2010年05月15日 8時00分

シベリア鉄道 ハバロフスク駅

1991年10月5日(土)、
いよいよロシア号に乗車です。

ハバロフスク駅は、町の交通の拠点で
人の流れも多く賑やかでした。
真ん中にある「像」は「レーニン」像ではなく
地名の由来にもなった「ハバロフ」像と聞きました。

この駅には「外国人ツーリスト」専用の待合室があり
そこに集合し、乗車メンバーの確認が行われた後
再集合となりました。

写真はありませんが、トイレについて一言。
トイレは思ったより清潔でしたが
「大」の方はちょっとビックリ。
和式の便座と思っていただいてよいのですが
個室にドアが無く、代わりにカーテンがありました。
しかもそのカーテンは下まで無く、
ほんの少し隙間が開いているのです。

そもそもドアが無いとか個室の仕切りが無いとか
結構トイレの形態の経験値はあるつもりでしたが
カーテンは初めてでした。

2010年05月14日 8時00分

シベリア鉄道 日本を出発

1991年(平成3年)10月4日(金)
新潟空港からソ連/ハバロフスク行
アエロフロート812便に搭乗しました。

ハバロフスクからモスクワまで8531キロ、
シベリア鉄道「ロシア」号の
旅を楽しむためです。

機体はツポレフ154型。
機内は簡素で、シート間隔が非常に狭い上に
壊れかけた椅子もあったり、
食事も「機内食」という夢を根底から覆す
“質素”と言うのもはばかられる代物でしたが
この時はまだ食事ができることが
どれほどの幸せかということに
気付いていませんでした。
※機内食は、製造費の関係で、
 ハバロフスクで作ったものを
 往復分積み込んできているとのことでした。
サービスという感覚は全くなく
さすがソ連国営航空会社でした。

当時、個人手配でシベリア鉄道に乗ろうとした場合
ハバロフスクを起点にするのが一般的だったため
このルートとなったのですが
いきなりパンチを食らった気分でした。

2010年05月13日 9時07分

シベリア鉄道 1991

1991年(平成3年)の秋、
私はシベリア鉄道に乗りました。

写真は、モスクワから357キロの
ダニロフ駅停車中の
「ウラジオストック」発「モスクワ」行『1』列車、
「ロシア」号です。
『1』列車と言えば、言うまでもなくその国を
代表する列車です。

先頭の機関車から最後尾の客車まで
多分、20両位連結されていました。
最後尾をこの写真で確認することはできません。
実は、先頭から列車全体を撮影した写真は
この1枚だけです。

明日から毎朝、シベリア鉄道の乗車記録を
UPします。しばし、お付き合いください。

なお、駅名と距離数は
「地球の歩き方 シベリア&シベリア鉄道の旅
 ’92~’93版」(ダイヤモンド社)を
参照しています。

2010年05月09日 18時14分

ダージリン鉄道 グッズはあるか?

ダージリン鉄道の思い出に
Tシャツと本を購入しました。
でもこれを購入した場所が問題なのです。

ダージリンの町をガイドと一緒に
ダージリン鉄道グッズを求めて彷徨いましたが、
数種類の絵葉書を除き皆無!
どこにも売っている所はありませんでした。
*私が見つけられなかったということでは
 無いと思います…。
*宿泊したホテルの売店にも無し!

ではどこで買ったか?

ダージリンからデリーに戻った翌日、
日本に帰る前に「インド国立鉄道博物館」に行き、
たまたまそこの売店で見つけたのです。
それにしても「世界遺産」のグッズを
現地で売っていないとは勿体無い。
*日本人の「鉄」なら絶対に買う!

ただ半年以上経っているので
状況は変わっているかも知れません。
もしも行かれた方やこれから行く予定の方で
現地でダージリン鉄道グッズを
見つけた方がいらっしゃいましたら
このブログのコメント欄に書き込んでください。
この回ではなく、いつの回でも結構です。
よろしくお願いします。

ダージリン鉄道 完。

2010年05月08日 19時37分

ダージリン鉄道 ヒマラヤ山脈を望む

ダージリンと言えば、町からヒマラヤの山々を
望むことが出来ます。

その中で、町の真正面にそびえるのが
写真の「カンチェンジュンガ」。
標高8586メートルは
エベレスト、K2に次いで世界第3位。

思いもかけぬ出来事に、
一時、私の心はざわつきましたが
壮大な山々を眺めるながら
ゆったりと紅茶を飲むことで
心は次第に落ち着いていきました。

ところでダージリンは観光地です。
いつもは、鉄道に乗るだけで
あまり観光はしない私ですが
今回はダージリンの観光も堪能しました。

例えば、ヒマラヤの展望台「タイガー・ヒル」。
夜明け前にホテルを出て行ったのですが、
昇る朝日と朝日色に染まっていく「カンチェンジュンガ」を
見ていたひと時は最高に贅沢な時間でした。
※外国人も多いですが、インドの方が
 圧倒的に多いです。

