2013年01月12日 20時04分

鉄道交通を考える。(6)フランス・ストラスブール市のトラム。

私がヨーロッパで訪ねてみたいトラムの走る町を二つあげるなら一つがドイツのカールスルーエ。そしてもう一つがここストラスブールのトラムです。

この写真は「ストラスブール」駅の地下にあるトラムの駅「Gare centrale」です。実は昨日UPした上の写真(では分からないと思いますが…)の真ん中に地下に降りるエスカレーターがあります。そこには「STATION TRAM GARE CENTRALE」の文字が見えています。

人口約26万人のストラスブール市のトラムは1994年11月25日に誕生しました。ということではなく1960年に全廃された路面電車が“復活”したものです。しかもここのトラムは、新しい都市計画に基づいて一から作られたもので、地下駅も国鉄駅と交差するために新設されたものです。そしてここストラスブールの街は、21世紀に入りますます拡大する世界のトラムを語る時に、必ず出てくる場所なのです。

しかしその再生への足取りは、今、日本国内で喧伝されているような『先進的路面電車=ヨーロッパのトラム』と一言で済まされるような簡単なことで無かったようです。ともかくことが全て順調に進んで今があるわけではなく、関係者の努力と情熱、そして住民の理解があってこそ幾つもの困難を乗り越えることが出来ての開通でした。そして今では6路線53キロがこの街に走っています。

(参考:広島電鉄の鉄・軌道の路線延長でも35.1キロです)

今はそんなことを微塵も感じさせないほどストラスブールの街にトラムは馴染んでいるようです。(友人談)

写真はD線で運行中の2000系で7車体のトラムが街中を走る姿は圧巻の一言です。

 

(参考文献)

ヴァンソン藤井由美著「ストラスブールのまちづくり」学芸出版社

(参考講演)

ヴァンソン藤井由美「公共交通導入で賑わうフランスの地方都市」全国路面電車サミット2012大阪・堺にて

2013年01月11日 21時09分

鉄道交通を考える。(5)フランス・ストラスブール市。

フランスの首都パリからTGVで2時間20分、フランス北東部にストラスブール市があります。その玄関口が「ストラスブール」駅。

大きなカイコの繭の様であり、また大きなガラス細工のようなこの建物は鉄道駅というよりコンベンションセンターというか飛行場の空港ビルのような感じもします。今時のヨーロッパの鉄道駅はかくも洗練された近代的と言うより近未来的デザインで作られているのかと驚きを隠せません。

そのガラス張りの駅舎の中にはもう一つ駅舎があります。これが旧駅舎で、もっとも『旧』と言っても現役なのですが、この駅舎の保存問題が出たときに、建て替えではなく、それをスッポリ覆う建物の中で保存するという発想は日本ではなかなか考えられないでしょう。

もっとも門司港駅のように手間暇かけて保存修理を行ったり、観点は異なりますが東京駅の“復原”と『比較して』と言う意味ではありません。

あくまでも私個人の感想ですが、例えば梅小路蒸気機関車館に移築されている山陰本線「二条駅」が、そのままの場所でストラスブール駅のように保存・活用されたとしたなら素敵だなあというレベルです。

それにしてもガラス張りの構内はとても明るくまるで屋外にいるが如くです。

日本とは文化が異なるため、市民感覚を含め一概に比較することは許されませんが、機能性が優先される日本の駅との違いを感じざるを得ません。

 

ところで今回の写真は私が撮影したものではなく、私のワイン好きな友人がフランス・ストラスブールを2011年9月に訪れた際、私のリクエストに応えて撮影してくれたものです。(この場を借りて御礼申し上げます)

因みに彼は「鉄」ではありません。

2013年01月09日 21時55分

鉄道交通を考える。(4)ドイツ・マンハイム市。

「電車でまちを元気にしたい~公共交通の活性化はみんなの幸せ~」という「第11回全国路面電車サミット 2012大阪・堺」のキャッチフレーズといっても良いかと思うのですが、その言葉に触発されて路面電車(LRT)を中心に、ドイツと日本の“鉄道”“公共交通”について思うところを書き綴ります。公共交通と鉄道というテーマについては、既に専門家の方たちが様々な書籍・論文等を発表しておられ、私が改めて書くまでもないことは重々承知の上ですが、『趣味』の域を出ない者が書いてみるのも良いかなと思っています。

