2018年08月25日 20時07分

アレキパ富士と日本の富士山。

ペルー鉄旅。おまけ編。

4月29日(日)は朝ホテルを出てから家の玄関に着くまで、37時間(トランジットの時間を含む)の旅。

●朝9時(日本時間で4月29日23時)ホテルロビー集合

●アレキパ(ペルー)~リマ(ぺルー)~メキシコシティ(メキシコ)~成田~中部/名古屋

●家に到着/5月1日昼過ぎ

※日本時間で4月29日…1時間

4月30日…24時間

5月1日…12時間

現地の人ではなく、日本人だけが「アレキパ富士」(もしくは「ペルー富士」)と呼んでいるミスティ山、標高5822m。

アレキパの標高は2335mなので、この地からでは3487mの高さが見えていることになります。海抜0mから日本の富士山を眺めるのとほぼ同じ感じ。旅の〆にこんな風景に出会えるとは思ってもみませんでした。

話は日本に飛んで成田空港から中部国際空港へのフライト。天候が良かったので、私には珍しく窓側の席を空港のカウンターでリクエストして空中散歩。夢の国を上から覗くのはご法度?

羽田空港の飛行機の多さにビックリ。

 

予想通りの富士山。アレキパ富士を見たので、日本の富士山も見たかった。これぞニッポン!

11:36、中部国際空港らしさ全開の光景を見ながら着陸。

13日間の旅の報告はこれで終わりです。

長期間に渡り、お付き合いいただきありがとうございました。

(余談)

私にとって“家路”でかかった最長時間は、1976年(昭和51年)の春休みに出掛けた沖縄の旅。

3月29日、沖縄県の石垣島を出発し、30日に那覇港着。乗り継ぎの船便の都合で那覇市で2泊。4月1日に那覇港を出発し4月3日に大阪港着。そこから東海道本線の急行比叡2号で帰宅しています。当時学生だった私に飛行機という選択肢はなく、一方で時間だけはふんだんにありました。あの時君は若かった。

(追伸)

ところでペルーという国。私はこれまで仕事と観光を合わせ、35の国と地域に行ったことがありますが、「一番印象に残っている国はどこですか?」と聞かれたら、間違いなくここペルーをあげます。

そこには同行のツアー参加者の方々や添乗員さん、現地ガイドさんの印象も加わっているかもしれません。特に「呑み」にお付き合いいただいたこのツアー最高齢の方のおかげで地ビールを堪能出来たのは有り難かったです。多謝。

って、結局それですか。(笑)

2018年08月24日 20時50分

アンデアン・エクスプローラー号/高原列車は行く(13)アレキパ駅でお別れ。

標高が2000m台となりました。随分下がってきてはいますが、これでマチュピチュ遺跡と同じくらい。

終着のアレキパの街に入って来ました。

遮断機のある踏切。当たり前にありそうで、ペルーで意識したのは初めてかも。

15:30頃、アレキパ駅到着。貨車しかいない構内。

最後にアンデアン・エクスプローラー号のマネージャーさんからの挨拶を受けて、それから下車。

アレキパ駅のホームではアンデアン・エクスプローラー号の全スタッフによるお見送り。

感動のお別れ。

さようなら。いい旅でした。

アンデアン・エクスプローラー号の旅を終え、その後歴史地区が世界遺産となっているアレキパ(AREQUIPA)市内を観光。今回のツアーに参加し初めて知った町。でもペルーを旅するならば、ここもお勧めできる場所の一つです。

そしてホテルのレストランで旅の打ち上げ。アレキパの地ビールが旨い!

さて最後になりますが、今回の旅をすることになったきっかけです。

1)マチュピチュ遺跡にどうしても行ってみたい

2)イグアスの滝に足を延ばさず、ペルー一国で完結したい

3)チチカカ湖/浮島(ウロス島)に行ってみたい

こんなツアーを探していて、このアンデアン・エクスプローラー号の旅を見つけました。そしてその列車を選んだおかげでチチカカ湖だけではなく想像を超えたサンベイ洞窟に行くことも出来ました。

私は「鉄道の旅」が好きです。ここの所は「鉄道」に乗って、鉄道を「撮影」する旅に出かけることが多くなっていましたが、今回は久しぶりに「鉄道の旅」を堪能しました。さて皆さんはどんな旅に出掛けますか?

