午後はマチュピチュ遺跡から約1時間半かけて絶景ポイント「太陽の門」(INTIPUNKU)へ向かいます。高地ゆえの息苦しさもあり、ガイドさんに自分のペースで歩きたいと願い出たところ、OKということで一人、マイペースで歩を進める。青息吐息で到着した太陽の門はとてもインターナショナルな場所で、私の記念写真はどこの国から来たのか分からない方が撮影してくれました。
「太陽の門」からの絶景がこれ。
手前左にあるのが石畳の道がインカ道。その向こうに段々畑。その更に奥、遺跡が見えます。
また画面右下の九十九折の道がマチュピチュ村からのバスが通う道。
この風景に見とれてしまい、私はこの場所に20分ほどいました。
太陽の門から見た留置線。走る列車はありませんでしたが大満足。
時間は前後しますは、最後にマチュピチュ遺跡から太陽の門までの登る途中で撮影した3本目の列車。カメラの時計で14:00ジャスト。
太陽の門からの帰途も列車の撮影が出来れば良いなとは思っていましたが、タイミングが合いませんでした。
マチュピチュ遺跡の写真を熱心に撮っている図、ではありません。
もう何年もの間、憧れ続けていたマチュピチュ。そしてやっと来ることが出来たマチュピチュ。そのマチュピチュで「ここまできて何をやっているのだろう」と心底思う出来事。きっかけは谷底からはるか上空にあるこの遺跡まで、ディーゼルエンジンの雄叫びとタイフォンの音が聞こえたこと。そしてその時、その音のする方向を見ると…。
何とマチュピチュ遺跡から、眼下に見える鉄道の写真が撮影できます。(驚)
今回の旅は個人ではなく、一般のツアーに参加しているため行動の自由はないに等しく、撮影できた写真は本当に偶然の産物です。
ダイヤは分からなくともエンジン音やタイフォンの音で、列車が来る予兆は十分に感じられ、ある程度の心の準備は出来ます。問題は谷底が見える場所にその時にいるかどうかです。
是非誰か、マチュピチュ遺跡を込みにした鉄道写真をモノにして欲しいと思っています。
なお昨日UPした写真はちゃんと遺跡を観光した証拠です。
で、まずは午前9時半頃撮影の一本目。突然の事ゆえピントを合わせるのに手間取り、列車は少しボケています。
13:36の2本目。
その列車は駅のような所に入っていきます。
そこでようやく飲み込めた事情は、マチュピチュ駅の構内が狭く待機出来る列車の本数が限られ、そのゆえ折り返しの留置や車内整備をマチュピチュ駅の先にあるこの場所で行っているのではないかという事。
この想像は帰国後にマチュピチュに詳しい方から情報が提供されて当たっていることが分かりました。
遺跡と線路との位置関係。遥か眼下にかろうじて線路が見えます。
マチュピチュ村への足が鉄道しかないということは…。当然、生活に必要なモノは全て鉄道で運ばれます。考えてみれば当たり前のこと。
鉄道が好きだから鉄道の写真を撮っている。単純にそうではなく、勿論それも否定はしませんが、そこに暮らす人たちの生活を知る楽しみが私にシャッターを押させている気もしている。
それにしても荷をぎっしり積んだ貨車から手作業で降ろすのを見たのはいつ以来だろう?
食料から日用品までありとあらゆるものがあるのだろう。
なかなか壮観です。
その貨車の停まっている場所から先にも線路が続いている。しかも使われている感じがする。
そしてこの数時間後に、実際に使われていることを知ることになります。
マチュピチュ駅到着は17:02。1時間25分の旅の始まり。乗車したのは4種類ある種別の内、「ビスタドーム」。914ミリのナローゲージにしてはゆったりした座席でティータイム。
ところで標高が下がってきたとはいえ、多分、軽い高山病の症状がある感じ。もっとも頭がフワフワする程度で、歩きさえしなければ何とか大丈夫でした。
途中の信号所(駅とは思えないので…)で交換。後で知ったのですが、オリャンタイタンボ駅~マチュピチュ駅間は、ペルーレイルとインカレイルの2社が運航しており、思ったよりというか勝手に思い込んでいた本数よりも多く、この時も途中で続行運転の2列車と行き違ったりしています。
渓谷美を楽しみつつ列車は標高を下げていく。
折角屋根に窓がついているのに雨模様。
ところで先に書いたバックパッカーのツワモノの経費節約話ですが、オリャンタイタンボからマチュピチュまで40キロ超の距離を線路に沿って歩く人もいるそうで、実際に女性の2人連れが歩いているのに遭遇し、「マジか!」と驚く。(その2人連れの写真はありません)
大きな荷物を背負って歩くことは、若い時の私でも出来ない。
マチュピチュ駅にほぼ定時で到着。何となく「遅れる」イメージを持っていたのでそれは撤回。そして反省。
マチュピチュ駅からの戻りも定時運行でした。
(余談)
ペルーでよく飲んでいたコカ茶。コカの葉を使ったハーブティーの1種だと思って下さい。これ実は、日本では飲めません。コカの葉はコカイン(麻酔薬、麻薬)の原料のため、ペルーではティーバッグも売られているものの日本には持込禁止です。高山病の症状を緩和するとも言われており、私は毎日愛飲。風味が良く、体のために我慢しつつ飲むということはありませんでした。
駅に着いたのは14:50過ぎで、マチュピチュ駅行きの列車の出発は15:37。という事で暫く駅構内の散策。
そう言えばこの鐘が鳴らされた音を聞いていない。以前、列車の出発時に使っていたのかな?それとも私が気づかなかっただけ?
駅名標。クスコから67.3キロで、「Hidroelectrica」駅まで54.3キロ。「Hidroelectrica」は発電所という事になりますが、その駅をマチュピチュ駅から更に先に進んだところにあるのを探し当てました。
今現在、マチュピチュに向かうには道路がなく、鉄道が唯一の足と聞いています。しかしこの鉄道は決して安くはありません。
※地元の方向けに安い乗車券があるようですが詳細不明。
そのため以前、交通費を浮かせたいバックパッカーは、クスコからバスなどを乗り継いで「Hidroelectrica」駅まで行き、そこから10キロの道のりを線路に沿って歩いたそうです。
マチュピチュ駅~「Hidroelectrica」間に列車が走っているかは今回の私が『観光旅行』ゆえ、現地で聞くことはありませんでしたが、さてどうなのでしょうか?
そうこうしているうちに駅構内で動きが出始めました。出発準備のようです。で、奥の221号に注目。
何と転線してきました。
そして増結作業。
今回の旅で、クスコからマチュピチュに向かう列車の出発地となるオリャンタイタンボ駅まではバス移動。しばし車窓を楽しむ。
クスコ空港を出て暫くすると線路が見えてきました。3線区間となっており、これには驚き。クスコから東のプーノ方面には標準軌の1435ミリ。マチュピチュ方面には狭軌の914ミリというのは事前に調べて知っていたものの、まあ現地に行けば何かと発見があるものです。ただこの線がどこに向かうのかは不明。暫く使われていない感もあり、体が反応して写真を撮ったものの消化不良。
その線路際が市のような感じになっているのに出会いました。東南アジアでは見かける、と言っても、実際に見たことのあるのはミャンマーだけですがそれと似た印象を受けました。ところでこの後、似たような光景に何度も出会うとはこの時点では知りませんでした。
歩道?で様々な物を売る風景には旅情を感じます。