2010年04月19日 19時01分

ダージリン鉄道 チャイ売り下車

ダージリン鉄道に乗りこんできた
チャイ売りさんはどうやって
家(店?)に戻るのでしょうか?

正解は、「走っている列車から降りる。」でした。
決して「飛び降りる」ではありません。
そもそも「飛ぶ」ほど速い列車では
ありません。
しかし、駅で下車したわけではありません。
とにかくチャイ売りさんは
扉に手をかけたかとと思うと
忽然と姿を消したのです。
しかも写真の通りの山の中です。

きっと線路沿いに歩いて戻ったのでしょう。

2010年04月18日 10時05分

ダージリン鉄道 チャイ売り

私の車両に乗りこんできたチャイ売り。

インドの庶民の飲み物と言えば
やっぱり「チャイだろう!」ということで
私の注文を紙コップに注いでもらっています。
私はコーヒーより紅茶派ですが
日本では飲まない甘さです。
でもインドで飲むと不思議に心地よいのは
インドの空気のせいでしょうか?

値段は…。すいません、忘れました。
限りなく安かったことだけは
間違いありません。

ところで前にも書いたように、
車両間の貫通路はありません。
チャイ売りさんは、
走っている最中に突然現れたのです。

2010年04月17日 17時04分

ダージリン鉄道 水の補給(人間編)

TINDHARIA駅で
一斉に降りたお客さん、
何をするのかと思ったら
駅にある給水施設で
ペットボトルに水を入れ始めました。

インドの水事情は、「生水を口にしない」が
常識で、水あたりで苦しんだ日本人は
枚挙に遑(いとま)がありませんし
インド人でさえ、実に慎重です。
※これは本当の話しです。
 「インド人は大丈夫」は『都市伝説』です。

それなのに「水」にお客が集まり、
しかも美味しそうに飲んでいました。
こうした飲める湧き水は
山地ではあるそうで
「ヒマラヤの水」は
ミネラルウォーターでもあると聞きました。

が、私は勇気が出ず、結局飲むのを断念しました。
※こうした光景はこの駅だけでした。

2010年04月16日 18時35分

ダージリン鉄道 途中駅

ダージリン鉄道TINDHARIA駅に
12時6分に到着しました。
標高約860メートル。
出発してからすでに700メートル以上
上った計算です。
(参考までにシリグリの標高は、399フィート)
ここで6分間停車。

動き出して2時間半。
狭い車内(2等車は椅子も狭い)に
疲れたお客さんが三々五々降りてきました。

2010年04月15日 18時44分

ダージリン鉄道 スイッチバック転轍作業

スイッチバックの転轍作業です。
自動でもスプリング式でもない
手動のポイントです。
今や日本では、側線でしか見られない
ですかね?

この写真は、その合間に運転士さんが
何か作業(点検?)をしていたようでしたので
一枚頂きました。

ここで結構停車していました。
私は、世界遺産に乗っているだけで満足で
「旅」の時間にとらわれていないのでOKでしたが
『次の予定』のある方に
ダージリン鉄道は
絶対に勧められません。

2010年04月14日 18時32分

ダージリン鉄道 スイッチバック

昨日のラントン駅の手前位から
上り坂が続き、
いよいよスイッチバックやループの区間に
入ります。

詳細な沿線図を持たずに乗車してしまい
「おっ」と思って、あわてて撮影しました。
●行き当たりばったりな「乗り鉄」です。
●因みに、私のトランクなどの大きな荷物は
 車内への持込ではなく
 チャーターした車で運んでおり
 沿線図はその中に入れっぱなしでした。
 実は、車の方が当たり前ですが
 圧倒的に早いです。
 また、列車内にトランクを持ち込めるほどの
 スペースは存在しません。

「確か、沿線図にスイッチバックの位置や
ループのある位置が記してあったなあ」と
思い出し、改めて見直して
「残念!」な思いをしました。
※沿線図は、ダージリン鉄道のHPで
 ゲットできます。

2010年04月13日 18時21分

ダージリン鉄道 ラントン駅

10時45分「ラントン」駅到着。
「Rangtong」と書きます。
ここでも5分ほど停車。
駅舎に時刻表が貼り出されているので
確かめようと思えば
遅れているのかどうかは分かるのですが
それを確かめても大きな問題ではなさそうでした。

写真は車内からですが、
駅舎に向かって側線があるので
昔は、ここで列車交換を
行っていたのではと推察されます。

乗り降りするお客はゼロでした。

2010年04月12日 18時26分

ダージリン鉄道 スクナ駅

午前10時過ぎ、
乗車して最初の駅に到着。
多分、スクナとでも
読むのでしょうか?
「SUKNA」と書きます。
1面1線の小さな駅でした。
※側線を除く。

シリグリジャンクションの
次の駅とあって、標高もまだ
ほとんど稼いでおらず周りは
農村の風情でした。

2010年04月11日 19時06分

ダージリン鉄道 クロッシングⅡ

ちょっと話しは戻りますが、
ブロードゲージとのクロッシングを
渡るダージリン鉄道。

1676ミリを超ナローの
小さな車両の
低い視点で見るとご覧の通り。
ものすごく広く見えます。

見えるどころではなく
本当に広いです。
日本標準と比べて約60センチ、
30センチ物差し2本分です。

普通にみるより
ダージリン鉄道に乗ってみた方が
迫力を感じました。

追伸:これからは、時間軸に沿って案内します。

2010年04月10日 17時15分

ダージリン鉄道 トイレの中

ダージリン鉄道のトイレの中は
こんな感じ。

トイレの話しを2日間に渡って
するものではないと
お叱りを受けそうですが、
何を隠そう、日本の昭和の常識、
『垂れ流し』です。
足型の下は、直ぐに路面です。

写真では分かりにくいですが
その路面が異常に近く(当然ですが)
スピードの遅いこの鉄道でも
なかなかの迫力でした。
で、ふと考えました。

民家の前だけではなく
繁華街のど真ん中、
八百屋、魚屋、衣料品店、雑貨屋等々が
立ち並ぶ通りを走るこの鉄道。
「黄害」は大丈夫?



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!