2016年01月17日 20時54分

サハリン(樺太)鉄道旅(86)利尻富士。

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2015年9月8日、日本に戻ってきました。

稚内のスタンプはレアでしょうね。

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JR稚内駅前のラーメン屋で塩ラーメン。べたですね。午後3時半にして、サハリンからの船で見かけた人たちで満席。

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稚内空港では利尻富士が我々を見送り。空港からこんな風景が見られるとは知りませんでした。

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稚内発17:35、NH4844便の乗客の方が教えてくれた奇跡のようなショット。飛行機が大きすぎるのが残念。でも良い思いで。

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18:10頃、新千歳空港への着陸寸前、窓側に座っていた人たちがざわついている。燃えるような夕焼け。

通路側に座っていた私は、飛行機から降りて直ぐに撮影。タイミング的には少し遅かったものの、まずは目に焼き付けることが出来ただけでも気分上々。

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新千歳空港からは19:45発のJAL3118便で一路名古屋へ。21:45には中部国際空港のターンテーブルで荷物の到着待ち。毎度の事ながら招き猫を見るとそれだけで家に戻ってきた気分になります。

大変長い期間、このサハリン(樺太)鉄道旅にお付き合い頂きありがとうございました。

(完)

2016年01月16日 20時49分

サハリン(樺太)鉄道旅(85)さらばサハリン。

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定刻より少し早く9:50過ぎに出航。ダイヤ通りなら稚内港にはサハリン時間の15:30、日本時間の14:30の到着です。

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大泊港駅があった桟橋が遠ざかっていきます。4艘の船の停泊している場所のどこが亞庭丸・宗谷丸の停泊場所だったのでしょう?最後の最後まで浪漫が広がります。

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この日の宗谷海峡も極めて穏やか。

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13時過ぎ、日本の宗谷岬が見え始めました。携帯電話も日本の電波が届くようになります。

ここからは期待を込めて書きますが、来年以降も“稚泊航路”が続くなら、飛行機ではなく「船で行くサハリン鉄道旅」を多くの方に勧めたいと思います。ただインフラが十分ではない面もあるので、完全な個人旅行よりもツアー利用か現地旅行社での手配(一部を含む)の方が良いかもしれません。

今回の私達の旅は、サハリン2回目という白川さんと、現地で勢力的に情報収集できるお二人との4人旅だったことがナイスな結果に繋がったと思っています。今回の私達のルートをトレースしようとしても個人手配では限界があると思われ、ユジノサハリンスクには日本語の通じる旅行社もあるので、そういうところを通すのも手でしょう。それと私の個人的な感想ではありますが、もしももう一度サハリンに来るチャンスがあったとして、その時も1人旅ではなく2~4人旅をすると思います。時間に余裕がたっぷりあるので話し相手が欲しくなるのと簡単に言えば荷物番がいた方が楽です。

2016年01月15日 20時46分

サハリン(樺太)鉄道旅(84)大泊港駅の廃線跡巡り。

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私達の前にいたオートバイ軍団の乗り込み(積み込む?の関係で、バスの乗客は思わぬ手前で下車することになりました。

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雰囲気的に直ぐに船に乗り込まなくても良さそうだったのでカメラを取り出してみました。ここからは予想に反してということになりますが、私達の様子を見ていた港湾係員、税関職員の方達の誰からも声をかけられず、ゆったりとかつての大泊港駅を撮影することになりました。もっともバスを降りた人が全員船に乗り込んだ後は、早く行動するように促されましたが…。

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日本時代には無かったであろう大型クレーンの存在はとても大きなものがありますが、その足元を抜けていく線路は今も確かにあります。

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今はよれよれなのですが、いつ頃までこの線路が現役だったのかがとても気になります。

サハリンの鉄道旅の最後の最後に「廃線跡巡り」という面白い締めくくりを迎えることになりました。

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いよいよ8:45に乗船。

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私たちを乗せてきてくれたバスもユーターンし、私達に続く乗船客を迎えに行きました。因みにこのバス、普段はコルサコフ市内を走る路線バスのようでした。

