2015年10月30日 20時06分

サハリン(樺太)鉄道旅(26)ユジノサハリンスクへの戻り。

10月27日にUPしたサハリン(樺太)鉄道旅(25)からの続きです。

緯度の高い北の大地。

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17:50頃でもこの明るさがあり車窓を楽しめます。もう少し季節が進むと日の入りは早くなるのでしょうね。

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気動車の列車では車掌さんはドア扱いはしないようです。運転士さんがこのミラーで車掌さんの合図を確認して出発していました。

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乗降ドアをよく見ると少しだけですが隙間がありました。年代モノの車両だけにある程度は仕方が無いのでしょうが冬場の寒さを想像すると…。

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車内には「WiFi」のステッカーがありましたが携帯電話でその電波をキャッチする事は出来ませんでした。

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車内の照明。何となく昭和のノスタルジー。

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改めて車内の椅子。キ10系~20系に近い感じ。

 

2015年10月27日 20時03分

サハリン(樺太)鉄道旅(25)終着駅。

Ново-Деревенская(ノヴォデレヴェンスカヤ)に17:45の定時到着。

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本数が少ないから出来るのか?それともロシアの中でもサハリンだけか?もしくは雪のない季節だからか?などなど判然としませんが、今回の旅で乗ったサハリンの全列車は日本並みの定時運行です。おかげでデジカメの撮影時間を確認すればどの駅の写真かが分かるわけでまるで日本にいるような感じでした。

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ここでも森の中に向かう人たちがいました。

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ノヴォデレヴェンスカヤの先にはまだ線路が残されています。もっともここに列車が走ることはあまり期待できそうに無い状況とのこと。でも線路はそのままなので…と淡い願望。

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お約束の記念写真。同行者がいるとこんなことも出来ます。もっともここからの戻りは17:45発なので10分しか時間がなくせわしない時を過ごしました。

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これから戻る道。終点にも関わらず駅の周りにはあまりにも何もなく、何だか不思議な感じです。日本なら秘境駅として人気を集めそうですね。もっとも全駅下車はやめた方が良さそうです。

2015年10月26日 20時01分

サハリン(樺太)鉄道旅(24)ノヴォデレヴェンスカヤへ。

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日本の富士重工製のディーゼルカーだけあって車内も何だか日本の雰囲気あり。

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さてサハリン州の人口は約48万人。州都ユジノサハリンスクには約18万9千人が暮らしています。

(在ユジノサハリンスク日本国総領事館のHP参照)

そんなユジノサハリンスクから10分も走れば自然豊かな風景は広がります。

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ユジノサハリンスクから2つ目の「14キロメートル」駅。朝夕の2往復だけの列車ですが、どの駅でも乗降があり、交通機関としては成り立っているようです。もっとも利用者が鉄道の時間に合わせて生活していているようにも感じました。

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3駅目の「16キロ」駅。サハリンの鉄道はこの路線だけではありませんが地名ではなく、キロポストの駅名が結構あります。

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夕方の列車から降りていく人たち。道はありますが一体どこへ行くのでしょう。

検索サイトの航空写真ではどうやらこの先に民家らしきものがあり、週末なのでダーチャ(家庭菜園のある別荘)に向かう人たちかも知れません。

2015年10月25日 20時58分

サハリン(樺太)鉄道旅(23)奥鈴谷。

鉄道路線図トリミング

昭和3年発行の「樺太の鉄道旅行案内」の鉄道地図をトリミング。奥鈴谷の名前があります。この駅があったのは樺太の中心「豊原(ユジノサハリンスク)」と西海岸の中心「真岡(ホルムスク)」を結ぶ豊真線という幹線。

奥鈴谷 ノヴォデレヴェンスカヤ

ただ同じ本の中の各駅の紹介には「奥鈴谷信号所」とあり、地図もこの本文も信号所ではあっても客扱いをしていたから載っていたのではないかと推察しています。

またそこには豊原からの距離が書かれており、10哩(マイル)とありますから約16キロという計算になります。

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今回、ユジノサハリンスク駅で買ったノヴォデレヴェンスカヤまでの往復乗車券。思いっきり恭しい(うやうやしい)感じで違和感タップリ。大きさは日本のかつてのマルスで発見された特急券等を一回り大きくしたサイズで、車掌さんの検札でも問題は無かったのでこれで正しいのでしょうが何だか慣れません。

