中京テレビ

2015年12月06日 20時02分

サハリン(樺太)鉄道旅(56)ユジノサハリンスク到着。

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ユジノサハリンスク郊外にある空港に着陸する飛行機。サハリンに船で来たので忘れていましたが、日本から飛行機でも来ることが出来ます。ただこの飛行機の会社名やどこから来たのかは分かりません。

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D51が見えればそこはユジノサハリンスク駅。もう見慣れた風景です。

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11:34の定時着。すっかりお馴染みになった感のあるこの気動車。このコルサコフへの路線の再開に合わせて使われなくなっていた車両を何両か整備したという話しも聞きました。従来使っていた気動車や以前UPしたディーゼル機関車が牽く客車だけでは追いつかなくなったのでしょうか?

もっとも機関車牽引では終点で機回しが必要となるため、気動車による運行は現実的な選択と言えます。

知れば知るほど更に知りたくなるサハリンの鉄道。日本で得られる情報が少ないのでかえって興味を持ってしまいます。

2015年12月05日 20時00分

サハリン(樺太)鉄道旅(55)シティーモール駅。

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車内で記念写真。いい思い出です。もっともこの写真の前に少しおどけた表情をしていたのですが、白川さんに(大人なのだからと)たしなめられごくごく真っ当な表情をすることにしました。(^-^;)

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それにしてもサハリンの車窓は絶景が続く。ただこのユジノサハリンスク~コルサコフ間は鉄道の方が圧倒的に景色が良いです。サハリン到着時にコルサコフから車でユジノサハリンスクに向かっているのですがその落差には驚くばかりです。

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まるで絵画。今回撮影した写真の中でもお気に入りの一枚です。

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車内で出会った親子連れ。カメラを構えて車内外を撮影している我らにお母さんが子供達の写真を撮って欲しいと話しかけてきました。

男の子は素直に笑顔ですが、女の子は恥ずかしそう。撮影後に液晶画面をお母さんに見せたら喜んでくれてこちらも笑顔。

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その家族が降り立った「Ситти Молл」=City Mall」=「シティーモール」駅には11:22着。乗客の殆どがここで下車。

シティーモールはサハリン初のショッピングモールとのことでその規模は日本の巨大ショッピングモール並みとは実際に行かれた方の感想。どんなお店が入っているのしょうか?夕方この駅からコルサコフ方面に向かう列車の出発時間は18:41。

皆さんきっと楽しい時間を過ごすのでしょう。

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で車内はガラガラに。

2015年12月04日 20時58分

サハリン(樺太)鉄道旅(54)コルサコフ駅。

さて平成の世に戻ります。

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10:27発のユジノサハリンスク行き。このブログで2日離れただけで随分懐かしい感じです。

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それにしても踏切と列車の停車位置が近すぎる。警報機付きだったら大変なことになりそうです。それはさておき踏切の表示が蒸気機関車なのはやはり「鉄道」をイメージしやすいからでしょうか?

また「STOP」はロシア語表記では「СТОП」になるようなのですが、この英語表記の理由は不明です。

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「2КМ ПKЗ」発ユジノサハリンスク行きの車内。

日曜日ダイヤでは1日2往復の運行があるだけなのですが利用者は結構います。

※私達が乗っているのは『始発』です。もう一往復は夕方に設定がありました。

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頑丈そうなコルサコフ駅。

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駅というよりどこかの信号所に停車し、さながら路面からそのまま乗り込んでいるが如くです。

2015年12月03日 20時54分

サハリン(樺太)鉄道旅(53)豊原駅(昭和3年発行「樺太の鉄道旅行案内」から)。

今日は「豊原駅」。今のユジノサハリンスク駅です。

豊原駅正面

昭和3年発行の「樺太の鉄道旅行案内」にあった「豊原駅」(現ユジノサハリンスク)。樺太の中心地だけあり、堂々たる雰囲気を持っています。

豊原駅ホーム

その頃の豊原駅プラットホーム。ひょっとすると私達が夜行列車に乗り、そして降りたのはその時代をそのまま伝えているホーム…とか考えるとそれだけでワクワクします。

樺太庁鉄道

樺太庁鉄道旅客列車。8620のナンバーが見えますが、鉄道省8620形ではあるものの所謂8620形のトップナンバーではなく樺太庁鉄道のトップナンバーだそうです。理由は不明とのこと。そして2等車の車内。

樺太庁鉄道事務所

樺太庁鉄道事務所。

名古屋で言えば日本国有鉄道名古屋鉄道管理局の局舎でしょうか?もっともこの写真の撮影時はまだ国鉄になる前ですので表現が難しいですね。

サハリンの由来/アイヌ語由来

さて「樺太の鉄道旅行案内」には『サハリン』の名前の由来が書いてありました。それによりますとこの地の先住民族/アイヌの方達が「サハリン、モジリ」=「平原にして波の起伏するが如き状態の国」と呼んでいたからだそうです。諸説あるサハリンの地名の由来ですが、こうした発見が出来たのはサハリンに出かけたからですね。

Южно-Сахалинск-жд-вокз

最後にロシアになってからの豊原駅/ユジノサハリンスク駅。樺太時代の駅舎はいつまで使われたのでしょう?

