2013年04月12日 20時23分

2013年2月の台湾(2)台北駅前の静態保存車。

名古屋(中部)から台北(桃園)までの所要時間は往路で3時間20~30分、帰路で2時間30分と時刻表にありますが、飛んでいる時間はそれほどではなく、帰路であれば2時間ちょっとということもあります。あまりにもあっけなくて外国に出かけた感じがしないほどです。まあ距離的には、沖縄本島の先、石垣島とあまり変わりません。

余談ですが、上海は片道2時間強と那覇とどっこいで、台北よりも名古屋から近い位置にあります。

さて台北駅。日本語読みでは『たいほく』ですが『台北』と漢字で書いてあれば『たいぺい』と読まない人はいないと言ってよいほど一般的になっています。

その駅前には2両の車両が静態保存展示されています。

1両は「LDK28号」蒸気機関車。1923年に日本車輌製造で作られたものです。

そしてこちらは台湾製の気動車「LDR2201号」で、蒸気機関車と繋がっているからと言って、決して客車ではなく、解説板には最高時速70キロとありました。 どちらも置かれている線路からお察しいただけると思いますがナロー(762ミリ)の車両で、1067ミリに改軌される前の台東線(解説板には「花東線」とありましたが、今はやはり台東線ですね)で使用されていたものです。花蓮~台東間を結ぶ台東線は台湾の東海岸を南北に繋ぐ大幹線ですが、ナロー時代の終焉は1982年(昭和57年)と意外なほど最近で、ともかく「夜行列車(寝台車あり)の走るナロー」ということでも日本でも知られていました。

それにしてもLDR2201号のヘッドライトは作られた時はきっと1つ目だったのでは思っています…。

さてこちらは車両たちと並んでいるベンチ。利用率が高いので、この写真を撮るのに意外と時間がかかりましたが、如何にも鉄道駅前らしいベンチです。どこかで作ってくれないかなあ…。

2013年04月11日 20時39分

2013年2月の台湾(1)巨大駅「台北」。

海外に「鉄道」を目的に出かけたのは、1991年が初回です。

その後、海外「鉄」には縁がないというより、年齢的に仕事が一番忙しい時期であり、少しの時間が出来るとその時間は家庭優先となるため国内の「鉄」活も控えていました。それでも子供たちが中学に進学した頃から少しずつ「鉄」活に復帰を始め、その手始めの行先に「台湾」を選びました。2000年(平成8年)5月の事でした。それ以来、台湾はお気に入りの場所となり、今年の2月21日には4回目の台湾入りを果たしました。

台湾旅は、初回こそ1人「鉄」旅でしたがそれ以降、それは許されず、今回も「鉄も…」、、、ある旅でした。

まずは台北駅にご挨拶。

重厚感あふれる駅舎の中は巨大な吹き抜けとなっており、思いのほか人が少ない感じですが、台湾鉄路管理局のホームも台湾高速鉄道のホームも地下にあり、かつ地下には改札だけではなく切符売り場もあるためだと思われます。

ところで台湾での「鉄」活を選んでいる理由ですが、

1)日本から台湾までの移動交通費が比較的手頃であること。今ならシーズンにもよりますが、燃油サーチャージ別で往復2万円前後からあります。

2)「乗りつぶし」をするのに台湾の全線完乗なら何となく出来そうかな?と思えたこと。

3)“読み方”はさておき、使われている文字は漢字であり、それも繁体文字(旧漢字)。駅の名前は読めなくとも路線図があれば今どこにいるかは、とりあえず分かります。(その分、日本語読みは分かるモノの本来の読み方を覚えないのでドツボにはまったこともありますが…)

4)治安の面でそれほど心配する必要もなく(油断は大敵ですが…)、合わせて最初に出かけた時のみならず毎回、台湾の方の親切に触れ、また助けていただいたことも何度もあり、まあトラブルなく済んだことはないのですが、それは身の危険ということではありません。

ということで日本との縁が深い台湾「鉄」旅に暫くお付き合い下さい。

2013年04月05日 19時03分

台湾高速鉄道700T型の置物。

台湾高速鉄道700T型の置物。

大きさ的にはHOゲージと同じ位でしょうか?何せ私の家には鉄道模型が無いため比較ができませんが、まず間違いないと思います。

さてこの置物の台座には「台灣南北高速鐵路700T型列車出廠記念2004.1.30」とあり、後ろの箱には「Taiwan High Speed Rail 台灣高鐵」とありました。

台湾の高速鉄道は2007年(平成19年)の開業で、まあこれ以上の詳しい話しはさておき、『出廠記念2004.1.30』の文字から、日本で最初の700T型が作られたのが2004年(平成16年)であったことがこれで分かります。

