2013年05月05日 21時25分

2013年2月の台湾(15)渓湖糖廠五分車の機関車たち。

「渓湖糖廠五分車」の“現役”蒸気機関車『346号』。1948年のベルギー「TUBIZE」工場で製造されたもので、標準軌のおよそ半分となる762ミリゲージの車両です。

生まれた1948年は昭和23年。C62形蒸気機関車と同い年というと何となくどんな時代の蒸気機関車かの見当がつきますでしょうか?

ところでこの『五分車』の由来ですが、今回こうして「半分のことを五分」と書いていて、確率50%のことを「フィフティーフィフティー」とはいうものの、最近は「五分五分」とはあまり使っていないことに気付きました。この辺りで「五分車」という名前がピンと来るかどうかの分かれ目のような気がしました。

私自身、説明を読んで「成程」と思ったからここに書いています。

この『346号』ですが1977年(昭和52年)ですから、何と私が会社に入った年にその歴史にいったん幕を下ろし、2007年(平成19年)に復活を遂げました。

「蒸気機関車という贅沢は言いません。せめてディーゼル機関車に牽かれたかった」と言ってもこの日は微動だにしない五分車です。

「837号」は1967年(昭和42年)の日立製で、何となく日本の専用線の入れ替え用といった感じもします。

今回の記事は2011年「産業文化遺産 再生計画 渓湖製糖工場」という冊子(日本語版)を参照して書いています。

それによればこの可愛い客車は、製糖工場でサトウキビ運搬用に使われていた台車を改造したもののようで、それだけでも乗る気満々にさせてくれます。

2013年05月02日 21時03分

2013年2月の台湾(14)渓湖糖廠の観光鉄道。

この日の目的は「員林」からバスで30分ほどの渓湖鎮にある「渓湖糖廠」(日本語読みで「けいことうしょう」)の観光鉄道に乗る事。

「渓湖糖廠」は1919年(大正8年)に創業した製糖工場で、2002年(平成14年)にその製糖工場としての役割は終えたのですが、そこにあった鉄道を生かしたレジャー施設への転換を図り、正式には2003年から観光鉄道「五分車」(762ミリの軌道を台湾では「五分」といいます)が運行を再開。

しかも2007年には蒸気機関車も復活して、いつかは行かねばと思っていました。

運転日は土・日・祝に限られており、それで2月23日(土)に出かけたのですが…。切符売り場の様子がおかしい…。

近くにあった事務所に人影があったのでそこで聞いたところ時刻表に書き足してくれたのは、

*「週六」に「×」…「六」は土曜日の意味。

*「日」に「○」

どうやら土曜日の運転はなく、日曜日だけの運転とのこと。また春節(旧正月…2013年は2月10日)頃には土曜日も運転したが、今は運転していないとの事でした。つまりシーズンオフなので「土曜日は運休」という現実がありました。

「渓湖糖廠五分車」の看板の風景はまたの機会にお預けとなりました。

2013年05月01日 21時58分

2013年2月の台湾(13)臺灣鐵路管理局「員林」駅。

員林(Yuanlin)駅には10:36に到着。

ところでこの駅の漢字の日本語読みは「いんりん」です。まあ駅で下車する際の、そうっ、視覚的には漢字の「員林」でいいのですが、その台湾での読み方、例えばここ「員林」なら「Yuanlin」を覚えていないといろいろ痛い目にあうこともあります。これは台湾を旅する際に陥りがちな罠なのですが、漢字は分かるのですが読み方(「いんりん」ではなく「Yuanlin」)が思い出せず、大袈裟に言えば絶体絶命の事態に陥ったこともしばしばです。

そもそも漢字が分かるだけに台湾の言葉を覚えず、それでも分かった気分になっている自分は最悪の状況です。

そういう時はともかく“筆談”!台湾の旅ではノートとボールペンは必須です。駅で切符を買うのも街中で道を聞くのもとにかく筆談が便利です。

もっとも台湾に出かけた人に聞くと私と似たり寄ったりのようです。まあ少なくとも駅名はちゃんとした読み方を一応、知っておいた方が良さそうです。

員林駅は人口およそ12万5000人の「員林鎮」(員林市といった感じかな?)の代表駅。(人口はWikipediaを参照しています)

南国風ですが、駅舎自体は日本の地方都市の代表駅と言った感じです。

その員林駅の構内にある「哺集乳室」。日本風に言えば授乳室ということになるのですが、「母乳で子供を育てましょう」というメッセージも添えられています。この「哺集乳室」は台北のMRTでも見かけており、赤ちゃん連れにはこころ強い存在だろうと思うのと合わせ、地方都市の駅にこうしてあるのが私にとって一番の驚きでした。

4月16日に台北MRTの『博愛座』について書いたのと同様ですが、日本でも少子化対策の一つになりそうだと思うのは私だけでしょうか?