2018年08月23日 20時48分

アンデアン・エクスプローラー号/高原列車は行く(12)急勾配。

サンベイ洞窟で停車していた場所から数分の場所。錆(さび)の浮いた貨車たちに出会う。

やはりこの光景は寂しい。

11:24。風景に「色」が付き始めました。この場所の標高はまだ4000mくらいはあるはずなのですが、緑の草原を見るとなぜか少しホっとした気分。

11:35。101キロポスト。

眼下に駅が見え、貨車が並んでいます。篠ノ井線の姨捨駅から善光寺平を見下ろす気分。そしてその場所を目指し、ひたすら下ってゆく。

周りにさしたるものも無く、ここが何故にこうなっているかが不明。貨車は鉱石を運ぶタイプにも見え、ここでトラックから積み替えている?

右端に99キロポストが見えるのと、右側の山の斜面に左下(貨車の向こう側)から右上の向かう1本の線が見えます。これが線路のある場所で、2枚目のキロポストの背景と合わせ、どれほどの急勾配を走っているかが何となく分かってもらえるでしょうか?

豪華列車の旅であっても、こうして写真を撮影する初心(?)を忘れないのは大切なことです。

2018年08月21日 20時46分

アンデアン・エクスプローラー号/高原列車は行く(11)列車が後退?

(我が心の本音)

最初にツアーの行程表を見た時、「サンベイ洞窟」を検索したのですが出てこない。まして地図で「サンベイ洞窟」を探しても出てこない。どんなところに連れていかれるのだろうと疑心暗鬼。もっともアンデアン・エクスプローラー号の旅なので、見る(学ぶ、体験する)価値の無いところに行くことは無かろうと思っていた程度。

それが来て見てビックリ。よもや紀元前の遺跡どころか壁画を目の前に見るという、歴史好きにとっては「んーっ、堪らん」という事態となり、これはもうはっきり言って想像を絶する出来事でした。

見学時間を入れて往復で約40分。「はあはあ」(標高の高いところを歩く&興味深いものを見て興奮するさま)しながら列車に戻る。

一人ポツンとしている列車のクルー。おしぼりを持って皆さんの帰りを待っている。

列車のスタッフ。私が撮影しているのを知っていても自然体。

11時を少し回ったところで出発。

と思ったら何と列車は来た道を戻っていく。

謎かけではありませんが、その心は?

列車は結構な上り勾配の途中に停車していました。そのためいかに強力な機関車であっても16両の客車を引き出すことが困難であり、一旦比較的平らな場所まで編成を戻し、そこから改めて全力でダッシュ!ということだと私は思いました。

再出発時の機関車のエンジンの排気はなかなかでした。

2018年08月20日 11時44分

アンデアン・エクスプローラー号/高原列車は行く(10)紀元前の壁画を見る。

「Pinturas Rupestres de Sumbay」 サンベイの洞窟絵画。私の参加したツアーの案内を除き、日本語の検索では出てきません。日本人の『観光客』がネットにアップした形跡がない世にも稀な地。

ペルーレイルのHPにはその概要が出ています。

The art of the emblematic Sumbay caves

紀元前6000~8000年前に描かれた壁画が残された洞窟。普段は厳重にガードされていますが、アンデアン・エクスプローラー号の乗客には、その入り口の鍵が開けられ、私たちはそれを間近で見ることが出来ました。(詳しい解説もあり)

洞窟壁画と言えば、世界史の授業など聞いた記憶のある「ラスコー洞窟(フランス)」「アルタミラ洞窟(スペイン)」が思い浮かびます。

例えて言えば「高松塚古墳」に入り、その装飾壁画を見ている気分。

あらかじめ歴史的遺産の壁画を見ます。とは聞いていましたが、よもやこれほどくっきりと残っているとは思っておらず、また当時、この辺りもしくは近隣のエリアにどんな動物がいたかがわかるのも興味深いものでした。

