2010年04月29日 19時48分

ダージリン鉄道 トゥング駅

TUNG駅。私は「トゥング」駅と読んでみました。
停車時間はわずか1分。
15時18分に着き、すぐに出発しました。

写真右側の◇が駅名看板で
ヒンディー語と英語での表記があります。
左側の縦長の何か書いてある板が
路線全駅までの距離・運賃、
一番下に列車の発着時刻が書いてあります。
(基本的に全駅このスタイル)

因みにこの駅から
私が乗車したシリグリジャンクションまでは
1等で153ルピー、2等で16ルピーと
書いてありました。
金額の差の大きさよりも
2等の安さにひっくり返ってしまいそうでした。
(多分、1ルピー2円くらいです)

2010年04月28日 18時37分

ダージリン鉄道 クルシャン駅を出発

14時35分、クルシャン駅出発。

写真は列車が、駅から道路上に
押し出されたところです。
これから進行方向を変え、ポイントを渡り
再びダージリン方面へと向かいます。

安全確認とポイント操作を
車両右側で緑と赤の旗を
持った係員(なかなかのナイスガイ)が
行います。

それにしても1日数本の列車の運転に
こんなに人出がかかって
経営は大丈夫だろうかと
心配になってしまいます。

2010年04月27日 18時24分

ダージリン鉄道 クルシャン駅で補給

クルシャン駅で、ディーゼル機関車にも
水の補給。
多分、ラジエーター用と思われますが
ディーゼルの水分補給は
初めて見ました。
列車が遅れていても
10分以上停車したのは
こんな理由もあったようです。

もっとも、早く運転をしなければという
雰囲気は全く感じられず
一方、私はと言えば
発車しても「乗れる」という自信があったため
車外でいろいろな写真を撮影していました。

2010年04月26日 19時34分

ダージリン鉄道 クルシャン駅

シリグリジャンクションから
49キロ。
ニュージャルパイグリからなら
56キロのクルシャン(KURSEONG)に
到着です。14時22分でした。

ところで定刻はと言うと
13時07分着なので
1時間以上遅れています。
標高は約1500メートルで
列車に乗って最初の大きな町らしい町でした。

駅は行き止まり式で
ダージリン行きが発車する時は
一旦、本線までバックし
写真右側の線路を上っていくことになります。

余談ですが、この駅の到着時間
13時07分は、ダージリン鉄道のHPと
駅にある時刻表に掲示された時間ですが
インド国鉄のHPに掲載の到着時刻は
13時25分となっていました。
鉄道は「ダージリン」時間で
動いている。それがインドの醍醐味。

2010年04月25日 18時18分

ダージリン鉄道 トラック事故に巻き込まれる

渋滞と列車が止まった理由が判明。

狭い道路で行き違おうとした
2台のトラックの荷台がピッタリ
くっついてしまい、びくともしなくなったのです。

しかも、写真で左側のトラックの荷台が
線路にはみ出し、列車が通り抜けることも
出来なくなっていました。

双方が、思いっきりアクセルをふかし
ハンドルを切ったりするも、
うまくいかず四苦八苦。
それでも強引に車を揺さぶり
最終的には離合に成功。
まあ、この程度なら
「驚くほどでもない」と思ってしまった自分は
すっかりインドに慣れてしまったようです。
それにつけても怪我人がなくて何よりでした。

こうして列車は更に遅れる…。

2010年04月24日 9時11分

ダージリン鉄道 何かが起きた

信号所を出て直ぐの13時21分、
いきなり何もないところで停車。
道路も渋滞しています。

前方の道路で何かあった模様。
野次馬根性丸出しで
私は列車を降りて出来事を確認に。

但し、取材はできません。
なぜならビザ取得時に
インド入国は「観光目的」で
「取材活動をしない」という誓約書を
提出しているからです。
(マスコミ勤務ということで…)
実は、以前インドに行ったときに
日本でも一部報道された
大きな事故の余波に巻き込まれたのですが
家族が同行していたこともあり、
取材を遠慮したことがあります。

今回⇒大したことはありません。
   期待を持たせてすいません。
先回⇒洒落にならない事態に直面しました。

2010年04月23日 19時04分

ダージリン鉄道 勾配

ダージリン鉄道の勾配が分かりやすかったので
交換した「2D」の後ろ姿の
写真を選んでみました。
正に「滑り落ちていく」と言ったら
大袈裟でしょうか?

路線は、ニュージャルパイグリから
ダージリン手前の
最高地点・グームまで
延々と上り勾配が続きます。

数少ない平坦区間は
駅であったり、信号所だけともいえます。

言わずもがなですが、
「トイ・トレイン」として写真で
よく紹介される蒸気機関車が主役の時代は
さぞかし大変なことであったろうと
改めて思った次第です。

2010年04月22日 18時50分

ダージリン鉄道 列車交換Ⅱ

2Dも客車は3両。
お客さんはインド人の方が
ほとんどと見受けました。

何せ、スピードが遅いので
お客さんの顔が一人一人
確認できたほど。

日本でいう信号所ということでしょうが、
遠隔操作での管理はありえないので
ポイントの取り扱いを行う係員が
操作を行っていました。
列車に乗ってきたか
車でここまで来たかまでは
わかりませんが、
それにしても
こちら1Dが到着して、5分もたたないうちに
2Dが到着したのは驚きでした。

2010年04月21日 18時44分

ダージリン鉄道 列車交換

ガヤバリを出て約20分。
列車は本線上に停車し、
そのまま側線にバックしました。

しばらくすると山を降りる
2Dが見えてきて
ノンストップで通過していきました。
(と言ってもスピードはしれています)

てっきり「駅」で交換するものと
思っていたら、
こんな何もないところでの交換でした。
隣の道路は、シリグリとダージリンを
結ぶメインルートで、
写真では1台も車が写っていませんが
結構、往来はあります。

2010年04月20日 19時10分

ダージリン鉄道 ガヤバリ駅

ダージリン鉄道ガヤバリ(GAYABARI)駅。

標高は1000メートルを越え
いよいよ山地に分け入ってきた感ありです。
ここは、ニュージャルパイグリと
ダージリンの丁度中間地点。
どちらからも44キロです。

定刻では12時3分着、4分発ですが、
12時47分に着きました。

3時間以上かけて44キロ。
時速は10キロちょっと。
噂どおりの走りです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!