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しかもこんな記念券の如くのホログラム入り。そもそもこの文字と20の数字の意味は分からずじまい。

2015年10月24日 20時56分

サハリン(樺太)鉄道旅(22)奥鈴谷への旅。

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9月4日(金)の2つ目のイベントはノヴォデレヴェンスカヤ(Ново-Деревенская)、日本時代には「奥鈴谷」と言う名前の駅への旅。その列車に乗るべくユジノサハリンスクの改札からホームに入ろうとしたら何とロックしてある。そこにいた方に聞いたところ日本風に言う駅舎の前の1番線から出発する列車に場合はそこを通るのですが、島ホームから乗る場合は駅舎の隣にあるこの建物から地下道に入り、そこからホームに上がるとのこと。

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目の前の見える列車に到達するのに思わぬ時間がかかってしまいました。

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行先表示(これもサボと呼べるのでしょうか?)は窓にセットしてあり、読めないロシア語の字の形でこの列車の行き先が確かにНово-Деревенская(ノヴォデレヴェンスカヤ)であることを確認。ここから片道17キロ30分の旅。所要時間はジャスト30分です。

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ホームの反対側には客車を牽く気になる列車。でも何時にここを出てどこに行くのかが分からない。残念ですが諦めです。

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それにしても地平の高さから列車に乗り込むのはなかなか大変。日本の高床式ホームが如何に楽で便利かを実感。

2015年10月23日 20時49分

サハリン(樺太)鉄道旅(21)遅めの昼食。

ユジノサハリンスク(Южно-Сахалинск)の駅前。

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鉄道歴史博物館を後に昼食へ。午後2時半過ぎの時間に街をうろうろ。

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ガイドブックに「場所が分かりにくい」とあったレストラン。確かに分かりにくく30分ほど探し回ってやっと発見。大通りから中に入った大規模な集合住宅の中庭の様な所にある隠れ家レストランと言えば聞こえはいいですが、旅人にはハードルが高かったです。しかしお客さんはちゃんといたので地元の人は知っているということでしょう。

ここでもお店の方の了解を得て夜行列車に乗る前の充電タイム。(写真はありません)

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料理は定番中の定番。ボルシチ。ここでもやはりジャガイモを注文。これがまた美味しい!

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こちらはペリメニ。ロシアの代表的料理の一つで例えればロシア風餃子。

1時間半ほどこの店でのんびりしていました。味の良さだけではなく内装にも拘りがあり、もう一度行ってみたい店が出来ました。

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住宅街の中の公園。自然石を組み合わせ、噴水ではなく水の流れを作っているのが珍しいパターンだと思ったのですが、そもそも住宅街にこうした造形を置いているのはここがヨーロッパだからでしょうか?

2015年10月22日 19時55分

サハリン(樺太)鉄道旅(20)雪との戦い!アンドレイ館長渾身の鉄道写真Ⅱ。

SONY DSC

2009年2月17日撮影。

鉄路を守る鉄道員の努力は世界中、変わるものではありません。館長はそんな姿も追っています。

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2004年2月6日撮影。

どれだけの雪の壁なのか気が遠くなります。

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2005年12月23日撮影。

9月に出かけた私にサハリンの冬の厳しさの実感はありません。北海道の冬から察する事は出来るもののやはりこうした写真を見ると改めで「道」を守ることの難しさを実感します。

2015年10月21日 19時53分

サハリン(樺太)鉄道旅(19)絶景!アンドレイ館長渾身の鉄道写真Ⅰ。

サハリンの鉄道を知り尽くしたアンドレイ館長撮影の渾身の鉄道写真。撮影日順ではないのはご容赦下さい。

またこうして私のブログでの紹介を快諾された館長さんにはただただ感謝です。

DSC01465_鉄道歴史博物館

2007年6月21日撮影。

日付から季節感と景色の関係が分かります。

撮影地は恐らく西海岸の路線と思われますが、断崖絶壁とはこういうところをさす言葉だと実感しています。

SONY DSC

2008年8月13日撮影。

DSC08846._鉄道歴史博物館

2005年1月28日撮影。

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2005年11月15日撮影。

DSC07737_鉄道歴史博物館

2006年9月2日撮影。風景&13両の客車から、東海岸をサハリンからノグリキへ向かう列車と思われますが確証はありません。

ст.Ноглики-пас.перрон_鉄道歴史博物館

2005年3月30日撮影。

撮り鉄の方が見たら撮影に出かけたくなる風景・光景ばかりではないでしょうか?