この置物が私の手元に届いた経緯を簡単に書きます。

日本テレビ系列のニュースネットワークはNNNと呼ばれていますが、その海外支局の一つに(かってですが)台北支局がありました。その台北支局に特派員を派遣し、運営していたのが中京テレビで、この置物は2004年当時、台湾高速鉄道が作り、関係者やマスコミにプレゼントしたものだそうです。

台北支局は既にありませんが、この置物を当社の報道関係者が保管しており、それが回りまわって私の手元にやってきました。

手渡された時、「嬉しい!」と素直に思いました。ということだけではなく、台湾の高速鉄道にかける当時の意気込み・熱気も感じました。

2013年03月14日 19時33分

1991年のオーストリア。

1991年10月25日、ミュンヘンからオーストリアの首都「ウィーン」を目指しました。

 

その途中、ザルツブルグに立ち寄りました。ザルツブルグ中央駅の駅前に、「SALZBURG LOKAL BAHNHOF」があり、そこに路面電車タイプの車両が停車していました。駅名は意訳すれば「ザルツブルグ地元中央駅」とか「ザルツブルグ地方線中央駅」と言ったところでしょうか。(検索したところ、この駅は今は地下化されているようです)

ところでザルツブルグと言えばモーツアルトが住んでいたことで有名ですが、途中下車した理由は、映画「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地巡り。ミーハーと言われてもこれだけは行きたかった!

で、それを終えると「ウィーン」に向かい、ホテルにチェックインしました。

※予約していたホテルへの道順をウィーン西駅のインフォメーションで聞いたのですが、「難しい!」と言われタクシーを勧められたのですが、そのタクシーがなかなか来ず、更に乗ったタクシーが夕方のラッシュに巻き込まれてやたら時間がかかったというメモが残っていました。

 

さてウィーン市民の交通機関と言えばトラム。

 

そして地下鉄。まずは電車そのものではなくホームをご覧下さい。天井部分が芸術に包まれています。スウェーデンの首都、ストックホルムの地下鉄芸術を紹介した際にも書いたような気がしていますが、公共交通機関の利用者に芸術に触れる楽しさを提供し、芸術家には表現の場を提供するという様々な効果がありますし、何よりも街のイメージアップに繋がると思うのですが如何でしょうか。

 

1991年のヨーロッパはひとまず終了です。この続きは「スイス編」「イギリス編」があります。フィルムのデジタル化は終わっているのでまたいつかこのブログで紹介させてください。

2013年03月13日 22時44分

1991年のドイツ(19)ミュンヘン・ドイツ博物館。

ミュンヘンと言えば『ドイツ博物館』。ここは科学と技術の巨大な博物館でとにかく広かったのと、飛行機・車に鉄道そして船と乗り物系が充実されていると思いました。

日本でも東京・上野に「国立科学博物館」がありますが、そこは私の印象では自然科学の博物館で、ドイツ博物館の様な『ありとあらゆる』と言いたくなるほど充実した近代産業史を振り返ることのできる施設は、日本では類を見ないと言っても良いでしょう。

写真はその飛行機ブロックですが、乗り物マニアとしては、今写真を見ても楽しくなります。

一方、鉄道ブロックには色々な鉄道車両が展示され、この緑色の機関車は、Wikipediaで検索したところ「王立バイエルン邦有鉄道S3/6型蒸気機関車」S3/6型 No.3634 (18 451)とありました。

鉄道博物館、二リア・鉄道館を始め大規模な鉄道展示館が増えた日本ですが、1991年当時、『ニュールンベルグ鉄道博物館』やこの『ドイツ博物館』の規模には圧倒されました。

2013年03月12日 21時16分

1991年のドイツ(18)ミュンヘン中央駅の今昔。

2011年11月21日のドイツ・ミュンヘン中央駅。頭端式のホームに高速列車・ICE(ここには3とT)がズラリと並んでいるのは丸で新幹線の東京駅というか九州新幹線の鹿児島中央駅が如くでしょうか。

その同じミュンヘン中央駅の1991年10月24日の様子です。似たような方向で撮っているので比較は一目瞭然なのですが、停車中の列車がバラエティーに富んでいるのにまず目が行きます。かつ一番手前の電気機関車の所には「荷物」が『山』とは言わないものの、数多く積まれており、当時、ドイツでは鉄道による荷物輸送が盛んだったであろうと推測できます。20年後の2011年にはホームで荷物を見かけることはありませんでした。日本でも20年も経てば風景は変わりますが、同じ場所で“在来線”の姿が無くなり“新幹線”になることはありません。

ミュンヘン中央駅のコンコースにあった売店はDBの機関車でした。当時、登場したばかりICEではなく、特急牽引用の103型で、写真のDBのヘッドマークの下に数字が「103 113 7」とあることから型式名には自信があります。ということで、この機関車はその113号機となるのでしょうが、最後の「7」の意味は分かりません。