ということでいきなりドイツの南西部に位置する「マンハイム」市のトラムです。ここは名古屋からの直行便も飛んでいる「フランクフルト」の南に位置する町で、人口は約31万人(Wikipedia他参照)。「マンハイム中央駅」前にもドイツ“らしく”トラムはちゃんと走っており、RNV8形(5701編成)がデンと構えている姿は市街交通の主役が何であるかが一目で分かります。

※マンハイムのトラムの総延長は53.1キロ(参考資料:Schwandl’s TRAM ATRAS DEUTSCHLAND 2012)

そのトラムの線路は、ここマンハイムではトラム専用ではなく、同じ場所を路線バスも走っています。写真のバスは小型車両ですが、大型のバス車両も同様に走っており、トラムとバスが同じ停留所を共用しているようでした。

この駅にはフランクフルトからミュンヘンへの移動時に下車したもので、ICE(ドイツの高速鉄道)を1本遅らせて本来の目的地、ミュンヘンに向かいました。そのため街歩きもしておらず、駅前に数十分いただけですので、とてもここで語るほどではないのですが、それでもこの写真の様子から『公共交通』の利便性は見て取れると思います。

因みに人口31万人言えば、このエリアでは春日井市や津市・四日市市と同レベルで、市電のある町/豊橋は約38万人です。

(写真;平成23年11月20日撮影)

2012年12月30日 21時46分

台湾・桃林鉄路「林口線」、廃止!(2)

(日本では多分?)ありえない鉄道の話し。

写真を撮影した順番と、今回の掲載順は異なりますが、話しをわかりやすくするためということでご容赦を。

写真は、当時の「林口線」旅客列車の終点「長興」駅です。列車は“下車するお客”が降りるとすぐに終点「林口」駅(貨物駅)方面に向けて出発しました。

 

“下車するお客”とわざわざ括弧書きにしたのには理由があります。実は、乗客の殆どは終点の「長興」駅で下車していません。また私も含めてですが、車内に乗客を乗せたまま列車は何事もなかったかのように数百メートル先に進みました。正直、私は面食らいました。車内の撮影をし、いざ下車しようと思ったら扉が閉まったのです。その瞬間の私の心境をお察しください。

この写真の撮影時間は18:04です。(列車の「長興」駅着は定刻から1分遅れの18:01)

この場所に18:07まで停車し、「長興」駅のホームに到着したのは18:09。そして列車は18:10、何事も無かったかのように定時で「桃園」駅に向けて出発しました。

結局察しがついたのは、「長興」駅のすぐ「桃園」側に警報機付きの踏切があり、その踏切対策として一旦前後に踏切がない区間まで車両を移動させ、そこに停車させておいたのであろうということです。

では「長興」駅で下車しなかった乗客たちはなんだったのでしょうか?見たところ家族連れや子供たちだけのグループもおり、見た限り、ほぼ全員が乗車した駅で下車していきました。正に『無料』効果は絶大で、「夕涼み列車」とでも言いたくなったほどでした。少なくとも私のような「鉄」はいませんでした。(なぜか車内の乗車人員数をカウントしており、「長興」で折り返した人は26名でうち小学生以下と思しき子供は11名)

さてもう一つ。この列車の方向幕は「青桐」となっており、この「青(本当は写真の字です)桐」という駅は台湾北部の支線の終点で、少なくとも台北から2時間近くかかります。恐らく「桃園」までは回送で走ってきたのでしょうが、私が乗車した4年前も廃止直前の今年も同じような運用あったのでしょうか?

それはともかく「林口線」のお別れには多くの鉄ちゃん(もちろん、台湾の方たちです)が詰めかけたようです。「海湖」までの延伸区間を乗ってみたいとは思っていましたが叶わぬ夢となりました。「桃園国際空港」へのアクセス鉄道になるのではという“噂”もあったのですが…。

私が乗車した台湾の鉄道で廃線となったのはこれで2つめです。やはり時代を感じます。

2012年12月29日 21時58分

台湾・桃林鉄路「林口線」、廃止!

