2017年01月19日 20時14分

ミャンマー鉄道旅(21)続行運転。

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インセイン駅で駅撮り。列車編成から察するに中・長距離列車。ヤンゴン中央駅行きは間違いないにしてもどこから来たかは分からない。

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JR東日本のキハ48 501/RBE.25111を先頭にする5連の気動車が到着したのでこれに乗ることに。

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種別は快速。ミャンマー国鉄には“急行(エクスプレス)”と呼ばれる列車はあっても“快速(ラピッド)”はありません。

ところで環状線は1周すると2時間50分ほどかかる実は所要時間だけは長大な路線。ただ列車の最高速度は時速30キロ~40キロ程度なので距離はさほどでもないはず。

インセイン駅はヤンゴン中央駅から1時間弱ほどの距離にあり、渋滞がなければ間違いなく車の方が早いと思います。

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16:30頃にインセイン駅を出発した列車は終点のヤンゴン中央駅近くの駅でストップ。暫くすると後発の列車が追い付いてきた。(17:28頃)

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それにしても近い。信号システムはどうなっているのだろう?と疑問符が頭を巡る。

2017年01月18日 20時09分

ミャンマー鉄道旅(20)環状線の列車はどこから出る?

11月25日(金)。さて環状線の列車に乗るわけですが、その本数は日本のローカル線並み。

地下鉄名城線的な表現をすれば右回り(時計回り)、山手線的に言う外回りは1日に11本。左回り(反時計回り)、内回りは8本しかありません。あっ!ミャンマーでは車は右側通行ですが、なぜか鉄道は日本と同じ左側通行で、「内回り」「外回り」の表現はそのまま使えます。ただこの上下列車の本数の差の理由は私には分かりません。

ということで14:25発の右回りに乗るつもりでしたが、何せ出発するホームが直前にならないと分からない。

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この写真の列車がそれだと聞いて、まずは駅での編成写真を撮影。

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ドア付近の写真を次に撮影。ほぼ地上から乗り込むことになります。

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車内に乗り込み準備万端。…だったのですが、ホームにアナウンス(ミャンマー語)が流れどうやらこの編成では無くなった模様。乗っていた乗客は一斉に下車。

改めて駅員さんにどれが環状線列車かを聞きつつ右往左往している間に何だか列車は運休???それともどこかのホームから出発した???

結局、時間の都合で環状線の西側の途中にあるインセイン駅行きに乗り込み、ヤンゴン環状線一周の旅は諦めました。(トホホ)

実は環状運転する列車は少ないのですが、途中駅まで行く列車や途中から分岐する支線への直通列車は結構あり、恐らく大多数の乗客はそうした列車に乗ったと思われ、また環状線で列車の本数が少ない区間はお客さんの数もそれなりですので実害は知れているのかも知れません。

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インセイン駅は工場もある大きな駅。ただ駅前は静かな時間が流れていました。

おまけの情報としては、厳しい渋滞があるヤンゴン市内からヤンゴン空港へ行く際に、比較的時間読みし易いのがここインセイン駅からタクシーでヤンゴン空港に向かうルート。私がリアルで繋がっている鉄友の一人も愛用しています。

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構内には昔、主力であったであろう蒸気機関車が無残な姿を見せていましたが、こうした光景にも1日で随分慣れてきていました。

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参考までに構内での撮影は特に問題はありませんでしたが、工場に入るには国の許可が必要とのこと。私たちの様な観光客が行き着ける場所ではありません。

2017年01月17日 20時54分

ミャンマー鉄道旅(19)キハ11-108。

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JR東海エリアに暮らしながら意外と乗っていないキハ11形。

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雨風で少しくたびれ始めている車体。でもキハ11-108の車両番号は、私の心の中では輝いています。

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ワンマンカーの運賃表示は、関西本線・紀勢本線・参宮線・名松線の駅の名前がズラリと並び、それがそのまま残されています。

とっても親近感あり。復活した名松線に乗りに行こう!なんて思ってしまった。

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ワンマン時代の名残がそこここにある。

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シートはFRP製のオールロング。クッションがないので長時間乗るのはつらそう。

