2018年06月10日 15時05分

マチュピチュへの道(5)マチュピチュ駅に定時到着。

マチュピチュ駅到着は17:02。1時間25分の旅の始まり。乗車したのは4種類ある種別の内、「ビスタドーム」。914ミリのナローゲージにしてはゆったりした座席でティータイム。

ところで標高が下がってきたとはいえ、多分、軽い高山病の症状がある感じ。もっとも頭がフワフワする程度で、歩きさえしなければ何とか大丈夫でした。

途中の信号所(駅とは思えないので…)で交換。後で知ったのですが、オリャンタイタンボ駅~マチュピチュ駅間は、ペルーレイルとインカレイルの2社が運航しており、思ったよりというか勝手に思い込んでいた本数よりも多く、この時も途中で続行運転の2列車と行き違ったりしています。

渓谷美を楽しみつつ列車は標高を下げていく。

折角屋根に窓がついているのに雨模様。

ところで先に書いたバックパッカーのツワモノの経費節約話ですが、オリャンタイタンボからマチュピチュまで40キロ超の距離を線路に沿って歩く人もいるそうで、実際に女性の2人連れが歩いているのに遭遇し、「マジか!」と驚く。(その2人連れの写真はありません)

大きな荷物を背負って歩くことは、若い時の私でも出来ない。

マチュピチュ駅にほぼ定時で到着。何となく「遅れる」イメージを持っていたのでそれは撤回。そして反省。

マチュピチュ駅からの戻りも定時運行でした。

(余談)

ペルーでよく飲んでいたコカ茶。コカの葉を使ったハーブティーの1種だと思って下さい。これ実は、日本では飲めません。コカの葉はコカイン(麻酔薬、麻薬)の原料のため、ペルーではティーバッグも売られているものの日本には持込禁止です。高山病の症状を緩和するとも言われており、私は毎日愛飲。風味が良く、体のために我慢しつつ飲むということはありませんでした。

2018年06月09日 15時02分

マチュピチュへの道(4)増結作業。

駅に着いたのは14:50過ぎで、マチュピチュ駅行きの列車の出発は15:37。という事で暫く駅構内の散策。

そう言えばこの鐘が鳴らされた音を聞いていない。以前、列車の出発時に使っていたのかな?それとも私が気づかなかっただけ?

駅名標。クスコから67.3キロで、「Hidroelectrica」駅まで54.3キロ。「Hidroelectrica」は発電所という事になりますが、その駅をマチュピチュ駅から更に先に進んだところにあるのを探し当てました。

今現在、マチュピチュに向かうには道路がなく、鉄道が唯一の足と聞いています。しかしこの鉄道は決して安くはありません。

※地元の方向けに安い乗車券があるようですが詳細不明。

そのため以前、交通費を浮かせたいバックパッカーは、クスコからバスなどを乗り継いで「Hidroelectrica」駅まで行き、そこから10キロの道のりを線路に沿って歩いたそうです。

マチュピチュ駅~「Hidroelectrica」間に列車が走っているかは今回の私が『観光旅行』ゆえ、現地で聞くことはありませんでしたが、さてどうなのでしょうか?

そうこうしているうちに駅構内で動きが出始めました。出発準備のようです。で、奥の221号に注目。

何と転線してきました。

そして増結作業。

2018年06月08日 20時01分

マチュピチュへの道(3)オリャンタイタンボ駅は標高2797m。

駅らしきものが見えたのは午後の2時半ごろ。

貨車が止まっているのは見えたもののここはどうも駅ではない感じ。

列車に乗り換えるオリャンタイタンボの町。駅前まではバスで行けないとの事で数分の歩き移動。お土産屋さんが軒を連ねています。

オリャンタイタンボ駅は標高2797m。クスコから600mほど下ってきました。

ここから更に下って標高2038mのマチュピチュ駅まで44キロの旅。(標高、距離はペルーレイルのHPに出ている数値を参照)

青色も鮮やかなペルーレイルの車両をバックに記念写真。

2018年06月07日 20時58分

マチュピチュへの道(2)クスコ市内。

今回の旅で、クスコからマチュピチュに向かう列車の出発地となるオリャンタイタンボ駅まではバス移動。しばし車窓を楽しむ。

クスコ空港を出て暫くすると線路が見えてきました。3線区間となっており、これには驚き。クスコから東のプーノ方面には標準軌の1435ミリ。マチュピチュ方面には狭軌の914ミリというのは事前に調べて知っていたものの、まあ現地に行けば何かと発見があるものです。ただこの線がどこに向かうのかは不明。暫く使われていない感もあり、体が反応して写真を撮ったものの消化不良。