ダージリン鉄道に乗り、
ヒマラヤの山懐に抱かれ静かな時間を過ごす。
そんな幸福な時間を私以外の人にも
体験してほしいと思った次第です。

(おまけ)
ダージリンの町は想像以上の大『都会』です。
バザールは人であふれ、
行き違うことも困難なくらいです。
一方で、停電は日常茶飯事ですし、
水事情も決してよくありません。
※入浴は時間制限あり。
携帯電話も通信状況は今一つです。
それでも私にとって「もう一度行ってみたい町」が
増えました。

2010年05月07日 18時27分

ダージリン鉄道 バタシアループの悲劇

「Joy Ride Trains」に乗り
バタシアループに到着しました。

列車の機関車が何故かディーゼルです。
「そうっ!」というか「うそっ!」というか
ダージリン鉄道のHPに
ダージリン駅10:40発のこの列車は
「BクラスのSL」と書いてあったにも係わらず
ご覧の状況でした。

なんと昨日UPした
先行する臨時列車にSLを使用したので、
この列車はディーゼルに変更になったとのこと。

ダージリン鉄道サイドの説明は
「よくあること」の一言でした。
その時の私の心中や如何に…。
皆さんお察しください。

「世界遺産」は鉄道システム全体であり、
『SLの牽くトイトレイン』が
「世界遺産」ではない。
その言葉の意味を重く受け止めました。

確実に『SLの牽くトイトレイン』を楽しみたい方は
私の様な個人手配の旅行ではなく
貸切臨時列車を運転する「ツアー」を
お勧めしておきます。

2010年05月06日 18時09分

ダージリン鉄道 トイトレイン出発

いよいよトイトレインが
ダージリン駅を出発です。

往路は逆向きで、
帰路が正面向きです。

ところで…、
何故トイトレインの出発風景の
写真があるのか?
私は、撮り鉄か?
否!

この列車は、観光客向けの貸切『臨時便』ということで
「Joy Ride Trains」よりも
一足早く出発して行ったのです。

おかげでこの写真が撮影できました。
しかし、このおかげで、
私は思わぬ悲劇に会うことになるのです。

2010年05月05日 18時11分

ダージリン鉄道 779号

いよいよ「トイトレイン」の乗車です。

車番は779。
1889年製造の、
ダージリン鉄道でも最古参のSLです。

日本を出て3日目。
遠路はるばるやってきた甲斐がありました。
鉄道の世界遺産と言う意味では
SLではなく、ダージリン鉄道全体を
指しているということで、
その意味では前日にその目的は
達成されているのですが
やはりこれに乗らなければ
「来た意味がない」と言えば大袈裟でしょうか?

胸の高まりを抑えることはとても困難でした。

2010年05月04日 22時02分

ダージリン鉄道 乗客確認

ダージリン鉄道2日目に
「Joy Ride Trains」を
申し込んでおきました。

この列車は、ダージリン鉄道のHPによれば
Bクラスの蒸気機関車が牽引する
観光列車で、ダージリンとグームを往復するものです。
(バタシアループにも10分間停車)

写真は、ダージリン駅で受付(車掌?)の方が
持っていたもので、
「SHIRICHI」とあるのが
「SHINICHI」のミスであるのが
ご愛嬌だったので
許可を得て撮影させていただきました。

そうなんです。
乗客全員の名簿を確認し、
名簿にない乗客は乗れないシステムなのだそうです。

2010年05月03日 18時40分

ダージリン鉄道 ダージリン駅

夕刻の17:30、
定刻から1時間15分遅れて
標高2076メートル、
ダージリン駅に到着しました。

8時間も狭い車内で揺られたせいか
いくら「物好き」な私といえども
さすがに疲れたというのが実感でした。
特にグームを出てからは
夜のとばりが下り初め
風景もちゃんとは見えない状況で、
かの有名な『バタシアループ』も
何の感動もないまま通過しました。

ダージリン駅の写真もこれと
駅名看板しか撮っておらず
のこりは翌日に託し
とりあえずホテルに向かいました。

で、ホテルで顔を洗っていてビックリ。
鼻の穴の中が真っ黒だったのです。
列車の窓を開け放し、
ディーゼル機関車の排煙をずっと吸っていたのと
道路の埃っぽさ、
車の排気ガスのトリプルパンチに
やられたようでした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!