2017年01月16日 22時09分

ミャンマー鉄道旅(18)日本とミャンマーの友好の印。

JR東日本からのキハ40系には日本とミャンマーの友好の象徴とも言えるステッカーが貼られています。

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特に「JR」の文字の隣にこうして一緒になっているのはとても好ましく思えました。
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昨日UPした写真では開いていた正面の貫通扉をその場にいたミャンマー国鉄の方たちにお願いして閉めて頂き撮影。その心は貫通扉のステッカーはこの形で撮影したかったから。親日国と言われるこの国の人にきっと私たちの気持ちが通じた…。

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残念ながらJR東海からの輸出車両にはありません。

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「東海旅客鉄道」「新潟鉄工所」の銘板が残る車体。

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「RBE_3044」と「キハ40 6309」が併記されていると車両の履歴が分かるのが楽しい。

環状線の乗車券

さてミャンマー国鉄の乗車券。

ミャンマー国鉄にはヤンゴン中央駅からヤンゴン市の外周をグルっと一周する山手線のような環状線があります。ホームにある恐らく近距離列車用の出札窓口で「サークル・ライン」と言えばこの切符を渡されます。昼下がりの午後2時ころ、私たちは環状線を一周する予定でした。この切符を買った時は…。

2017年01月15日 21時36分

ミャンマー鉄道旅(17)ヤンゴン中央駅。

11月25日(金)の最後のイベント。それがミャンマー国鉄の乗車。
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荘厳なヤンゴン中央駅。

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仏塔を思わせる塔屋が素晴らしい。

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多分、長距離列車の出札窓口。

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広い待合室。暑いヤンゴンの街ですが、駅舎は意外と涼しく感じます。

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手前の列車を模した小さな建物は鉄道の係員の詰め所かな?後ろの車庫に停車する車両に溶け込んでいます。

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ホームに入れば早速JR東日本から輸出された気動車が停車中。ただそれだけで何だか気持ちが緩みますではなく和みます。イカンイカン。ここは外国。治安が良いといわれるミャンマーでも一定の緊張感は必要です。

2017年01月14日 13時39分

ミャンマー鉄道旅(16)名古屋市営バス。

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東西を走るバスから南北を走るバスに乗り換え。

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車内にある多分「交通安全のお守り」。もっとも“お守り”というよりはいつでもどこでも仏さまと一緒にいるという信仰の場所という気もしました。

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乗ったのはこの小さなバス。お客さんは結構いて満席どころか立ち客あり。乗客が狭い車内で譲り合ってぎゅんぎゅんに座るさまは、昨今の日本でありがちな「座ったもん勝ち」とは違って良い国だなあと実感。

逆に「ああ満席」と思っても座る場所が出来るとも言えます。(塗り分けが何だか名古屋っぽい)

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街を行く懐かしい塗装のバス。

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ヤンゴン中央駅前にも1台停車中。

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丸八は名古屋のシンボル。

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進行方向右側に無理やり作った感のあるドア。

ところでミャンマーは名古屋の市バスだけではなく、日本全国の中古バスの宝庫。

今回の同行メンバーにはバスマニアもおられそれこそ舌なめずりをしながら何百枚も撮影されていました。

その方に、「ついていけない」という暴言(笑.単なる感想です)が喉元まで出かかりましたが、「このバスは元**バスで、年式は**。それが分かるのは今の塗装のこの部分にかつてのバス会社の色が残っていて・・・」とか…。ああっ、はい。

もっとも日本全国のかつての現役選手たちが一堂に会しているのは壮観であり、車によってはラッピングであったり、当然のことながら右側にドアが増設されたりはあるものの『楽しい』と思ったのもある意味事実。日本では絶対にありあえなかった光景がここヤンゴン(ミャンマー)で日々繰り広げられています。端的に言えば名古屋市営バスと京都市営バス・相鉄バスが並ぶことだってあるのです。バスファンには堪らないだろうということだけは理解できます。

