2014年08月28日 19時06分

8月のイギリス(1)ロンドンへの道。

今年の夏休みは、8月4日から11日までイギリスに行っていました。今回は鉄分少なめに、ロンドン市内&ロンドン郊外の観光を目的に楽しむ旅でしたが、もっともそれだけで終われないのが私です。ディープ鉄話はまた後日。また海外鉄をされる方に少しは役に立つ情報も発信できればと思っています。しばらくお付き合い下さい。

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名古屋からロンドンに向う場合、その空路の選択肢は、日系・欧州系航空会社が時間的には短くなります。ただ今回は歳も歳なのでビジネスクラスで行くべく、複数の航空運賃比較サイトでしっかり調べ、往路は「中国国際航空」(北京経由)、復路は「中国東方航空」(上海経由)を選びました。名古屋から欧州に直行する便を利用するより、少々時間はかかりますが、オンシーズンでも比較的値段が落ち着いていたのがその理由です。(因みに私の座った席の通路を挟んだ席に座っていた方は北京経由でアメリカに向かうとのことでした)

でも不思議なのは、上記のルートを中国国際航空で発券するパターンが最安値(正規割引チケット)だったこと。アライアンスも異なっており、航空業界のことはよく分かりません。因みに航空券の名前の下のマスクをした部分にはスターアライアンスの「ANA」のマイレージカードの番号が入っていました。

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北京空港到着時に心配だったのが飛行機の乗り継ぎ。ネットで検索した時は不安が募りましたが全く迷うことも無く次の搭乗口に向かうことができ、やはり今時の国際標準の巨大空港でした。

ただ北京空港は離発着で込み合っており、定刻で14:10発だったのが実際にスポットを離れたのはその時間からしばらく経ってからで、更に離陸したのは15:15を回っていました。結局ロンドン到着は定刻では17:45だったのですが、30分少々遅れての到着でした。

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北京から搭乗した飛行機からの風景。何もない風景が広がるのは広大な国土を持つ中国らしいですね。

2014年05月09日 20時14分

スイス「鉄」紀行1991(12)さようならスイス。

1991年10月31日、私はスイスを後にして最後の目的地イギリスに向かいました。

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で、チューリッヒ空港に向かう列車がユーレイルパスの最後の乗車区間となりました。

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チューリッヒ空港駅にあったサボ(行先標)の山。行先にはドイツのミュンヘンがあったりして国際的です。

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空港駅を上がったところだったと思うのですが、こんな展示がありました。

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チューリッヒからロンドンに向かう飛行機の中で、隣の席に座った方(日本人ではありません)から、「日本人か?」「ロンドンは初めてか?」と聞かれました。

質問の意味が今一つ呑み込めてなかったのですが、その謎は直ぐに解けました。「ウインザー城がもうすぐ見られるよ」と言われ、確かに私と同じ窓側に座っていた乗客は身を乗り出すように眼下に広がる風景を見ていました。

 ウインザー城

袖振り合うも多生の縁。こうして思い出を残すことが出来ました。

2014年05月08日 20時09分

スイス「鉄」紀行1991(11)ゴッタルドトンネル体験。

1991年10月30日、この日は午後からサン・ゴッタルド(St. Gotthard)トンネルを目指しました。

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写真はその道中ですが、眼下に今通ってきた線路も見えています。目的のトンネルはゲッシェネン~アイロロ間15kmを結ぶもので、何と1882年(明治15年)にこんな長大なトンネルが開通していました。私が乗った当時も、そして今もスイス~イタリア(ミラノ方面)を結ぶ幹線鉄道で、乗車の感想というより、私には珍しく「この絶景の写真を撮ってみたい」というメモが残っています。

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現在、ゴッタルドトンネルの下には世界最長のトンネルとなるゴッタルドベーストンネル(全長57.1km)が建設中で、ここに行くなら今の内とも思いますがさてそれが実現することは難しいかも?

