2010年06月09日 17時48分

シベリア鉄道 グッズ???

シベリア鉄道の車掌さんの帽子と
「ロシア号」のバッジです。

何れもロシア号の車掌さんから売込みがあり
購入しました。

本物は本物ですが、公式な販売物で無いことだけは確かで
払ったお金(ルーブルではなく米ドル!を要求された)は
車掌さん本人の懐に入ったものと思われます。

この車掌さんは、片言の英語(私よりも上手かった)を話し
それで商談をしました。
※本人写真もありますが掲載はご容赦ください。(笑)
確か32~33歳で、2~3歳の子供がいて
『生活が大変』と言っていた記憶があります。

私がロシア号に乗った当時(1991年10月)は、
ソ連崩壊(1991年12月)の直前で国内は大混乱しており、
シベリア地方では冬を越せず“餓死者がでる”のではと
日本でも報道されていました。

そんな中でも庶民たるロシア号の乗務員たちは
したたかに生きており、
ロシア号も時に遅れることはあっても
比較的定時に近い時間で走っていました。

2010年06月09日 9時05分

シベリア鉄道 乗車券

シベリア鉄道の乗車券です。

黄色の枠をつけた部分が列車番号。
栄光の『No.1』です。

緑色の枠内が『10号車 席番24』です。

笑ったのが赤い枠内で
『5191』と書いてあります。
何の数字かと言えば、
モスクワからイルクーツクまでの
距離数です。
※私のロシア号によるユーラシア大陸横断は
 1)ハバロフスク~イルクーツク(2泊3日)
 2)イルクーツク~モスクワ(3泊4日)
 の2回に分けており、
 イルクーツクでお風呂(シャワーですが…)に
 入るため一旦下車しています。
 そのため、この乗車券は後半戦のものです。

日本ではここまで細かい距離数を
記載した乗車券の記憶がないのですが
皆さんはいかがでしょうか?
また、今もロシアではこのパターンなのでしょうか?

ともあれ乗車券一つにもお国柄がありますね。
因みに、ハバロフスクからイルクーツクまでの
乗車券は私の手元にはありません。

2010年06月08日 18時31分

シベリア鉄道 キロポスト

かろうじて6030の数字が
読めますでしょうか?

シベリア鉄道のキロポスト(距離標)です。
※モスクワから6030キロ地点。

日本とは随分雰囲気が違いますね。

このキロポストと時計を使って
列車の時速を割り出したのですが
フルスピード時で
大体100キロちょいオーバー程度と思われました。

ただ、100キロの時は揺れがひどい…、
と思って窓から先頭車方向を見ていた時
ある事実に気がつき愕然としました。

そもそも路盤があまり良くないのか、
整備状況が良くないのか、
先頭の機関車が何故かある時、一瞬小さく沈むのです。
その後、1両づつ同じ場所で次々と沈み
最後に自分の乗った車両も瞬間沈みました。

道にちょっとした穴があり
車でそこを通り過ぎて「ガタン」となったと言えば
ご理解いただけるでしょうか?

サッカー・野球の試合のウェーブじゃあるまいし、
これだけは願い下げたいと思いました。
⇒日本なら間違いなく徐行運転だ!!

2010年06月08日 8時58分

シベリア鉄道 ロシア号快走中

シベリアの大地は想像を絶している!

ハバロフスクを出発し、3日目。
この写真には、
モグゾン(モスクワから6060キロ)から
ペトロフスキーザボード(モスクワから5750キロ)の間で
撮影というメモがありました。
実際にはこの間にもロシア号の停車駅(ヒロク)が
1駅あった訳ですし、そもそも310キロも距離のある
撮影ポイントメモは何だったのだろう。
名古屋起点で考えれば、東では小田原のはるか先、
西なら大阪を越えてさらに姫路を通り過ぎる距離です。

おそろしく大雑把ですいません。

で、ウラジオストック方面に向かう列車とのすれ違いですが
1991年当時、旅客列車はともかく貨物列車は
少なくとも10~30分に1回程度は
すれ違っていた記憶があります。
広大なソ連にあって、トラック輸送はとても現実的とは
思えず、冬は凍てついてしまう海もあてにならず
結局、鉄道が貨物の主役と思えました。

2010年06月07日 19時00分

シベリア鉄道 ロシア号寝台車上段

大変ご無沙汰のシベリア鉄道です。
(5月17日以来です)
*これまでの話しは、『カテゴリー』の
 『海外』でご確認ください。

お久しぶりにもかかわらずいきなり
むさ苦しい写真で申し訳ありません。
ロシア号ハードクラス寝台車の上段です。

ベッドの幅は問題なかったのですが
万が一の時にガードするものが何もない!

