2013年03月13日 22時44分

1991年のドイツ(19)ミュンヘン・ドイツ博物館。

ミュンヘンと言えば『ドイツ博物館』。ここは科学と技術の巨大な博物館でとにかく広かったのと、飛行機・車に鉄道そして船と乗り物系が充実されていると思いました。

日本でも東京・上野に「国立科学博物館」がありますが、そこは私の印象では自然科学の博物館で、ドイツ博物館の様な『ありとあらゆる』と言いたくなるほど充実した近代産業史を振り返ることのできる施設は、日本では類を見ないと言っても良いでしょう。

写真はその飛行機ブロックですが、乗り物マニアとしては、今写真を見ても楽しくなります。

一方、鉄道ブロックには色々な鉄道車両が展示され、この緑色の機関車は、Wikipediaで検索したところ「王立バイエルン邦有鉄道S3/6型蒸気機関車」S3/6型 No.3634 (18 451)とありました。

鉄道博物館、二リア・鉄道館を始め大規模な鉄道展示館が増えた日本ですが、1991年当時、『ニュールンベルグ鉄道博物館』やこの『ドイツ博物館』の規模には圧倒されました。

2013年03月12日 21時16分

1991年のドイツ(18)ミュンヘン中央駅の今昔。

2011年11月21日のドイツ・ミュンヘン中央駅。頭端式のホームに高速列車・ICE(ここには3とT)がズラリと並んでいるのは丸で新幹線の東京駅というか九州新幹線の鹿児島中央駅が如くでしょうか。

その同じミュンヘン中央駅の1991年10月24日の様子です。似たような方向で撮っているので比較は一目瞭然なのですが、停車中の列車がバラエティーに富んでいるのにまず目が行きます。かつ一番手前の電気機関車の所には「荷物」が『山』とは言わないものの、数多く積まれており、当時、ドイツでは鉄道による荷物輸送が盛んだったであろうと推測できます。20年後の2011年にはホームで荷物を見かけることはありませんでした。日本でも20年も経てば風景は変わりますが、同じ場所で“在来線”の姿が無くなり“新幹線”になることはありません。

ミュンヘン中央駅のコンコースにあった売店はDBの機関車でした。当時、登場したばかりICEではなく、特急牽引用の103型で、写真のDBのヘッドマークの下に数字が「103 113 7」とあることから型式名には自信があります。ということで、この機関車はその113号機となるのでしょうが、最後の「7」の意味は分かりません。

2013年03月11日 20時52分

1991年のドイツ(17)ニュールンベルグ鉄道博物館。

昨日は大井川鐵道に行っていました。「2013 春の大鉄まつり」です。今、写真を整理していますので今週末位から連載します。よろしければご覧ください。

さて1991年のドイツです。シュツットガルトを出て、10月23日はニュールンベルグに向かいました。目的はただ一つ、ニュールンベルグ(ニュルンベルクと書いてあることの方が多いかも?)にあるドイツ鉄道の博物館。

重厚な感じの建物で、如何にも博物館らしさを感じます。

鉄道博物館の定番、模型のコーナーもあり、最近の日本の同様施設から比べればこじんまりとした印象ですが、今から20年前の時代にあってはこうして写真を撮るほどの価値があったのでしょう。

勿論、主たる展示は本物に車両で、こうしたドイツらしさを感じる機関車の姿は惚れ惚れします。と書きつつ、何型式の車両かどうかのメモはとっておらず、『惚れ惚れ』等と言うのはその場しのぎのごまかしであることを正直に告白しておきます。

一応、書いてあるナンバーからは左の蒸気機関車は「ドイツ国鉄05形」であることは分かるのですが、電気機関車の方は分かりません。何れにしても如何にもドイツらしさを感じさせてくれます。その理由を書くのは難しいのですが、要は雰囲気です。

