2015年12月26日 20時12分

サハリン(樺太)鉄道旅(66)ホルムスク(真岡)に到着。

ホルムスク(真岡)に到着。

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出迎えてくれたのは踏切。体が反応してシャッターを押しました。

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バスターミナルに着いたのは10:25。ユジノサハリンスクから1時間45分の旅でした。まずはホッと一安心。本当はこの日、車をチャーターして、西海岸の鉄路を1日乗り鉄、撮り鉄するつもりだったのですが、その手配を頼んだユジノサハリンスクの旅行社からたまたまこの日は予約が多く、車の手配が出来ないとの回答があり、またホテルでも同様の手配を聞いてみたものの残念!ということになり路線バスの旅になりました。

その結果、撮り鉄は出来なくなりましたが、その代わり乗り鉄を1日楽しむことにしたものです。

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バスターミナルから南に向かい、しばし撮影。丁度貨物の入れ替え作業中。

機関車は明らかに「日本」ではないのですが、線路の幅が1067ミリと日本と同じなので、何故か親近感が湧いてきます。

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鉄道員が線路を歩く。ただそれだけのことですが、何故か印象に残ります。

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私がここを訪れるまでに持っていたサハリンの鉄道のイメージである「列車本数も限られているので大した事は期待できないだろう」はどんどん崩れていきました。

活気がある!と言うのは言いすぎでしょうが、それでも生きている鉄道を身近に感じていました。

2015年12月25日 20時08分

サハリン(樺太)鉄道旅(65)豊真線のループ線。

豊原(ユジノサハリンスク)を出た列車がもう少しで真岡(ホルムスク)という地点。

バスの走る道路からは少し離れた場所でかつての豊真線はループ線を使い高度を稼いでいました。

豊眞線ループ スキャン

昭和3年発行の「樺太の鉄道旅行案内」にその写真が載っていました。

DSC04230_鉄道歴史博物館

2008年撮影のループ線。1994年にこの路線のトンネルが崩落し、一時は復旧を目指したこともあったようですが、そもそもロシアの鉄道規格の車両が通れないこともあって結局廃線となりました。しかし時にはホルムスクからループ区間の入り口まではこうした貸切列車が運転されたこともあるとのことで、この写真はその貴重な証となっています。

参考までにこのまま列車が奥に進むとトンネルに入り、ぐるりと坂を上りつつ一周して橋を渡りユジノサハリンスク(豊原)に向かうことになります。

豊眞線瀧ノ澤

この写真は「樺太の鉄道旅行案内」にあった豊原から18.3哩(マイル)、約29.5キロの距離にあった瀧ノ澤駅。豊真線の最高地点で標高1330呎(フィート)=約405メートルの地にありました。

鉄道路線図トリミング

昭和14年の路線図(再掲)で瀧ノ澤駅の場所を見るとそこは「奥鈴谷」の隣の駅。

実はバスに乗っている時に私が感じたこのルートの最高地点は昨日UPした海が見え始めた辺りでした。道路を走っていたからということもありますが、どうやら人間と言うか私の感覚が如何に当てにならないかということを証明してしまいました。

それにしてもこんな凄い山越えに挑む鉄道を明治の人が作ったのには驚嘆させられます。また豊真線の山岳区間はサハリンでも豪雪地帯として知られているそうですから、返す返すもただ単に「先人の努力」という一言で終わらせるわけにはいかないと思っています。

2015年12月23日 20時05分

サハリン(樺太)鉄道旅(64)豊真線廃線跡、そして海が見えた。

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バスは小型の観光バスといった感じ。座席指定というのは成程納得のシートですが少々狭い。1時間に1本程度の本数のある都市間バスであり、2時間ほどかかると聞いていたのでてっきり「大型バス」という思い込みがありました。まあまあそれも旅の醍醐味。サハリンの長距離バスに初挑戦ということでテンション少しUP気味。それにしてもバスも定時で出発。時間通りでことが進むサハリン時間に慣れて来ていました。

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バスに乗って約1時間10分。突然目の前に豊真線の廃線跡である鉄橋が出現。これにはビックリ。まだ残っているとは思ってもみませんでした。

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周りは高原風景。地図で見るとかつて鉄道のあった場所と、このバスが走る道路はほとんど平行しておらず、山越えのために鉄道が物凄く大回りしているような感じでしたが真相や如何に。

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バスに乗って1時間25分の10:05頃。バスが峠を越えたかと思ってから暫くの後、突然海が見えてきました。山の窪んだ所にホルムスクの町もちらと見え、今からそこまで駆け下ります。

