2010年09月14日 9時00分

ミッドランド・メインライン“メリディアン”

「セントパンクラス」駅停車中の
ミッドライン・メインラインの気動車
『クラス222メリディアン』です。
※「ミッドランド・メインライン」という会社は
 今は無いようです。(参照:Wikipedia)
※ところで「メリディアン」は今も健在?

これで、イギリス中央部の「ダービー」駅を
目指すことにしました。
昨日書いたとおり、「Seaton Tramway」を諦めた私は
次なる選択肢として、「CRICH TRAMWAY VILLAGE」
(クライチ路面電車博物館)を目指すことにしたのです。

当然の事ながら、この駅でも帰りの最終列車まで
予定通り運転されるかどうかを確認しました。

かくして9:30定刻にこの列車はセントパンクラス駅を
無事、出発しました。

車内写真はUPしませんが、この車両は“狭い”印象です。
大変スマートな外観でそれはそれで良いのですが
デザイン的に上半分が絞られているので
3列シートの1等車に乗ったにも係わらず圧迫感がありました。

2010年09月13日 18時02分

ロンドン、セントパンクラス駅

ロンドンの一大ターミナル「セントパンクラス」駅です。
本来ならこの駅に来る予定は無かったのですが…。
●当時、この駅は大工事中でゴシック建築の駅舎は
 使用していませんでした。

平成17年10月23日(日)、私は「ウォータールー」駅から
列車でイギリス南部の町「Axminster」に向かい
「Seaton Tramway」を訪問する予定でした。
(「シートン路面電車博物館」とでも訳しておきます)

そのため前日の22日、
ロンドンに着いたその足で「ウォータールー」駅に出向き、
翌・日曜日の『列車運行情報』を確認しました。
何故?
地方の保存鉄道(博物館)などの運行日(開館日)は
一般的に土・日なのですが、一方、イギリスの鉄道では、
土・日に突発的な工事運休などがあるのは日常茶飯事。
時刻表に掲載されているからといって、
決して安心は出来ず、その日、列車が運転されるかどうかの
「駅」への確認は必須事項だからです。
車での移動ならこうした心配は無いのですが、
土・日の鉄道移動は要注意なのです。

前日、「ウォータールー」駅の駅員さんは『大丈夫』と
言っていました…。
にも係わらずこの日、午前中の列車は全て運休。
このため、別の路面電車博物館に向かうことにしたのです。

2010年09月13日 9時02分

時には『海外鉄』、イギリス編。

平成17年10月22日(土)、
私は単身、イギリス・ロンドンに向かいました。
※少し遅めの夏休みで家族とは別行動の一人旅です。
●イギリス国内は、写真の4日間有効のブリットレイルパスを
 使用しました。
●最初に使用する際に必要な「ヴァリデーション」
 (使用開始日の特定)は、ヒースロー空港の
 ヒースローエクスプレスの乗車券売場でしました。
 *券面に押印があります。

主たる目的は路面電車三昧とユーロスターに乗車すること。
とはいうものの、「加悦SL広場」同様
この時も下調べは不十分でした。(こんなのばっかりですね)

準備不足の理由…1週間の休みをとるため、
出発直前まで死に物狂いの忙しさが続いたから。
休んだからと言って担当の仕事の量が減るわけではなく
単に休みの前に仕事を寄せるだけ。

よって事前に調べる時間が少なく、
まあ、行けば何とかなるさとは思っていましたが
事前準備とは関係ないところで
次から次へと何ともなら無い事態に遭遇し、
それでも、親切なイギリス人に助けられたりもあって
無事、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

今回は、海外旅行ではこんなトラブルも考えられるという
事例集としても楽しんで下さい。

2010年07月17日 7時07分

上海マグレブ 最高時速は?

上海マグレブの車内にはデジタル式の
速度計があります。

では…、平成21年2月24日15:18時点の時速は?
何と時速431キロ!!
※時計が“秒”まで表示されているのも凄いですが
 写真を撮れば「記録」になります。

本来の最高時速は430キロ。
一瞬、目を疑いました。
たかが1キロと言うなかれ。
制限速度を超えて走ることは日本ではご法度。

例えば下り坂で何かの拍子に1キロオーバーなら
ありえるのでしょうが
このマグレブの場合、431キロまで順調にスピードをあげ、
そこでスピードをキープ。
その後スピードダウンしており明らかに確信犯です。
※因みに最高速度で走るのはほんの瞬間。
 新幹線と比べると車窓を流れる風景は確かに早い!