ではこれらの写真は行けば撮影出来るものでしょうか?ひょっとしたら出来るかもしれませんが、現実的には極めて「困難」ではないかと私は思っています。

まずどこに行けばどんな風景に出会えるかを知るのは、撮り鉄情報が出てこないロシアにあっては相当に難しい作業と言えます。また衛星写真等で見当を付けたとしても、そのポイントに辿り着く道があるのか無いのか?というハードルも待ち受けています。

一方で本数は少ないながら旅客列車の運転時刻はサハリン州鉄道のHPや現地で知ることができますが、DHタイプの重厚な機関車が牽く貨物列車のダイヤは公表されていません。

言わずもがなですが、これらの写真はサハリンの鉄路の全てを知り尽くしている館長さんだから撮影できたものであり、この写真を最初に見た時の感動をこの場に及んで旨く表現できない自分を歯痒く感じています。

2015年10月20日 19時51分

サハリン(樺太)鉄道旅(18)D-51-4牽引の観光列車。

ユジノサハリンスク駅構内で保存されているD-51-4号機。

かつては観光列車としてD51牽引の列車が運転されていました。それに乗る日本からのツアーもあったと聞いていますが、私は残念ながら行く事は出来ませんでした。今日は鉄道歴史博物館のアンドレイ館長撮影の写真で振り返ります。

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2005年5月5日撮影。ロシアのブロードゲージの客車の台車を1067ミリに履き替えているとのことで客車が一回り大きいのが印象的です。

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2006年5月6日撮影。ユジノサハリンスク駅。

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同じく2006年5月6日撮影。館長さんに撮影地までお聞きする余裕が私に無かったのが残念です。

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最後は2004年6月16日撮影の廃車体。アンドレイ館長はこうした悲しい記録もちゃんと撮っておられました。

2015年10月19日 20時48分

サハリン(樺太)鉄道旅(17)館長さんと固い握手。

 

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ところで展示室の入り口には横に描かれたサハリンの鉄道地図があります。

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その地図では日本の稚内と橋で結ばれています。

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またサハリンの西海岸にはロシア本土と結ぶ海底トンネルがあります。

壮大な夢物語といえばそれまででしょうが、その地図がここサハリンの鉄道歴史博物館の入り口に掲げられているという事は、島であるサハリンの「切なる願い」がそこにあり、日本の4つの島が鉄路で繋がっていることとも無縁ではなかろうと思いました。

こうしておよそ3時間弱も博物館に滞在し、楽しい時間を過ごしました。そして最後に館長さんから思いがけない申し出あり。

実は博物館で過ごした最後の30分ほどは館長さん自身が撮影したりスキャンした画像データを見せてもらいながら、サハリンの鉄話で盛り上がっていました。そしてその画像データの一部をコピーしても良いとのお言葉。また「サハリンの鉄道の歴史、サハリンの鉄道の今を紹介する」ことを条件に、私のこのブログでの使用もOKとの言葉を頂きました。もっともその使用方法の責任の重さについてはヒシヒシと感じています。

※明日からその一部を紹介します。「提供:鉄道歴史博物館」の文字が入れてあります。

※帰国時の船内で館長さんと親交のある方と知り合ったのですが、「彼(館長さん)はサハリンの鉄道を本当に愛している」「あなた方(同行者全員)の(サハリンの)鉄道への愛情が本物だと伝わったのでしょう」とされており、今回の旅はやはり同行の方に恵まれたと思った瞬間でした。

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別れ際に館長さんと固い握手。

奇跡の出会いが生んだ正に奇跡のひと時であり、かつ至福のひと時でした。

さてここを確実に見学する方法ですが、事前に館長さんに電話するようになっているようで、入館方法と電話番号は展示室の入り口にロシア語で書いてありました。で、間違いないと思います。ただロシア語で電話と言うハードルをどう越えるかが最大の難関とも言えます。

もっとも運がよければ私達のように展示場で出会えるかも知れないませんが…。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!