2018年06月17日 10時56分

マチュピチュ遺跡で撮り鉄(4)下山。

登る時は心の余裕もなく、また肉体的にも一杯一杯だったのですが、下りは周囲に目が行きます。

花の名前は分かりませんが、標高が2400mなので日本で言えば多分、高山植物の類でしょう。

自然の豊かさに触れて足取りが軽くなります。苦しかった呼吸も下りる時にあまり感じないのは、何故でしょう?標高に慣れ始めてきたのでしょうか?その時はそう思っていました。

癒される。

16:23、ふと気が付くと虹が出ていました。

思い出がまた一つ増える喜び。

夕食前にホテルの前でまったり。列車は来ませんでしたが、思いのほか人が歩いていることに気付き、ここが世界的な観光地であることを改めて感じました。

2018年06月16日 20時51分

マチュピチュ遺跡で撮り鉄(3)インカ道&太陽の門。

午後はマチュピチュ遺跡から約1時間半かけて絶景ポイント「太陽の門」(INTIPUNKU)へ向かいます。高地ゆえの息苦しさもあり、ガイドさんに自分のペースで歩きたいと願い出たところ、OKということで一人、マイペースで歩を進める。青息吐息で到着した太陽の門はとてもインターナショナルな場所で、私の記念写真はどこの国から来たのか分からない方が撮影してくれました。

「太陽の門」からの絶景がこれ。

手前左にあるのが石畳の道がインカ道。その向こうに段々畑。その更に奥、遺跡が見えます。

また画面右下の九十九折の道がマチュピチュ村からのバスが通う道。

この風景に見とれてしまい、私はこの場所に20分ほどいました。

太陽の門から見た留置線。走る列車はありませんでしたが大満足。

時間は前後しますは、最後にマチュピチュ遺跡から太陽の門までの登る途中で撮影した3本目の列車。カメラの時計で14:00ジャスト。

太陽の門からの帰途も列車の撮影が出来れば良いなとは思っていましたが、タイミングが合いませんでした。

2018年06月15日 20時49分

マチュピチュ遺跡で撮り鉄(2)撮りました。

マチュピチュ遺跡の写真を熱心に撮っている図、ではありません。

もう何年もの間、憧れ続けていたマチュピチュ。そしてやっと来ることが出来たマチュピチュ。そのマチュピチュで「ここまできて何をやっているのだろう」と心底思う出来事。きっかけは谷底からはるか上空にあるこの遺跡まで、ディーゼルエンジンの雄叫びとタイフォンの音が聞こえたこと。そしてその時、その音のする方向を見ると…。

何とマチュピチュ遺跡から、眼下に見える鉄道の写真が撮影できます。(驚)

今回の旅は個人ではなく、一般のツアーに参加しているため行動の自由はないに等しく、撮影できた写真は本当に偶然の産物です。

ダイヤは分からなくともエンジン音やタイフォンの音で、列車が来る予兆は十分に感じられ、ある程度の心の準備は出来ます。問題は谷底が見える場所にその時にいるかどうかです。

是非誰か、マチュピチュ遺跡を込みにした鉄道写真をモノにして欲しいと思っています。

なお昨日UPした写真はちゃんと遺跡を観光した証拠です。

で、まずは午前9時半頃撮影の一本目。突然の事ゆえピントを合わせるのに手間取り、列車は少しボケています。

13:36の2本目。

その列車は駅のような所に入っていきます。

そこでようやく飲み込めた事情は、マチュピチュ駅の構内が狭く待機出来る列車の本数が限られ、そのゆえ折り返しの留置や車内整備をマチュピチュ駅の先にあるこの場所で行っているのではないかという事。

この想像は帰国後にマチュピチュに詳しい方から情報が提供されて当たっていることが分かりました。

遺跡と線路との位置関係。遥か眼下にかろうじて線路が見えます。

2018年06月13日 19時46分

マチュピチュ遺跡で撮り鉄(1)絶景そして。

マチュピチュ村の風景を画像加工して遊んでみる。

ここに並んでいるのはマチュピチュ村からマチュピチュ遺跡に向かうバス。午前8時半過ぎにこのバスに乗り込みました。

そして到着したマチュピチュ遺跡。ここは生きているに来たいと思っていた場所の一つ。長年の夢が叶った瞬間です。

山の天気予報は当てにならないとは言われていましたが、確かにその通り。良い方に外れ、高山らしい風景に圧倒されます。

それにしても世界中から観光客が来ている。さてマチュピチュ遺跡の写真は私が紹介するまでもありませんのでこれ位にしておきます。そして…。

2018年06月12日 20時41分

マチュピチュ村で撮り鉄(2)荷降ろし。

マチュピチュ村への足が鉄道しかないということは…。当然、生活に必要なモノは全て鉄道で運ばれます。考えてみれば当たり前のこと。

鉄道が好きだから鉄道の写真を撮っている。単純にそうではなく、勿論それも否定はしませんが、そこに暮らす人たちの生活を知る楽しみが私にシャッターを押させている気もしている。

それにしても荷をぎっしり積んだ貨車から手作業で降ろすのを見たのはいつ以来だろう?

