2013年07月06日 21時36分

パリ市内、パリ東駅にて。

タイトルをしばし変更。「パリ…」とさせていただきます。そしてまずは「パリ東駅」構内。

この日(6月10日)の午後、この駅が起点のTGV東ヨーロッパ線でドイツの「カールスルーエ」に向かうべくあらかじめ切符が取ってあったのですが、トランクを抱えながら動き回って撮影するのは無理というより注意が散漫になり、不測の事態を招くのを防ぐため朝一番で訪れました。

まずは2階建のTGV Duplex編成にご挨拶。午後乗車する車両は2階建ての2階席というのは分かっていたので期待感が高まりました。

次に駅構内を見下ろせる場所を見つけたのでそこからパチリ。大きな吊り広告が目立ちますが、ガラス屋根で構内は明るく、行き交う人を見ているだけで楽しい気分になりました。

ヨーロッパの鉄道、特に「国鉄」駅に自動改札があるというのは意外な感じでした。ここは近郊線専用ホームで、これだけずらりと並んでいるとなかなか壮観です。が…、「人が見当たらない」とは言わないでください。私がいた朝のラッシュ時間帯、電車が到着するとゲートはフルオープン状態で次から次へとお客さんが通っていました。補足ですが、自動改札は近郊線ホームだけでそれ以外のホームには改札はありません。

一方こちらはパリ・リヨン駅。

停車中のTGVが見えますが、撮影したのは1983年(昭和58年)10月。当時のTGVはここリヨン駅でしか見られず、その後、路線を増やし東ヨーロッパ線が開業したのは2007年でした。

2013年07月05日 22時08分

パリ「鉄」旅2013、宿泊したホテル。

時差の関係で6月9日(日)の同日パリ着。

この日のホテルは「パリ東」駅の目の前のホテル「オールシーズンズ パリ ガール ド レスト TGV」。

写真の真ん中にある緑色の看板の建物がそれです。

ただ入口はカフェの間にあり、今回はまだ日があったので分かりましたが、日が暮れた後だと見落としそうです。また入口のドアには鍵が掛かっており、一瞬、本当にここで良いかと心配になったほどです。実際にはインターフォンがありそれで「マイ ネーム イナミ」といったら鍵が開けられ、中に入ることが出来ました。

このホテルのバスルームです。ヨーロッパでありがちなシャワーだけという事は無く湯船があってゆっくりと長時間の飛行機旅の疲れを癒すことが出来ました。但し、部屋の広さはそれほどではなく、またパリのホテルは宿泊代が結構高く、ユーロ高もあって日本円で約13000円(朝食付き)でした。まあバスタブ+ホテルのスタッフの対応が良かったので納得はしています。

泊まった部屋は「鉄道ビュー」とは言えませんが、「駅ビュー」で、まずは午前5時28分の「パリ東駅」。時差ボケでこの時間には目が覚めていました。

朝食後の8時半頃には明るくなっていい感じです。

ところでホテルの予約はネットでしています。ホテルの予約サイトは数多くあり、その選択でまずは立ち往生してしまうのですが、ぞれにしてもホテルの予約を自分の手でする時代が来るとは20年前には考えたこともありませんでした。もっとも当時は、ツアーではない個人手配で海外に行くこともありませんでしたが…。

2013年07月04日 21時33分

ドイツ「鉄」旅2013。まずはパリへ。

今回はまずはフランス・パリを目指しました。

そして選んだ航空会社は「中国東方航空」。理由は言わずもがなですが、ネット上の航空料金比較サイトで検討を行った結果で、航空券の購入は中国東方航空を取り扱っている旅行社のネット決済でした。

さて中部国際空港を6月9日(日)、朝8:50発上海行きに搭乗。定刻に出発しました。中国東方航空は上海をハブにしている航空会社で、中部からは1日3便が上海に飛んでいます。正直、3便もあるというのは全く知りませんでした。

上海・浦東空港には現地時間の10時過ぎのこれも定時到着。国際線でボーディングブリッジを使わず、バス移動と言うのは一体、何年振りだろうと思い出そうにも思い出せませんでした。少なくとも10数年前に、取材で東欧のブルガリアに行った際、オーストリア・ウィーン~ブルガリア・ソフィア間の飛行機が小型のためそもそもボーディングブリッジが『無理』だったことはありますが…。

ところで今回の旅の最初の難関と思っていたのは、上海・浦東空港でのパリ行への乗り継ぎ。しかしそれは全くの杞憂に終わりました。到着後、案内表示に従って国際線乗り継ぎカウンターを簡単に発見。そして荷物検査をしたら登場待合は目と鼻の先。

これまで経験した「国際線同士の乗り継ぎ」の中で、ひょっとしたら一番短時間で済んだ空港だったかもしれません。と言っても私の経験はほんの数回ですが…。

そして中国東方航空の上海発パリ行きは、定刻の12:30に出発。まずは順調な旅の始まりでした。

(因みに)