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余談ですがこの時、アイロロより少し南のBellinzonaまで乗車しています。そこはイタリア語圏で、何が列車内で起こったかと言うと車内アナウンスが、「Buon giorno(ブォンジョールノ)」で始まりました。

それまで案内放送の順番はドイツ語が先だったのがその順番が変わったのです。所変われば品変わる。

 

※トンネルの出典/一般社団法人日本トンネル技術協会HP「トンネルベスト10」

2014年05月07日 20時13分

スイス「鉄」紀行1991(10)ラウターブルンネン経由。

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さてこの日、チューリッヒを出てからここユングフラウヨッホまで日本人とは出会いませんでした。正確に言うと個人旅行者は私だけでした。実は私の乗ったユングフラウヨッホ行きの列車には続行運転の列車があり、それは何と日本人団体客の貸切!ここ数年、ヨーロッパの観光地で日本人の団体客を見かけることが減ったような気がしていますが、当時はまだまだ健在でした。と、ここまで書いて気が付いた。最近は「鉄」目的の旅が続いており、所謂日本人観光客が来る名所・旧跡には出かけていませんでした。

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クライネ・シャイデックからインターラーケン・オストへの戻りはLauterbrunnen(ラウターブルンネン)経由を選びました。

Microsoft Word - ユングフラウ鉄道図

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ここは途中にあるWengen(ヴェンゲン)駅。800ミリのナローとラックレールを堪能できる楽しい一枚だと思っています。

(追伸)インターラーケン・オストからチューリッヒへの戻りは、「ベルン」経由を選びました。そのベルンからチューリッヒに向かう列車に乗ったのはもう夜も更けてからでした。お腹もすいたということで食堂車に足を向けたのですが、車内は混雑しており相席となりました。その数少ない席は日本人2人が先客でした。その日本人は2人とも個人旅行で、何と1人旅の中年男3人が夕闇を行くスイスの食堂車で、ビールで乾杯となりました。旅は道連れ。

2014年05月02日 19時37分

スイス「鉄」紀行1991(5)チューリッヒ市内のトラム。

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チューリッヒの街はトラムが発達しています。昨日の「POLYBAHN(ポリバーン)」から見下ろすとこんな風景があります。

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市街地ではこんな風景も。

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また1日おいて10月30日(水)には郊外電車体験もしました。特にこの路線に乗ろうというほど積極的な動機もなく、来た電車を適当に撮影して、来た電車に適当に乗り、適当にチューリッヒに戻ってきました。ユーレイルパスを使っていたから出来る術でした。

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スイス国鉄の最新電車の横にこんな可愛い電気機関車がいるのがスイスらしいと思ったのですが、今回、この写真を見つけた時に、当時「リンク式連結器がこれほど似合うものは他に無い!」と声を出したい気分だったことを思い出しました。(笑)

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Dietlikon駅で見かけたS6系統の電車。後ろにいる客車が今になって気になります。

2014年05月01日 20時27分

スイス「鉄」紀行1991(4)チューリッヒのケーブルカー。

1991年10月28日(月)は、ルツェルンに行った後はチューリッヒに戻り、街歩きをしていました。

POLYBAHN

ここチューリッヒには当時、ケーブルカーとラックレール式鉄道という如何にも山岳都市らしい交通機関が市内交通として機能しており、まずはチューリッヒ駅にほど近いビルにあるケーブルカー「POLYBAHN(ポリバーン)」の駅に向かいました。POLYBAHN2このケーブルカーは駅を出て直ぐにトラムをオーバークロスして山を駆け上がって行きます。

POLYBAHN3終点はこんな可愛い山小屋風。全長は176メートルですので鞍馬山鋼索鉄道よりも短いことになります。

Dolderbahn

 

そしてラックレール式鉄道の「Dolderbahn(ドルダーバーン)」。この路線は元々ケーブルカーだったそうで、そう思ってみればそんな雰囲気があるものだと当時、妙に納得していたことを覚えています。

名古屋という街は平野の只中にあることもあり、急な勾配にある市街地がそもそも限られています。その代表格は中京テレビのある八事界隈でしょうが、こうした風景が登場するとはとても思えません。

2014年04月30日 19時22分

スイス「鉄」紀行1991(3)ルツェルン市内のトロリーバス。

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ところでルツェルン市と言えば、この橋「カペル橋」が街のランドマーク(象徴)になっており、多くの観光客が当時も訪れていました。

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この橋は屋根があることが特徴となっており、同様のものでは(私の個人的選択です)イタリアのフィレンツェにあるヴェッキオ橋(ポンテ・ヴェッキオ)や岩手県釜石市にかってあった「橋上市場」といったところが有名です。