2013年03月10日 21時19分

1991年のドイツ(16)シュツットガルトのケーブルカー。

シュツットガルトの街のもう一つの名物がこれ。ケーブルカー。

当時のメモには「Seilbahnstraße」~「Waldfriedhof」間のケーブルカーとあったのですが、「Seilbahnstraße」は言うならば「ケーブルカー」通りという事で、今思えば駅名とは若干異なるニュアンスかも知れません。

古色蒼然たる車両で驚くべきですが、鉄道のスタッフは鉄道マニアを見慣れているのか、車内では先頭部分の窓を開けてくれたりして、便宜を図ってくれました。日中は12分間隔で、乗車時間は約4分。乗務員が2人乗っていたとメモにありました。

また、こちらの車内の写真ですが、左に座っているご婦人たちには、ドイツ語でちゃんと承諾を得て撮影しています。(「撮影していいですか?」とガイドブックに書いてあったのをそのまま見せた)

それはさておき、外観だけではなく、内装も古色蒼然ですが、いい味を出していると思うのは私だけではないはず。1991年当時でも、この車両は現役で、決して保存鉄道ではありません。

終点はこんな感じで、墓地への足…と聞いたような気がします。

2013年03月09日 21時13分

1991年のドイツ(15)シュツットガルト・ラックレールの威力。

ラックレールの鉄道は登山電車のイメージですが、ここはあくまでも市街電車です。

大体どれくらいの傾斜かと言えば例えば「Haigst」停留所ではこんな感じです。当時、もう少しちゃんと調べておけば良かったと思っても後の祭りですが、「Wielandshöhe」の停留所には123パーミルの案内表示がされていました。

参考までに英語版Wikipedia「Stuttgart Rack Railway」には、最大傾斜は17.5%とありましたが…、123も175もこれ位になると今一つ実感がありません。ただただ急勾配であることだけを感じていました。

ラックレール鉄道で楽しみの一つにポイントの構造があります。この写真を改めて見て感じたのは、線路とラックレールが同時に動くのを動画で撮ってみたいと思ったことです。

ところで電車の山側には貨車がついています。目的は『自転車を積む』というのがドイツらしさですが、比較するには種類は異なるのですが。日本の立山ケーブルカーは貨車が谷側についており、その違いは面白いですね。(このラックレールのトラムは言うまでもなく、今も現役です)

2013年03月08日 21時12分

1991年のドイツ(14)シュツットガルトのラックレールトラム。

シュツットガルトと言えば、ベンツ!

シュツットガルトの観光の目玉(だと私は思っています)がメルセデス・ベンツミュージアムです。

1991年10月22日、やはりここは外せないだろうと思って足を運びました。

「ただ、、、」と敢えて書かせていただきますが、私にとってシュツットガルトで最大のアトラクションはかのベンツ博物館よりこちらです。

シュツットガルト中央駅からほど近い「Marienplatz」停留所。トラムにしては明らかに大がかりな車止めが目立ちます。ここから「10系統」は出発し、「Degerloch」を目指します。

この10系統は単線のトラムでしたが、手元のメモでは15分間隔と書いてあり、運転頻度は都市交通の役割を十分に果たしていました。「あれっ」と思いつつ線路の間にあるもう一つの線路の様な存在にお気付き頂けましたでしょうか?

交換駅「Wielandshöhe」でのこの写真で一目瞭然ですね。起点から終点まで『ラックレール』の路線で、そもそも道路に敷かれたラックレールは相当に珍しい存在のはずで、「世界でここだけ!」だったらどんなに楽しいかと思ってここを訪れました。