私は決して英語は堪能ではありません。最低限度の「旅行会話」〈ホテルのチェックイン、会計等〉は出来る!と自分に言い聞かせて旅をしています。

殆ど根性の世界です。

2013年07月03日 21時35分

ドイツ「鉄」旅2013。

先月(6月)9日(日)から20日(木)までの12日間、ほぼ全日程ドイツの「鉄」旅をしてきました。

早目の夏休みという事なのですが、プロフィールにもあるように定年を控えていることもあり、2週間の連休を頂きました。所属部署の皆さんが協力してくれたからこその休暇でした。(感謝)

さて今日の写真は「鉄」旅で撮影した中から3枚をピックアップ。

1)モリー鉄道(ドイツ北東部)

2)ヴォルタースドルフのトラム(ベルリン)

3)腕木式信号機(ドイツ南西部の町、カールスルーエ)

です。詳しくは明日からの連載で紹介します。

ところで日本の多くの鉄道愛好家にとって、海外の鉄道への興味は比較的薄いと聞いています。鉄道趣味誌でも海外の鉄道を中心に特集を組んでいるのをあまり見かけません。

私自身は、勿論、日本国内の鉄道への興味が中心ですが、海外の鉄道も好きです。特にトラム&ナローへの好奇心は止まることはありません。ということで今日から暫く12日間の「鉄」旅話しを書かせていただきます。お付き合い下さい。

ただあまり細かい解説や各種データの使用は、私自身が持っていないこともありますが、そもそも地名を含めて馴染みが薄いでしょうから、今回は『紀行』風に纏めてみたいと思っています。こう書くと中身の薄さの弁解に聞こえますね。その通りです。(お詫び)

連載は一か月を超えるかもしれませんが、「こんな街があるんだ」「へえーっ、面白い列車だね」「交通システムの考え方が違うね」などなどをお楽しみいただければ幸いです。

2013年05月11日 19時56分

2013年2月の台湾(21)次はいつ来れるかな?

今日は2月21日~24日の台湾旅のまとめ。

プラスチックのコインの様なものが乗車券。中にチップが組み込まれており、乗る時は自動改札にICカードの如くかざし、降りる時は自動改札に回収されます。簡単に言えば、乗る時はICカード、下車するときは切符といった感じです。

(ちょっとだけ食紹介)

台湾料理の「欣葉」は超有名店。ガイドブックに書かれているだけではなく、台北在住の方のお勧め店だったりします。そこで食べたのが『紅蟳米糕』(ワタリガニのおこわ)。絶品です。

写真がないのですがデザートの「杏仁豆腐」も絶品!今まで味合ったことのない感覚です。(台北在住の知人も絶賛しています)

もっとも有名店に限らず、台湾の料理店は美味しいです。夜市の屋台の食事も楽しいですよ。

いよいよ帰国。今回はJALを利用しての台湾旅行でした。ツアーではなく、航空券もホテルもネットで手配しており、JALを選んだのは正規割引で安かったからです。海外へ出かける際にツアーを利用しない場合は、基本、価格重視です。同等なら日本の航空会社を選ぶということはありますが、高ければその選択肢はありません。

とまあそんなことを書きつつ、またの台湾行きを心に誓ったのでした。そうそうっ、結局1日は家族の理解で「鉄」も満喫した次第でした。

(最後にお土産)

台湾の鉄道地図は実は双六。そして車両模型はいわゆるチョロQです。

2013年05月10日 19時54分

2013年2月の台湾(20)鉄道模型専門店「Motee」。

台湾高鐵「台中」駅というよりは臺灣鐵路管理局「新烏日」駅の構内。

ここにはレイアウトのある模型屋さんがあります。

ここ鉄道模型専門店「Motee」は台湾の鉄道熱の高まりを実感できます。

プラレールのドクターイエローの出迎えを結構和みます。「Motee」を楽しむには10分程度はみておいた方がいいですね。またグッズショップ等もあったりして、単に乗換えでこの駅を通過するのはとても勿体無いです。何だかんだと見るならばトータル30分は必要です。でもその価値はあると思っています。

台中からの帰りは15:35発の台北行。

このTrain704はこだまタイプの各駅停車。この電車の後にひかりタイプの速達列車があったのですが、急ぐとこもなかったのと途中駅の利用状況をみるべくこの電車に乗ることにしました。

結果は、途中駅の乗降は意外とあるということで、台北まで降車客はあまりいないと思い込んでいましたが、そうでもありませんでした。

2013年05月09日 19時51分

2013年2月の台湾(19)員林客運のバスに乗る。

渓湖バスターミナルで時刻表をみていたら「溪湖」から「員林」へは「6704 溪湖 經 大村 往 員林」(溪湖発大村経由員林行き)と「6705 溪湖 經 埔心 往 員林」(溪湖発埔心経由員林行き)の2系統があるのが分かりました。

