが、日本でもこのピクトグラムのある場所は作ってみる価値があると思うのですが如何でしょう?

2015_09_02~08 サハリン紀行_621

それはさておき、団地の中を抜けて、

2015_09_02~08 サハリン紀行_622

未舗装の道路を歩き、

2015_09_02~08 サハリン紀行_624

橋を渡り、目指すは廃線跡。私たちがノグリキに到着した時に、オハへ行くバスの写真をUPしましたが、そのノグリキとオハとの間にはかつて軌間750ミリのナローの鉄道がありました。2007年にその線は廃止されたものの各所にその名残を見ることが出来るらしいことはガイドブックで見当をつけていました。

さあて見つかるかな?

2015年11月20日 20時46分

サハリン(樺太)鉄道旅(40)ハッピーウェディング。

2015_09_02~08 サハリン紀行_596

突然10人を超える花嫁さんの団体が登場。ここでは逆光なので順光の位置に回れ右をお願いしてみたら…。

2015_09_02~08 サハリン紀行_600

応えてくれました。それにしても何故花嫁の集団がいるのだろう?というより周囲に男性(新郎?)の影がない。

2015_09_02~08 サハリン紀行_614

花嫁軍団の最後の記念写真撮影地。なのかな?

プロらしきカメラマンが色々なポーズを付けて撮影中。それに混じって日本からのカメラマン(私達)も撮影中。

2015_09_02~08 サハリン紀行_593

子連れの花嫁さんもいます。

それにしてもこんなにたくさんの花嫁さんが登場するお祭りは(私だけかもしれませんが)世界でも聞いたことがありません。

ここからは私の推理です。

『去年のこのお祭りの日から今年のお祭りまでの1年間に結婚したノグリキ市に住む全ての花嫁さんを町を挙げて祝福する。』

正解かどうかはきっとノグリキの人にしか分からないでしょう。何せここノグリキのお祭りはどうやって調べても検索で引っかかって来ません。

ただ一つだけ言える事。それはノグリキのお祭りに出会えた私たちは運が良かったということ。それだけは間違いありません。日頃の心がけの良さかな。やっぱり。

2015年11月19日 20時44分

サハリン(樺太)鉄道旅(39)幸せのおすそ分けを頂きました。

笑顔が素敵なのは若い方たちだけではありません。

2015_09_02~08 サハリン紀行_565

『お嬢様』達も素敵な笑顔。撮っている私も彼女たちから幸せのおすそ分けを頂きました。

2015_09_02~08 サハリン紀行_605

こちらは団体さん。

首から一眼レフをぶら下げた怪しいイカ足探検隊はどうやら地元の皆さんに歓迎されているようでした。(笑)

2015_09_02~08 サハリン紀行_589

この女の子とは何故かカメラのファインダー越しに目が合ってしまい、撮影して良いかをジェスチャーで確認したら、にっこりうなずいてくれたのでこうして写真を撮っています。

しかし一直線に見詰められると却ってこちらがドギマギ。気恥ずかしくなり頬が赤らんでしまいました。(これは本当です。話しは盛っていません)

2015_09_02~08 サハリン紀行_583

野菜や果物を売る親子。照れ笑いっぽいのが良いですね。

会場を回っていて分かったのは皆さん、カメラに撮影されるのが大好きだという事。

2015_09_02~08 サハリン紀行_584

山盛りのラズベリー。

2015_09_02~08 サハリン紀行_587

恐らく自分の家で育てている花を売っているお花屋さん。

その鮮やかな彩(いろどり)に北国の短い夏。精一杯の夏を感じます。

祭り会場にいたのはほんの短い時間。でもこれまでの私の数々の旅の中でも一際印象に残るモノになりました。

サハリンの「鉄道の旅」に出かけなければ、ロシアの地方の小都市でお祭りに出会う事も、まして老若男女、これほどまで多くの笑顔を記憶に留めることはあり得ませんでした。

四半世紀前のソ連で私が出会った人たちの印象が180度変わりました。

今私は、日常の生活の中でこの町の人々の様な心からの笑顔で生きているかどうか自信がありません。

せめて、まして、時には、面白おかしいから笑うのではなく、人生いろいろあっても、たまには溢れる笑顔で過ごせるようになりたいなどと思ってみたりして…。

2015年11月18日 20時42分

サハリン(樺太)鉄道旅(38)笑顔+笑顔。

2015_09_02~08 サハリン紀行_578

昼からはステージで踊りや歌とか様々なショーが行われていました。もっとも何をやっているのかがからないモノもあり、言葉が分かればさぞかし楽しかろうと思いつつ、でもここに集まってきた人たちが皆にこやかなのは何より。年に一度の“晴れの日”との出会い。これは奇跡だ!

2015_09_02~08 サハリン紀行_571

民族衣装?の女性。手に持っているのはパンで、これを少しずつ千切り、塩につけて頂きます。(市民の方たちの振る舞いを参考に書いています)

お客様をお迎えする儀式だそうで、この女性以外にももう一人こうしてパンを振る舞いながら歩いている方がおられ、会場に着いたばかりの市民の方に声をかけていました。

素敵な笑顔。こちらのほほも緩みます。

2015_09_02~08 サハリン紀行_563

少女達。笑顔が愛らしい。

2015_09_02~08 サハリン紀行_564

とその時、彼女たちが足でもポーズをとっているに気づいて全身パターンも追加で撮影。

2015_09_02~08 サハリン紀行_558

左から2番目の女の子の足元も注目!この町の方たちは本当にフレンドリーで、私たちが「カメラで撮影して良いですか?」オーラを全開にすると皆さん、笑顔とポーズで応えてくれました。

2015年11月17日 20時40分

サハリン(樺太)鉄道旅(37)9月5日の昼食。

2015_09_02~08 サハリン紀行_550

昼のビールは美味しい!そしてパン。見かけによらずと言ったら怒られそうですがこちらも「美味しい!」。見た目は普通の食パンですが、しっとり感があって私(日本人?)好みです。

2015_09_02~08 サハリン紀行_551

例によってボルシチ。私は日本での味噌汁気分で注文していました。

2015_09_02~08 サハリン紀行_552

スパゲッティは今回の旅で初かな?