平成24年12月28日(金)、台湾の桃林鉄路「林口線」の最終列車が走りました。

日本の鉄道路線の廃止ともなれば各メディアが大きく取り上げますが、台湾の1鉄道路線の廃止を取り上げた日本のメディアは少なくとも私は見つけられませんでした。

今回この「林口線」の廃止をここで書こうと思ったのは、この路線が極めてユニークな存在であったこと。それはもともと1968年に貨物線で開業し、その後、2005年に旅客営業を始めたものの1日2往復のみ。しかも運賃無料!(本当に無料でした)であったことなどがその理由ですが、今回は貨物営業・旅客営業とも終えることになりました。(参考資料:Wikipedia他)

この写真は今から4年前の平成20年(2008年)8月26日に撮影したもので、その起点「桃園」駅で停車中のDRC1033+DRC1034の2両編成。3305レは定刻では17:30の出発でしたが、このホームへの入線は10:29。「来た!」と思ったら直ぐの17:33に出発しました。

※「桃園」駅は「台北」駅から『自強号』で約30分。名古屋(中部国際空港)から台北行きの飛行機が到着する台湾桃園空港の“最寄駅”です。

※「林口線」の「桃園」駅は台湾鉄路局(日本でいうJR)の駅とは同一構内にありません。それほど遠くは無いのですが、少々不思議な空間にありました。

これが時刻表。台湾で使われる漢字は日本人にも馴染みやすく、“読み”はともかく、“視覚”では駅名が認識できますね。それはともかくまず1日2往復であることは見て取れます。「桃園」駅を出た列車は片道を30分かけて走りますが、「桃園」から終点の「長興」までの距離は、wikipediaによれば11.7キロ。途中の駅が3駅であることを考えると時間が結構かかっているように見えます。実際のところ列車の時速は30キロ程度しか出しておらず、ここまでの情報の範囲内ではいったいどんな過疎地であり劣悪な線路状況で走っているのかと言いたくなりますが、実際には住宅地であったり、工場地帯であったりを走っています。

※往路が「去」。復路が「回」というのもわかりやすくていいですね。

写真は「桃園」駅から2駅目の「宝山」駅です。乗降は結構あり、この写真を見る限りどこかの通勤路線の駅といったら信じてもらえそうですね。

ところでこの「林口線」ですが、私が乗車した4年前は「長興」駅が終点でしたが、その後「海湖」駅まで旅客営業区間が延ばされ、そして今回の終焉を迎えました。とはいうものの貨物列車の終点は「海湖」駅の一つ先にあって、路線名の由来でもある「林口」であり、知れば知るほどユニークな存在というのがご理解いただけると思います。でも本当に面白いというかビックリしたのは当時の終点「長興」駅での出来事でした。また次回。

2012年10月15日 20時47分

シンガポールの公共交通(国際列車)。

私の初めての「海外取材」の地はシンガポールでした。昭和55年(1980年)12月9日~12日の4日間、名古屋からシンガポールへの進出企業や日本人学校が取材の対象でした。当時はまだフィルムの時代で、16ミリのカメラに『デンスケ』(録音機)を持参し、1人で取材(撮影・録音を含む)をしていました。

その仕事の合間にジョホール海峡を渡り、マレーシア「ジョホールバル」に入国しました。本来は「鉄」分ゼロのはずだったのですが、駅に停車中の列車を見たときに体が反応しました。恐らくここは「ジョホールバル」駅だと思うのですが、何分、なにも確認する余裕はなく、また列車は「シンガポール」行きだったと推察しています。


その「ジョホールバル」から「シンガポール」からの戻り、激しいスコールの中、道路に並行して線路が続いているのを見つけ、正に国境の鉄道を撮影しました。

この出張時の写真は6枚しか発掘できていません。もっとも他の写真があったとしても鉄道系の写真はこの3枚で全てであると記憶しています。

2012年10月14日 19時38分

シンガポールの公共交通(10)。

シンガポールのお別れに「チャンギ国際空港」のターミナルを繋いでいる「スカイトレイン(Skytrain)」です。実は当初、このスカイトレインに乗る『必要』は全くなかったのですが、今シリーズ(1)で紹介しました「シンガポール・ツーリスト・パス」のデポジットを返してもらうために乗車しました。どういうことでしょうか?私が搭乗予定の航空会社が発着するターミナルにはMRTの駅がなかったことによるものです。ところで先に書いた『必要は無かった』という言葉について、同行者からは“正しい表現ではない”とその時に異議を唱えられていました。本音は“ラッキー”というか“嬉しい展開”でした。

