サハリン(樺太)鉄道旅の再開です。
今日からは平成27年(2015年)9月5日(土)のノグリキ探訪。
ノグリキの駅から町の中心部までは3キロほどあり歩くと45分の道のり。(地図サイトのルート検索を参考にしています)
市内へ向かうバスがあるとはガイドブックに書いてありましたが…、駅前から道路を1本渡り数軒の商店の先にバスが停まっていました。左側の白っぽいバスがそれで、もう少ししたら発車するとのことでまあ急ぐ旅でもないので待つことにしました。
ここでノグリキまでの夜行列車2連泊の私の荷物。この2つともが私のモノで、大したものは入っていないのですが、私は何せ寒さに弱く、(結局今回は使わなかった)防寒着が嵩張っていました。防寒着以外では携帯+カメラ2台(デジイチ1台、コンデジ1台)と充電器。着替え1回分、寝間着代わりの薄手のイージーパンツ。その他薬がたくさん。持病があるためこれはやむを得ないのですが、海外では実際に服用する分+1週間分を予備で持ち歩いています。これも生活の知恵です。
もっとも次回、またここに来ることがあれば、特に防寒着等で割り切ることもできるでしょうから荷物を一つ減らせそうです。
さてバスを降りて向かった郷土博物館。入口は開いていたのですが、「今日は休館」なので見られないとのこと。この町で唯一といってもよい観光施設なのにガックリ。
その理由はこの日(9月5日)が(年に一度の)ノグリキのお祭りの日だったから。この日が「お祭り」というのはバスに乗った際、「今日はお祭りだからバスの運賃は無料」と運転手さんから案内されていたので、それは分かっていました。それにつけても博物館が休みだとは…。(未練がましい)
※この日、バス運賃が無料であることは市民でも知らない人が多く、切符を買おうとしてビックリ顔の人が殆どでした。
博物館の件は諦めるとして町の中心部まで歩いていくのはしんどいなあとか思いつつ市街地へ向かうバス停で一休み。…する予定は無かったのですが詳しくはまた明日。
とその時、何とバスがやって来ました。
どうやらバスのダイヤはあるのですが、この日は年に一度のお祭りだけあり、運転回数を増やしているようで、これはラッキーでした。もっともこの時刻表がノグリキ駅と市街を結ぶバスのものかどうかの自信はありません。
町の中心部でバスを降り、市内を歩けば噴水もある美しい町、ノグリキ。
1日2往復の夜行列車だけが出入りするノグリキ駅。(貨物列車の運用は不明)
午前の2本の列車到着後は夕方まではひっそり。売店(店内の撮影はNGでした)もあるのですが、商売として成り立っているのかを心配してしまうほどです。。
たった一つ、壁面の真ん中にまるでそこだけ「何かあるぞ」とその存在を主張しているような切符売り場も静まり返っています。
私たちも暫くしてこの駅を去りました。ネットで検索しても「昼間に見るものがない」「やることがない」とかの言葉を見かけたノグリキの町。そこはそれ4人で動いているのでこの駅前かそれとも町中にはカフェもあるだろうから、ゆったりとした時間を楽しむことが出来るだろうと思っていたものの…。この続きに乞うご期待。
ノグリキ(Ноглики)に10:00着。
実際にはほんの少し早着の列車から乗客たちが降り立ちます。
一足早く着いた普通列車との並び。
ノグリキ駅から先にも線路は続いています。貨物線とのことで、ここから更に遠くの町を目指しているわけではなく、町の外れにあるこの駅からもう少し町に近づいた場所にある貨物駅が終点だそうです。
ノグリキから更に200キロ北上した先にあるオハ(Оха)へ向かうバス。
立っている方も見受けられ、もっとも途中のバス停で降りる方もいるのでしょうが、終点までは5~6時間かかるそうなので、座っていても大変そうです。
走り去るバス。泥はねのついた車体と相まって何だか冒険への旅立ちの如く。日本でも昭和30年代位までは舗装されていない土の道路がまだまだ多く…、などと思い出話しが書けるほどの年齢になった私にとって珍しいというよりはどこか懐かしい気分でこの場に立っていました。
列車内では車掌さんがいろいろなモノを売っています。
また各車両にはサモアールという給湯器がついています。1991年のロシア号ではこれでカップ麺を作り食つなぎましたが、今回は車掌さんから買ったカップ入りの何か?
