2015年01月26日 20時13分

集集線の旅(12)ミニ列車が走っている!何て知らなかった。

集集駅の外れから集集線に沿ってミニSLが走っていると移動のバスの中で聞きました。

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早速乗り場に行ってみました。

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1面1線のホームがあり、列車の姿は見えませんでした。

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列車はこんなところを走っています。この写真を激しくトリミングしました。

2014_11_30 台湾・集集線トリミング

実は列車が見えているのですが、さっぱり近づく気配がありません。バスの出発時間も迫っており、ここで写真撮影を諦めました。

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ミニSLから集集駅方面にはお土産屋さんが立ち並ぶ中を通ります。ここにあるナローの線路は一体何なのでしょうか?気にはなりましたがこれを追求するのは次回のお楽しみとすることにしました。(おいおい、また行くのか?と言う声が聞こえてきそうです)

いすみー集集線 姉妹鉄道

最後に今回のツアー参加者に配られたプレゼント。集集線といすみ鉄道の姉妹鉄道締結を記念した記念ファイル&いすみ鉄道一日フリー乗車券。名古屋から私にとっては心理的に遠いいすみ鉄道。運転体験も始まるので久しぶりに行きたいなあ…とは思ってはいますがさてどうなることやら。

2015年01月25日 20時11分

集集線の旅(11)集集駅。

日本統治時代に作られた集集駅。

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如何にも日本の木造駅舎という感じですが、ここ集集駅界隈は正に観光地。どこからこんなに多くの人が集まってきたのだろうと驚くばかりです。

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観光客が行き交う遊歩道のある場所で、列車がこんなに近い距離で通過していきました。

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まあ考えようですが、鉄道と人とのこの距離の近さは、ローカル線ならでは言えるのかも知れません。台湾であっても特急が走るような幹線では、そもそもこんな風景は見たことがありません。

2015年01月24日 19時55分

集集線の旅(10)水里駅で撮影タイム。

車埕駅から一つ二水駅よりの水里駅。

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ここで撮影タイム。往路の電車から見ていてもこの線の撮影場所は結構限られるなあとは感じていましたし、ツアーでは大型観光バスの駐車場所の確保と言うこともあり、選択肢に多少の制限があるのは止むを得ません。そんな中では思ったよりも上々の情景に出会えました。

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狙いは水里発10:05の下り列車。他の方も思い思いの場所で撮られているので、それが少々気になるところですが、まあ自分の選択を信じることにしました。

一見交換駅のように見えますが、実際には交換設備は残されていますが使われているようには見えませんでした。

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水里駅の次の目的地「集集駅」ですが、そこに向かう途中で集集大地震の遺構をもう一箇所見に行きました。

ここはお寺で、その造りは日本と大きく異なるので耐震性がどうだったかはよく分かりませんが、この隣には新しい本堂が建てられており、参拝客の姿を見ました。

日本でも東日本大震災の遺構の残し方について、「後世に伝えるために残そう」「震災を思い出すのでなくして欲しい」などなど議論があります。その是非を自分なりにもう一度考えてみようと思いました。

2015年01月23日 19時53分

集集線の旅(9)名物の茶葉蛋。

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巨大ダムの手前には池があり、散策コースになっています。

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そこを横目に見ながら行った先に客車風のオブジェがありました。

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なにかと言ったら茶葉蛋のお店。ここの名物との事で、茶葉蛋とは茶葉の煮卵のことだそうです。

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断面が美しくなくて申し訳ありませんがこんな感じです。こんな袋に入れてくれるので、この中で殻を割り食べます。意外と、というと怒られそうですが、2個目までは美味しく頂けそうな味でした。(それ以上は単に胸焼けしそうなだけで、味とは関係ありません…)

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いよいよ車埕駅とお別れする時間が近づいてきました。最後に終着駅らしく車止めを撮影してみました。