私の寝相の悪さは人後に落ちないものがあり
さすがに転落は避けたかった。
そこで洗濯用に持っていたロープを
写真のように張って
何とか緊急の事態に備えたのです。

で、これは役に立ったのでしょうか?
同室の日本人の方から、
「稲見さん、ロープに体が食い込んでいましたよ」と
言われたことが2~3度あり、
やはり、何事も『備えあれば憂いなし』と感じた次第です。

因みに、他のコンパートメントで
「ドサッ」という音を深夜に聞いたことがあるので
落ちた人がいたみたいです。
※この話しは作っていません。実話です。
 他にも聞いた人がいます。
 但し、上段とは限りませんが…。

今も、ロシアの寝台車はこんな風なのでしょうか?

2010年05月17日 9時05分

シベリア鉄道 ロシア号の寝台車内

シベリア鉄道(ロシア号)に乗車する
外国人乗客は、原則、ハードクラス寝台車で
4人1部屋のコンパートメント。
(2等寝台車とお考え下さい)
2段ベッドが合い向かいになっており
トランクは下段のベッドの下に入れたり
していました。
それにしても室内は結構、狭いです。
車掌からコンパートメントの鍵を渡され、
仲間内が1部屋なら、鍵をかけて
食堂車に行くことも可能でした。

また、日本の寝台車では、
昼間はベッドを解体しますが
ロシア号の寝台はいつもこの状態。
シーツ&毛布の類は全線通しではなく
乗客が入れ替わるとその乗客用に新しいセットが
渡されていました。(まあ、当たり前ですが…)

日本人とロシア人が同室になることも多く
そうでなくても、ロシア人と仲良くなって
コンパートメントでの国際交流も
多くありました。

2010年05月16日 7時05分

シベリア鉄道 ハバロフスク駅のドタバタ

ハバロフスク駅の構内で撮影した
たった一枚の写真がこれです。

何で?
13:09発のロシア号に乗るのに
再集合の時間が確か12:50だったと記憶していますが
待てど暮らせど戻らない乗客が2名いたのです。
*ハバロフスク駅の外国人乗客の
 案内人ははっきり言って怒ってました。
 当然です。
 因みに遅れたのは日本人でした。情けない。

13:00頃この2名が戻り
それから列車に向かうのですが、
重いトランクを引きずりながら
広い駅構内の地下道をダッシュで走り
やっとホームにたどり着き
乗車する号車まで案内され
とりあえず振り返って撮影したのがこの1枚。
直ぐに列車に乗り込み
自分の席に着くまでもなく
ロシア号は“定時”で出発しました。
(ああ、しんど…)

2010年05月15日 8時00分

シベリア鉄道 ハバロフスク駅

1991年10月5日(土)、
いよいよロシア号に乗車です。

ハバロフスク駅は、町の交通の拠点で
人の流れも多く賑やかでした。
真ん中にある「像」は「レーニン」像ではなく
地名の由来にもなった「ハバロフ」像と聞きました。

この駅には「外国人ツーリスト」専用の待合室があり
そこに集合し、乗車メンバーの確認が行われた後
再集合となりました。

写真はありませんが、トイレについて一言。
トイレは思ったより清潔でしたが
「大」の方はちょっとビックリ。
和式の便座と思っていただいてよいのですが
個室にドアが無く、代わりにカーテンがありました。
しかもそのカーテンは下まで無く、
ほんの少し隙間が開いているのです。

そもそもドアが無いとか個室の仕切りが無いとか
結構トイレの形態の経験値はあるつもりでしたが
カーテンは初めてでした。

2010年05月14日 8時00分

シベリア鉄道 日本を出発

1991年(平成3年)10月4日(金)
新潟空港からソ連/ハバロフスク行
アエロフロート812便に搭乗しました。

ハバロフスクからモスクワまで8531キロ、
シベリア鉄道「ロシア」号の
旅を楽しむためです。

機体はツポレフ154型。
機内は簡素で、シート間隔が非常に狭い上に
壊れかけた椅子もあったり、
食事も「機内食」という夢を根底から覆す
“質素”と言うのもはばかられる代物でしたが
この時はまだ食事ができることが
どれほどの幸せかということに
気付いていませんでした。
※機内食は、製造費の関係で、
 ハバロフスクで作ったものを
 往復分積み込んできているとのことでした。
サービスという感覚は全くなく
さすがソ連国営航空会社でした。

当時、個人手配でシベリア鉄道に乗ろうとした場合
ハバロフスクを起点にするのが一般的だったため
このルートとなったのですが
いきなりパンチを食らった気分でした。

2010年05月13日 9時07分

シベリア鉄道 1991

1991年(平成3年)の秋、
私はシベリア鉄道に乗りました。

写真は、モスクワから357キロの
ダニロフ駅停車中の
「ウラジオストック」発「モスクワ」行『1』列車、
「ロシア」号です。
『1』列車と言えば、言うまでもなくその国を
代表する列車です。

先頭の機関車から最後尾の客車まで
多分、20両位連結されていました。
最後尾をこの写真で確認することはできません。
実は、先頭から列車全体を撮影した写真は
この1枚だけです。

明日から毎朝、シベリア鉄道の乗車記録を
UPします。しばし、お付き合いください。

なお、駅名と距離数は
「地球の歩き方 シベリア&シベリア鉄道の旅
 ’92~’93版」(ダイヤモンド社)を
参照しています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!