ここで日本人の団体さんと出会い、ガイドさんから「一人旅ですか?」と聞かれ、「そうです」と答えたらツアー参加の方から「凄い!」と言われました。恐らく中年男の一人旅が珍しかったのでと思います。まああまりビジネスで行くところではありませんから。

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話しの順番が逆ですが、ここルツェルンの街の公共交通の主力はトロリーバスでした。写真はスイス国鉄のルツェルン駅前ですが、ご覧の通りの様子です。日本ではトロリーバスは鉄道の一種で、私自身も鉄道乗りつぶしの対象にしていますが、日本の都市ではこんな姿はお目にかかれません。

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車内はこんな感じで路線バスなのですが、連結部の幌が路面電車的と言えばその通りです。

 

2014年04月28日 19時11分

スイス「鉄」紀行1991(1)チューリッヒへの道。

2013年3月14日にUPした「オーストリア」の続編で、いよいよスイス入りです。

今回はスイス「鉄」紀行1991というタイトルにしてみました。理由の一つには皆さんへの「情報」としては古すぎて参考にならないと思われたからです。では早速スタートです。

※1991年10月~11月。私はシベリア鉄道~スウェーデン~ドイツ~オーストリア~スイス~イギリスと会社の研修で回りました。その時に撮りためた写真をUPしています。

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写真はスイス国鉄「チューリッヒ中央駅」。チューリッヒには1991年(平成3年)10月27日(日)から4泊、10月31日(木)まで滞在しました。

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そのチューリッヒまでのウィーンからの移動は当然、鉄路なのですが、私の記録ノートによればほぼ満席とありました。列車はコンパートメントの相室で、途中のザルツブルクまではペルー人の家族と一緒だったとあります。大の日本好きで、「電子レンジ(パナソニック)」「冷蔵庫」「テレビ・VTR(ソニー)」「車(日産)」と日本製品に囲まれ、日本製でないのは「夫」だけと笑う陽気な奥さんの好きなテレビ番組は「おしん」でした。

2014年03月03日 21時51分

南アフリカの鉄道(6)ケーブルカーを撮り鉄!?

ガイドブックには「ケーブルカー」としか記述が無く、詳細が不明だったのですが、ツアーのガイドさんが少し調べてくれました。

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全長585メートル、高低差87メートル、最大傾斜16%…。楽しい3分間でした。

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上りはケーブルカーに乗り、下りは歩く人が多いとのことでしたので私もそれに倣いました。

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そのついでに写真撮影。今回は所謂観光ツアーに参加していたので、他のツアー参加者の方には不審な動きに見えたようで、後で私は「鉄」ちゃんだと説明したのですが、「これも鉄道?」という反応でした。そうっ!立派な鉄道なんです。

今日のおまけ…

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「野良ダチョウだっ!」と言ったら、周りから言葉を大切にする仕事に携わる者の表現としては如何なものかとの指摘がありました。(笑)ここは「野生のダチョウ」と書くべきですね。

それはさておき南部アフリカでは日本なら動物園でしか見れらない動物たちが、サファリパークでもないのにそこかしこで見ることが出来ました。最後にこのような幸せな時間を私に与えてくれた会社の同僚・家族に感謝してこのシリーズを終えます。

2014年03月02日 21時47分

南アフリカの鉄道(5)多分??アフリカ最南端の鉄道???

喜望峰。ついに来ました。2014年1月26日のことでした。

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南アフリカの旅のクライマックスはバスコ・ダ・ガマに思いを馳せる「喜望峰」。 英名の「Cape of Good Hope」は直訳すると「良い希望岬」ですが、「喜望峰」と訳した人のセンスは素晴らしいと思いました。

それはさておき中学校の社会の時間(確か…、そんな気がする。高校の世界史ではない…)に『大航海』時代を学び、それ以来、大西洋(ヨーロッパ)とインド洋(アジア)の結び目を「Good Hope」と名付けた時代背景、、、自分の『命』と『夢』を天秤にかけ、『夢』を追いかけた人たちがいた時代に心惹かれていました。

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喜望峰のあるケープ半島は、イメージとは異なりアフリカの最南端ではありません。そのケープ半島にある「ケープポイント」と呼ばれる場所にはケーブルカーが走っています。

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一応、南アフリカの地図で確認したのですが、私の見た感じでは旅客鉄道のアフリカ最南端がこのケーブルカーのような気がしています。でも確信が持てないのでタイトルは「?????」と?を5つも付けてしまいました。

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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!