2015年12月02日 20時51分

サハリン(樺太)鉄道旅(52)稚泊航路と大泊港駅。

ここで樺太の日本時代の鉄道史を見てみましょう。参考資料は特定非営利活動法人名古屋レール・アーカイブス所蔵のものとサハリン鉄道歴史博物館から提供されたものです。なお内容については私自身が樺太/サハリンの鉄道史を研究しているわけではないので資料類から読み取れたレベルです。その点は予めご承知おきください。

大正11年路線図

大正11年の「ポケット汽車 汽船旅行案内」の路線図。東海岸と西海岸に鉄道が通っていますが東西を結ぶ路線はまだありません。大泊(コルサコフ)は東の鉄道の起点となっています。

樺太路線図

一方、「時間表」昭和14年(1039年)12月号。大泊の下に「大泊港」の名があり、かつ汽船が連絡しているのが分かります。これが鉄道連絡線「稚泊航路」で、私達が今回なぞってきた航路です。

樺太の時刻 トリミング

上部に「稚内桟橋・大泊港間(連絡線)」の欄があり、そこには稚内桟橋を8:50に出て大泊港に午後4:50に着く「1便」が掲載されています。210キロを8時間かけていたことがわかります。今回の“稚泊航路”が稚内発9:00、コルサコフ着が日本時間の14:30で所要時間5時間半の航路ですから現代の船はやはり早いですね。因みに樺太時代の大泊港の桟橋は私達が乗ってきた「アインス宗谷」が到着した桟橋です。

亞庭丸

昭和3年発行の「樺太の鉄道旅行案内」に掲載されていた稚泊航路「亞庭丸」3200トンの写真。なお昭和14年の時間表には3391.43トンとありますがその違いはよく分かりません。この亞庭丸は貨客船で、貨物も積んでいましたが、私たちが「連絡線」でイメージしがちな青函連絡船や宇高連絡線の様な『貨車』の航送はしていませんでした。

aniwa_鉄道歴史博物館

一方、サハリン鉄道歴史博物館から提供された亞庭丸の写真。氷が海に浮かんでいるのが季節を感じさせます。

なおこの亞庭丸は砕氷能力があったということです。

oodomarikoueki3_鉄道歴史博物館

こちらは大泊港駅。鉄道の線路があり、船から列車にそのまま乗れたことがこれで分かります。なお写っているのはこの航路に就航していた「亞庭丸」「宗谷丸」のどちらかの特定は出来ていません。

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大泊市街軌道。「大泊」駅を中心に走っていたということですが、私にはこれ以上の情報がありません。

2015年12月01日 20時48分

サハリン(樺太)鉄道旅(51)クルーズ船「にっぽん丸」。

10時過ぎ。クルーズ船の姿を確認しました。

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どこかで見た船。

日本のクルーズ船「にっぽん丸」で9月4日(金)に北海道の小樽を出航し、利尻島を経由してこの日(9月6日)、サハリンのコルサコフに入港していました。

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思い出してみれば2014年10月26日に三重県の鳥羽で出会っており、奇遇ですねと声を掛けたりしました。何てね。

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コルサコフ(Корсаков)駅を通り、終点が近づいてきました。

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駅名標は「2КМ ПKЗ」ですが、時刻表には「Пять углов 2КМ ПKЗ」となっています。10:17の定時着。

※「З」が文字なのかそれとも数字の「3」なのかも不明。「2КМ」は大泊港駅から「2キロ」のような気もします。

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翻訳ソフトを使うと「Пять углов 2КМ ПKЗ」=「ファイブコーナー 2キロ PZ」と出てきます。(ロシア語の読み方は不明)

地図検索サイトで「Пять углов」&「Корсаков」と入力すると駅の近くに「Пять углов」は確かにあり、それはショッピングモールだと出てきました。さてそれが駅名の由来かはどうでしょうか?