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あまりの雄大な景観に圧倒されつつ、それが鉄道にとっては並大抵ではない峠越えだったことを感じさせるに十分でした。

2015年12月22日 20時26分

サハリン(樺太)鉄道旅(63)ホルムスク(真岡)への道。

またまた今日からサハリン(樺太)鉄道旅を再開です。よろしければ画面右側の「カテゴリー」~「海外の鉄道」~「一般的な鉄道」をご覧頂ければバックナンバーを確認できます。もっともプユマ号の話しがサンドウィッチされています。

サハリン(樺太)の旅も残すところあと2日になった9月7日月曜日。この日はサハリン西海岸の鉄道の乗り鉄DAY。ということで西海岸の中心都市ホルムスク(Холмск)をまずは目指します。

かつてユジノサハリンスク(豊原)とホルムスク(真岡)との間には日本時代に作られた旧豊真線(南部横断線)がありましたが、今はそれぞれの末端部(ユジノサハリンスク側はこのシリーズの(22)~でUPした路線)を残して廃線となっており、今回はバスで向かいます。

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時間は朝の7時27分。町の象徴ともいえるレーニン像。朝日を浴びてすっくと立っています。

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ユジノサハリンスク駅。駅正面には「ВОКЗАЛ」の文字。因みにバクザールとは「駅」という意味で、何ともストレートなことよ。

もしも市内で道に迷ったら『「バクザール」と聞けばここに戻れるので、この言葉は覚えてください』というのが今回の旅のリーダー・白川さんの教えでした。勿論順守。使う事はありませんでしたが。

その「バグザール」の両隣には時計があり、左側がサハリン時間、右側がモスクワ時間で、この2つの時計の存在こそいま私たちがロシアにいる証となっています。

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鉄道駅の前にあるバスターミナル。ここから郊外へのバスが出発します。

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7:00-19:00。これがここの窓口の開いている時間のようでした。

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私達が乗るのは8:40発のホルムスク(Холмск/真岡)行き。左側が往路のバス乗車券で右側は復路のバス乗車券。復路はホルムスクのバスターミナルで買いましたが、注目なのは指定席であること。辞書ソフトでは「Место」=「場所」「席」と出てきたので間違いないと思います。

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516系統のバスが来ました。えっ?小さい。本当にこのバスで良いの?座席指定だよね???

※真岡の読み方…樺太の真岡は「まおか」と読みます。栃木県に「もおか」市があるので紛らわしいですね。因みにパソコンの変換では「まおか」と打っても「真岡」は出てきません。

2015年12月12日 20時43分

サハリン(樺太)鉄道旅(62)日本食レストランで乾杯!

ユジノサハリンスクでは有名な日本料理店。

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入り口はこじんまりした感じですが中は広いです。

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お約束の乾杯。

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バルティカ7。この旅では同じメーカーのバルティカ3とかも飲んでいます。

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私が注文したのは松花堂弁当。

刺身に天ぷらなどなど本物の弁当です。味も海外の日本食店で時に出会ってしまう「なんちゃって」ではなく、ちゃんとした和食の店の味です。

美味しかった~。

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話しは変わってこのレストランの目の前の信号交差点。何と青信号になると足元も青くなるのです。

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一方赤信号の時は赤く光ります。

ユジノサハリンスク市内の中心部の何か所かで見かけたのですが、どんな理由でこうなっているかは不明。これだから見知らぬ地への旅は楽しい。

2015年12月11日 20時41分

サハリン(樺太)鉄道旅(61)もう一周。

16:00発の列車で最後の撮り鉄。

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森の深さが違う!と言ったら大袈裟かも知れませんが、野趣豊かな公園ではなく、明らかに自然という括り(くくり)の中を走る鉄道です。

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別にここで書かなくても良いのですが、線路の状況は抜群です。コンクリート枕木でしかも枕木の間隔も狭く、まるで本線並みです。機関車の新しさが難点ですが、時間があれば更なる撮影ポイントを探す楽しみはありそうです。

SONY DSC

鉄道歴史博物館提供の一枚。

2011年1月17日の撮影で、その頃にここにやってきたのでしょう。

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子供鉄道を後にして「サハリン州立郷土博物館」へ。

中の撮影が有料の為、私は写真撮影をしませんでしたが展示物は興味深いものが多く、先住民族の暮らしや日本人の足跡なども見ることが出来ます。

時間に余裕があるかたはゆっくりと、また無い方もささっと見ることをお勧めします。

因みにこの建物は日本時代のものです。

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ユジノサハリンスク市内には日本時代の建物は幾つか残っており、こちらもその一つ。樺太守備隊司令官公邸で、この趣(おもむき)は一見の価値ありです。