2015年01月22日 20時44分

集集線の旅(8)車埕駅周辺は観光地。

平成26年の車埕駅に戻ります。

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人影もまばらですが何せ朝の9時過ぎ。観光客が来るには早すぎる時間帯のためこんな感じです。でも画面の右端では男の子が女の子の撮影に夢中。この方達の他にも駅構内の鉄道シーンを背景にしてポーズを取りながら撮影するカップルがいたので、そんなブームもあるのだろうと感じました。

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広い構内がかつて貨物輸送で賑わっていた頃を髣髴(ほうふつ)させます。

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平成20年に来た時にも感じたのですが、ここは台湾市民の手軽な行楽地の一つだということ。時間が時間なので人が少ないのは致し方ないとして、それでもその時間からここのパンフレット(何と日本語あり)を配る方もいたりして、昼の賑わいは十分に伝わってきました。ピクトグラムもよく出来ていて分かりやすいのも観光地ならではと思いますが、この妙にリアルなトイレの案内にはクスッとしてしまいました。

※これはツアー参加者の方が「面白い」と教えてくれました。

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荷物を引き上げるためのインクラインの遺構だと以前聞いた記憶があるこの木造の構造物。

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昔、荷運び用のトロッコが走った木橋でしょうか?今はネコが主(あるじ)となっていました。

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さてさてこのネコ、しつこく写真を撮る私を一瞥しただけで、あとは無視。なんてことはない。かまってほしかったのは自分だと気付き、一寸寂しい気分。

2015年01月21日 22時10分

集集線の旅(7)CK124の列車に乗りました。

めったに1日2回の更新はしないのですが、今日はタイムリーさの関係で台湾話もしたかったので書くことにしました。昨日、日本政府観光局(JNTO)が発表した昨年(2014年)の外国からの訪日客数で、台湾が約283万人で1位であることが分かりました。今回のツアーでは中華航空を利用したのですが、台湾便は航空会社の別に関わらず、以前は日本人が圧倒的に多かった記憶です。それが今回、台湾の方が多い印象があり、正にその印象が正しかったことが裏付けられた格好です。名古屋~台湾便はトランジットも含め何度も利用しているので言えるのですが、やはり円安の影響もあると思っています。

さて平成20年(2008年)8月24日の集集線に話を戻します。

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集集線を完乗し、帰路は二水駅で購入した乗車券でまずはSL列車に乗りました。そして到着した集集駅でCK124の姿を撮ろうと思ったら…この状態で、テレビの取材もあってお祭り状態というより大混乱!ホームが狭いこともあるのですが、誰もお客さんを整理していないというのが当時の台湾。車埕駅での撮影が何ともならなかったもののそれでも集集駅なら何とかなるのではと思った自分の浅はかさに遅まきながら気付いた一瞬でした。。

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線路にも下り放題だったのでともかく撮影できたヘッドマーク。

さてこの上り列車はディーゼル機関車が引っ張っていて蒸気機関車はいわゆるぶら下がり。それでもこの人気ぶりでこの後の台湾の鉄道人気を予感させるには十分でした…などとお気軽な感想を書いていますが、実はこの時の旅には美味しい台湾料理に釣られてきた非鉄の同行者がいました。しかし車埕駅では私がその方をほったらかしにして(遅れに遅れた)列車の到着を待った上で写真を撮り、更にここでは訳の分からない人混みの中に置き去りにしたのでこの時点ですっかり“切れている”状態でした。事前に鉄旅であることは了解していたのですが、流石にこれは度が過ぎているということでこの日以降、私のパートナーは私の鉄旅に付き合う事はなくなりました…。(涙・笑)

2015年01月20日 20時37分

集集線の旅(6)2008年の収集線。

話しは同じ平成でも7年前の平成20年(2008年)8月24日に戻ります。この日、私は集集線の乗りつぶしに来ていました。

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前日、高雄に泊まっていた私は二水駅で下車し、ここから彰化駅始発の列車に乗りました。

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列車の中はご覧の通りの激混み。何で?と言いたくなるほどのお客が乗っており、“ローカル線”というイメージで私が思い描いていた『のんびり』『ゆったり』は、微塵もありませんでした。

