2018年06月06日 20時48分

マチュピチュへの道(1)標高3400メートルのクスコの町。

4月22日(日)も日の出を見る。

この日は、ペルーの首都/リマから世界遺産「マチュピチュ」遺跡のあるマチュピチュ村への移動日。その最終ランナーは鉄道ということもあり、軽い高揚感あり。

リマ空港発9:44のラタム航空LA2027便でまずはクスコ空港を目指します。それにしてもこの時間帯、クスコ空港行きは9:13発、9:43発、9:45発、9:50発とまるで通勤列車のごとく。

いざ搭乗。

定刻では11:16着。ほぼその時間での到着。

クスコの標高は3400m。富士山が3776mなので富士山頂にいるのと近い。私が実際に登った山である槍ヶ岳3180mよりは高く、鉄道ではスイス/ユングフラウ鉄道の終点ユングフラウヨッホ駅3454メートルより少し低い。その2回ともあまり高山病を意識しておらず、槍ヶ岳登山では高山病なのか、慣れない登山による疲労による息苦しさとの区別もついていなかった。※私に登山の趣味はありません。番組の企画で槍ヶ岳の山頂から生中継をすることとなり、プロデューサーとしてやむを得ず登りました。もっとも槍の穂先に着いた時は一瞬ですが、「登山も良いなあ」と思ったのは事実です。

クスコ空港。

まだ着いたばかりで体の変調はないものの、あくまでも慎重にゆっくりゆっくり歩いて行く。

高山病対策としては、

*ゆっくりと歩く。「いっぽいっぽ」というよりは「いっぽ いっぽ」と一歩と一歩の間に間があるような感じ。

*深い呼吸。それも息を吐ききってからゆっくり深く吸う。

*ゆったりとしたスケジュール。

*水分を取る。

*腹八分目。

確かこんな感じ。これはペルーでの現地ガイドさんのお話し。

2018年06月05日 20時42分

世界遺産「ナスカの地上絵」遊覧飛行(2)愛知万博との意外な縁。

「ナスカの地上絵」観光の航空会社/エアロディアナのここピスコ空港の責任者/カルロスさん。

驚きの日本語ペラペラ。それもそのはず2005年の愛知万博の時に、アンデス共同館(ボリビア、コロンビア、エクアドル、ペルー、ベネズエラ)で、ペルーの担当者として仕事をしていたそうです。

私も仕事で愛知万博には定期的に通っており、勿論アンデス共同館には足を運んでおり、そこで、もしくは管理棟ですれ違っていたかもという話で短い時間でしたが盛り上がりました。なおカルロスさんは「ナスカの地上絵」観光のプロモーションで今も毎年日本各地を回っているそうです。

この飛行機に搭乗。

乗る前にパイロットと記念写真。さすがのフレンドリーさで、求められるまま希望者全員とにこやかにカメラに収まっていました。楽しい思い出。

「ナスカの地上絵」は、飛行機からではなかなかその規模が分からないので、パンアメリカンハイウェイを込みにしてみました。ここで写っているのは「うずまき」(Spiral)。

まだまだ謎は解明されていないこの地上絵。

到着時の荷物受取場。私達もここを通って外に出たのですが、ターンテーブルはここしばらくは使われてはいない模様。

2018年06月04日 13時12分

世界遺産「ナスカの地上絵」遊覧飛行(1)ピスコ空港。

4月20日(金)はリマ市内観光。

旧リマ駅は写真だけ撮ってその前を素通り。勿論それ以外の場所も行っていますが、このブログの性格上割愛させていただきます。そうそう書き忘れていましたが、今回は旅行社のツアーに参加しており、しかも殆ど自由時間が無いという私にしては珍しいパターンです。もっとも私は旅の目的により個人旅行もしくはツアーを柔軟に選択しています。流石にもう若くないなのでペルーを個人で旅するには辛いと思うのと、今回は特に高山病も心配される高地の旅でもあり、添乗員同行という安心を選んだ次第です。

さて翌21日(土)は世界遺産「ナスカの地上絵」観光。

ホテルのロビーに朝5時に集合し、この風景はバスの中からの撮影。

「ナスカの地上絵」は小型飛行機に乗っての遊覧飛行で、その離陸地となるピスコ空港には午前8時40分過ぎの到着。

何となく勝手なイメージで恐縮ですが、遊覧飛行用の小型機の飛行場なので、とても小さな規模を思い描いていました。それが何と日本で言えば大きめの地方空港並みの施設。

と言っても定期便が各地へ飛んでいるとは思えず、何となく開店休業に近い感じ。かつてここを訪れた方の話では、ピスコ空港は本当に小さな空港だったそうなので、最近、新装がなったようです。