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終戦70年の垂れ幕。今年が2015年であるのは紛れもない事実であり、大小の差こそあれ町の至る所でこのデザインのポスター類を見ました。

2015年12月10日 20時38分

サハリン(樺太)鉄道旅(60)子供鉄道乗車中。

15:30発に乗車。

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この子供鉄道。運転に関する全ての仕事を子供たち(小学生位の子共達が中心???)で行っていることで知られています。もっとも列車の運転そのものは子供運転士さんが運転室に入っているものの実際には大人の方が運転されています。

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車内の座席は観光用と言うより普通の旅客列車の感じ。一応4人掛けのボックスシートで、随分広い印象を受けますが、大人4人で座るのは困難というより多分無理。ただ日本の762ミリゲージの車両に比べれば広いことは間違いなさそうです。

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この列車の車掌さん。高校生くらいかな?と思ったものの中学生かも知れません。2人は車内ではこの鉄道の説明もしており、右側の女性は流暢な英語での案内を担当していました。その英語での案内ですが、私たちのような明らかな外国人が乗った時だけなのかそれともその時のために毎回やっているかまでは確かめられませんでした。ただサハリンの地元客中心と思われる公園で、こうしたサービスをやっていること自体が私にとっては驚きで、勿論教育的な観点はあるにせよ最近日本でよく聞かれる「インバウンド(外国人観光客誘致)」という掛け声の威勢の良さより、ここの英語案内の方が(ネットでの)口コミ効果が期待できそうな気もしています。

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15:43の定時着。

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2015年12月09日 20時36分

サハリン(樺太)鉄道旅(59)撮り鉄。

15:00発の列車で撮り鉄。

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池越しは定番かな?

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次の撮影ポイントに移動中、こどもの顔にペイントしている女性を発見。男の子のお母さんにも撮影許可を撮ってパチリ。こんな日常の写真を撮るのは好きです。

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遊歩道の片隅を走ってくる列車。

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『旧客』っぽいのが1番後ろに1両繋がれているのでそれ狙い。コルゲートを目立たせたかったのですが、そんな半端な理由では納得の一枚と行くはずもない。が、自転車の子供が列車の通過を待っているのが何だか楽しげなので今日の一枚に加えてみました。

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停車中ではありますが鉄道歴史博物館でも見た連結器。やはり気になる。

2015年12月08日 20時33分

サハリン(樺太)鉄道旅(58)子供鉄道のダイヤ。

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日が照れば結構暑い。アイスクリームを歩きながら食べる。行儀悪し。美味しい。

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子供鉄道に到達。750ミリゲージ。

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この鉄道も子供たちに人気のアトラクション。

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「子供鉄道」という名前に惑わされるなかれ。ちゃんとダイヤもあります。途中の駅で3分停車。2.2キロの距離を13分で走ります。

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機関車も本格スタイルであり、市街地と郊外を結び現役の鉄道といっても通じそうです。

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こちらが路線の地図。一方通行で、森の中を走るというのはよく分かります。

2015年12月07日 20時22分

サハリン(樺太)鉄道旅(57)子供鉄道へGO。

平成27年9月6日(日)の昼下がり。

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町のシンボル。ロシア正教の教会。中にも入りましたが多くの信者が熱心に祈りを捧げていました。私たちはその静けさを破らないようそっとその場を立ち去りました。

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教会の近くで見つけたピクトグラム。禁煙・飲酒禁止・ペット禁止は分かるのですがどう見ても遊泳禁止(らしき)マークは不思議?一体どこで泳ぐ?

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この日の午後のイベントは1つだけ。市街地の東部にあるガガーリン公園にある「子供鉄道」に乗る事。

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さて公園内は日曜日だけあり族連れで賑わっていました。プールの中で小さなボートに乗る遊具。日本にも同様のものはあるのでしょうか?

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子どもが小さかった頃を思い出している私。

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ジェットコースターは、距離こそ短いものの一回にそこを何周もしており、大人気アトラクションでした。こうした施設ですが冬場はどうなっているのでしょうね?

それにしても日本のむくつけき男4人組がこの場に似合わない事甚だしい(はなはだしい)。それは紛れもない事実。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!