2015_09_02~08 サハリン紀行_553

肉野菜炒めのマッシュポテト添え。

ところでこうしていろいろ注文して食しているわけですが、これが一人だとこうはなりません。メニューを見ながらまず「これは何だろう?」という推理をみんなでする楽しさがありません。次に実際に食事が出てきた時、互いの感想を述べあうこともありません。

海外も国内も一人が多い私ですが、それでも食事だけは数人で味わいたいといつも思っています。そして今回は4人連れ。食事時の楽しさは最高です。

いえいえ実はこの食事は5人連れ。一昨日UPした4枚目の写真を撮ったバス停で、私たちと同じく夜行列車2連泊の女性(札幌在住)と知り合い、その後、夜行列車に乗車するまで一緒にこのノグリキの町を歩きまわりました。確かに日本から船でサハリンに渡り、ここノグリキへ来ようと思えば私たちとほぼ同じ日程になるのでしょうが、私たちのような鉄ちゃんではない方とここで出会うのは「まさか」というのが私の偽らざる感想です。因みにその方は宮沢賢治&「銀河鉄道の夜」に惹かれてサハリンに来たそうです。

2015年11月16日 20時37分

サハリン(樺太)鉄道旅(36)年に一度のお祭り。

2015_09_02~08 サハリン紀行_538

公園の中を通っているとカラフルな衣装の子供たちが通っていきます。

2015_09_02~08 サハリン紀行_546

この時点ではまだどんなお祭りなのかを把握していません。

2015_09_02~08 サハリン紀行_545

町の中心となる建物周辺では市民の手作りの品を展示しているようでした。

2015_09_02~08 サハリン紀行_543

この全ての絵を市民の方が描かれたかどうかまでは分かっていませんが、会場自体は蚤の市というかフリーマーケットのような印象を受けました。

2015_09_02~08 サハリン紀行_581

お人形さんたちの表情はそれぞれ個性的。

2015_09_02~08 サハリン紀行_544

そんな中にロシアの鉄道本?体が反応しました。

2015年11月15日 20時23分

サハリン(樺太)鉄道旅(35)郷土博物館は開いていなかった。

サハリン(樺太)鉄道旅の再開です。

今日からは平成27年(2015年)9月5日(土)のノグリキ探訪。

2015_09_02~08 サハリン紀行_518

ノグリキの駅から町の中心部までは3キロほどあり歩くと45分の道のり。(地図サイトのルート検索を参考にしています)

市内へ向かうバスがあるとはガイドブックに書いてありましたが…、駅前から道路を1本渡り数軒の商店の先にバスが停まっていました。左側の白っぽいバスがそれで、もう少ししたら発車するとのことでまあ急ぐ旅でもないので待つことにしました。

2015_09_02~08 サハリン紀行_520

ここでノグリキまでの夜行列車2連泊の私の荷物。この2つともが私のモノで、大したものは入っていないのですが、私は何せ寒さに弱く、(結局今回は使わなかった)防寒着が嵩張っていました。防寒着以外では携帯+カメラ2台(デジイチ1台、コンデジ1台)と充電器。着替え1回分、寝間着代わりの薄手のイージーパンツ。その他薬がたくさん。持病があるためこれはやむを得ないのですが、海外では実際に服用する分+1週間分を予備で持ち歩いています。これも生活の知恵です。

もっとも次回、またここに来ることがあれば、特に防寒着等で割り切ることもできるでしょうから荷物を一つ減らせそうです。

2015_09_02~08 サハリン紀行_534

さてバスを降りて向かった郷土博物館。入口は開いていたのですが、「今日は休館」なので見られないとのこと。この町で唯一といってもよい観光施設なのにガックリ。

その理由はこの日(9月5日)が(年に一度の)ノグリキのお祭りの日だったから。この日が「お祭り」というのはバスに乗った際、「今日はお祭りだからバスの運賃は無料」と運転手さんから案内されていたので、それは分かっていました。それにつけても博物館が休みだとは…。(未練がましい)

※この日、バス運賃が無料であることは市民でも知らない人が多く、切符を買おうとしてビックリ顔の人が殆どでした。

博物館の件は諦めるとして町の中心部まで歩いていくのはしんどいなあとか思いつつ市街地へ向かうバス停で一休み。…する予定は無かったのですが詳しくはまた明日。

2015_09_02~08 サハリン紀行_535

とその時、何とバスがやって来ました。

2015_09_02~08 サハリン紀行_533

どうやらバスのダイヤはあるのですが、この日は年に一度のお祭りだけあり、運転回数を増やしているようで、これはラッキーでした。もっともこの時刻表がノグリキ駅と市街を結ぶバスのものかどうかの自信はありません。

2015_09_02~08 サハリン紀行_582

町の中心部でバスを降り、市内を歩けば噴水もある美しい町、ノグリキ。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2021年2月
« 7月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!