2015年03月14日 20時33分

台鉄海線と日本風駅舎(5)追分から成功行きの縁起切符。

今日の日本は「ダイヤ改正」一色。北陸新幹線の新規開業区間はいつになったら乗れるのでしょうか?それより個人的には富山地方鉄道の路面電車の新幹線駅直結の方が興味があります。

それはさておき今回のダイヤ改正が「成功」することを祈念して今日は台湾の縁起切符の話。

「成功」という駅名を見てこれは縁起が良さそうだというのは日本語感覚でも見当がつきますが、ここ台湾では「成功」への入場ではなく、「追分」から「成功」へ行くのが、験を担ぐことになるのだそうです。追分~成功

ということで夜の8時半過ぎに日本からの観光客が大勢で追分駅に詰め掛け、縁起切符の大人買いです。駅員さんはさぞかし驚いたことでしょう。この駅にはご覧のようなスタンプが各種置いてあり、私も裏面にそれぞれ印を押していきました。ところで私が買ったのは片道切符ですが、台湾では「成功」して「追分」に戻るのも縁起がよいそうです、そちら(往復切符)も良く売れているそうです。なおここ追分駅の駅前にはこの切符をパウチするお店が何店かあるそうで、そこで大量に“記念品”を作って配る人がいるそうです。所変われば品変わる。

2008_08_24 追分駅1

真っ暗な「追分」駅ではなく、もう少し明るい追分駅。2008年(平成20年)8月24日にも私はここに来ていました。

2008_08_24 追分駅2

台鉄の乗りつぶしのためで、成功駅から到着して折り返しの台中方面行き(台中のホテルを予約していたため)の列車までネコと遊んでいました。

2008_08_24_47

そういえば今回、ネコの姿を見ませんでした。どうしたのでしょう?

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎28

こちらが成功駅の駅名標。

2008_08_25_0928

2014年の鉄旅で、「追分」~「成功」~「追分」が縁起が良いと聞いたものの、2008年は「成功」~「追分」~「成功」というパターンで電車に乗りました。さて私の行動パターンの縁起は如何でしょう?

(2008年のアクシデント)

追分から乗車した電車は成功駅で何故かストップ。車内に何かアナウンスが流れたと思ったらお客さんが降り始め私はプチパニック。そうしたら若いカップルが声を掛けてくれ、英語で「日本人ですか?」「この電車はこの駅で打ち切りで、後続の電車に乗り換えです」「付いて来て下さい」で案内され無事に台中駅行きに乗車。台湾の方は親切です。多謝。

2015年03月13日 22時29分

台鉄海線と日本風駅舎(4)追分駅。

台湾にはまだまだ日本風の駅舎が残されています。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎21

彰化駅から海線を台北方面に一駅。追分駅もその一つです。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎24

ここは彰化の隣駅になるのですが、実は山線の「成功」駅の隣駅にもなります。「成功」~「追分」間には見かけは山線と海線の短絡線的な“成追線”があり、列車の本数的には、海線「追分」、山線「成功」とも彰化方面が圧倒的に多いのですが、成追線の列車も1~2時間半に1本程度設定されています。それも近鉄伊勢中川駅の様な特急専用ではなく全て普通列車です。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎25

この電車はその数少ない成追線経由台中行きです。(20:30頃撮影)

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎26

ホームから見た駅舎。夜間の撮影でも雰囲気が良いので鑑賞に堪えます。あっ、私の写真が良いとかではなく建物の良さです。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎27

この駅には跨線橋・地下通路が無く、駅舎からホームには線路の上を歩いて渡るのですが、このようにホームの途中に階段を置いている駅は日本ではもう殆ど見かけません。日本で言う特急も走る路線ですが、こうした風景が残っていることも台湾の鉄道の魅力の一つでしょう。

(追伸)北斗星も無事旅立ちました。上野駅では3000人が見送ったとのことですが、この賑わいがこれまでずーっと続いていたらこの列車は残ったでしょうか?8月までに上野から一度乗ってみたい私がいます。