2016年01月14日 20時42分

サハリン(樺太)鉄道旅(83)出国。

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コルサコフ港のターミナル。1週間ぶりの出会いです。

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8時15分過ぎから出国審査が始まり、何だか名残惜しい。

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バイクマニアの間では、サハリンをオートバイで旅するのが結構な人気だそうです。ということでバイク軍団が先陣を切って船に向かい、その後を、私たちを乗せたバスが付いて行きます。

ゲートの存在はここが如何にも「埠頭」であることを感じさせてくれます。ここから先の写真撮影は無理かな?

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道路の右側に鉄道の線路が寄り添い始め、旧「大泊港駅」の構内に入ります。

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線路の向こう側に停泊中のアインス宗谷。やはりこの船は稚泊航路の再来です。

2016年01月13日 20時24分

サハリン(樺太)鉄道旅(82)コルサコフ駅。

2015年9月8日(火)。いよいよ帰国です。

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アインス宗谷はコルサコフ港10:00出発ですが、出国審査を早めにしたいという考えから、港に8:00到着を目指し朝7時過ぎにタクシーでホテルを出ました。

この日、ユジノサハリンスクの町は霧の中。

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太陽が顔を見せ始めると何だか幻想的な風景に。ふわっとした不思議な感覚に包まれていました。

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サハリン州の鉄道の「コルサコフ駅」。本シリーズ(55)で列車側から撮影した駅の道路側からの撮影です。ここで停まって欲しいとリクエストした時の運転手さんのちょっと驚いた顔は印象的でした。確かにそんな人は通常はいないですよね。

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重厚な佇まいですが、旅客列車は無いに等しい現状で、そのため貨物輸送のための鉄道員がここで働いているのであろうと思っています。

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コルサコフ港まで私たちを運んでくれたタクシー。9月3日にコルサコフ港からユジノサハリンスクのホテルまで走ってくれた運転手さんもそうなのですが、感じがとても良く、手元に残っていたほんの微々たる金額ではありますが小銭をチップとして受け取ってもらいました。

2016年01月12日 19時24分

サハリン(樺太)鉄道旅(81)旅の終わりはロシア料理。

私の「サハリン(樺太)鉄道の旅」の写真日記の連載も残すところ1週間を切りました。まだ続くのかよと思わずまだまだお付き合い下さい。

そしていよいよこの旅の最後の晩餐です。ホテル内にロシア料理レストランがあるとガイドブックに書いてあったので外には出ず、そのレストランで祝杯を挙げることに最初からではなく、つい前日に決めました。

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乾杯!本当に良い旅でした。

それにしても毎日少なくとも15000歩は歩いており、よく歩いた旅でもありました。そしてその分良く食べた旅でもありました。

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1品目はボルシチ。

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ペリメニ。(ロシア風水餃子)

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マッシュポテト。

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白身魚の…。忘れた。m(__)m

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もうすっかり忘れている…。m(__)m

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ブリヌイ。(クレープ)

美味しかった~。因みにボルシチ以外は4人でシェアしています。これが一人旅だとボルシチにマッシュポテトを食べてお終いと相成りそう。グループでの旅の楽しさを食事でも感じていました。

2016年01月11日 19時20分

サハリン(樺太)鉄道旅(80)ブラウン管テレビ。

遥か彼方にユジノサハリンスクの町が見え始めました。

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ユジノサハリンスク~ホルムスク間の道路はよく整備されており、バスは快調に飛ばしていきます。往路より小さな帰路のバスの方が何だかスピードが速い気がしました。

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と思う間もなく18:35にユジノサハリンスク駅前に到着。往路より10分も早かった。

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そのバスの降車場は駅前広場の一角。ここで降ろされるとは思っていなかった。