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「2КМ ПKЗ」駅の先にもこんな感じで線路が続いているのですが、折り返し列車の出発時間が10:27と10分しかなく、確かめるのは断念しました。

ところで今回乗車したこの路線は旧樺太東線(大泊港~豊原~敷香/現ポロナイスク:Порона́йск)の一部で、いつまでかといった時期は不明ですが、ロシアになってからもユジノサハリンスク以南では旅客列車は運転されており、その廃止後も貨物列車は引き続き運転されていました。今回の復活劇ときっかけとなった理由の一つは沿線に「シティーモール」という巨大ショッピングモールがオープンしたことによるとのことですが、試験運用なのか恒常的な運転を見込んでいるかまでは分かっていません。

※樺太東線の区間は昭和14年の時間表を参考にしています。

2015年11月30日 20時45分

サハリン(樺太)鉄道旅(50)海景色。

ユジノサハリンスク発9:10、コルサコフ(Корсаков)着10:10。そしてこの列車は更にその先にある「Пять углов 2КМ ПKЗ」が終点でその駅の到着時間は10:17。

1時間少々の快適な乗り鉄の旅。

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干潟では海鳥が群れ、その向こうに船の姿を望む。

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鳥達は時折飛び立ち、そして降り立つ。そんな自然界のさりげない光景を列車の中からゆとりある心で慈しむ(いつくしむ)。何たる贅沢。

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海が近い。こうした写真を車内から撮ることができる幸せ。

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写真では分かりにくいと思いますが、手前にある半島の海沿いに海岸線をなぞる様に線路があります。

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車両1両分にも満たないホーム。

2015年11月29日 10時32分

サハリン(樺太)鉄道旅(49)8月から運転開始のコルサコフ行きに乗った!

平成27年9月6日(日)。

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朝9:10にユジノサハリンスク(豊原)を出てコルサコフ(Корсаков/大泊)に向かう列車に乗車。

それにしても8:32にノグリキからこの駅に到着したばかりですから、何と言うタイミングの良さ。これもダイヤ通り走る時間の信頼ができるサハリン州の鉄道さまさまです。

しかしこの列車/ユジノサハリンスクとコルサコフを結ぶ列車の存在は、ユジノサハリンスクに到着した日に、駅頭で舘田達也さんが見つけてくれたもの。

後日分かったのですが、何とこの路線の運行は8月から始まったばかりというタイミングで、流石にこれまで何度も今回の旅の運の良さについて書いていますがここまで来ると本当に怖い位で、まるで「鉄道の神様」が降臨し私たちを道案内しているとしか思えないほどでした。(笑)

実は白川さんの知人が7月にここサハリンの鉄旅をされておられ、その時の鉄道運行情報は私達にも伝わっていたのですが、何とこの路線の情報はありませんでした。

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ユジノサハリンスクを出て暫くすると海が見えてきます。(9:47頃撮影)

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北海道の仮乗降場の雰囲気。利用者はいます。

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9:49。海が近づいてきました。

2015年11月28日 20時23分

サハリン(樺太)鉄道旅(48)夜明け。

平成27年(2015年)9月6日(日)。

上段寝台に寝ていた私は午前5時過ぎに下段に寝ていた白川さん、舘田さんに起こされました。「外が凄いことになっています」。

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窓外には思いもしなかった朝ぼらけ。幻想的とも言える夜明けを肌で感じていました。

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海の向こうに広がる朝焼けを見る事およそ30分。その圧倒的な大自然は私たちを飽きさせることはありません。

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6:38頃に撮影した一枚。太陽が水平線から顔を出しました。

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7:20撮影の一枚。大自然に抱かれ夜汽車に揺られる贅沢。夜行2連泊は難行苦行になるかもと思っていた私は心の底から瞬間でもそんなことを考えた自分を恥じていました。

そしてこうして旅をすることを笑ってOKしてくれた家族に感謝していました。

皆さん、この風景に出会うためだけにここサハリンの地を訪れる価値はあります。今私は自信をもってこの言葉を書いています。

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ユジノサハリンスクに8:32着(定時)。

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一夜の旅を終えた人たちが続々と降り立っていました。

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駅の外に出て一息。さあ今日もこれから更に充実の時間が待っています。

2015年11月27日 20時20分

サハリン(樺太)鉄道旅(47)急行「サハリン号」に乗車。

私達の乗る列車は20:49発。それまでの4時間をどう過ごそうか?

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ともかく時間があるので駅前のレストラン(カフェテリア)でまずはお茶。18時過ぎに食事と相成りました。結局そのレストランに20時過ぎまでいたのですが、最初は私達だけだったお客も徐々に増え、最後は20人近い人がいました。因みにこの店の閉店は20時。この駅を出る最後の列車に閉店時間を合わせているようでした。

※このレストランでも許可を得て充電をさせて頂きました。

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夜の帳の降りたノグリキ駅。シンプルですがガラスを多用した近代的な感じの駅舎から漏れる灯りは、その明るさを限りなく感じさせてくれ、極寒の地にあっては心まで凍えさせないようなイメージなのでしょうか?

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ホームの向こうにいる夜行列車。

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20:25頃から乗車が始まりました。往路と同様、パスポートのチャックもありました。

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出発まであと15分。この駅から乗り込むお客も殆どが客車に吸い込まれ、後は出発を待つだけになりました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!