2015年03月11日 20時25分

台鉄海線と日本風駅舎(3)日南駅。

今日は丸4年経った東日本大震災に触れないわけにはいきませんが、私に出来る一つのこと。それは「忘れない」ことだと思っています。

仙石線が全線復旧し、仙石東北ラインが開業したら一足先に復旧する石巻線の女川も含めて再訪の予定です。

2013_09_28石巻線・仙石線・常磐線_213

●写真は2013年9月28日、仙石線高城町駅にて撮影。

また出かけましたらその報告をこのブログでさせて頂きます。

その東日本大震災で、日本に200億円を超える義捐金を送ってくれた台湾のシリーズを続けます。2014年11月30日の夕食後は昔ながらの日本式といわれている駅舎が今も使われている駅を探訪。まずは日南駅。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎15

白沙屯駅から更に4駅、彰化駅側に戻っています。(ホテルが彰化市内なのでこんな表現をしています)

時間は19:20。考えようによっては何でこんな時間に見学しているのかということになりますが、「鉄道三昧の旅」と銘うっているだけあってまだまだ「鉄」が続きます。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎16

寂れた感じがしないので、恐らく相当に手が入っていると思われる日南駅です。改札口の時計もいい雰囲気を醸し出しています。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎19

ホーム側から駅舎を見てみました。

国鉄時代にこんな駅舎を夜行列車の窓から覗いていたような気がします。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎20

いろいろ見ている内にこんな看板を見つけました。台中市の史跡に指定されているのですね。こうしてちゃんと手入れがされて残されているのは訪れる側からしても気持ちが良いものです。(トイレもあります)

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎18

日南駅の最後の写真。屋根下にある明かり窓と思われるお洒落な丸窓があり、こうした建付けは日本の駅(日本建築)では見かけた記憶がありません。もっとも私の加齢による記憶力の低下もあるので何とも歯切れが悪いのですが、とても珍しいのではないでしょうか?世の中まだまだ知らないことが多いと痛感しました。

(追伸)「日式」について…確かに日本風ではありますが、「日本」をそのまま持ち込んでいるわけではなく、台湾の気候風土に基づいた工夫もされています。そんなところを探してみるのも「日式」駅舎探訪の楽しみだそうです。

2015年03月10日 20時20分

台鉄海線と日本風駅舎(2)石蓮園で晩御飯。

後龍駅から2駅彰化駅側に戻る白沙屯駅近くまでやってきました。ここは海際。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎8

手ブレ×手ブレの本来ならブログで公表できるような写真ですが雰囲気という事でご容赦を。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎9

海岸の真ん前にあるここは『石蓮園』という鉄道車両の廃車体を使用しているレストラン&宿泊施設。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎10

夜来たこともあって怪しい雰囲気が全開。何せ「石蓮園」を検索さんに問い合わせても、日本語で書かれた「訪問記」のウェブサイトはあるにはあるもののとにかく少ない。というより殆ど無い!と言っても良い位。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎11

車内も飾り付けがやっぱり怪しい。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎12

晩御飯の弁当。日本では見かけないスタイル。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎14

私たちのツアーでは主菜は鶏、豚肉、野菜(素食)から選ぶようになっていました。確か1人前250元。

見た目は雑な感じですが味は良かったです。(お店の方には失礼な言い回しです。ゴメンナサイ)

白沙屯駅から歩いて10~15分ほどとのことでしたので、ツアーでなくとも寄り道しようと思えばできます。もっとも私はこのレストランもさることながら列車ホテルが思い切り気になりました。中はどんな感じなのでしょう?

一度泊まってみたいですね。自力で予約する自信がないのでどこかのツアーで企画してほしいところです。

2015年03月09日 20時44分

台鉄海線と日本風駅舎(1)海線で後龍駅へ。

今、“鉄系”の方たちの注目がダイヤ改正一色となっているのは承知しておりますが、私にとって北斗星とトワイライトの旅が今回のダイヤ改正へのレクイエム。そして次への希望である北陸新幹線にも上野東京ラインにも3月中の参戦予定はなく、いつかは出かけようとは思ってはいますが当面は見合わせです。

さて1月31日(土)以来の台湾シリーズ。2014年11月30日の台湾鉄路管理局(台鉄)海線の鉄旅から再開です。

彰化機務段の見学を終えた私たちは、彰化駅に戻り海線の旅と相成りました。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎1

因みに「成功」駅が山線で、「追分」駅が海線となります。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎2

