2010年05月02日 19時26分

ダージリン鉄道の最高地点、グーム駅。
標高約2258メートル。
ニュージャルパイグリから82キロ、
シリグリ・ジャンクションから74キロ。
2100メートル以上を
上りつめたことになります。
到着は16:46。
※インド国鉄のダイヤでは
定刻15:26着。
発車したのは16:53。
ここからダージリンまでは
緩やかな下りとなっています。
ここも大きな町で、
写真では分かりませんが
一番右側の線路の更に右側に
ダージリン鉄道の博物館がありました。
ダージリン鉄道の最高地点、グーム駅。
標高約2258メートル。
ニュージャルパイグリから82キロ、
シリグリ・ジャンクションから74キロ。
2100メートル以上を
上りつめたことになります。
到着は16:46。
※インド国鉄のダイヤでは
定刻15:26着。
発車したのは16:53。
ここからダージリンまでは
緩やかな下りとなっています。
ここも大きな町で、
写真では分かりませんが
一番右側の線路の更に右側に
ダージリン鉄道の博物館がありました。
ダージリン鉄道といえば
やっぱりこの風景。
通りがかった列車に
飛び乗り、そのままデッキに
ぶら下がっている人たちです。
たまたまなのか学生が多かったですが、
この内の一人(中学生)に通訳を介して
話しを聞きました。
「列車はいつ来るか分からないので
たまたま来たら乗る」
「学校から家までは歩いて30分くらいだけど
歩くより、このほうが楽」
「家族は両親と妹で、お父さんは軍人で
今は家にいない」
「学校は好き」
と言ったことを聞いているうちに
彼は列車からゆっくりと離れ
山の斜面を降りていきました。
基本的に列車にぶら下がるのは男子ばかりで
女子は歩いていました。
トゥング駅を出てから
暫くすると茶畑が車窓に広がります。
この辺りは有名な「ダージリンティー」の
産地です。
標高はすでに1500メートルを越え
急な斜面で作業をする人が見えます。
※画面中央の「白い点」に見えるのは人です。
お茶畑は、この急斜面であるがゆえに
機械化が難しいと聞きました。
また、ここで栽培されている
お茶はほとんどが高級な輸出用で
地元で消費されることはあまりなく
まして茶畑の労働者が口にすることは
極めて少ないそうです。
余談ですが私はコーヒーより紅茶党で、
ダージリンティーは
ストレートで飲んでいます。
先月、インドに行った知人に
ダージリンティーのお土産を
大量にいただきました。(多謝)
TUNG駅。私は「トゥング」駅と読んでみました。
停車時間はわずか1分。
15時18分に着き、すぐに出発しました。
写真右側の◇が駅名看板で
ヒンディー語と英語での表記があります。
左側の縦長の何か書いてある板が
路線全駅までの距離・運賃、
一番下に列車の発着時刻が書いてあります。
(基本的に全駅このスタイル)
因みにこの駅から
私が乗車したシリグリジャンクションまでは
1等で153ルピー、2等で16ルピーと
書いてありました。
金額の差の大きさよりも
2等の安さにひっくり返ってしまいそうでした。
(多分、1ルピー2円くらいです)
14時35分、クルシャン駅出発。
写真は列車が、駅から道路上に
押し出されたところです。
これから進行方向を変え、ポイントを渡り
再びダージリン方面へと向かいます。
安全確認とポイント操作を
車両右側で緑と赤の旗を
持った係員(なかなかのナイスガイ)が
行います。
それにしても1日数本の列車の運転に
こんなに人出がかかって
経営は大丈夫だろうかと
心配になってしまいます。
クルシャン駅で、ディーゼル機関車にも
水の補給。
多分、ラジエーター用と思われますが
ディーゼルの水分補給は
初めて見ました。
列車が遅れていても
10分以上停車したのは
こんな理由もあったようです。
もっとも、早く運転をしなければという
雰囲気は全く感じられず
一方、私はと言えば
発車しても「乗れる」という自信があったため
車外でいろいろな写真を撮影していました。
シリグリジャンクションから
49キロ。
ニュージャルパイグリからなら
56キロのクルシャン(KURSEONG)に
到着です。14時22分でした。
ところで定刻はと言うと
13時07分着なので
1時間以上遅れています。
標高は約1500メートルで
列車に乗って最初の大きな町らしい町でした。
駅は行き止まり式で
ダージリン行きが発車する時は
一旦、本線までバックし
写真右側の線路を上っていくことになります。
余談ですが、この駅の到着時間
13時07分は、ダージリン鉄道のHPと
駅にある時刻表に掲示された時間ですが
インド国鉄のHPに掲載の到着時刻は
13時25分となっていました。
鉄道は「ダージリン」時間で
動いている。それがインドの醍醐味。
渋滞と列車が止まった理由が判明。
狭い道路で行き違おうとした
2台のトラックの荷台がピッタリ
くっついてしまい、びくともしなくなったのです。
しかも、写真で左側のトラックの荷台が
線路にはみ出し、列車が通り抜けることも
出来なくなっていました。
双方が、思いっきりアクセルをふかし
ハンドルを切ったりするも、
うまくいかず四苦八苦。
それでも強引に車を揺さぶり
最終的には離合に成功。
まあ、この程度なら
「驚くほどでもない」と思ってしまった自分は
すっかりインドに慣れてしまったようです。
それにつけても怪我人がなくて何よりでした。
こうして列車は更に遅れる…。
信号所を出て直ぐの13時21分、
いきなり何もないところで停車。
道路も渋滞しています。
前方の道路で何かあった模様。
野次馬根性丸出しで
私は列車を降りて出来事を確認に。
但し、取材はできません。
なぜならビザ取得時に
インド入国は「観光目的」で
「取材活動をしない」という誓約書を
提出しているからです。
(マスコミ勤務ということで…)
実は、以前インドに行ったときに
日本でも一部報道された
大きな事故の余波に巻き込まれたのですが
家族が同行していたこともあり、
取材を遠慮したことがあります。
今回⇒大したことはありません。
期待を持たせてすいません。
先回⇒洒落にならない事態に直面しました。
ダージリン鉄道の勾配が分かりやすかったので
交換した「2D」の後ろ姿の
写真を選んでみました。
正に「滑り落ちていく」と言ったら
大袈裟でしょうか?
路線は、ニュージャルパイグリから
ダージリン手前の
最高地点・グームまで
延々と上り勾配が続きます。
数少ない平坦区間は
駅であったり、信号所だけともいえます。
言わずもがなですが、
「トイ・トレイン」として写真で
よく紹介される蒸気機関車が主役の時代は
さぞかし大変なことであったろうと
改めて思った次第です。