2017年01月26日 20時25分
11月26日の動画の最後は夕闇せまるヤンゴン駅。
17:40過ぎの撮影。
こうして11月26日の撮影は終了。さあ鉄呑み会2日目に突入。
おっとその前にこの日は、朝の動画撮影後に前日乗れなかった環状線に乗っています。
10:50にヤンゴン駅を出発し、13:40頃に戻る2時間50分のノンビリ乗り鉄。さてどうなるのでしょうか?
11月26日の動画の最後は夕闇せまるヤンゴン駅。
17:40過ぎの撮影。
こうして11月26日の撮影は終了。さあ鉄呑み会2日目に突入。
おっとその前にこの日は、朝の動画撮影後に前日乗れなかった環状線に乗っています。
10:50にヤンゴン駅を出発し、13:40頃に戻る2時間50分のノンビリ乗り鉄。さてどうなるのでしょうか?
JR東海キハ11形。9:10頃からの撮影。まずはラッピング車両。列車が近づいても気にせず線路を横断する人たち。。
9:15頃からの撮影。行き交う人たちがいなければ、こちらはまるでJR東海時代そのもの。
何だかのんびりしていていいなあ。
続いてJR東海からの譲渡車両であるキハ11形とキハ48形+47形の5連。
9:13頃からの撮影で、昨日UPしたJR東日本車の通過の少し前です。
今日から暫く動画@ミャンマー/ヤンゴンをUPします。撮影機材はコンデジです。
私はどこかに行く場合、国内であれば「一眼」もしくは「コンデジ」を1台持って出かけることが殆どで、何か特別な狙いがあって“撮影”に行く場合は、本命「一眼」+予備「コンデジ」といった組み合わせで持ち出します。今どきはスマホのカメラの性能が以前に比べ飛躍的に向上したこともあって、カメラ1台を持ち歩く際の予備は『スマホ』と割り切っています。その辺りは撮り鉄の方よりは随分緩くやっています。
一方海外「鉄道旅」は、一昨年から本命「一眼」+予備「コンデジ」を持って行っています。なおかつ荷物に余裕があって三脚を持ち出せれば、時間に余裕がある時にコンデジで動画を撮影したりしています。
※三脚はコンパクトな簡便なもので、一眼レフは重さの関係で使えないタイプです。またビデオカメラ(動画)用のものではありません。
さて11月26日(土)、この日は動画を撮影すべく前日同様、ヤンゴン中央駅東方に出動。ある程度編成が分かるようにしたいという狙いと、何せ本数が稼げるのがここを選んだ最大の理由です。まあ少々安易な選択ではあります。
まずはJR東日本のキハ48形(RBE.25110)が先頭の5連。時間は9:21頃で、実は前日の全く同じ時間にRBE.25110が先頭の列車が通っており、まさか同じ車両に出会うとは思ってもみませんでした。
「ヤンゴン鉄道旅」のタイトルでやってきましたが、今日は似合わないので「鉄呑み会」に変更。本当に単なる呑み会です。
さて共通の趣味を持つ方たちと共に呑むのはとても楽しいです。まして旅先では尚更と思う今日この頃。歳のせいかな?いやいやそんなことは無いと思います。
今回の旅の目的は実はそんな鉄呑み会だったりします。では何故ヤンゴンでそんな呑み会?
先に書いた通り、今ミャンマーは日本でかつて一時代を画した車両が集まっていたり、ユニークな形の車両がlいることで注目されており、愛知県に住む私の知人でも2人がミャンマーにはまっています。
そんな車両探訪のためにミャンマーを目指す人が増えていたりする中、「じゃあ乾季の一番季節の良い時にヤンゴンに行き、みんなで呑もうよ」と今回のまとめ役の白川淳さんが仲間に声をかけ、それが何と実現したのです。参加条件は1つ。自力でヤンゴンに来て帰ることが出来、誰の手助けがなくとも旅を続けられる人。まあツアーでは無いので当たり前と言えば当たり前ですが、参加するに当たってネットでミャンマーを調べてみたら、ハードルはそれほど高くは無さそうだったので私でも大丈夫そうだと判断し、手を挙げました。
でまずもって11月25日の巻。ヤンゴン在住の方が予約してくれた店へ。
有名店とのことで日本語メニューあり。
まずは3人でスタート。生ビールが3杯。旨い!!!
料理1)豚肉の角煮。見た目ほどくどくはなくパクパク行きました。
料理2)魚に野菜を詰めて焼き上げた料理。
料理3)青菜炒め。
料理4)納豆のチャーハン。
見た目も味も中華料理に近い感じです。そしてタイやインドのようにスパイシーではないので食べやすく、どれも美味しく大満足。
ホテルへ戻ったところに4人目の参加者が到着し記念写真撮影。
右からヤンゴン在住の在ミャンマー日本国大使館員の古賀俊行さん。バリバリの乗り鉄さん。本も出しています。
2人目はまとめ役のトラベルライター/白川淳さん。
一番左がサラリーマンにして撮り鉄&バスマニアの本間俊浩さん。先に書いた強烈なバスマニアの方ですが、鉄道写真では「何ミリで撮ってるんですか?」→「28mmです」、「どのくらいのスピードで切ってます?」→「1/10秒です」という流し撮りを得意にしている方です。
こうして夜は更けていきました。
ところで「25日の巻」ってどういうこと?(笑)
17:30過ぎに列車が動き始め、次の列車が迫る中、多くの人たちが線路を渡る、渡る。
はっきり言って誰も列車の接近を気にしていない?