彰化駅で列車の到着を待つ間に最新のEMU800形が顔を出したのでパチリ。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎3

こちらも最新のTEMU2000形電車「普悠瑪号(ぷゆまごう)」。海線列車の発車前に彰化始発の普悠瑪号が入線する事は教えられて知っていたのですが、撮影場所の選択を誤りました。とまあそんな訳で、この写真は撮影したという記録です。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎5

彰化駅発15:37の莒光号(何と花蓮行き)に乗車し、16:56の定刻からほんの少し遅れて後龍駅に到着。(ここで下車したその訳は?また明日。)

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎6

駅名標だけ見ていると山手線の駅みたいです。

2014_11_30 海線の旅&日本式駅舎7

駅はこじんまりした感じでしたが、それでもここは自強号、太魯閣号も含め全列車が停まる拠点駅。外観は高架の巨大建造物です。ひょっとして高架前の駅舎は荘厳な木造だったのかなとか余計な事を考え画像検索。コンクリートの普通の駅舎でした。

(余談)このツアーでは彰化⇒後龍は15:21発の自強号も選ぶことが出来、それに乗れば莒光号の後龍駅到着が駅撮りできました。

2015年01月31日 19時35分

彰化機務段(彰化機関区)(3)いすみ鉄道鳥塚社長と記念写真。

私たちがここ彰化機務段に到着したのは14:10頃。転車台のパフォーマンスが始まったのが14:25頃。で、油断していました。

2014_11_30 彰化機務段_10

突然エンジンの始動の音が聞こえたかと思ったら14:30過ぎにまたまた転車台回転が始まったのです。

2014_11_30 彰化機務段_11

機関車が車庫から出て転車台に乗り、一回りして出ていく様子を、お立ち台では多くの方が携帯で動画撮影していました。確かに転車台は一枚写真よりも動画が面白そうですね。

2014_11_30 彰化機務段_12

大勢の観客の前でまるでダンサーが如くダイナミックなターンを見せたR-64の前でいすみ鉄道鳥塚社長と記念写真。

2014_11_30 彰化機務段_13

姉妹鉄道提携の記念行事といったようなそもそも鉄道事業者の行事が組み込まれたツアーと言うのを私は初めて体験しました(そもそも私はこうしたツアーがあると聞いたことがありません)が、このツアーの企画がいすみ鉄道×鉄道ダイヤ情報ということから実現したのは間違いないでしょう。

ところでネットで飛行機からホテルまで何でも手配できる今時の旅行者が敢えてツアーに参加する理由は何でしょうか?ツアー代金が少々高くても参加者が行きたいところに連れて行ってくれて、かつそこでの滞在時間は必要にして十分かつ内容が満足できると言ったような“付加価値”の作り方ではないかと思っています。今回のツアーはそこのところの味付けも良く出来ていると感じました。

ただ旅行会社の立場で考えると、こうしたコアターゲット狙いのツアーの企画の大変さは相当なものでしょう。実はこれ、ターゲットを絞った番組の企画を考えるのと同じだと思っていたので、今回、こんなことを書いてみました。

2014_11_30 彰化機務段_14

さて彰化機務段から次の目的地に行くべく外に出たらそこには台湾の現実。11月30日(日)は台湾各地で行われた選挙の翌日で、この車は恐らく「当選御礼」の街宣と思われました。音量が凄い!ことになっていた。

2015年01月30日 20時33分

彰化機務段(彰化機関区)(2)扇形車庫と転車台の美しさ。

2014_11_30 彰化機務段_6

大型の扇形車庫の構造美について異論を唱える人は少ないと思います。

2014_11_30 彰化機務段_7

扇形車庫の存在に無くてはならないのが転車台。芸術的な様式美とは対極的とも言える機能性を突き詰めた中で生まれた形でしょうが、私はそこに『美』を感じています。そんな私の考え方は、少なくともこのブログを読んでいただいている皆さんには支持されると確信しています。

2014_11_30 彰化機務段_8

彰化機務段には扇形車庫・転車台を見下ろすお立ち台が作られています。ここは観光客が集中する場所で、皆さん交代しつつでの撮影となります。

2014_11_30 彰化機務段_9

転車台に集まる線路。何も言う事がありません。

2015年01月29日 20時26分

彰化機務段(彰化機関区)(1)転車台が回る。

2014_11_30 彰化機務段_1

鐡道*(「火」偏に「廣」)肉飯という看板のお店。彰化機務段(日本風に言うと彰化機関区)の入り口のところにあるので多分、鉄道に何か引っかけているような気がして気になりました。もっとも単に機関区の隣だからこの名があるのかもしれません。