もっとも私が一番驚いていたのは、よくぞこの洞窟を発見したという事。先人(研究者たち)の情熱は素晴らしい。

触るのは勿論厳禁ですが、それでも至近距離での記念撮影は公認です。

2018年08月19日 11時41分

アンデアン・エクスプローラー号/高原列車は行く(9)サンベイ洞窟を目指す。

だだっ広いところでいきなり停車。これからエクスカーションの一つ、サンベイ洞窟の観光です。

近くに全く人の営みを感じない場所でも、お土産を売る人がいるのは凄い!の一言。

先ほど渡った橋が見える。よくぞここに橋を架けたものだと心底思う。日本なら経済産業省の「近代化産業遺産」に認められる可能性大。また登録有形文化財にもなっていそう。

標高4000mを越える場所。

歩いて谷を下る。

2018年08月18日 11時34分

アンデアン・エクスプローラー号/高原列車は行く(8)渓谷美。

大地の割れ目が見え始めました。今回の旅で、また新しい風景との出会いです。

10:08、116キロポイントを通過。73キロを約2時間で走破。

川を渡る。

渡ってきた橋。

「PROHIBIDO EL PASO DE PEATONES POR ELPUENTE」。間違いなくこの橋を渡るのは禁止。

この看板があるという事は、渡る人がいるという事の裏返し?

2018年08月17日 20時28分

アンデアン・エクスプローラー号/高原列車は行く(7)ビクーニャを発見。

この辺りでは、「運が良ければビクーニャの姿が見えます」。一方で「ビクーニャは列車が近づくとほぼ逃げていき、遠くでその姿を見るのがやっとです」と列車のスタッフから教えられていました。

小走りのビクーニャ。その撮影に成功!

この写真には列車のスタッフも「珍しい」と驚いていました。

と、その時またまたビクーニャを発見。

更に機関車の遥か先にビクーニャがいるのを見つけ、その手前で線路が左にカーブしているのを確認。

ビクーニャに狙いをつけ、機関車との込みショットを狙って待つことしばし。「ビクーニャよ、動かないでくれ」と念じつつ、その時を待つ。1枚の画面に何とか収めることが出来ました。

野生動物が見られるアンデスの大自然はどこまでも続く。

2018年08月16日 20時11分

アンデアン・エクスプローラー号/高原列車は行く(6)貨物列車と交換。

8:04。189キロメートルを通過。226でのスタートから37キロが経過。1時間半かかっていますから、如何にこの路線が厳しい線形かという事が分かります。

先に書いた通り、フリアカ~アレキパ間は現在貨物専用の路線となっています。それでもまさか貨物列車と行き違うことになるとは思っていませんでした。時間は8:06。

人の気配がするだけでホッとする。

タンク車は何を運んでいるのだろう?

アンデスの風景。高原の湿地帯と言うと、日本ならミズバショウのイメージですが、ここで咲く花はあるのだろうか?

この線の最高地点は通り過ぎたと思うのですが、その後も列車はアップダウンの繰り返しです。

2018年08月15日 20時06分

アンデアン・エクスプローラー号/高原列車は行く(5)恐らくこの旅の最高地点。

森林限界を超えた高地を、2本のレールだけが人の手が入っていることを主張している。

アルパカの牧場。これだけの数を一度に見たのはこの旅では初めて。

展望車には双眼鏡が用意されています。遠くの景色を楽しみ、高原に生息するビクーニャなどの野生動物を探すため。

雪景色のアンデスの山々。線路に沿って走る道路をトラックが編隊を組んで走っている。(ように見えました)

列車は右に廻り、左に廻り、そしてアップダウンを繰り返しながら歩みを進めます。

4月28日(土)、アンデアン・エクスプローラー号の旅。

手元の高度計で4241mのサラコチャ駅を朝6時半に出発し、午前8時01分、私の計測していたタイミングでの最高地点、海抜4472mを通過。

今、フリアカ~アレキパを結ぶ鉄道は貨物の専用線となっており、例外としてこの列車でしか経験できない高さ。

※Wikipediaにはこの路線の最高地点は4470mとの記載あり。上記の高度4472mは車内での計測ですので、ほぼピタリかも?

ここを越える標高は中国の清蔵鉄道の5072mのみ。

時折見えるアルパカの牧場。

私が生まれた年の大ヒット曲「高原列車は行く」を思わず口ずさむ。

その歌の舞台は福島県にあった「沼尻軽便鉄道(のちの磐梯急行電鉄)」ですが、たまたま私の知合いの鉄ちゃんのカラオケの十八番(おはこ)がこの曲で、何でよりによってそれを思い出したのだろう。(曲ではなく、友人のことです)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!