その線路際が市のような感じになっているのに出会いました。東南アジアでは見かける、と言っても、実際に見たことのあるのはミャンマーだけですがそれと似た印象を受けました。ところでこの後、似たような光景に何度も出会うとはこの時点では知りませんでした。

歩道?で様々な物を売る風景には旅情を感じます。

2018年06月06日 20時48分

マチュピチュへの道(1)標高3400メートルのクスコの町。

4月22日(日)も日の出を見る。

この日は、ペルーの首都/リマから世界遺産「マチュピチュ」遺跡のあるマチュピチュ村への移動日。その最終ランナーは鉄道ということもあり、軽い高揚感あり。

リマ空港発9:44のラタム航空LA2027便でまずはクスコ空港を目指します。それにしてもこの時間帯、クスコ空港行きは9:13発、9:43発、9:45発、9:50発とまるで通勤列車のごとく。

いざ搭乗。

定刻では11:16着。ほぼその時間での到着。

クスコの標高は3400m。富士山が3776mなので富士山頂にいるのと近い。私が実際に登った山である槍ヶ岳3180mよりは高く、鉄道ではスイス/ユングフラウ鉄道の終点ユングフラウヨッホ駅3454メートルより少し低い。その2回ともあまり高山病を意識しておらず、槍ヶ岳登山では高山病なのか、慣れない登山による疲労による息苦しさとの区別もついていなかった。※私に登山の趣味はありません。番組の企画で槍ヶ岳の山頂から生中継をすることとなり、プロデューサーとしてやむを得ず登りました。もっとも槍の穂先に着いた時は一瞬ですが、「登山も良いなあ」と思ったのは事実です。

クスコ空港。

まだ着いたばかりで体の変調はないものの、あくまでも慎重にゆっくりゆっくり歩いて行く。

高山病対策としては、

*ゆっくりと歩く。「いっぽいっぽ」というよりは「いっぽ いっぽ」と一歩と一歩の間に間があるような感じ。

*深い呼吸。それも息を吐ききってからゆっくり深く吸う。

*ゆったりとしたスケジュール。

*水分を取る。

*腹八分目。

確かこんな感じ。これはペルーでの現地ガイドさんのお話し。

2018年06月05日 20時42分

世界遺産「ナスカの地上絵」遊覧飛行(2)愛知万博との意外な縁。

「ナスカの地上絵」観光の航空会社/エアロディアナのここピスコ空港の責任者/カルロスさん。

驚きの日本語ペラペラ。それもそのはず2005年の愛知万博の時に、アンデス共同館(ボリビア、コロンビア、エクアドル、ペルー、ベネズエラ)で、ペルーの担当者として仕事をしていたそうです。

私も仕事で愛知万博には定期的に通っており、勿論アンデス共同館には足を運んでおり、そこで、もしくは管理棟ですれ違っていたかもという話で短い時間でしたが盛り上がりました。なおカルロスさんは「ナスカの地上絵」観光のプロモーションで今も毎年日本各地を回っているそうです。

この飛行機に搭乗。

乗る前にパイロットと記念写真。さすがのフレンドリーさで、求められるまま希望者全員とにこやかにカメラに収まっていました。楽しい思い出。

「ナスカの地上絵」は、飛行機からではなかなかその規模が分からないので、パンアメリカンハイウェイを込みにしてみました。ここで写っているのは「うずまき」(Spiral)。

まだまだ謎は解明されていないこの地上絵。

到着時の荷物受取場。私達もここを通って外に出たのですが、ターンテーブルはここしばらくは使われてはいない模様。

2018年06月04日 13時12分

世界遺産「ナスカの地上絵」遊覧飛行(1)ピスコ空港。

4月20日(金)はリマ市内観光。

旧リマ駅は写真だけ撮ってその前を素通り。勿論それ以外の場所も行っていますが、このブログの性格上割愛させていただきます。そうそう書き忘れていましたが、今回は旅行社のツアーに参加しており、しかも殆ど自由時間が無いという私にしては珍しいパターンです。もっとも私は旅の目的により個人旅行もしくはツアーを柔軟に選択しています。流石にもう若くないなのでペルーを個人で旅するには辛いと思うのと、今回は特に高山病も心配される高地の旅でもあり、添乗員同行という安心を選んだ次第です。