搭乗カウンターはこの時点で「ナスカの地上絵」観光専用。推測ですが、観光に力を入れるペルーなのでこれから世界各地とピスコを結ぶ航空路線の就航を想定しているのでしょう。そしてその一歩として空港を整備したのでしょう。

※後日調べたところ2016年に新ターミナルになったようで、リマ空港を補完するハブ機能を持つ空港とする構想だったようです。

※この6月中旬からラタム航空がクスコとの間に週2便飛ばすようで、これまでも短期間、定期便の就航があったようです。

※この飛行場はパイロットの訓練用で使われており、小型機の離発着はそれなりにあります。

2018年06月03日 11時34分

メキシコシティ経由でペルーに向かう。

平成30年(2018年)4月19日(木)。

この日から5月2日(水)まで休暇を取り、南米・ペルーに旅行しました。その第1の目的は「マチュピチュ遺跡」に行くこと。そして昨年から運行を始めた豪華列車「アンデアン・エクスプローラー号」への乗車です。ということで今日からの連載は「ペルーの車窓から」としてお読み頂ければ幸いです。

今回の旅の始まりはこのブログで5月18日から23日までUPした「東成田駅」「芝山鉄道」ですが、ペルーへの旅は成田空港を14:25に出発するアエロメヒコ航空AM57便、メキシコシティ行きへの搭乗からスタートです。

成田空港~メキシコシティ空港の間は、このアエロメヒコ航空と全日空が飛んでいますがその距離は7,003マイル(全日空のHPを参照)。何と日本からの最長距離便となります。航空ファンの方には垂涎の路線かも?ですね。

どこを飛んで来たかが分かるルートマップ。太陽の出ている場所が確認できるようになっているタイプは初めて。かな。メキシコシティ空港には現地時間の19日午後1時頃に到着。時差が14時間ですので、約12時間半の飛行でした。

メキシコシティ空港。ここでペルー・リマ空港行きに乗換え。ペルー旅行ではアメリカ経由が一般的なのですが、アメリカ経由では電子渡航認証システム「ESTA(エスタ)」での認証が必要となります。一方メキシコ経由はそうした手間は無いのですが、その代わり、トランジットであってもメキシコへの入国、メキシコからの出国手続きが必要で、また機内預けの荷物も、往路はそのままスルーだったのが、復路は一旦メキシコシティ空港で荷物を受け取り、再度預け直しました。

合わせてメキシコシティ空港では機内預けの荷物検査は私たちの目の届かないところで行うそうで、鍵がかけてあると、場合によりそれを壊して中を確認することもあるのだそうです。そのため何と無施錠で荷物を預けました。

※成田空港での搭乗受付時に、空港の係員から説明を受けました。

メキシコシティ空港を17:00発のAM018便は無事離陸。

沈む夕日を見ながらの飛行。

メキシコシティ空港からリマ空港までは6時間のフライト。メキシコシティとは時差の無い23:00に到着予定。

ところでこの日、ホテルの部屋に入ったのは翌20日の午前0時過ぎ。日本時間では20日の14時となり、19日の朝6時過ぎに名古屋の家を出てから、32時間の長丁場でした。流石にペルーは遠い。そして私の旅の移動時間では最長となりました。もっとも10日後の帰国時は更にその記録更新となるのですが…。

※除くシベリア鉄道での3泊4日。(イルクーツク~モスクワ間)

2018年06月01日 20時15分

台湾から帰国。そして新記録。

桃園空港MRTの空港駅を出て直ぐの場所にあった近鉄電車の案内。

ふと見上げた天井のモニュメント。来るたびに変わっていますが、これは何だろう?

15:40発のJL822便。中部国際空港着は19:35予定。さあっ、明日から仕事だ!

中部国際空港に19時19分のランディング(着地です)。

そして19時36分のミュースカイに乗車。

国際線では自己新記録!

機内預けの荷物が無いにしても早かった!