どうでもいい話ですが(「火」偏+「廣」)の字はIME2010のIMEパッド(手書き)を使っても出てきませんでした。

2014_11_30 彰化機務段_2

話しがいきなり脇道から入ってしまいましたが、平成26年11月30日(日)、3箇所の目的地は彰化機務段。

まずは扇形車庫に入っていたCK101にご挨拶。ヘッドマークは集集線~いすみ鉄道姉妹鉄道提携の記念のものを置かせて頂きました。

ここではひょっとすると他の蒸気が扇形車庫にいるのではという淡い期待もありましたがそれは残念ながらの結果でした。

2014_11_30 彰化機務段_3

扇形車庫が扇形車庫たる転車台とじっくりご対面。この写真では分かりにくいですが、家族連れからカップルはたまた女の子のグループもいたりしてここは日本の鉄道事業者の車庫開放の様子とは全く異なり、一般的な“観光地”になっていました。

2014_11_30 彰化機務段_4

ここでは転車台に機関車を乗せて回すというまるで梅小路とか大宮同様のイベントが随時行われているようで、多くの観客の注目を浴びていました。

2014_11_30 彰化機務段_5

この写真で若い女性が目立つのが見てとってもらえるでしょうか?それにしても日本とは安全管理の概念の違いもあり、機関車と観客の位置がとにかく近い!勿論係りの方がいて注意を促してはいるのですが、日本とのレベルの違いは一目瞭然です。

ここの方が絶対に楽しい!ということだけは言えます。

2015年01月28日 20時23分

銀河の鐵道(2)撮り鉄にチャレンジ。

お店の場所は、高鐵の「台中」~「嘉義」間にあります。時刻表があればおおよその通過時間の見当がつくそうです。

ということでまずは12:21頃撮影の台北行き。

2014_11_30 銀河の鉄道4

今回は秒15コマの撮影をしており、これは一気に撮影した内の一枚で、一番のお気に入りです。

2014_11_30 銀河の鉄道5

13:04頃。同じく台北行き。こちらは一発勝負。

2014_11_30 銀河の鉄道6

13:24頃。これも一発勝負。少しずつ店内を移動して撮影場所を探っています。

2014_11_30 銀河の鉄道7

13:28頃の高雄・新左営方面行き。これは連写の中の一枚です。

ここはこうした写真撮影が出来る楽しいレストランですが公共の交通機関では行きにくい場所です。地図を見ると台湾鉄路管理局縦貫線員林駅からタクシーで行くのかな?と思いましたが、やはりこうしたツアーに参加するのが手っ取り早そうです。もっともあればですが…。

2015年01月27日 20時21分

銀河の鐵道(1)Railway to Galaxy。

平成26年11月30日、遂に行くことが出来ました。台湾新幹線の撮り鉄スポットとして日本でも様々なメディアに登場し、その名を広く知られているであろうと私は思っている『銀河の鐵道』。

2014_11_30 銀河の鉄道1

その入り口の看板には「Railway to Galaxy 銀河の鐵道」とありました。んっ?「の」が平仮名だ。極めて日本風な名前ですが、「鐵」が旧字。大井川、小湊、真岡、わたらせ渓谷と日本でもその字を使う鉄道事業者は数ありますが、旧字が使われている台湾での平仮名と旧字の混在は不思議な感じがしました。

2014_11_30 銀河の鉄道2

平成26年11月30日(日)の昼食。ところでこのお店で昼食が頂けるのは土・日・祝だけ。平日は17:00~24:00の営業で、流石「銀河」の名に負けていません。なおここに来るお客さんの主流は私たちの様な「鉄」系(グループを含む)というより夜景を楽しむカップル・家族連れが中心のようでした。

2014_11_30 銀河の鉄道3

さてやっとここが台湾新幹線の撮り鉄スポットである証拠写真を1枚。皆さん、食事中でも電車が通ればこの通り。もっとも人のことは言えません。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!