さてLRTと雰囲気が似ている車両が、ここスカイトレインでは単行もしくは2連で運用されており、お約束の話しで恐縮ですが車内の握り棒はMRT・LRT同様三つ又となっていました。

このように立体交差もあって“新交通システム”を活用した『ターミナル連絡用』交通機関という“こじんまり”とした印象ではなく、町の動脈としての公共交通機関といっても差し支えない感じでした。

その先頭部分からの展望はご覧の通りのなかなかのもので、シンガポールの到着時に楽しむのは難しいでしょうから帰途の際にでもお試しあれ…。

2012年10月13日 19時33分

シンガポールの公共交通(9)。

シンガポール南部の人気スポット、セントーサ島への足の主役はこのセントーサ・エキスプレスという名のモノレール。そのカラフルさが魅力的です。

MRT北東線と環状線の双方の終点になる「ハーバーフロント」駅が起点で、セントーサ・エキスプレスの駅名は「セントーサ(Sentosa)」です。

その線路はこの写真のやや上方にある運河のような“海”の対岸を起点に、センターからやや左にある高層ビルの右側を通り、撮影している手前に向かって続いています。ビルの右側にチラッとモノレールが見えているのがご確認頂けますでしょうか?

こちらは終点の「ビーチ(Beach)」駅で、海が印象的ですが、この写真の主役は真ん中に見える“車庫”です。車両は入っていませんが黄色に塗られた『桁』部分が印象的でした。

2012年10月12日 20時25分

シンガポールの公共交通(8)。

「Punggol」線の行き違いです。単線の一方通行のループではなく複線であり、環状線ではないものの右回り・左回りと言うか内回り・外回りと言うかそんな感じです。ところでシンガポールの交通機関はイギリスの支配下にあったことからでしょうが、日本と同じ左側通行です。これが意外と慣れません。海外では右側通行という思い込みがあり、何か不思議な感じがします。

LRTの握り棒もMRTと同じく、三つに分かれています。この写真を撮影したのは「Punggol」駅に戻った直後で、要するに終点です。「Punggol」駅の出発時には乗客も多く、この握り棒は大活躍でした。日本でも「あり!」と思うのですが如何でしょう。

『STEPS FOR EMERGENCY EVACUATION』とありますから“緊急避難の手順”と言ったところでしょうか?文字は英語ではありますが写真入りでとても分かり易く、いざと言うときに、極度に緊張し必要以上にあせらない限りまず手順通りに出来そうな気がしました。無人運転の列車にはこうした配慮は必要ですね。

2012年10月11日 20時22分

シンガポールの公共交通(7)。

MRT北東線の終点「プンゴル(Punggol)」駅から接続のLRT「Punggol」線です。

※「Punggol」線と書きましたが、駅での表示の感じでは「プンゴルLRT」という呼び方の方が合っていそうですが、上手い訳が思い当りませんでした。

LRTと言うと路面電車のイメージなのですがシンガポールのそれは写真の通りどこからどう見ても無人運転の新交通システムです。それも1両で運転されているので巨大空港で見かけるターミナル間の移動用に近い印象です。

シンガポールのLRTはMRT3駅を起点にした区間が開通しており、ここPunggol線のLRTは、「Punggol」駅を中心に西側ループと東側ループがあります。分かりやすいイメージで言えば、千葉県佐倉市の京成電鉄「ユーカリが丘」駅を起点にラケット状の路線のある『山万ユーカリが丘線』が、「ユーカリが丘」駅を挟んで2路線あるような感じでしょうか…。

もっとも西側ループ線は完成しているようですが、“開業”はしていません。「Punggol」駅の路線図には、西側ループ線は駅も含めてちゃんと記載されているのですが、「Not in service」とあり、運転はされていませんでした。

ではLRTはどんなところを走っているのでしょうか?LRTの路線は、新興住宅地の中を走っており、それも高層マンション群の中を走ります。目に入るのではそれだけ!で、一軒家と言うのは見かけませんでした。そしてこのマンション群は、新たな宅地開発で生まれたというのは間違いなさそうで、西側ループが未開業の理由は、まだまだ開発中のため入居が始まっていないといったところのようでした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!