ふと気づけば2連の気動車の後ろにディーゼル機関車がいて、更にその後ろにやはり2連の気動車がいる。どんだけ団子運転。
17:36にヤンゴン中央駅に到着。JR東日本とJR東海が並ぶある意味あり得ない2ショット。
夕方のラッシュ時間なのですね。通勤客はどこからでも列車に乗り込みます。ホームがあると言っても地平なので貫通扉からの乗車もあるのでしょうが、結構衝撃的な映像。
日も暮れた18:11のヤンゴン中央駅。国鉄ツートンカラーが映えます。
因みに私の撮影した『JR東海』のツートンは2012年(平成24年)5月2日、高山本線下麻生駅でのこの1枚だけです。ミャンマーに来てのこの日だけで一体何枚撮っているのだろう。
インセイン駅で駅撮り。列車編成から察するに中・長距離列車。ヤンゴン中央駅行きは間違いないにしてもどこから来たかは分からない。
JR東日本のキハ48 501/RBE.25111を先頭にする5連の気動車が到着したのでこれに乗ることに。
種別は快速。ミャンマー国鉄には“急行(エクスプレス)”と呼ばれる列車はあっても“快速(ラピッド)”はありません。
ところで環状線は1周すると2時間50分ほどかかる実は所要時間だけは長大な路線。ただ列車の最高速度は時速30キロ~40キロ程度なので距離はさほどでもないはず。
インセイン駅はヤンゴン中央駅から1時間弱ほどの距離にあり、渋滞がなければ間違いなく車の方が早いと思います。
16:30頃にインセイン駅を出発した列車は終点のヤンゴン中央駅近くの駅でストップ。暫くすると後発の列車が追い付いてきた。(17:28頃)
それにしても近い。信号システムはどうなっているのだろう?と疑問符が頭を巡る。
11月25日(金)。さて環状線の列車に乗るわけですが、その本数は日本のローカル線並み。
地下鉄名城線的な表現をすれば右回り(時計回り)、山手線的に言う外回りは1日に11本。左回り(反時計回り)、内回りは8本しかありません。あっ!ミャンマーでは車は右側通行ですが、なぜか鉄道は日本と同じ左側通行で、「内回り」「外回り」の表現はそのまま使えます。ただこの上下列車の本数の差の理由は私には分かりません。
ということで14:25発の右回りに乗るつもりでしたが、何せ出発するホームが直前にならないと分からない。
この写真の列車がそれだと聞いて、まずは駅での編成写真を撮影。
ドア付近の写真を次に撮影。ほぼ地上から乗り込むことになります。
車内に乗り込み準備万端。…だったのですが、ホームにアナウンス(ミャンマー語)が流れどうやらこの編成では無くなった模様。乗っていた乗客は一斉に下車。
改めて駅員さんにどれが環状線列車かを聞きつつ右往左往している間に何だか列車は運休???それともどこかのホームから出発した???
結局、時間の都合で環状線の西側の途中にあるインセイン駅行きに乗り込み、ヤンゴン環状線一周の旅は諦めました。(トホホ)
実は環状運転する列車は少ないのですが、途中駅まで行く列車や途中から分岐する支線への直通列車は結構あり、恐らく大多数の乗客はそうした列車に乗ったと思われ、また環状線で列車の本数が少ない区間はお客さんの数もそれなりですので実害は知れているのかも知れません。
インセイン駅は工場もある大きな駅。ただ駅前は静かな時間が流れていました。
おまけの情報としては、厳しい渋滞があるヤンゴン市内からヤンゴン空港へ行く際に、比較的時間読みし易いのがここインセイン駅からタクシーでヤンゴン空港に向かうルート。私がリアルで繋がっている鉄友の一人も愛用しています。
構内には昔、主力であったであろう蒸気機関車が無残な姿を見せていましたが、こうした光景にも1日で随分慣れてきていました。
参考までに構内での撮影は特に問題はありませんでしたが、工場に入るには国の許可が必要とのこと。私たちの様な観光客が行き着ける場所ではありません。
JR東海エリアに暮らしながら意外と乗っていないキハ11形。
雨風で少しくたびれ始めている車体。でもキハ11-108の車両番号は、私の心の中では輝いています。
ワンマンカーの運賃表示は、関西本線・紀勢本線・参宮線・名松線の駅の名前がズラリと並び、それがそのまま残されています。
とっても親近感あり。復活した名松線に乗りに行こう!なんて思ってしまった。
ワンマン時代の名残がそこここにある。
シートはFRP製のオールロング。クッションがないので長時間乗るのはつらそう。
キハ11形は昭和生まれですが、国鉄生まれではなくJR東海生まれ。今回の旅のテーマである「昭和の国鉄」を訪ねる旅とは少し外れるものの、まあ許容範囲内でしょう。