台湾土産。

2018年05月31日 20時13分

桃園空港MRT。

MRTの駅の入り口。

エスカレーターを延々と下っていくのですが、外光が入り、明るい印象。

昼下がりは利用客も少なくノンビリした感じ。

ホームドアの関係で、車両の外形が全く分からない。

途中ですれ違ったMRT。今回の旅の同行者は途中の駅で下車して撮影されていましたが、私は台鉄を乗り切ったことによるものかなんだと急に疲れを感じ、戦線から脱落。

車内のモニターに前面展望が見える。と思ったら、これ以降、前面展望は見えませんでした。

2018年05月30日 20時11分

台鉄台北駅から桃園空港MRT台北駅への通路。

台鉄の台北駅から桃園空港MRT台北駅へ向かいます。

そこにあった今回のDT668が牽引した「郵輪式列車」の案内。この写真の撮影地は多分、南廻線。時間に余裕が出来、再度台湾を観光で訪れることがあればこの列車に乗っての旅も良さそう。

通路の両側には台湾の名物駅舎の写真がズラリ。

斗南/Dounan駅は2017年2月に訪れました。

新城(太魯閣)/Xincheng (Taroko)駅は今回、2月23日(金)に通過した北廻線の駅の一つ。飯田線と同じ駅名という事で紹介。

他にもいろいろな駅の写真があり、時間があればここだけでも楽しい時間が過ごせます。

2018年05月29日 20時08分

台北駅のコインロッカーの使い方。

台北駅でコインロッカーに荷物を預け身軽になって行動。

日本語の使い方の案内もあるのでそれを読みながら操作。一度使ってみれば何ということはないのですが、ところどころ迷い、思いのほか時間がかかりました。要は空いている場所が表示されているので、そこに荷物を入れて、ドア番号をテンキーで入れればOKなのですが、私は「19櫃」というロッカー番号から入れていたことでうまく出来ませんでした。何とも情けない。

それを理解すればあとはスイスイ。日本語の説明通りに私が操作していなかったという顛末。

それにしても大きな荷物を持ち歩かないのはやはり楽です。

今回の台湾最後の食事はチェーン店の日本のうどん屋さん。日本と同じ!

台北駅での最後のイベントは鉄道グッズのお店でお土産選び。

2018年05月28日 20時05分

台鉄完乗への道/深澳(Shen’ao)線(7)「恭賀新禧」

台北駅に到着。

駅前に静態保存されているLDK58。毎度来ると撮影している。ナローゲージとしては大型の感じがしている。

駅構内の切符売り場。「恭賀新禧」を日本式に言えば恭賀新年でしょう。2月27日(火)はまだ新年なのでしょう。

この日の乗車券。基隆駅の自動券売機では八斗子/Badouzi駅までの乗車券を売っておらず、車内で清算。そして帰りは、無人駅からの乗車のため台北駅までを購入。「限一人持用」など意味が分かるのは楽しい台湾。

もっとも往路の乗車券をどう清算して良いかが分からず、帰りの乗車券ともども一括で発券してもらいました。

2018年05月27日 14時03分

台鉄完乗への道/深澳(Shen’ao)線(6)台湾新幹線と思わぬ並走!

平成30年(2018年)2月27日、八斗子/Badouzi駅到着で、台湾鉄路管理局の全路線を完乗。この日、基隆駅を旅の起点にした理由。私の台湾での乗り鉄の起点となった駅から最後の駅に向けてスタートしようと思ったこと。ただこの駅に来るだけなら台北に泊まっても良かったのだし、意表をついて瑞芳/Ruifang駅の近くという選択肢もありました。私の思い出作りの一つの方法です。もっとも今回、完乗しようと思い立ってから決めたことで、気分を高めるための手段と言えばその通りです。

海風が心地よい。

海を独り占め。

折り返し八斗子/Badouzi駅9:42発で瑞芳/Ruifang駅9:58着。来る時は山から下る一方だったので13分が、帰りは上る一方で16分かかります。この理由であっているかどうかは不明。

瑞芳/Ruifang駅では4分で樹林/Shulin行き“区快”に乗車。各駅停車なら1時間ほどの所を快速列車は流石に速く、42分で台北駅まで突っ走ります。

(余談)台北に戻りながら、どこかで撮影しながら帰るのも良かろうかと思いつつ窓外を見ていたら撮り鉄さんを発見!後で分かったのですが、DT668の撮影をしていた時に知り合った日本人の方と判明。その場所も良さそうだったので一瞬、次の駅で降りようかと思慮した地点。

南港駅を出て外を見ていたら新幹線と並走している。

地下区間でよもや新幹線が見えるとは思わなかった。オレンジ色の帯だけが強調された一枚。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!