実は名鉄バスもよく見かけたのですが、写真を撮影することは出来ませんでした。

※いつの間にか「旧」という接頭語が無くなっている。

2017年01月13日 20時34分

ミャンマー鉄道旅(15)バスの旅もあります。

11月25日(金)の3つ目のイベント。

さてヤンゴン市街地の市民の足はバス。

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夥(おびただ)しい数のバスの洪水。

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一番前の展望席。同行者がいるとこうした記念写真が撮影できるのが嬉しい。

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さて乗っているバスですが、実はこのバスが何系統でどこへ行くかは分かっていません。まあ勘ですね。

ではなく、私たちの目的地はヤンゴン中央駅なのですが、そこへ直通する系統まではミャンマー語を理解しないので分かりません。

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ただバスは東西を走る系統と南北を走る系統があり、途中で右折、左折をしなさそうなのはヤンゴン3回目である白川さんがご存じで、また私たちが乗車したワーダン地区から町の中心にあって正に町のシンボル/スーレーパゴダまでは正にその東西路線。そこでヤンゴン中央駅方面に向かう南北の路線に乗り換えれば良かろうという何ともアバウトな乗車だったものの、無事この場所で下車しました。

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車窓はこれぞ東南アジアが溢れ、実に楽しい。

それはそれとして乗ったバスが多少思惑と違う場所に行ったとしても市街地なら行き交うバスに乗って戻る手もありそうですし、タクシーを使って戻ることも出来ます。

※タクシーにメーターは付いていませんので乗車時に料金交渉が必要ですが、多少拙い説明でも運転手さんは一生懸命行き先を知ろうとしてくれますし、タクシーを止めた場所の周りに人がいれば、英語ができる人が救ってくれます。また何度か乗った経験でも乗車料金をぼられる事はありませんでした。これはたまたまではないと思っています。

一方でこちらの提示金額が低いと思えば単に「不成立」でそれが尾を引くことはありませんでした。

それと運転手さんによってはスマホの地図アプリで行き先を確認したこともあります。時代ですね。

2017年01月12日 20時04分

ミャンマー鉄道旅(14)地元の人に交じり休憩。

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ヤンゴンの南側でアンダマン海にそそぐヤンゴン川にはあまり橋がかかっていません。(航空写真で確認)

そのためか船も重要な交通機関となっています。

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この小さな船は恐らく対岸の街との足。

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そんな港町の一角にある食堂(と言う表現がピッタリなお店)で休憩。

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昼から生ビール。(しかも2杯!)

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昼ご飯は隣の人が美味しそうに食べていた焼きそば(?)を店員さんに指さしで注文し、食す。

美味。時間に追われない何だか優雅なひと時。

予定がビッシリだとこうは行きませんが、今日だけは特別。

2017年01月11日 20時02分

ミャンマー鉄道旅(13)架線柱は植物に覆われている。

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TCE.3002/3000形3005編成。結局この編成は動くことがなかったようです。

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かろうじて姿を見せているものの、ここまでシートが被せられていると、これが元広島電鉄の電車だと知っている私たちのような者でなければ何がなにやらさっぱり分からないでしょう。

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終点の架線柱は既に発見当時のアンコールワットの如く植物に覆われ始めています。

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元広島電鉄の車両が置かれている場所の少し先にある「Keighley Street Goods Office(Burma Railways)」。イギリスが建設したビルマ鉄道の駅舎で、ヤンゴン市内の英語の観光ガイドの冊子には歴史的建造物としての記載がありました。

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1880年代に作られたとのことでイギリス植民地時代の歴史を今に伝えています。広島電鉄の車両の見学ついでに歴史散歩。

2017年01月10日 20時15分

ミャンマー鉄道旅(12)大阪市電と西鉄福岡市内電車。

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線路は走らなくとも今もその姿を留める元大阪市電。TCE.701の番号が付けられています。

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昭和25年製の750形772号。昭和43年(1968年)に広島に来たことがこの銘板から読み取れます。1950年製ですので古豪中の古豪。