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これが列車の混んでいた理由ではないと思うのですが、この日はCK124(日本で言うC12形)の運転日。もっとも私はCK124の運転日であることはこの日、二水駅に到着するまで全く知らず偶然の出来事でした。でチケットはあるかと二水駅で聞いたら、帰路の車埕駅⇒集集駅ならあるということでしたのでそのチケットを握り締めて車埕駅に行きました。

で、車埕駅でCK124の到着を待ち受けて撮影したのがこの一枚です。日本の常識では考えられない位置で撮影しているように見えますが、その通りです。到着する番線のレール上から狙っていました。

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更に近づいてきたところを撮影したものですが、列車と撮影者の距離がとにかくあり得ないほど近い!前の写真もこんな状況の中で人の間を縫って撮影した一枚です。

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このCK124の牽く列車の最後尾にはDHL109が付いており、どうやら後押しをしているようでした。それにしても凄い人・人・人でした。

(報告)今発売中の「鉄道ダイヤ情報」2月号にこのツアーで12月1日に訪れた「渓湖糖廠」について記事を書きました。よろしければご一読下さい。なおこのブログが「渓湖糖廠」に行き着くのは2月に入りそうです。ただ鉄道ダイヤ情報を読まれた方にも楽しんで頂けるように頑張りますのでよろしくお願いします。

2015年01月19日 20時33分

集集線の旅(5)集集線と集集大地震。

1999年(平成11年)9月21日、台湾中部に大きな地震が襲いました。集集大地震もしくは台湾中部大地震などと呼ばれていますが、その爪跡は今も集集線沿線に残されています。

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この鉄塔もそうで、震災遺構として撤去されていないとの事でした。

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集集線の名前の由縁である「集集駅」の駅舎も、倒壊した駅舎を元の形に修復したものです。

この地震の時に日本からも多数の救助隊が駆けつけ、その後の東日本大震災の際に、その恩義を忘れていないとして多額の募金が日本に届いた事は記憶に新しいところですね。

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そうした話を車内で聞きつつ列車は終点の車埕駅に到着。

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ここで鳥塚社長自らヘッドマークを外し、

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しばし撮影タイムとなりました。

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列車は折り返し9:00発。それを我々は見送り、しばし車埕駅周辺の撮影&散策タイムとなりました。

2015年01月18日 20時16分

集集線の旅(4)いすみ鉄道との姉妹鉄道提携記念式典。

列車が到着して早速記念式典の準備。というかツアーにこうした式典が組み込まれていること自体に大いに驚かされました。

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まずはヘッドマークの取り付け。

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これでセットアップ完了。

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次にいすみ鉄道鳥塚社長と二水駅林駅長がこの日のために用意していた横断幕を出して記念撮影。私も久しぶりに報道記者に戻った気分になりました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

最後にサイン入りヘッドマークと私たちツアー参加者も入って記念撮影。旅行写真作家結解喜幸さんに撮影していただきました。本当に良い“記念”と“思い出”になりました。ツアー会社から渡されていた日程表では流石にこれは予測できなかった!

これが平成26年11月30日(土)7:56の出来事。出発まであと4分の慌しさはありましたが、午前8時にして既に満足バロメーター大幅上昇中。。

2015年01月17日 20時13分

集集線の旅(3)二水駅点景。

7:40過ぎに一旦駅の外に出てお約束の駅舎ショット。

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駅舎のデジタル時計は7:43を指していますが、最近、日本では駅舎の時計ってみかけないような気がします。

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台湾でも夜間帯のホームは安全ではないということでしょうか?ホームを渡る地下通路にこんな張り紙がありました。

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7:48に集集線の列車が入ってきました。折り返し8:00発の車埕行きです。駅員さんが力を込めて手を方の高さに上げていますが、これには理由があります。

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それはタブレットを受け取るため。ただ私はその受け取る瞬間の撮影に失敗し、受け取った後にこの写真を撮影するのが精一杯でした。理由は…。上の写真を撮った直後に「あっ、タブレット」と気が付いたのですが、次のシャッターを押せたのがこれでした。次回があれば連写設定にしようと固く心に誓いました。(涙)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!