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夕日がビルのガラスに反射し美しい夕景。

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さてこちらが9月6日(日)、7日(月)と2泊したベルカホテル。ユジノサハリンスク駅から歩いて10分ほどの距離にある木造のログハウス風3ッ星ホテルでフロントは英語が通じます。

部屋もきれいで何より無料Wi-Fi。もっとも6日はパスワード無しでしたが、7日は満室だったのかお客が多いという事でパスワードあり。

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フロントにあったいつの時代のモノですか?と言いたくなるブラウン管テレビのミニチュア。中にはクリスマスツリーが飾られて可愛いの一言。

来年11月に中京テレビは笹島に移転しますが、クリスマスも近いのでこんな置物を玄関ロビーの受付に置いたら人気を呼びそう。

2016年01月10日 19時18分

サハリン(樺太)鉄道旅(79)帰りのバスは満席+立ち席。

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ホルムスクからユジノサハリンスクへの戻りのバス。

バスの乗車券売り場ではこんな貼り紙があり、14席のバスって凄すぎると思っていたら…。

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17:00発のユジノサハリンスク行きの都市間バスが正にこれ。小さい。この9月18日にこのブログでUPしたドイツの鉄道代行バスに匹敵する小ささ。

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一瞬我が目を疑い、バスの系統(行き先)を確認してしまいました。いやーぁ、早めに予約しておいて良かった。チェーホフから戻ってきて乗車券を買っていたらどうなっていたことか?

一応、途中から乗る人のために立ち席の設定もあるようでしたが、この大きさのバスで、10人近い人が立つという信じられない状況でしたが、それも1時間ほどで全員着席となりヤレヤレ。

その立っていた人の中には(ロシア語を話す)日本人の女性もおり、因みにその方は事前購入の全席“指定”のバスであることをご存じなかったとのことで、驚きつつも諦め顔でした。

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さようならホルムスク。

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途中のバス停でお客さんが降りていきます。

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何故か鳥居があるサハリンの不思議。神社ではなく、何かの施設のようでした。

2016年01月09日 19時16分

サハリン(樺太)鉄道旅(78)扉扱いの不思議。

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ホルムスク北駅で見かけた工事用車両。改軌工事に使われているのでしょうか?

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ホルムスク南駅(Холмск-кЮжный)16:34定時到着。

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人の乗り降りが結構あります。しかしここの注目はホームの長さ。ご覧のように3両編成分がないため、真ん中の車両の扉だけが開いており、前後の扉はしまっています。

そういえば始発のチェーホフでもホームの長さは十分なのに真ん中の車両からしか乗り降りできず、そのためその車両にお客さんの殆どが乗車し、私が乗った3両目はガラガラといった状況でした、察するに短いホーム対応でそういう運用をしているのでしょう。

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2016年01月08日 19時14分

サハリン(樺太)鉄道旅(77)廃車体。

途中駅で見かけた廃車体。

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だと思っていたのですが、どうやら使われているようです。真ん中の茶色の木造車っぽい車両の扉が開いていて人がいました。

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一方こちらの気動車の中間車には煙突らしきものがついています。まさか現役時代にこんな格好で走っていたとは思えないので今、一体何に使っているのかが気になりました。

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駅員さんらしき人がいる多分、有人駅。旅客列車の本数は少なくとも貨物列車があるのでしょう。きっと。

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数字の「駅」。『81ПК6』。一体どんな意味があるのでしょうか?日本の難読駅名ならぬ“難解駅名”。翻訳ソフトでは「ПК」は英語で「PC」と出てくるのですが、「PC」ならパーソナルコンピュータだし…とか、海外を旅するのは面白いですね。

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一匹のヤギ。ロープで繋がれているので人が飼っているのは間違いありませんが、さて飼い主は何処に?

(余談)今回のサハリン旅では1362枚の写真を撮っています。こういう写真が結構あるのも枚数が増える一因ですね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!