と思って検索をかけたら、某マスコミ系のサイトに
『最高時速431キロ』という記事があり
成程と思った次第です。

さあ、あなたはオフィシャルの最高速度を1キロ超えた
世界を体感できるだろうか?

余談ですが、私と娘は他の乗客の視線を無視して
この速度計を背景に写真を撮りました。(全員注目!)
そうしたら他の外国人乗客も次々と撮影を始め、
「なあ~んだ」と思った次第です。
いい記念になりますよ。

2010年07月16日 18時24分

上海マグレブ 車内

上海マグレブ、普通席です。

全部でたった4両のマグレブでしたが、娘が一緒だった手前
VIP車両の方は覗いていません。
※父親は結構気を使って生きています。

車内の横幅は結構あって6列シートとなっています。
座った感じでは見た目ほど窮屈ではありませんでした。

この写真を見る限り席は空いているように見えますが
発車直前にはほぼ満席でした。
また、乗客の殆どは外国人でそれもビジネス客というより
記念乗車と思しき観光客の方が多かった印象です。

私の乗車当時、上海は万博開催に向けて至る所で
工事をしており、わざわざツアーバスから
この列車に乗り換える手間はありましたが、
十分お釣りが来るぐらい快適でした。

今は正に上海万博開催中。このマグレブのみならず
地下鉄その他の交通機関も結構込んでいると予想されますが
如何でしょうか?
※道路も凄いんでしょうね。あまりこうした報道は
 されていませんが…。

2010年07月16日 8時49分

上海マグレブ 乗車券

上海マグレブの乗車券です。

カード式で、乗車時に購入して自動改札機に通して
乗車します。
一方、下車時にはこれは回収されてしまいます。

もしも手元に残したい場合は、
乗車に使うものとは別にもう一枚購入する必要があります。

私の場合はツアーだったので、現地ガイドが購入し
そのまま乗車してしまったので
結局手元にこの乗車券はありません。
咄嗟の判断で写真は撮影しましたが…。

乗車料金は片道40元でした。
※写真の左下に書いてあります。
※これは当日の搭乗券所持者価格で、一般は50元です。
市内の例えば地下鉄等に比べれば相当に高価で、
遊園地のアトラクションでも乗ったと思えば
外国人にとっては“それなり”と納得できるかもしれません。

2010年07月15日 19時08分

上海マグレブ

中国上海にある「上海マグレブ」(上海トランスピッド)。
※「上海浮上交通…公司」の公式HPに、
 「Shanghai Maglev Transportation…」とあるので
 私のブログでは“マグレブ”に統一させていただきます。

ご存知の方も多いと思いますが上海マグレブは
「浦東国際空港」~「竜陽路」間29.863キロを
7分20秒で結んでいます。
で、私は昨年(平成21年)2月24日に乗車しました。
(「鉄」旅行ではなく、娘と2人の観光パック旅行)

この夏休みに上海万博に行かれる方も多いと思いますが
参考までに私の経験を報告させていただきます。

写真は上海市内の「竜陽路」駅到着です。
ホームが結構オープンなのでこのような写真を
撮影することは簡単です。

私はJR東海のリニア実験線の試乗は
結局“当選”できず未乗でしたので
最高時速430キロを体験できると思うと
相当に気分は高揚していました。

また私の参加したツアーでは、上海市内から空港までの
帰路に乗車することになっていましたが
この上海マグレブがあったからこそ
選んだツアーではありました。

2010年07月02日 18時08分

1991年にシベリア鉄道に乗った目的

1991年のシベリア鉄道によるユーラシア大陸横断は、
“乗り鉄の夢の実現”で行けた訳ではありませんでした。

写真は1991年当時、ソ連の『ホワイトハウス』と
呼ばれたロシア共和国最高会議ビルで、
この年の8月19日にクーデターが起き
このビルが占拠されました。

ビルの前にあるのは、その時に作られた“バリケード”で、
クーデターから2か月近く経っていたにも関わらず
そのまま放置されていました。

またクーデターは直ぐに鎮圧されたものの
このあと、世界に大きな衝撃を与えた『ソ連』崩壊は
1991年の12月25日でした。
私が見たソ連は、その狭間の正にドタバタの時期でした。
※『ベルリンの壁』崩壊は1989年。