さて翌21日(土)は世界遺産「ナスカの地上絵」観光。

ホテルのロビーに朝5時に集合し、この風景はバスの中からの撮影。

「ナスカの地上絵」は小型飛行機に乗っての遊覧飛行で、その離陸地となるピスコ空港には午前8時40分過ぎの到着。

何となく勝手なイメージで恐縮ですが、遊覧飛行用の小型機の飛行場なので、とても小さな規模を思い描いていました。それが何と日本で言えば大きめの地方空港並みの施設。

と言っても定期便が各地へ飛んでいるとは思えず、何となく開店休業に近い感じ。かつてここを訪れた方の話では、ピスコ空港は本当に小さな空港だったそうなので、最近、新装がなったようです。

搭乗カウンターはこの時点で「ナスカの地上絵」観光専用。推測ですが、観光に力を入れるペルーなのでこれから世界各地とピスコを結ぶ航空路線の就航を想定しているのでしょう。そしてその一歩として空港を整備したのでしょう。

※後日調べたところ2016年に新ターミナルになったようで、リマ空港を補完するハブ機能を持つ空港とする構想だったようです。

※この6月中旬からラタム航空がクスコとの間に週2便飛ばすようで、これまでも短期間、定期便の就航があったようです。

※この飛行場はパイロットの訓練用で使われており、小型機の離発着はそれなりにあります。

2018年06月03日 11時34分

メキシコシティ経由でペルーに向かう。

平成30年(2018年)4月19日(木)。

この日から5月2日(水)まで休暇を取り、南米・ペルーに旅行しました。その第1の目的は「マチュピチュ遺跡」に行くこと。そして昨年から運行を始めた豪華列車「アンデアン・エクスプローラー号」への乗車です。ということで今日からの連載は「ペルーの車窓から」としてお読み頂ければ幸いです。

今回の旅の始まりはこのブログで5月18日から23日までUPした「東成田駅」「芝山鉄道」ですが、ペルーへの旅は成田空港を14:25に出発するアエロメヒコ航空AM57便、メキシコシティ行きへの搭乗からスタートです。

成田空港~メキシコシティ空港の間は、このアエロメヒコ航空と全日空が飛んでいますがその距離は7,003マイル(全日空のHPを参照)。何と日本からの最長距離便となります。航空ファンの方には垂涎の路線かも?ですね。

どこを飛んで来たかが分かるルートマップ。太陽の出ている場所が確認できるようになっているタイプは初めて。かな。メキシコシティ空港には現地時間の19日午後1時頃に到着。時差が14時間ですので、約12時間半の飛行でした。

メキシコシティ空港。ここでペルー・リマ空港行きに乗換え。ペルー旅行ではアメリカ経由が一般的なのですが、アメリカ経由では電子渡航認証システム「ESTA(エスタ)」での認証が必要となります。一方メキシコ経由はそうした手間は無いのですが、その代わり、トランジットであってもメキシコへの入国、メキシコからの出国手続きが必要で、また機内預けの荷物も、往路はそのままスルーだったのが、復路は一旦メキシコシティ空港で荷物を受け取り、再度預け直しました。

合わせてメキシコシティ空港では機内預けの荷物検査は私たちの目の届かないところで行うそうで、鍵がかけてあると、場合によりそれを壊して中を確認することもあるのだそうです。そのため何と無施錠で荷物を預けました。

※成田空港での搭乗受付時に、空港の係員から説明を受けました。

メキシコシティ空港を17:00発のAM018便は無事離陸。

沈む夕日を見ながらの飛行。

メキシコシティ空港からリマ空港までは6時間のフライト。メキシコシティとは時差の無い23:00に到着予定。

ところでこの日、ホテルの部屋に入ったのは翌20日の午前0時過ぎ。日本時間では20日の14時となり、19日の朝6時過ぎに名古屋の家を出てから、32時間の長丁場でした。流石にペルーは遠い。そして私の旅の移動時間では最長となりました。もっとも10日後の帰国時は更にその記録更新となるのですが…。

※除くシベリア鉄道での3泊4日。(イルクーツク~モスクワ間)



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2021年2月
« 7月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!