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横から改めて見てみれば、その塗色はなかなか似合っていると思いました。

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一方こちらは元西日本鉄道福岡市内線電車のTCE.3001/3000形3006編成。

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昭和51年に広島電鉄へ移籍。それにしてもこのような移籍時期を記した銘板があったとはお恥ずかしい話ですがミャンマー/ヤンゴンで初めて知りました。

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広島電鉄時代には宮島線直通でも使われていたので、ひょっとしたら乗っているかも知れません。

2017年01月09日 20時08分

ミャンマー鉄道旅(11)広島電鉄の路面電車が走った街。

11月25日(金)の鉄旅。2つ目の目的地。

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今年の1月からヤンゴン市内で路面電車が走り始めました。もっともその電車は7月には運休し、その後復活はなりませんでした。

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ヤンゴン市街地のヤンゴン川に沿って走るストランド通り。その広い道路の右端に線路が見え、電停もそのままです。

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架線も架線柱もしっかり残っています。今となっては廃線跡巡りですが、真新しいだけに却って悲しさが深まります。

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「電車線第一号柱」。ヤンゴン市の“新しい”公共交通の輝かしい第一歩になったはずが、何だか霞んで見えるのは私だけでしょうか?

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ストランド通りとワーダン通りが交差する場所の近くにある貨物駅。

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その一角に路面電車の車庫があり、今も広島電鉄から移籍した電車が残されています。

2017年01月08日 18時54分

ミャンマー鉄道旅(10)JR東日本とJR東海が交錯する!

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9:09.JR東日本キハ38形4連、久留里線色登場。車両のサイドはラッピングされていますが、正面はかつてのまま。

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おっ!JR東日本とJR東海の気動車が交錯するのは世界でもここだけ。ですね。

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扉からぶら下がる人たち。アジアらしい風景。

よもやあと一歩でこれを自分が経験しそうになるとはこの時は知らなかった…。

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9:24JR東海キハ11 104/RBE.30.37。5連の列車の行き先は松阪~鳥羽。

これでJR東海からミャンマーに渡った全形式と出会えました。で、これで一応ここでの撮影終了。次の目的地に向かいます。

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その移動途中。線路の傍らに合った甕(かめ)。コップがあったので作業の方たちが飲む水入れかな?

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こちらはミャンマー国鉄で使うであろう何か。

日本語で「8月5日出荷」の貼り紙あり。何に使うのかな?

ところで各車両の番号ですが、ネットでUPされているものを参考にしています。ミャンマーに輸出された車両の詳細な情報がそこにあり、それだけミャンマーに前のめりの方がいらっしゃる証です。1週間いて、そして帰ってきて思うのは、そうした“ミャンマーに前のめり”になる方がいることに「なるほど納得」している自分がいることです。

ただ車両の配置だけでなく、驚くべきことに路線そのものの存在が日々刻々を変わるのがミャンマー。それが楽しいと言う人もいますが、狙いの車両があり場合に、それを追いかけることが至難の業であることも分かりました。といいうつまたきっと行くことになる…、私。

2017年01月07日 18時19分

ミャンマー鉄道旅(9)JR東日本の快速列車。

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8:51。JR東日本のキハ40系では一番馴染みのある塗色とも言えるキハ40548/RBE.5109以下の5連登場。

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快速表示。でもヤンゴンでは各駅停車です。

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8:56.ヤンゴンへ向かうDDが牽く客車列車。

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ヤンゴンを出発した客車列車。雰囲気としては中・長距離を走る雰囲気かな?とか思いつつ、列車の時刻表をチェックしていないので何とも言えない。

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と、9:08.JR東海キハ48 6803/RBE.3032の登場。方向幕に貼ってあるのは恐らく交通安全のお守りのような存在だと思うのですが、その下にある行き先は位置がずれていてよく分からないものの、判読するに恐らく『鵜沼』だと思います。JR東海だね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!