2013年04月30日 21時57分

2013年2月の台湾(12)台湾高鐵と臺灣鐵路管理局。

2013年2月23日、台湾高鐵「台中」駅で下車した私は臺灣鐵路管理局「新烏日」駅を目指します。と言ってもこの2つの駅は、名前は違えどまあ同じ駅でして、当然の事ながら歩いて行くのですが、それでも5分弱の距離です。

「台中」駅から「新烏日」駅に入ったところには様々なモニュメントがあります。

こちらは段ボール製の蒸気機関車。段ボールでここまでやるかと思ったほどでその存在感はとてもビッグです。

※構内にはその名も「紙箱王」という段ボールで作ったカバン等のショップがあり、そうした製品を初めて見たので思わずきょろきょろしてしまいました。(店内は台北への戻りの時に入りました)

話しを戻して「台中」という駅名は台湾高鐵(新幹線)と臺灣鐵路管理局(在来線)の両方にあり、これが慣れないと紛らわしいです。ここの他にも「桃園」「新竹」「嘉義」「台南」がダブルネームです。台湾高鐵「台中」駅は臺灣鐵路管理局の「台中」とは電車で10分ほど離れており、日本の常識を一旦蚊帳の外にしないと、駅に着いて驚きます。言うならば新幹線の「新大阪」駅が「大阪」駅を名乗っているようなものです。新幹線と在来線の駅名の感覚は、鉄道同士というより別の交通機関と言った感じです。

何はともあれ「新烏日」駅から各駅停車で30分ほど南下した「員林」へ行く電車に乗ろうとしたのですが…、電光掲示板を見てガックリ。乗る予定だった9:42発の「集集」行きは“停開”!つまり運休。台湾ではこれまでにも経験しているのですが、結局10:05発まで待つはめに。

まあ幹線なのでそれ位の間隔で電車が走っているだけで「良し」と言ったところでしょう。

2013年04月29日 19時12分

2013年2月の台湾(11)台湾新幹線の乗車券を買う。

ここの所、このブログは鶴舞線のN3000形、昨日までの東京あれこれ話しだったり、その合間に2013年2月の台湾の話しを入れたりして少々混乱していますがご容赦を!今日からは台湾編の続きです。

台中に9:19の定時に到着。空港のようなデザインの巨大な「台中」駅をパチリ。さてここで台湾新幹線の乗車券購入事情を少々。

切符売り場はご覧のように行列で、それでも私の印象ではましな方ですね。もっと凄い行列を何度も見ています。

一方自動券売機はまず人が並んでいるのを見たことがありません。因みに漢字で書いてある(当たり前ですが)ので何となく雰囲気で購入できたりします。私もその口ですが、人が後ろに並ばないので、画面を慎重に見ながら時間をかけてトライしていても文句を言われることが無さそうなのも有り難いです。

因みに現金・クレジットカードだけではなく銀行のキャッシュカードの表示もありましたが、日本の銀行のカードはきっとNGでしょう。

どうして有人の窓口が混雑して自動券売機が利用されないかの理由までは私には不明でした。

2013年04月25日 18時52分

2013年2月の台湾(10)台湾新幹線。

2013年2月23日(土)、台北から台中まで新幹線でGO!

台灣高速鐵路のホームページは海外の鉄道会社にしては珍しく日本語での閲覧ができ、予習が可能です。台中まで向かった理由はさておき、3月15日にUPした東北新幹線が上野駅で折り返していた頃の雰囲気と似たような感じがしますが、台北駅から東に延伸工事が進展しており、この並びも今だけかもしれません。

ところで私が台湾新幹線に初めて乗ったのは2008年3月22日、高雄の「左營」9:30発「台北」着11:06でした。

※個人旅行ではなく、台湾新幹線に乗るのが目玉の台湾激安ツアーで、3泊4日で5万円しなかったと思う。もっともその翌年2009年の夏休みは、3泊5日全食事つきで49800円(だったと思う)のタイツアーに行っています。国内の旅行と比べるべくもない状況でした。

話しを元に戻して、今回は「台北」8:30発「台中」9:19着。

よく見ると切符のデザインが変わっています。理由は3枚目の裏面でお分かり頂けると思うのですが、日本の常識では所謂表側を上にして自動改札に入れるのですが、ここ台湾では裏面を上にして入れます。日本人だけではなく、台湾の人も間違える人が続出したのではないでしょうか?その注意書きが右側に増えていました。2008年の時はガイドさんに言われて「ヘーッ」と思ったのですは、当時、個人旅行をしていたら間違いなく『間違えていた』でしょう。

(おまけ)

台灣高鐵の乗車券は降りる時に自動改札に通すとまた手元に戻ってきます。乗車記念でわざわざ使用済み印を押してもらう必要はありません。

台中駅で下車。で、この電車に乗ってきたわけではありません。乗ってきたのは右側に停車中の電車。乗ってきた電車は9:19着の速達列車で、左側の電車は9:19発の各駅停車でした。ここでの追い抜きではなく、この先の駅での追い抜きダイヤになっていました。

2013年04月19日 20時01分

2013年2月の台湾(9)台北MRT/文山線?木柵線!