キハ11形は昭和生まれですが、国鉄生まれではなくJR東海生まれ。今回の旅のテーマである「昭和の国鉄」を訪ねる旅とは少し外れるものの、まあ許容範囲内でしょう。

2017年01月16日 22時09分

ミャンマー鉄道旅(18)日本とミャンマーの友好の印。

JR東日本からのキハ40系には日本とミャンマーの友好の象徴とも言えるステッカーが貼られています。

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特に「JR」の文字の隣にこうして一緒になっているのはとても好ましく思えました。
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昨日UPした写真では開いていた正面の貫通扉をその場にいたミャンマー国鉄の方たちにお願いして閉めて頂き撮影。その心は貫通扉のステッカーはこの形で撮影したかったから。親日国と言われるこの国の人にきっと私たちの気持ちが通じた…。

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残念ながらJR東海からの輸出車両にはありません。

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「東海旅客鉄道」「新潟鉄工所」の銘板が残る車体。

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「RBE_3044」と「キハ40 6309」が併記されていると車両の履歴が分かるのが楽しい。

環状線の乗車券

さてミャンマー国鉄の乗車券。

ミャンマー国鉄にはヤンゴン中央駅からヤンゴン市の外周をグルっと一周する山手線のような環状線があります。ホームにある恐らく近距離列車用の出札窓口で「サークル・ライン」と言えばこの切符を渡されます。昼下がりの午後2時ころ、私たちは環状線を一周する予定でした。この切符を買った時は…。

2017年01月15日 21時36分

ミャンマー鉄道旅(17)ヤンゴン中央駅。

11月25日(金)の最後のイベント。それがミャンマー国鉄の乗車。
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荘厳なヤンゴン中央駅。

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仏塔を思わせる塔屋が素晴らしい。

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多分、長距離列車の出札窓口。

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広い待合室。暑いヤンゴンの街ですが、駅舎は意外と涼しく感じます。

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手前の列車を模した小さな建物は鉄道の係員の詰め所かな?後ろの車庫に停車する車両に溶け込んでいます。

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ホームに入れば早速JR東日本から輸出された気動車が停車中。ただそれだけで何だか気持ちが緩みますではなく和みます。イカンイカン。ここは外国。治安が良いといわれるミャンマーでも一定の緊張感は必要です。

2017年01月14日 13時39分

ミャンマー鉄道旅(16)名古屋市営バス。

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東西を走るバスから南北を走るバスに乗り換え。

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車内にある多分「交通安全のお守り」。もっとも“お守り”というよりはいつでもどこでも仏さまと一緒にいるという信仰の場所という気もしました。

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乗ったのはこの小さなバス。お客さんは結構いて満席どころか立ち客あり。乗客が狭い車内で譲り合ってぎゅんぎゅんに座るさまは、昨今の日本でありがちな「座ったもん勝ち」とは違って良い国だなあと実感。

逆に「ああ満席」と思っても座る場所が出来るとも言えます。(塗り分けが何だか名古屋っぽい)

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街を行く懐かしい塗装のバス。

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ヤンゴン中央駅前にも1台停車中。

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丸八は名古屋のシンボル。

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進行方向右側に無理やり作った感のあるドア。

ところでミャンマーは名古屋の市バスだけではなく、日本全国の中古バスの宝庫。

今回の同行メンバーにはバスマニアもおられそれこそ舌なめずりをしながら何百枚も撮影されていました。

その方に、「ついていけない」という暴言(笑.単なる感想です)が喉元まで出かかりましたが、「このバスは元**バスで、年式は**。それが分かるのは今の塗装のこの部分にかつてのバス会社の色が残っていて・・・」とか…。ああっ、はい。

もっとも日本全国のかつての現役選手たちが一堂に会しているのは壮観であり、車によってはラッピングであったり、当然のことながら右側にドアが増設されたりはあるものの『楽しい』と思ったのもある意味事実。日本では絶対にありあえなかった光景がここヤンゴン(ミャンマー)で日々繰り広げられています。端的に言えば名古屋市営バスと京都市営バス・相鉄バスが並ぶことだってあるのです。バスファンには堪らないだろうということだけは理解できます。