食糧事情の悪さや、多少の危険に遭遇する可能性が
あったにしても、そこに踏み込み『正に歴史が動く』瞬間を
目の当たりにしたいという私の強い願望は、
シベリア鉄道経由でもOKという思わぬ形で
会社が認めてくれました。
※限られた夏休みの日数ではシベリア鉄道乗破は困難だった。

実際にシベリア鉄道に乗り、車内のみならず
途中の街々での1週間の出来事は
私に多くの経験を与えてくれ、
まさしく、公共の交通機関の中にこそ
庶民の真実が見えることもあると感じました。

皆さんはどんな“乗り鉄”をされているのでしょうか?

シベリア鉄道 完。

2010年07月02日 9時09分

シベリア鉄道 クラスノヤルスク駅

昨日のダニロフ駅から大きく後戻りした
10月9日の現地時間12時過ぎ。
モスクワから4104キロのクラスノヤルスク駅です。
この駅はまだアジアで、ヨーロッパまで
まだ2327キロあります。
※ヨーロッパに入ったのは、翌10日の
 午後6時前位と思われますが、
 オベリスクは既に漆黒の闇の中でした。

戻った理由は、単純に一番多くの車両が
写っていたからですが
これからする話しの中身とは全く関係がありません。

堅い話しで恐縮ですが、
丁度この駅辺りから『考えさせられること』に
何回か遭遇したからです。

1)昼間に駅に着くと、10号車辺りに
  子供たちが集まってくる。
 ⇒10号車は、外国人が乗車しており、
  子どもたちはそのボディーを叩いて
  「チョコレート」「ガム」と大声で叫んでいました。
  ※日本史で出てくる
   第2次世界大戦直後の「日本」ではありません。
2)食堂車の食事の質は、時間を追って悪化しているのに、
  何故か駅に着くと「食堂車」から食糧をおろしている。
 ⇒食糧をおろすと、当の本人である
  食堂車のオバちゃんは、相手から
  現金の束を受け取っていました。
  どうみても横流しです。
  食糧事情の悪い当時、
  ロシア号からの食糧の仕入れは案外、
  堅い手法だったのかもしれません。

2010年07月01日 18時26分

シベリア鉄道 ダニロフ駅 機関車交換

1991年10月11日、
モスクワ駅から357キロのダニロフ駅で
交流25000ボルトから
直流3000ボルトに変わるため
機関車の交換が行われました。
※5月13日にUPした写真が交換後の全景です。

子供たちがその様子を見に来ていたりして
この辺は世界共通ですね。

実はこの写真、機関士さんとバトルの末の産物です。
当時、鉄道の写真を撮影することは“原則禁止”で
ダニロフにたどり着くまで何も言われなかったのが
ある種ラッキーだったかもしれません。
でも機関士さんの怒鳴り声はあったものの
誰かに写真を制止されることはありませんでした。

それでも「橋」の写真は撮っていません。
理由は、そこには必ず軍隊がいたからです。
国防上の問題とのことでした。

それと絶対に撮影しなかったのは「飛行機内」と「空港」。
さすがにこれだけは『止めた方が良い』という
機内で隣り合わせた日本の旅行社の方の忠告を守りました。
本音としては、晩秋の美しいシベリアの大地(絶景!!!)と
数えきれいくらい飛行機が駐機する
とてつもなく広い『ハバロフスク空港』は撮影したかった。
※ハバロフスク空港では、カメラを2台持っている
 理由を聞かれたり、そもそも私の荷物は、
 他の乗客の荷物から30分以上遅れて手渡されており
 ソ連から見れば怪しい「ジャーナリスト」と思われた?



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!