2010年07月01日 9時04分

シベリア鉄道 洗面所

1991年当時のシベリア鉄道「ロシア号」の
洗面所です。

決して清潔とは言い難い雰囲気ですが
ここで顔を洗い、歯を磨いていました。

トイレは…。
実は写真はあるのですがお見せできません。
車掌さんは毎日、ちゃんと掃除をしているのですが
直ぐに汚れてしまいます。(清掃直後はOK!)

車掌さんの名誉のために一言。
当初持っていたイメージと違い、よく働いていました。
ロシア号は、数少ない長距離列車だけあり、
昼間だろうが深夜だろうが
駅に着けば常にお客の入れ替わりがあります。
その度に車掌さんは、切符の確認とシーツ等の交換をし、
あとトイレ以外にも各コンパートメントの
掃除もするなど、結構、大変そうでした。
これでウラジオストックからモスクワまで
8日間連続勤務とのことでした。

ところでトイレの話し。
ハードクラスのトイレは直ぐに汚れるので
タバコの「マルボロ」(当時、世界の通貨と言われていた)
2個でソフトクラスの車掌を買収し、
快適なトイレライフを送っている日本人乗客もいました。
もっともそうしていたのは日本人以外にもいましたが…。

そういえば、ロシア号の車内で、
飲み水はどうしていたのだろう?
水を買った記憶が無いのは何故?

2010年06月30日 19時00分

シベリア鉄道 ロシア号のサモアール

6月13日以来の「シベリア鉄道 ロシア号」です。
※「カテゴリー」の「海外」でこれまでの
 話しを思い出してください。

ロシア号の各車に必ずついている
『サモアール』。サモアールとは給湯器のこと。

よく知られている話しですが
石炭で沸かしています。
これは、万が一の列車事故等で
停電になった場合でも
救援列車が来るまで温かいお湯が
使えることが一番の理由と聞きました。
※シベリアの冬の寒さを考えれば
 お湯の有無は人の生死に関わります。

ハバロフスクからイルクーツクまでは
このサモアールで、紅茶やインスタントコーヒーを
飲んだりしていましたが…。

イルクーツクからはこのサモアールが
正に命綱となりました。
 
1)何せ、食堂車が開店休業。
  具の殆ど無いボルシチだけはありましたが
  腹の足しにはならず。
2)それまで駅ごとに開かれていた『市』が
  全く見当たらない。
3)駅に売店のある大きな駅でも
  所謂「菓子パン」しかない。

実は、私はソ連の食事事情の悪化を聞いていたので
カップヌードルを15個ほど持ち込んでいました。
(トランクの中身の半分以上がこれだった)
それでこのサモアールのお湯を使い、
同乗の日本人にも分けて皆で一時をしのぎました。

2010年06月13日 18時01分

シベリア鉄道 イルクーツク市電

ソ連では、ハバロフスクもそうですが
このイルクーツクでも市電が
市民の足になっていました。

この時は市電に乗っておらず、今思えば「とても残念」という
一言に尽きます。

ここでは夕方までたっぷり時間があったので
百貨店(『デパート』と言うイメージではない)や
レストランでロシア料理に舌鼓を打ちました。

で、驚きの出来事。
1)ソ連のニュースでよく見かけた
  温かそうな帽子を買いたくて百貨店に行ったが
  私の頭が大きすぎたのかサイズが無かった。
  (ロシア人は、体はデカイが頭はそうでもない)
2)レストランの(窓のない)トイレに「電球」がなく、
  手探りと言うか「感」で用を足した。
  ※店の雰囲気や味は良かったのですが…。
3)現役の馬車を見かけた。
などなど。

それはそれとして全体には落ち着いた雰囲気の
穏やかないい町でした。

2010年06月13日 9時04分

シベリア鉄道 イルクーツク駅

1991年10月8日、イルクーツクです。
川は町の真ん中を流れる「アンガラ川」。
川の対岸に見える白い建物が
イルクーツク駅となっています。

米粒程度でこの写真では分かりませんが
列車も写っています…。(残念)

イルクーツクの町は、実は三重県と縁が深く
江戸時代、今の鈴鹿市出身の船頭『大黒屋光太夫』が
江戸(東京)に向けて船を進めていたところ
その船が嵐で漂流。その後ロシアの領地に流れ着き、
1789年から1791年までここイルクーツクに
暮らしてました。(最終的には帰国を果たしました)
※ご存じない方も多いと思いますが、地元の
 鈴鹿市では大黒屋光大夫記念館もある超有名人です。

この話しは井上靖『おろしあ国酔夢譚』として小説となり、
私がイルクーツクを訪れた翌年、緒方拳主演で
映画化もされました。(私は映画を見ました)

話しを戻して、当時、共産圏の町のイメージは
『画一的で面白みがない』といったところでしたが
この町は少し違っていました。

2010年06月12日 18時58分

シベリア鉄道 バイカル湖

10月5日に乗車したロシア号も早3日目。
現地時間で夕方5時頃、美しい風景が広がりました。
写真は、ウラン・ウデ~スリュジャンカエ間で撮影した
バイカル湖です。

透明度と深さで有名な湖ですが
正直、列車からでは実感できません。

でも私はその深い「青さ」に感動し
窓際に長時間立っていました。

ついでにこんな事も考えていました。
「列車の通路がバイカル湖サイドで良かった」と。
多分、バイカル湖がコンパートメント側だったら
ベッドの間の小さな空間(窓ですが…)に顔を押しつけ、
他の乗客を気にしながら、落ち着かない気持ちで
外を見ていたのでは?