私は13:30発の6704系統に乗ったのですが、何とそのバスはマイクロバス。員林行きのバスを待っている間にここ「溪湖」バスターミナルに発着してバスだけではなく、市内で見かけたバスは全て大型だったので、不安感がバリバリ。行き先表示を見てはいたものの更に運転手さんに「員林に行く」ことを確認して乗車しました。思いがけず細い道を走り、それも日本では考えられないほどすっ飛ばしていました。時間が合えばこの路線も面白いです。ただ、6705系統よりも時間がかかっている気がしました。

員林客運の員林バスターミナルは臺灣鐵路管理局「員林」駅から歩いて5分ほどの距離。員林駅からいく場合は、「員林客運 員林站」と書いたノートを見せて、道行く人に聞いたほうが無難かと思われます。

またバスの乗車券は窓口で買えますが、やはり「溪湖站」と書いたノートを見せたほうがスムースです。溪湖は英語で「Xihu」と書き、日本語読みでは「シーフー」となるようですが、私の頭の中には「渓湖」(けいこ)しかなく、咄嗟に「シーフー」が出ることはありませんでした。また道を聞くときも、例えば「シーフー」と言葉で言うより、ノートの文字を見せたほうが私の個人的な経験ではよいと思っています。なぜかと言えば、台湾の方は親切な方が多く、殆どの方はノートに地図を書いてくれます。

2013年05月08日 19時48分

2013年2月の台湾(18)コンビニ弁当と渓湖バスターミナル。

「渓湖糖廠五分車」に乗れないことは分かったものの、まあ後先考えずに構内を歩き回ったので、お腹は空っぽ。さて昼ごはんはどうしたものと思案し、結局、渓湖糖廠の目の前にあったファミリーマートで「とり弁当」(と書いてあるのだと思う)を買うという安易な方法を選択してしまいました。台湾のコシヒカリと謂われる“池上米”100%の文字に心惹かれたということもあります。

味の方は日本人の口にも合うと思われ、選択肢としてはありですね。渓湖糖廠の入り口の通りの反対側に渓湖糖廠の売店があり、そこに机と椅子のあるフリースペースがあり、そこで食べました。

食後はひたすら「渓湖」バスターミナルに向かって歩き続けました。15分ほどの距離です。大きな荷物がある方は「員林」駅で預けることをお勧めします。もっとも「員林」駅にロッカーとか荷物預かりがあったかどうかまでは確認していません。(10年以上前になりますが、台湾の鉄道駅では有人の荷物預かりのある駅があり、そこに預けた経験が何度かあります)

今回の私の場合は台北のホテルで連泊だったので、荷物はリュックサックカメラ1個と言う最低限度の身軽さでした。

さて「渓湖」バスターミナルにあった時刻表。単にバスの出発時間が書いてあるごくごく一般的なものなのですが、これが全て手書き!手書きの時刻表を見ないわけではないのですが、これだけの量ともなるとさすがに圧巻でした。

2013年05月07日 19時43分

2013年2月の台湾(17)渓湖糖廠五分車、1067+762=?。

「渓湖糖廠五分車」には静態保存の車両も多々あります。蒸気機関車『346号』の後ろの建物内にも蒸気機関車たちがいますし、また屋外にも様々な「えっ!!!」という車両たちがいます。

解説が漢字なので何となく意味は通じています。

間違いなくディーゼル機関車「815号」。

7分車と呼ばれる1067ミリのゲージ(標準軌の7分)の機関車で、ここにはナロー(五分)との3線区間もあったんだと思った程度だったのですが…。

どうも様子がおかしい???

ここで私が見た情景とネットでの検索結果を基にした“憶測”…、いやいや今や確信なのですが、それは渓湖糖廠にはかって3線区間があり、そこでは七分車の機関車が五分車の台車を牽いていたのであろうということ。

一度でいいからその光景を見て見たかった。決して叶う事の無い夢物語です。

2013年05月06日 19時00分

2013年2月の台湾(16)渓湖糖廠五分車の風景。

「渓湖糖廠五分車」の走る道は例えばこの風景の中。

今は火を落としている製糖工場ですが、こうした光景を見ていると、この工場は私の訪ねたのが土曜日だからその動きを止めているかのように見えました。

現役当時は整備工場があったと思われる引き込み線。

10年以上前の廃止当時のままに時間が停まり、そして人々から忘れ去られたが如くの風情があります。

現役当時、一体どうやって車両たちはこのポイントを渡って行ったのだろうと感慨にふけってしまう風景。

2010年5月15日にも「三重県紀和町紀州鉱山 湯の口温泉駅」のポイントをUPしていますが、ナローのポイントは本当に“萌えます”。

自走客車という分類になるのでしょうか?

昨年末に「終末車輌」(笠倉出版社)という本を読んだからとか、知人に「廃バス」の達人がいるからと言ったような理由ではなく、鉄橋の上に留め置かれているというだけでも十分に魅力的な存在でした。

不思議の国に迷い込んだような錯覚が私の気分を妙に高揚させ、この場所を歩いていた頃には「五分車」に乗れなかったことの悔しさが何故か消えつつありました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!