冒頭の「シュツットガルトで最大のアトラクション」と書いた理由がここにあります。

2013年03月07日 22時17分

1991年のドイツ(13)シュツットガルトは坂の町。

2月28日以来のドイツ話し。

シュツットガルトは坂の町です。

街の中心部を少し離れると、山懐に抱かれた住宅が広がっています。

そこを目指すトラムも、ご覧のように坂を駆け上がってくることが見て取れます。

そのトラムも都心部では地下区間を走ります。ここは「シュツットガルト中央駅」です。旧型の電車が地下駅を通らなくなってどれ位の月日が経っているのでしょうか?今は路線も増え、かつ再編成もされているようで、1991年の路線図と今の路線図を比べてみるとその違いには驚かされます。なお、『LRT整備都市』にはここシュツットガルトの名前はあり、1985年となっていました。因みに写っている電車は土佐電鉄の「シュツットガルト市電」と同型車です。この電車が更に福井鉄道で活躍することになりそうですが、“本場”シュツットガルトでこの写真を撮影していた頃には既に日本の土佐で走っていました。不思議な感じがします。

2013年02月28日 21時05分

1991年のドイツ(12)シュツットガルトのUバーン。

「Schreiberstraße」停留所です。

U系統の『乗務員扉』のある電車が安全地帯の無いところで停車し、道路から直接乗り降りするのは日本では私の記憶の限りでは思い当りません。どこかにあったかなあ?

もっとも安全地帯があれば福井鉄道を、一方、乗務員扉が無い電車であればまるで今はなき名鉄岐阜市内線を髣髴(ほうふつ)させます。それはさておき、近代化が済んだ今はこうした光景は今は昔となっているような気がします。

この写真は「Schreiberstraße」~「Marienplatz」間で地下区間から出てくるところですが1991年当時の路線図ではU系統しか走っておらず、メーターゲージの線路は既に錆びついていました。

2013年02月27日 21時04分

1991年のドイツ(11)シュツットガルトのトラムの3線区間。

「シュツットガルト」U1系統「Fellbach」行き。手元のメモでは『Bad Cannstatt』電停とあります。

当時のシュツットガルトはメーターゲージと標準軌の3線軌道の区間も多く、この電車の様な『U』の付く系統は標準軌の電車が使われ、専用軌道ではやはり時速70キロを出していました。

一方、『U』の付かないこの電車のような系統(この写真は2系統)はメーターゲージでした。場所は上の写真と同じです。

この3線軌道は、トラムの近代化(標準軌化)をして路線拡大を図るための過渡期の姿だったのですが、Wikipedia「シュトゥットガルト」の項目には、2007年には最後の路線が標準軌化されたとありました。今、この2系統はUの何系統になっているのでしょうか?

2013年02月26日 20時46分

1991年のドイツ(10)シュツットガルトを目指す。

ところでデュッセルドルフからシュツットガルトまでは手荷物1個だけの気楽な旅でした。大きく重いトランクは前日の昼過ぎに既に鉄道便で送っています。この時のヨーロッパ探訪では、何回かこの手を使っています。

威厳と風格のあるフランクフルト中央駅。この姿は今も変わっていません。

ネガの順番でおそらくフランクフルト中央駅の構内に停車中の「レールバス」風の車両。「Indusi-Messwagen」とは何の意味なのでしょうか?撮影時は気になったからこうしてカメラに収めたのでしょうが、今、改めて見て、何も考えずにシャッターを押したことが良く分かりました。今更考えてもしょうがないのですが、雰囲気的には保線か何かの計測用の感じですね。

このフランクフルト中央駅から次の目的にシュツットガルト中央駅までは、この年に登場したばかりのICEに乗車、しかもマンハイム~シュツットガルト間の高速新線も体感。在来線と新線を行き来するのは軌道の間隔が同じだからこそですが、とてもシームレスで、日本でこれが出来ないのは本当に残念に思いました。それにしてもICEの写真がこれしかないのは何故だろう?

この旅の最大の目的地と言っても過言ではない「シュツットガルト」に到着。この地は2泊の予定です。(もっともこの駅の写真は到着翌日の10月22日撮影)

ところで右の塔のような場所の上にあるのは間違いなくベンツのマーク。この街にはダイムラー・ベンツの本社があり、メルセデス・ベンツミュージアムもあります。流石、シュツットガルトと感じた瞬間でした。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2021年2月
« 7月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!