「BiG BON」って何よ。ということになりますが正解はマッシュポテト。
同行の方が車掌さんの販売していたものの中から朝食になりそうなものを見繕っていてたまたま見つけたとのこと。
ノグリキ到着まで20分ほどだったのですが、腹が減っては戦が出来ぬとばかりに頂くことにしました。
そのお味は、、、想定外のGOOD。期待していなかったと言ったら叱られそうですが、いやいやそれでもあえてこうして書きたくなるほどの満足度。
因みにというほどのことはありませんが、私はこの車内に日本茶のティーバッグと紙コップを持ち込んでいます。サモワールのあるロシアの夜行列車だからそうしたのですが、他の国の鉄道でこの設備があるところはあるのでしょうか?
サハリン号の上段。日本の2段寝台とほぼ同じ感じです。パッと見、寝台がフラットで万が一寝返りでもしようものならベッドから落ちてしまいそうですが、この写真でマットの下に金属のバーのようなものが写っていますが、実際にはそれを引き出して立てて使うようになっていました。
一方こちらは1991年のシベリア鉄道ロシア号の上段。そんな支えは無く落下の恐怖を克服するため、ホテルのバスルームで洗濯物を干すために持参していたロープでガードしていました。同室の方からは「稲見さん、ロープが体に食い込んでいましたよ」と言われたことがあり、今回はどうなることやらと思いつつ“進化”したベッドに安堵した次第です。
さて往路の私の居場所は下段。(帰りは上段)
到着までの暫しの時間、惰眠をむさぼっていました。
大自然と言う言葉が相応しい風景の中、未舗装の道路を行く1台のトラックと追いつ追われつ。どこまで行くのかな?何故か気になります。
朝霧を遠めにひたすら目的地ノグリキを目指す「サハリン」号。
ノグリキまで123キロとなったティモウスク(Тымовск)に到着。旧日本領から北緯50度の国境を越えて旧ソ連領に入ったこの列車での最初の停車駅です。
7:39到着の7:54発で15分の停車時間があります。時間があるので暫し散歩。
一番後ろの車両から全編成の見通し。
移動して機関車からの全編成見通し。
駅前にはティモウスク駅で降りたお客さんを乗せたバスが出発を待っていました。以前は日本の地方の小駅でも列車に接続するバスの姿を見かけた記憶がありますが、そんな光景は最近は減ったが気がします。
鉄道歴史博物館の館長さんの撮影された写真に対抗してワンちゃんの写真。到底館長さんの域に達する事はありません。(当り前!)
夜の9時46分のユジノサハリンスク駅。
闇に浮かぶ光。何となく幻想的な感あり。町全体に明かるさがあるわけではないので、駅舎の向こうの漆黒がより際立ちます。
ユジノサハリンスク22:30発ノグリキ(Ноглики)行き1列車/急行「サハリン」号。
出発の30分前に乗車が始まりました。613キロ11時間30分の旅の始まりです。否が応でも気持ちが高ぶってきます。
乗車に当たってはこのプリントしたPDFの乗車券+パスポートのチェックを受けます。国際列車ではないにも関わらずパスポートを見せるのは不思議な感じですが、夜行列車ではそれがルールのようでした。
さてこの乗車券の矢印の部分に注目。ユジノサハリンスクの出発時間とノグリキの到着時間が書いてありますが、それぞれ「15:30」と「3:00」。不思議ですね。でも不思議ではないのです。
ロシアの鉄道は全てモスクワ時間で運行されており、サハリンとは7時間の時差があるためこのようになっています。参考までに駅構内に貼り出されていた時刻表はサハリン時間で掲示されており、この乗車券でやっとここがロシアであることを知らされました。
寝台車は快適で、乗車後暫くして眠りにつき、目覚めたときには既に夜が明けていました。
朝日が見え始めた7:08頃。森の木々の間から太陽が見え隠れ。まるでアートのごとくで思いもかけぬプレゼントをもらった気分。
丁度その頃の寝台車の通路。まだ乗客の多くは眠りについていたようです。
並木に夕日があたりいい感じ。
この日の昼食が遅かったので晩御飯は少し時間をずらすことにしてしばし街歩き。
並木道はやはり心を癒してくれます。ところで写真には写っていませんが、ユジノサハリンスクの街に信号のある交差点はそれほど多くはありません。その代わり信号の無い横断歩道は至る所にあり、それもあるだけではなく車は「ほぼ」というより「必ず」停まってくれます。日本でも法律上はお横断歩道の一時停止はあるのですが、それはそれとしてなかなか停まってくれないのが現状です。それに比べてこちらのマナー(法律遵守)の良さは驚きです。
されはさておきとりあえずWi-Fiの使えるカフェで一休み。そうっ!ユジノサハリンスクのカフェやレストランではかなりの確立で(フリー)Wi-Fiが使えます。日本でもそんな時代が来て欲しいものです。
晩御飯はカフェで出て向かいにあったカフェテリアへ。
何だか日本の大衆食堂のような感じですが、一口食べればそこはロシア。
ボルシチ、ピロシキとロシア三昧。