食料から日用品までありとあらゆるものがあるのだろう。

なかなか壮観です。

その貨車の停まっている場所から先にも線路が続いている。しかも使われている感じがする。

そしてこの数時間後に、実際に使われていることを知ることになります。

2018年06月11日 20時28分

マチュピチュ村で撮り鉄(1)貨物列車が到着。

平成30年(2018年)4月23日。標高2430mのマチュピチュ遺跡に向かう日。

ホテルの部屋の眼下の川はご覧の状況。

天気予報は雨。

ホテルを出た所に線路があり、その線を実際に列車が走っているのかどうかはこの時点では知らなかったものの、とりあえず線路に沿って歩くことに。

朝食後、集合時間までのお散歩タイムです。

貨車が止まっている。

しかも荷物を降ろしている様子。体が反応して少し足早になったら即座に息が切れ、標高2000mでも侮れないことを身をもって知る。歳かな?とも思っている。それにしてもマチュピチュまで来て何をやっているのだろう?やっぱり根っからの鉄ちゃんらしい。私は…。

2018年06月10日 15時05分

マチュピチュへの道(5)マチュピチュ駅に定時到着。

マチュピチュ駅到着は17:02。1時間25分の旅の始まり。乗車したのは4種類ある種別の内、「ビスタドーム」。914ミリのナローゲージにしてはゆったりした座席でティータイム。

ところで標高が下がってきたとはいえ、多分、軽い高山病の症状がある感じ。もっとも頭がフワフワする程度で、歩きさえしなければ何とか大丈夫でした。

途中の信号所(駅とは思えないので…)で交換。後で知ったのですが、オリャンタイタンボ駅~マチュピチュ駅間は、ペルーレイルとインカレイルの2社が運航しており、思ったよりというか勝手に思い込んでいた本数よりも多く、この時も途中で続行運転の2列車と行き違ったりしています。

渓谷美を楽しみつつ列車は標高を下げていく。

折角屋根に窓がついているのに雨模様。

ところで先に書いたバックパッカーのツワモノの経費節約話ですが、オリャンタイタンボからマチュピチュまで40キロ超の距離を線路に沿って歩く人もいるそうで、実際に女性の2人連れが歩いているのに遭遇し、「マジか!」と驚く。(その2人連れの写真はありません)

大きな荷物を背負って歩くことは、若い時の私でも出来ない。

マチュピチュ駅にほぼ定時で到着。何となく「遅れる」イメージを持っていたのでそれは撤回。そして反省。

マチュピチュ駅からの戻りも定時運行でした。

(余談)

ペルーでよく飲んでいたコカ茶。コカの葉を使ったハーブティーの1種だと思って下さい。これ実は、日本では飲めません。コカの葉はコカイン(麻酔薬、麻薬)の原料のため、ペルーではティーバッグも売られているものの日本には持込禁止です。高山病の症状を緩和するとも言われており、私は毎日愛飲。風味が良く、体のために我慢しつつ飲むということはありませんでした。

2018年06月09日 15時02分

マチュピチュへの道(4)増結作業。

駅に着いたのは14:50過ぎで、マチュピチュ駅行きの列車の出発は15:37。という事で暫く駅構内の散策。

そう言えばこの鐘が鳴らされた音を聞いていない。以前、列車の出発時に使っていたのかな?それとも私が気づかなかっただけ?

駅名標。クスコから67.3キロで、「Hidroelectrica」駅まで54.3キロ。「Hidroelectrica」は発電所という事になりますが、その駅をマチュピチュ駅から更に先に進んだところにあるのを探し当てました。

今現在、マチュピチュに向かうには道路がなく、鉄道が唯一の足と聞いています。しかしこの鉄道は決して安くはありません。

※地元の方向けに安い乗車券があるようですが詳細不明。

そのため以前、交通費を浮かせたいバックパッカーは、クスコからバスなどを乗り継いで「Hidroelectrica」駅まで行き、そこから10キロの道のりを線路に沿って歩いたそうです。

マチュピチュ駅~「Hidroelectrica」間に列車が走っているかは今回の私が『観光旅行』ゆえ、現地で聞くことはありませんでしたが、さてどうなのでしょうか?

そうこうしているうちに駅構内で動きが出始めました。出発準備のようです。で、奥の221号に注目。

何と転線してきました。

そして増結作業。

2018年06月08日 20時01分

マチュピチュへの道(3)オリャンタイタンボ駅は標高2797m。

駅らしきものが見えたのは午後の2時半ごろ。

貨車が止まっているのは見えたもののここはどうも駅ではない感じ。

列車に乗り換えるオリャンタイタンボの町。駅前まではバスで行けないとの事で数分の歩き移動。お土産屋さんが軒を連ねています。

オリャンタイタンボ駅は標高2797m。クスコから600mほど下ってきました。

ここから更に下って標高2038mのマチュピチュ駅まで44キロの旅。(標高、距離はペルーレイルのHPに出ている数値を参照)

青色も鮮やかなペルーレイルの車両をバックに記念写真。

2018年06月07日 20時58分

マチュピチュへの道(2)クスコ市内。

今回の旅で、クスコからマチュピチュに向かう列車の出発地となるオリャンタイタンボ駅まではバス移動。しばし車窓を楽しむ。

クスコ空港を出て暫くすると線路が見えてきました。3線区間となっており、これには驚き。クスコから東のプーノ方面には標準軌の1435ミリ。マチュピチュ方面には狭軌の914ミリというのは事前に調べて知っていたものの、まあ現地に行けば何かと発見があるものです。ただこの線がどこに向かうのかは不明。暫く使われていない感もあり、体が反応して写真を撮ったものの消化不良。

その線路際が市のような感じになっているのに出会いました。東南アジアでは見かける、と言っても、実際に見たことのあるのはミャンマーだけですがそれと似た印象を受けました。ところでこの後、似たような光景に何度も出会うとはこの時点では知りませんでした。

歩道?で様々な物を売る風景には旅情を感じます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!