シベリア鉄道の旅は、日本と違い
大自然の風景がゆったりとした時間とともに
流れていきます。
『代り映えのしない風景の連続』で
飽きてしまうのではと乗車前は思っていましたが
その緩慢さの心地よさに気付くのに時間はかかりませんでした。

2010年06月12日 9時08分

シベリア鉄道 時刻表

1991年当時のソ連の時刻表です。

写真はロシア号のページで、
一番上の真ん中に列車名「ロシア」(Pocc…)号があり
左側が2列車(モスクワ⇒ウラジオストック)、
右側が1列車(ウラジオストック⇒モスクワ)の
時刻です。

もうお気づきかもしれませんが、
日本の列車番号は下り列車が奇数、上り列車が偶数ですから
発想が真逆なんですね。

それと画面中央の横線のすぐ上にある“2”列車側の
146y05Mの数字は全区間の所要時間で、
ユーラシア大陸横断には146時間5分かかるということ。
一方、“1”列車側の数字は144時間5分ですから
モスクワ行の方が所要時間が短いことがわかります。

また、時刻表の時間は全てモスクワ時間となっており
因みに『1』列車のハバロフスク発は『6:09』と
記載されていましたが、モスクワとの時差が7時間のため
実際の現地時間は『13:09』でした。
※最初は慣れませんでしたが、列車の運行上は合理的ですね。

ところで私の手元にある時刻表は、
モスクワ起点の優等列車のものと思われ、
全ページが、この『ロシア』号と同様に
対となる上下列車がセットで掲載されています。

なお、当時時刻表は全く市販されておらず
ロシア号車内にはロシア号だけの時刻が
書かれた紙が張り出されていました。
結局ロシア号以外の列車の時刻は
「地球の歩き方」(それもほんの一部)でしか見ませんでした。
※列車の時刻も国家機密の一つと言われていた時代です。

最後に、私の時刻表は
6月9日に紹介した帽子を売っていた車掌さんとは
別の車掌さんから申し出があり、
彼から購入したことを報告します。

2010年06月11日 18時06分

シベリア鉄道 ウラン・ウデ駅『露店』

シベリア鉄道に乗っていて駅に着くと
乗客相手の露店が並ぶこともあります。

この写真は、昨日紹介した売店と同じウラン・ウデ駅で、
この駅のように
ちゃんとした作りの売店+露店の両方の場合もあれば
売店のみ、露店のみといったバリエーションがありました。

写真中央に山盛りの茶色の丸い物体は
ロシアママ手作りの蒸したジャガイモです。
(これがホクホクしていて何とも美味しい)

私は、昼ご飯をこの様な『露店』で売っていた食べ物で
済ませることも何度かありました。

ロシア人乗客の多くは食料を車内に持ち込んで
それを食べていましたが、
駅に着くと売店や露店があればそこを覗き、
めぼしいものがあると買っていました。

因みに1食分で当時のレートでですが
50円程度と記憶しています。

2010年06月11日 9時22分

シベリア鉄道 ウラン・ウデ駅売店

ウラン・ウデ駅のプラットホームで
写真の様な売店を見かけました。

このような売店はロシア号の停車駅でよく見かけ
売っていたのは主に食料品です。
他駅の売店の事例も含めると
1)ピロシキ(揚げパン)
2)松の実(しかもまるまる「松かさ」の状態)
  ※かさ付きを生まれて初めて見ました。
   松かさのかさの間から実を取りだしながら
   食べるのは不思議な感覚でした。
3)牛乳
  ※意外と美味しかったといったら失礼でしょうか?
4)スイカ
  ※シベリアの10月は、日本の11月末の気候で
   何でスイカを売っているのか不思議でした。
5)トマト
などなどいろいろな種類がありました。
(全部、私がロシア号の7日間で食べたものです)

安くて美味い!庶民の味方でした。

2010年06月10日 18時08分

シベリア鉄道 ウラン・ウデ駅車両の点検

1991年10月7日、
ハバロフスクを出て3日目の
定時なら現地時間午前11時59分着のウラン・ウデ。
ハバロフスクから2884キロ
モスクワまで5647キロ地点です。

この駅は12分停車。
ここで鉄道マンが車体足回りの点検作業を黙々と
行っているのを見つけました。
台車周りを様々な角度からハンマーでたたき
カーンというその音の響きで具合を調べ上げていきます。

全線通しで9297キロのロシア号。
多分、私が気付かなかっただけで
他の駅でもこうした作業が
黙々と行われていたと思われます。

全世界共通ともいえる鉄道で働く人の
安全運転を支える心意気を感じました。

2010年06月10日 9時04分

シベリア鉄道 モゴチャ駅 日独共同作業

ハバロフスクから1601キロ、26時間58分。
昼下がり(現地時間14:48着)のモゴチャ駅です。

この駅で何をやっているかと言えば『窓ふき』。

乗車した時から気になっていたのですが
とにかく窓が汚い!
窓外の風景が滲んで見えた位です。

で、これが始まったのです。
肩車をしている男性とされている女性は日本人で
手前の男性はドイツ人です。

ロシア号では外国人は原則10号車と決まっていたようで
ドイツ人の10名ほどの団体と同じ車両でした。
列車の中では、風景を見ることしか本当にすることがなく
「窓を拭こう!」と話しがまとまったのです。

この後、イルクーツクからモスクワ行に乗車した時も
同乗のお客さんと窓拭きをしています。
※こちらは車掌さんからモップを借用しました。

これも今となっては良い思い出です。
といっても私は窓拭きをしておらず
「写真撮影」をしていました。
※この写真は帰国後、日本人2名には送り
 最終的に義務をちゃんと果たしました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!