2013年03月11日 20時52分

1991年のドイツ(17)ニュールンベルグ鉄道博物館。

昨日は大井川鐵道に行っていました。「2013 春の大鉄まつり」です。今、写真を整理していますので今週末位から連載します。よろしければご覧ください。

さて1991年のドイツです。シュツットガルトを出て、10月23日はニュールンベルグに向かいました。目的はただ一つ、ニュールンベルグ(ニュルンベルクと書いてあることの方が多いかも?)にあるドイツ鉄道の博物館。

重厚な感じの建物で、如何にも博物館らしさを感じます。

鉄道博物館の定番、模型のコーナーもあり、最近の日本の同様施設から比べればこじんまりとした印象ですが、今から20年前の時代にあってはこうして写真を撮るほどの価値があったのでしょう。

勿論、主たる展示は本物に車両で、こうしたドイツらしさを感じる機関車の姿は惚れ惚れします。と書きつつ、何型式の車両かどうかのメモはとっておらず、『惚れ惚れ』等と言うのはその場しのぎのごまかしであることを正直に告白しておきます。

一応、書いてあるナンバーからは左の蒸気機関車は「ドイツ国鉄05形」であることは分かるのですが、電気機関車の方は分かりません。何れにしても如何にもドイツらしさを感じさせてくれます。その理由を書くのは難しいのですが、要は雰囲気です。

2013年03月10日 21時19分

1991年のドイツ(16)シュツットガルトのケーブルカー。

シュツットガルトの街のもう一つの名物がこれ。ケーブルカー。

当時のメモには「Seilbahnstraße」~「Waldfriedhof」間のケーブルカーとあったのですが、「Seilbahnstraße」は言うならば「ケーブルカー」通りという事で、今思えば駅名とは若干異なるニュアンスかも知れません。

古色蒼然たる車両で驚くべきですが、鉄道のスタッフは鉄道マニアを見慣れているのか、車内では先頭部分の窓を開けてくれたりして、便宜を図ってくれました。日中は12分間隔で、乗車時間は約4分。乗務員が2人乗っていたとメモにありました。

また、こちらの車内の写真ですが、左に座っているご婦人たちには、ドイツ語でちゃんと承諾を得て撮影しています。(「撮影していいですか?」とガイドブックに書いてあったのをそのまま見せた)

それはさておき、外観だけではなく、内装も古色蒼然ですが、いい味を出していると思うのは私だけではないはず。1991年当時でも、この車両は現役で、決して保存鉄道ではありません。

終点はこんな感じで、墓地への足…と聞いたような気がします。

2013年03月09日 21時13分

1991年のドイツ(15)シュツットガルト・ラックレールの威力。

ラックレールの鉄道は登山電車のイメージですが、ここはあくまでも市街電車です。

大体どれくらいの傾斜かと言えば例えば「Haigst」停留所ではこんな感じです。当時、もう少しちゃんと調べておけば良かったと思っても後の祭りですが、「Wielandshöhe」の停留所には123パーミルの案内表示がされていました。

参考までに英語版Wikipedia「Stuttgart Rack Railway」には、最大傾斜は17.5%とありましたが…、123も175もこれ位になると今一つ実感がありません。ただただ急勾配であることだけを感じていました。

ラックレール鉄道で楽しみの一つにポイントの構造があります。この写真を改めて見て感じたのは、線路とラックレールが同時に動くのを動画で撮ってみたいと思ったことです。

ところで電車の山側には貨車がついています。目的は『自転車を積む』というのがドイツらしさですが、比較するには種類は異なるのですが。日本の立山ケーブルカーは貨車が谷側についており、その違いは面白いですね。(このラックレールのトラムは言うまでもなく、今も現役です)

2013年03月08日 21時12分

1991年のドイツ(14)シュツットガルトのラックレールトラム。

シュツットガルトと言えば、ベンツ!

シュツットガルトの観光の目玉(だと私は思っています)がメルセデス・ベンツミュージアムです。

1991年10月22日、やはりここは外せないだろうと思って足を運びました。

「ただ、、、」と敢えて書かせていただきますが、私にとってシュツットガルトで最大のアトラクションはかのベンツ博物館よりこちらです。

シュツットガルト中央駅からほど近い「Marienplatz」停留所。トラムにしては明らかに大がかりな車止めが目立ちます。ここから「10系統」は出発し、「Degerloch」を目指します。

この10系統は単線のトラムでしたが、手元のメモでは15分間隔と書いてあり、運転頻度は都市交通の役割を十分に果たしていました。「あれっ」と思いつつ線路の間にあるもう一つの線路の様な存在にお気付き頂けましたでしょうか?

交換駅「Wielandshöhe」でのこの写真で一目瞭然ですね。起点から終点まで『ラックレール』の路線で、そもそも道路に敷かれたラックレールは相当に珍しい存在のはずで、「世界でここだけ!」だったらどんなに楽しいかと思ってここを訪れました。

冒頭の「シュツットガルトで最大のアトラクション」と書いた理由がここにあります。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2021年2月
« 7月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!