朝食の準備の済んだ食堂車からラグニアス湖を臨む。
そこに行かなければ見られない絶景。これはどこへ旅をしていても、素晴らしいと思える風景に出会った時に毎回思う事。そして毎回が私にとって特別な時間、特別な経験。
更に言えば朝食を頂きながら楽しむという究極の贅沢。
距離標(キロポスト)。右の「632」ではなく、左側の226が終点のアレキパまでの距離。
このキロポスト、途中から段々どうでもよくなり、結局確認することもなくなって、ただただ列車に揺られていました。旅好きな鉄ちゃんから旅人に変身。
6:30、列車は静かに動き始めました。この列車の終点、アレキパ駅到着予定は15:30。9時間の旅の始まりです。
サラコチャ駅に残る駅員さん。
朝6時。ようやく光がその勢いを強め始めました。
6:03、日の出。
ペルーで見た4回目の朝日ですが、ペルーに限らず世界中どこでも、何度見ても敬虔な気持ちになるのは何故でしょう?
それにしても短期間にこれだけ朝日を見たのは、15年以上前、「ズームイン」という番組を担当していた時以来。どんなに寒い冬の朝でも、太陽を浴びれば、骨まで凍てついた体が、肌(表面)から徐々に融けていき、いつか芯まで人心地になっていくのを感じていました。
朝日に輝くアンデアン・エクスプローラー号。言葉になりません。
でもこの景色への形容詞を私は探していました。荒涼(こうりょう)たる、寂寞(せきばく)たる、渺茫(びょうぼう)たる、この景色に相応しいのはどれでしょう。まだ他にも相応しい言葉がありそうです。
6:10、列車に戻る。乗客の方が全員来たわけではない早朝のイベント。でも参加した人だけが知る朝の清々しさ。
アンデアン・エクスプローラー号の旅は続きます。
この回で、名古屋を出発してから64本目の投稿。
※東成田駅等を含む。
アンデアン・エクスプローラー号に乗ったのがもう遠い過去の思い出になりつつあります。
さて平成30年(2018年)4月28日(土)。
サラコチャ駅での電波状況。深夜に一度目が覚めた時のスクリーンショット。車内に置かれたこの列車の案内の冊子には、ネットを忘れてノンビリしよう(要約)とありました。(笑)
沿線の市街地のある所では、確かに電波を受信していますが、私の場合、使った場合でもせいぜい今どこを走っているのかの確認のために地図アプリを立ち上げた時だけ。考えようによっては、時間を贅沢に使う旅を続けていました。
4月28日(土)も早起き。朝5時半集合での日の出ツアー。
外に出る。サラコチャ湖とラグニアス湖との間にある丘に登る。見えているのがラグニアス湖です。
ここで初めて乗ってきた列車の全貌を知る。改めてこの列車の美しさに感動。
駅舎の横に駅員さんらしき人がいる。その先の山の斜面に、横に一本の線があり、きっとこれからそこを登っていくのでしょう。(ここは敢えて「登る」を使ってみる)
丘の上からのサラコチャ湖。ただ夜明けを待つ。
ここはやはり記念写真を撮らねばと添乗員さんにお願いする。今乗っている列車を見下ろしながらのこうした写真は、多分、私の人生でこれが一枚のみ。
気温は計っていませんが、体感では4~5度。
真冬並みとまでは言わないまでも一桁の気温は体に堪える。ダウンジャケットは必需品。
平成30年(2018年)4月27日(金)、夜の9時40分頃。
サラコチャ駅。駅となっていますが、周りに集落があるとは思えず、日本ならば信号所。
ここで一夜を明かすと聞きました。何で展望車に来たかって、そりゃあまあ鉄道愛好家の性というやつでしょうか?
場所を地図で確認。2つの湖に挟まれた場所であることは確認出来ましたが、実はこの場所、携帯電話の電波が届かないところ。そうした状況でも一定の条件が揃えばグーグルマップが使える場合があることを初めて知りました。
ところで電波の届かない所で一夜を過ごすという経験がいつ以来か思い出せない。
夜の遅い時間、展望車ではギター+歌の時間が続いていました。
標高4241m。チチカカ湖のある3800mよりも高く、前日通ったラ・ラヤ峠の4335mよりも少し低いだけ。
いつも通り寝られるだろうかと心配でしたが、私の場合は大丈夫でした。
平成30年(2018年)4月27日(金)のディナー。私たちのテーブルを担当するスタッフが、翻訳ソフトを駆使して、日本語版のメニューを作ってくれました。『翻訳ソフト』を使ったというのがいま時ですね。それにしても嬉しいサービス。実はこの列車のメニュー、本来は持ち帰り出来ないシステムなのですが、この日本語版だけは持ち帰りOKということで、有り難く頂きました。
※この時までに出されていたメニューは英語とスペイン語。
1)カプチーノ
2)海老とオコパソース添え
もっとも私にとってはオコパソースって何?です。
南米のソースとのことですが…。
3)テンダロイン・ステーキ
4)ライムカスタード
それにしても厨房の5人のスタッフに感謝したくなる美味しさ。
標高3977mの至福。
17時を回ったところで列車は出発。
部屋から外を見ているのですが、考えてみれば、私が見られているとも言えます。あられもない姿で無くて良かった。
それにしてもお店との距離が近い。近いというよりテントの屋根は線路ギリギリ。
列車が通る時、都心部ではどこの町でも絶賛、渋滞中。
10分ほどで駅を通過。ここが多分、プーノ駅。
煉瓦作りのクラシカルな駅舎の前で、安全確認をする鉄道員。こうした方の支えで私たちが旅を楽しめる。
いくつもの線路が、ポイントを渡るたびにその数を減らしていく。日本なら感傷にふけることはまあなさそうですが、ペルーだと旅の始まりの予感。
ここからアンデアン・エクスプローラー号の旅、第2章の始まり。
街の真ん中に何やらゲーム機?の様なものが置いてあり、それに興ずる若者たち。
彼らがこの列車に振り向くことはありませんでしたが、高校の入り口にいた男子のグループは、私が手を振ったらちゃんとお返しをくれました。
何せ列車のスピードは自転車並み。そんな“国際交流”をする時間がありました。
アレキパへの出発を前にこの日もアフタヌーンティー。
連絡線とアンデアン・エクスプローラー号の右側にある建物がそれを楽しむ場所。
ここではバイオリンの生演奏。
レトロなスペース。
暖炉の火が心まで暖めてくれます。と言うほどの寒さだったわけではありませんが、ただ日中は暖かくとも、日暮れともなれば別で、このもてなしが有り難く感じられたひと時。
自分の食べたいものを選ぶビュッフェスタイル。
ここで血中酸素飽和濃度を測るパルスオキシメータの登場。高山病の程度を図る機器で、どの旅行社の主催かによらずペルーの高地ツアーの添乗員さんは携行いることが多いそうです。私が参加したツアーでもカタログに、ちゃんとそのことが記載されていました。
90以上あれば正常で、85はまずまず。80を下回ってくると要注意で、5~60代は危険水域の可能性ありとのこと。