2013年ではなく2008年8月25日の台北MRT/文山線です。当時、文山線(中山國中~動物園)は開通していましたがその延長区間ともいえる内湖線(中山國中~南港展覧館)は未開通でした。

24時間テレビが終わらないと夏休みが来ない中京テレビに勤めている私はご多分に漏れずこの年もそれに従い世間の「夏休み」が終わるころに台湾に出かけました。

この写真は「忠孝復興」から「中山國中」方面を写したもので、ビル街の果てに山が迫っているのが見えます。

「中山國中」は当時の終点。延長が予定されていたこともあってか、頭端式ではなく通過式のホームで、将来の本線が“引き上げ線”となっていました。この写真はホームから撮影したものです。

こちらは文山線の終点「動物園」。駅を降りた目の前には文字通り「動物園」があります。

ところで『文山線』の名前は今の線名で、私が乗車した当時は『木柵線』でした。ここも引き上げ線がある方式ですが、この先に車庫があり、まあ名古屋市営地下鉄「藤が丘」の変形版といったところでしょうか。

そうそう、車両の向こうに煙突が見えますが、そこには煙突の長さを生かした愛らしいキリンの絵が描かれ、「動物園」的風景となっていますが、この煙突そのものは動物園の施設ではなさそうでした。

2013年04月18日 20時00分

2013年2月の台湾(8)文山内湖線の出発信号。

文山内湖線「大湖公園」駅。

乗車している電車の前方右側に信号らしきものがあるのに気付きました。

そこで更に2駅乗った「文徳」(文德)でその変わり目を撮ってみました。

駅に到着時はこの信号は『青』で、停車すると『赤』。そして電車の扉が閉まると『青』となりました。

ところで文山内湖線は全自動の無人運転で、先頭車の一番前に座ればご覧のようにパノラマ席となります。前の3枚(昨日も含めれば4枚)の写真もこの席だから撮影できました。そのガラスの手前には程よくフラットな場所がありますが、荷物を置くのは厳禁です。画面の真ん中にある小さな点の集合の様な赤い文字は「親愛的旅客」に始まる各種注意で、そこにしっかりと書かれていました。

画面右側のタブレット(私の持ち物ではありません)が「荷物」かどうかは微妙ですね。

*名鉄7000系パノラマカーの先頭車のボンネット部分の注意書きは「足をおかないでください」でしたっけ?既に記憶が曖昧です。

2013年04月17日 21時02分

2013年2月の台湾(7)台北MRTの新交通システム/文山内湖線。

南港線「南港展覧館」で下車し、地上に出て更に上を見上げると「文山内湖線」(台湾MRTの公式HPの表記に従っています)の「南港展覧館」があります。

※文山内湖線…南港展覧館~動物園

内、今回の初乗り区間は南港展覧館~中山國中

写真では左の高架がその駅ですが、私は新交通システムという先入観があったので、見た時の感想は『結構大きい!』でした。

先の写真を撮影した歩道橋から手前、「南港博覧館」方面にやってくる編成をパチリ。文山内湖線は一部の地下区間を除き全線高架で眺望がよく、乗り鉄でなくとも全区間乗車して飽きない路線だと思います。

住宅街を通る区間では、ご覧の様なシェッド(覆い)のある区間を走ったり、緑の空間を走ったり、「南港博覧館」発「動物園」行きに乗車し、地下駅となっている松山飛行場へのアクセス駅「松山機場」を出ると目の前に空港の風景が広がり、それは一瞬の出来事でしたが既乗車区間である「忠孝復興」まで楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 

2013年04月16日 21時09分

2013年2月の台湾(6)地下鉄の優先席。

MRT・地下鉄の車内はこんな感じ。

プラスチック製のシートは座った時にヒンヤリしそうな感じですが、実際にはそれほどでもないです。シンガポールもこの様なシートですがもう20年以上前に行った香港(取材です)の地下鉄もこんな感じだった記憶があります。

車内には博愛座(優先席)がドア近くにあり、これがまた「エッ?」と思うほどいつもそこだけ席が空いています。昨日書いた通り、MRTの車内は混んでいるのですが、若い人(恐らく30代以下)がこの席に座っているのを見かけませんでした。もっともいつも注意して見ていたわけではないので絶対とは言い切れませんが、でもそんな印象を私は持ちました。

でも『博愛座』だけではなく、他の席でもお年寄りだけではなく5歳以下の子供に席を替わることは特別なことではなく、“常識”として市民に浸透しているようでした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!