実は名鉄バスもよく見かけたのですが、写真を撮影することは出来ませんでした。

※いつの間にか「旧」という接頭語が無くなっている。

2017年01月13日 20時34分

ミャンマー鉄道旅(15)バスの旅もあります。

11月25日(金)の3つ目のイベント。

さてヤンゴン市街地の市民の足はバス。

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夥(おびただ)しい数のバスの洪水。

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一番前の展望席。同行者がいるとこうした記念写真が撮影できるのが嬉しい。

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さて乗っているバスですが、実はこのバスが何系統でどこへ行くかは分かっていません。まあ勘ですね。

ではなく、私たちの目的地はヤンゴン中央駅なのですが、そこへ直通する系統まではミャンマー語を理解しないので分かりません。

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ただバスは東西を走る系統と南北を走る系統があり、途中で右折、左折をしなさそうなのはヤンゴン3回目である白川さんがご存じで、また私たちが乗車したワーダン地区から町の中心にあって正に町のシンボル/スーレーパゴダまでは正にその東西路線。そこでヤンゴン中央駅方面に向かう南北の路線に乗り換えれば良かろうという何ともアバウトな乗車だったものの、無事この場所で下車しました。

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車窓はこれぞ東南アジアが溢れ、実に楽しい。

それはそれとして乗ったバスが多少思惑と違う場所に行ったとしても市街地なら行き交うバスに乗って戻る手もありそうですし、タクシーを使って戻ることも出来ます。

※タクシーにメーターは付いていませんので乗車時に料金交渉が必要ですが、多少拙い説明でも運転手さんは一生懸命行き先を知ろうとしてくれますし、タクシーを止めた場所の周りに人がいれば、英語ができる人が救ってくれます。また何度か乗った経験でも乗車料金をぼられる事はありませんでした。これはたまたまではないと思っています。

一方でこちらの提示金額が低いと思えば単に「不成立」でそれが尾を引くことはありませんでした。

それと運転手さんによってはスマホの地図アプリで行き先を確認したこともあります。時代ですね。

2017年01月12日 20時04分

ミャンマー鉄道旅(14)地元の人に交じり休憩。

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ヤンゴンの南側でアンダマン海にそそぐヤンゴン川にはあまり橋がかかっていません。(航空写真で確認)

そのためか船も重要な交通機関となっています。

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この小さな船は恐らく対岸の街との足。

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そんな港町の一角にある食堂(と言う表現がピッタリなお店)で休憩。

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昼から生ビール。(しかも2杯!)

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昼ご飯は隣の人が美味しそうに食べていた焼きそば(?)を店員さんに指さしで注文し、食す。

美味。時間に追われない何だか優雅なひと時。

予定がビッシリだとこうは行きませんが、今日だけは特別。

2017年01月11日 20時02分

ミャンマー鉄道旅(13)架線柱は植物に覆われている。

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TCE.3002/3000形3005編成。結局この編成は動くことがなかったようです。

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かろうじて姿を見せているものの、ここまでシートが被せられていると、これが元広島電鉄の電車だと知っている私たちのような者でなければ何がなにやらさっぱり分からないでしょう。

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終点の架線柱は既に発見当時のアンコールワットの如く植物に覆われ始めています。

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元広島電鉄の車両が置かれている場所の少し先にある「Keighley Street Goods Office(Burma Railways)」。イギリスが建設したビルマ鉄道の駅舎で、ヤンゴン市内の英語の観光ガイドの冊子には歴史的建造物としての記載がありました。

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1880年代に作られたとのことでイギリス植民地時代の歴史を今に伝えています。広島電鉄の車両の見学ついでに歴史散歩。

2017年01月10日 20時15分

ミャンマー鉄道旅(12)大阪市電と西鉄福岡市内電車。

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線路は走らなくとも今もその姿を留める元大阪市電。TCE.701の番号が付けられています。

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昭和25年製の750形772号。昭和43年(1968年)に広島に来たことがこの銘板から読み取れます。1950年製ですので古豪中の古豪。

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横から改めて見てみれば、その塗色はなかなか似合っていると思いました。

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一方こちらは元西日本鉄道福岡市内線電車のTCE.3001/3000形3006編成。

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昭和51年に広島電鉄へ移籍。それにしてもこのような移籍時期を記した銘板があったとはお恥ずかしい話ですがミャンマー/ヤンゴンで初めて知りました。

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広島電鉄時代には宮島線直通でも使われていたので、ひょっとしたら乗っているかも知れません。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!